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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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エレオノールからの贈り物

表現の修正をしました。

 朝食後のお茶が出されると、ディアヌローズはフォセットを見上げた。

「あ、あの……お願いがあるの」


 フォセットは青緑色の瞳を向ける。

「どのようなご要望でしょう」


「庭へ出たいの……」

 おずおずと願うディアヌローズに、フォセットは緩く頭を振った。

「許可は出ておりませんわ」


 ディアヌローズはしょんぼりと肩を落として、

「どうしても、ダメですか?」と重ねて願った。


 困ったようにフォセットは眉を寄せる。

「きのう寝台から出られるようになったばかりでしてよ。

 体調が整うまで、もう少し我慢なさいませ」


「ビジュに……グロゼイユを食べさせてあげたいの……」

 ディアヌローズは白金の長い睫毛を僅かに伏せた。


 その様子をフォセットは暫し眺めた。仕方ないですねと言わんばかりに嘆息する。

「お約束ください。グロゼイユを摘んだら、すぐに戻って来られると」


 ディアヌローズは素早くフォセットを見上げて、満面の笑みを浮かべた。

「ええ、約束するわ。ありがとう」


 フォセットは呆れたように笑んだ。

「それではアンベールにお嬢さまを抱き上げてお連れするよう、伝えてまいりますね」


「えっ、わたくし歩けるわ」

 目を瞬かせるディアヌローズに、フォセットは屈んで顔を近づけた。その顔には心配だと書いてある。

「お願いです。お聞き入れくださいませ」




 アンベールに抱き上げられてディアヌローズは庭に出た。

 高い位置から見る景色はディアヌローズにとって新鮮だ。裏側しか見えなかった葉の表面に()が入っているのを発見したり、樹々の間を遠くまで見通せたりもする。

 土の匂いは薄く、湿り気のない爽やかな空気。木立を吹き抜ける風がディアヌローズの白金の髪を揺らしながら通り抜けていく。



 ベルージュの茂みが近くなると、鳥の声や葉擦れの音が盛んになった。

「キュッ キュッ」と、今まで聞いたことのない鳴き声もする。


「これは珍しいですね。フェブルの鳴き声ですよ」

 声を潜めてアンベールは言った。


 直後に、ガサガサと茂みをかき分けるような音がした。おそらく茂みの奥へと隠れた音だろう。


「残念……見たかったわ。まだ一度しか見たことがないんです」

 落胆するディアヌローズに、アンベールは銀朱色の目を細めた。

「私が初めてフェブルを見たのは成人してからです。洗礼前ではきっとお嬢さまだけですよ」


 フェブルに会えなかったのは残念だったけれど、生き物が集まっていたのなら、まだベルージュの実は残っているのだろう。このまま生き物たちが飢えないだけの実りがあってほしい。ディアヌローズは願わずにはいられなかった。



 アンベールには生き物たちの邪魔をしないよう迂回してもらい、グロゼイユの群生場所を目指す。

 普段は通らない高木の間を縫うように進んでいくと、グロゼイユの茂みに近付いたのか、再び鳥の囀りが聞こえてきた。さらに進むと飛び立っていく羽音が幾つも聞こえ、急に視界が開けた。


「さあ、着きましたよ」

 ディアヌローズはアンベールから下ろされて、「ありがとう」と礼を伝えた。


 早速グロゼイユの葉裏を覗きこむ。黒く熟した実は葉の付け根ごとに房になっていて、鋭く長い棘に守られていた。

 棘に触れないよう、ディアヌローズは慎重に房をもぎ取っていく。

 ビジュが食べる分だけを摘み取ると、またアンベールに抱き上げられて来た道を戻った。



 部屋に着くと、ディアヌローズはもう一度アンベールに感謝を伝えた。


 下ろされた鳥籠の中で、ビジュは待ちきれないと言わんばかりに盛んに囀っている。

 ディアヌローズが艶やかな黒く熟したグロゼイユの実を差し出すと、ビジュは鋭い嘴を突き立てるようにして啄み始めた。時折り目を細めては、濃い紫の果汁を滴らせながら夢中で食べている。


 鳥籠の周りは甘酸っぱい香りに満たされて、思わずディアヌローズの喉はごくりと鳴った。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 五の鐘のお茶の時間にエレオノールが訪れた。

 木箱を二つ応接卓の上に用意させると、ディアヌローズを杏色の瞳で真っ直ぐ見た。


「さあ、ディアヌローズ。

 どちらからでも構わないから、開けてみて」


 いつになく勢いのあるエレオノールに気圧されながら、ディアヌローズは細長い方の箱を開いてもらう。


 箱の中には────

 人形(ビスクドール)が眠っていた。


 人形が着ている衣装は、前にエレオノールから贈られた菫色の衣装と同じ。

 さらに、人形の髪はディアヌローズと同じ白金色だ。

 瞼は閉じている。でも、きっと瞳の色は──。


 ディアヌローズは期待の眼差しをエレオノールに向けた。

「触ってもよろしいですか?」


「もちろんよ」

 弾んだ声でエレオノールは答えた。



 人形の脇にディアヌローズは手を差し入れた。

 僅かに布越しに伝わる、ひんやりとした硬い感触。

 そっと抱き上げる。

 閉じられていた瞼は徐々に開いていき────

 貝紫色の瞳と目が合った。


 瞬きも忘れて、ディアヌローズは人形を見つめた。

「ほぅ……」と、我知らず息を漏らした。


 そんなディアヌローズを見て、エレオノールは嬉しそうに何度も頷いた。

「気に入ってくれたかしら? 

