グロゼイユの茂みで
表現の修正をしました。
レオナールは、ディアヌローズを素早くグロゼイユの茂みの陰に屈ませた。小声で何かを呟く。
瞬時に杖が手品のごとく右手に現れ、揺れる茂みに向けて警戒態勢をとった。
ディアヌローズはグロゼイユの陰から、息を潜めてその様子を窺った。
すると────
揺れる茂みから、手がずぼっと突き出てきた。
一歩レオナールは前に踏み出し、ディアヌローズの緊張も一気に高まった。
突き出された手によって茂みは大きく割り開かれ、そこから背の高い男の人が現れた。
「……ドミヌ……」
気の抜けた声でレオナールは呟いた。手からは杖が消えている。
茂みの陰に屈んだままディアヌローズは詰めていた息を吐き出し、ふたりの様子を窺った。
男の人はレオナールの知り合いのようで、
「……其方もグロゼイユが目的かい?」と、親し気に話しかけてきた。
「──はい」
レオナールの声は緊張気味だ。
どうやら男性はレオナールの上司らしい。
ふたりは立ち話を続けていて、軽妙な口調から悪い人ではなさそうだ。
けれどグロゼイユと聞いてしまっては、ディアヌローズは居ても立っても居られない。ここのグロゼイユは生き物たちの食料。摘まれてしまっては生死に係わる。
思わず身動いだら、ガサリと茂みが音を立てた。
「誰かいるのか?」
「いえ、きっと獣でしょう」
訝しむ男性に、レオナールはそう言って誤魔化した。
まだ隠れていなさい、ということだとディアヌローズは理解した。
けれど屈んだ脚は痺れて限界を迎えてしまい、大きく体勢が崩れた。
「きゃぁ」と地面にへたり込んだ。
慌てて口を噤むも手遅れで、ディアヌローズは庇ってくれたレオナールに申し訳ない気持ちで一杯だ。
立ち上がろうにも痺れた脚は自分のものとは思えない。両手をつっかえ棒にして身体を支えるのがやっとの有様だ。
「姿を見せよ」男性の低く厳しい声が飛んだ。
「レオナールさん、わたくし脚が痺れて立てないのです……。
どうか、立たせてくださいませ」
小声で情けなく懇願するディアヌローズを見るなり、レオナールは碧色の目を僅かに大きくした。
男性からディアヌローズが見えないように背を向ける。グロゼイユの枝に絡まった髪を外して抱きかかえ、脱げた靴を履かせた。身体を支えて立たせると、衣装の汚れを払って髪の乱れを直していった。
「おひとりで立てますか?」
そうレオナールに問われ、初めてディアヌローズはレオナールが時間をかけてくれたのだと知った。
脚はまだジンジン、ミリミリ痺れが走っているけれど、レオナールの気遣いに応えるべく淑女の笑みを貼り付ける。こくりと頷いて背筋を伸ばした。
レオナールは脇に避け、ディアヌローズは貝紫の瞳で男性を見上げた。
途端に長身の男性は、
「し、……」と口にしたきり、緑柱石の目を瞠って固まった。
ディアヌローズは戸惑った。知らない人と口をきいたらフォセットに叱られる。でも、この人はレオナールの知り合い。挨拶しようと決めて前に出た。
するとレオナールが数舜早く、
「……あの、洗礼前ですので、どうかご容赦ください……」と申し出た。
男性は目を瞬かせて、
「しっ、少女趣味、なのか! レオナール」と声を上げた。
レオナールは感嘆符を吐き、
「ご、誤解です!」と全力で否定した。
対して、男性はとても楽し気だ。
冤罪を掛けられたレオナールは、
「どうか、お戯れはおやめください……」と弱り切っている。
男性はおもむろに、レオナールからディアヌローズへと視線を移した。
一体何を言われるのか──。ディアヌローズは胸の内で身構えた。
男性が口を開きかけた、その時────
「──ド……ヌ」
遠くから声が聞こえてきた。
男性は声の方を一瞥し、
「もう来たか……」と、顔を顰めた。
それからレオナールを見て、悪戯を思いついたみたいにニヤリと笑んだ。
「レオナール。其方の少女、いや、幼女趣味は黙っていてやろう。
代わりに、ここで会ったことは口を噤むように」
言うだけ言って、男性はレオナールの返事も聞かずに、もと来た茂みに姿を消した。
レオナールは身体の芯ごと吐き出すような、深い深い息を吐き出した。
「グロゼイユを摘み取って戻りましょう。遅くなってしまいました」
ディアヌローズがグロゼイユを摘み取ろうとした手をレオナールは制し、ひと房もぎ取ってディアヌローズに渡した。ディアヌローズをふわりと抱き上げる。
「しっかり掴まっていてください」
速足で進むレオナールの肩にディアヌローズは掴まった。舌を噛まないように口を閉じ、グロゼイユを持つ手が実を潰さないように気を付けた。