 女の子はね、自分と同じ色の瞳と髪の人形で、自分に似合う衣装や髪型を学んでいくのよ」



 それから暫く、エレオノールは人形についてディアヌローズに語った。

 衣装を新調する際には、人形にも同じものを仕立てること。

 だから、人形はとても衣装持ちであること。

 意匠に迷った時には、先に人形で試したりもすること。

 着なくなった衣装は下げ渡してしまうので、記念として残す意味もあること。


 ディアヌローズは感心しきりに耳を傾けた。



 ひと通り人形と衣装の話をすると、エレオノールはもう一つの木箱を指し示した。


「さあ、もうひとつの箱も開けて頂戴」



 ディアヌローズは隣に人形を座らせ、もうひとつの箱を開けてもらう。

 中にはミニサイズの茶器が並んでいて、イニシャルと薔薇が絵付けされていた。



「お茶会を学ぶためのティーセットよ。

 これでお茶会の練習をするの。小さいけれど、ちゃんと使えるのよ。

 手に取って見てごらんなさい」



 ディアヌローズは言われるままにティーポットを取り出すと、蓋を開けて中を覗きこんだ。きちんとお茶を注げるようになっている。ティーカップとソーサー、ケーキ皿、ボウル、ティースプーン、デザートフォークは6揃いずつ。大皿が3枚、トレー、シュガーポット、クリーマーポットが2個。ミニサイズながらもフルセットだ。



「気に入ってもらえて?

 あなたの名を決めてから、直ぐに人形と一緒に注文したのよ。

『ディアヌローズ』は仮の名だから、イニシャルを入れるか迷ったの。

 でも、記念になると思って入れたのよ」


 人形の時とは違い、エレオノールの瞳には不安な色が混ざっている。


 名を決めたのは転移してきて間もない頃。出会ってすぐにエレオノールは手配してくれた。

 なのに、自分はみんなを騙して利用する事しか考えていなかった──。ディアヌローズは自身の愚かさを改めて思い知った。


 こんな自分を赦し、気にかけてくれる。

 なんて優しい人──。

 見る間に視界がぼやけていく。

 幸せが胸を満たして、早く感謝を伝えたいのに言葉が探せない。

 浮かんだ言葉はひどくありきたり。でも、最上と思えた。


「ありがとう、存じます……」

 感極まって声が震えたけれど、ありったけの気持ちを籠めた。



「気に入ってもらえてよかったわ」

 エレオノールはふわりとほどけるように微笑んだ。



「何かお返しできるものがあればいいのですけれど……」


 与えてもらうばかりで返せるものが何もない。ディアヌローズは申し訳なくて眉を下げた。

 するとエレオノールは緩く頭を振った。


「気にする必要なくてよ。わたくしがそうしたかったのだから」


「でも……」と、ディアヌローズは俯いた。

 今の自分にできる事といえば、歌かヴィオリナ。あとは刺繍くらいで、目新しいものはない。子どもでなければもっといろいろできるのに──。そんな自分がもどかしかった。



 エレオノールは小首を傾げて「そうね……」と何やら考え始め、大して間を置かずに「そうだわ」と言った。その声は思いのほか、ふたりの間で大きく響いた。


 ディアヌローズが驚いて顔を上げると、目を輝かせたエレオノールと視線が合った。


「わたくしを『姉』と呼んでくれるかしら。二人の時だけでもいいの」


「えっ、よろしいの、です……か?」


 躊躇うディアヌローズに、今度はエレオノールが期待のこもった眼差しを向けてきた。


「早く呼んでみて」


 奏は一人っ子だった。憧れた人生初の呼びかけに、ディアヌローズは緊張を隠せない。

「──エレオノール……お、お姉、さま」

 おずおずと口にした。

 思いも寄らない展開に、頬が熱くて仕方ない。

 嬉しくて、恥ずかしくて、夢のよう。



「ああ、素敵ね」

 エレオノールは鮮やかに笑んだ。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 翌日の朝食後も、ディアヌローズはグロゼイユを摘みに庭に出た。まだ自分で歩く許可は下りなくて、きょうはレオナールに抱き上げられた。


 レオナールにもきのうと同じ道を通ってもらい、グロゼイユの茂みを目指した。今朝は残念ながらフェブルの声は聞こえてこない。


 目的の茂みに着いて、ディアヌローズをレオナールが下ろそうとした時だった。


 ガサガサ────


 茂みが大きく揺れた。






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