途中まで戻ると、フォセットがいた。どうやら帰りが遅くて迎えに来てくれたらしい。心配そうに眉根を寄せている。
「遅いので心配しましたわ」
ディアヌローズは男性の言葉を思い出す。男性については黙っておいた方が良さそうだ。
「ごめんなさい。グロゼイユの茂みで転んでしまいました。
枝に絡まった髪をレオナールさんが外してくださったの」
嘘はついていない。男性について口を噤んだだけ。でも後ろめたくて、ディアヌローズは顔を俯けた。
「まあ、大変でしたわね。お怪我はありませんか?」
そう言って、フォセットはディアヌローズに目を配った。
「怪我はしなかったけれど、衣装を汚してしまいました。ごめんなさい」
「お怪我が無ければよろしいのですよ。戻ったら着替えをいたしましょう」
フォセットに心配されて、ディアヌローズは堪らなくこそばゆかった。
部屋に戻り、ディアヌローズはレオナールから下ろされた。
「レオナールさん、ありがとう存じます──」
「どういたしまして──」
ふたりで視線を交わし合い、秘密の保持を確認し合った。
ディアヌローズが着替えているところにベアトリスがやってきた。手にはディアヌローズが庭へ履いて出た靴がある。
「レースが裂けていますわ。新しい靴を注文いたしますね」
と、ベアトリスは裂けた部分を示した。
見れば、僅かに金色の糸で縁どられたレースが裂けている。グロゼイユの茂みで転んだ時に引っかけてしまったのだろう。
でもディアヌローズはまったく気にならない。
「そのままで大丈夫です」
ディアヌローズの言葉に、すかさずベアトリスは口を開いた。
「いけませんわ。侮られるような真似はできませんもの」
フォセットまでもが、
「そうね。注文しましょう」と、ベアトリスに賛同した。
自分の足元を見る人なんているかしら──。ディアヌローズは思う。何より勿体ない。これから庭を歩く時には気をつけなくては、と自戒する。これでは靴が何足あっても足りなくなってしまう。貴族というのは大変だ。
ディアヌローズは着替えを済ませて、ビジュにグロゼイユをあげた。
それから長椅子で庭での出来事について考える。
あの男の人は誰なのか──。
レオナールが呟いた『ドミヌ』って何だろう。
男の人の名前、もしくは渾名か。
でもレオナールの上司らしいから、本人の前で渾名は口にしない。きっと。
もしかして、『ドミヌ』って言ったら杖が消えたから、呪文かも。
なんだか魔法使いっぽい。
考えるだけで愉しくて、思わずくすりと笑みが漏れた。
「何か楽しいことでもありましたの?」
ベアトリスに尋ねられて、ディアヌローズは慌てた。なんて迂闊。
「あ、あのね。……庭で、……グロゼイユ……。
そう、ビジュがとても美味しそうにグロゼイユを食べるから、またあすも摘みに行こうと思ったの」
しどろもどろに答えて、へらりと笑った。
それからレオナールをちらりと見る。ひどく不安そうにこちらを見ていた。
ああ、ごめんなさい──。胸の内で深く謝った。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
先日エレオノールから贈られた人形をディアヌローズは膝にのせた。自分と同じ、貝紫の瞳と白金の髪をした人形だ。
人形の髪を手で梳きながら、人形にもレースバンドを作ろうと思いついた。マノワと自分と人形のお揃いのレースバンド。なんて素敵なひらめき。
さっそくベアトリスに材料を用意してもらい、刺繍道具の蓋を開けた。
その拍子に、はらりと何かが舞った。前にレースバンドを作った時の端切れだった。その小さなレースの端切れを摘まみ上げて、裏返した箱の蓋に入れた。
数種類のレースの中から一つを選び、リボンは貝紫色にした。
人形の髪をベアトリスからハーフアップのお団子ヘアにしてもらい、レースとリボンの長さを決めた。
あとはもう手慣れたもの。ちくちく縫っていけば直ぐに縫い上がった。
人形に着けて、みんなに出来映えを見てもらう。お世辞でも褒めてもらえたのは嬉しかった。
一仕事終えて出された果実水を飲めば、甘酸っぱさが身体に沁み渡っていく。
庭で思いがけない出来事に遭遇したせいか、一気に眠くなった。身体を前後に揺らしながら、最後には背もたれに背を預けて眠り落ちた。
どれほどかの眠りの後、微睡む耳にビジュの心地いい囀りが届いた。
もう少しこのままでいたい──。
そう思った矢先、髪が強く引っ張られた。
痛みでパチリと目を開けた。
その視線のすぐ先には────




