エレオノールからの贈り物
表現の修正をしました。
朝食後のお茶が出されると、ディアヌローズはフォセットを見上げた。
「あ、あの……お願いがあるの」
フォセットは青緑色の瞳を向ける。
「どのようなご要望でしょう」
「庭へ出たいの……」
おずおずと願うディアヌローズに、フォセットは緩く頭を振った。
「許可は出ておりませんわ」
ディアヌローズはしょんぼりと肩を落として、
「どうしても、ダメですか?」と重ねて願った。
困ったようにフォセットは眉を寄せる。
「きのう寝台から出られるようになったばかりでしてよ。
体調が整うまで、もう少し我慢なさいませ」
「ビジュに……グロゼイユを食べさせてあげたいの……」
ディアヌローズは白金の長い睫毛を僅かに伏せた。
その様子をフォセットは暫し眺めた。仕方ないですねと言わんばかりに嘆息する。
「お約束ください。グロゼイユを摘んだら、すぐに戻って来られると」
ディアヌローズは素早くフォセットを見上げて、満面の笑みを浮かべた。
「ええ、約束するわ。ありがとう」
フォセットは呆れたように笑んだ。
「それではアンベールにお嬢さまを抱き上げてお連れするよう、伝えてまいりますね」
「えっ、わたくし歩けるわ」
目を瞬かせるディアヌローズに、フォセットは屈んで顔を近づけた。その顔には心配だと書いてある。
「お願いです。お聞き入れくださいませ」
アンベールに抱き上げられてディアヌローズは庭に出た。
高い位置から見る景色はディアヌローズにとって新鮮だ。裏側しか見えなかった葉の表面に斑が入っているのを発見したり、樹々の間を遠くまで見通せたりもする。
土の匂いは薄く、湿り気のない爽やかな空気。木立を吹き抜ける風がディアヌローズの白金の髪を揺らしながら通り抜けていく。
ベルージュの茂みが近くなると、鳥の声や葉擦れの音が盛んになった。
「キュッ キュッ」と、今まで聞いたことのない鳴き声もする。
「これは珍しいですね。フェブルの鳴き声ですよ」
声を潜めてアンベールは言った。
直後に、ガサガサと茂みをかき分けるような音がした。おそらく茂みの奥へと隠れた音だろう。
「残念……見たかったわ。まだ一度しか見たことがないんです」
落胆するディアヌローズに、アンベールは銀朱色の目を細めた。
「私が初めてフェブルを見たのは成人してからです。洗礼前ではきっとお嬢さまだけですよ」
フェブルに会えなかったのは残念だったけれど、生き物が集まっていたのなら、まだベルージュの実は残っているのだろう。このまま生き物たちが飢えないだけの実りがあってほしい。ディアヌローズは願わずにはいられなかった。
アンベールには生き物たちの邪魔をしないよう迂回してもらい、グロゼイユの群生場所を目指す。
普段は通らない高木の間を縫うように進んでいくと、グロゼイユの茂みに近付いたのか、再び鳥の囀りが聞こえてきた。さらに進むと飛び立っていく羽音が幾つも聞こえ、急に視界が開けた。
「さあ、着きましたよ」
ディアヌローズはアンベールから下ろされて、「ありがとう」と礼を伝えた。
早速グロゼイユの葉裏を覗きこむ。黒く熟した実は葉の付け根ごとに房になっていて、鋭く長い棘に守られていた。
棘に触れないよう、ディアヌローズは慎重に房をもぎ取っていく。
ビジュが食べる分だけを摘み取ると、またアンベールに抱き上げられて来た道を戻った。
部屋に着くと、ディアヌローズはもう一度アンベールに感謝を伝えた。
下ろされた鳥籠の中で、ビジュは待ちきれないと言わんばかりに盛んに囀っている。
ディアヌローズが艶やかな黒く熟したグロゼイユの実を差し出すと、ビジュは鋭い嘴を突き立てるようにして啄み始めた。時折り目を細めては、濃い紫の果汁を滴らせながら夢中で食べている。
鳥籠の周りは甘酸っぱい香りに満たされて、思わずディアヌローズの喉はごくりと鳴った。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
五の鐘のお茶の時間にエレオノールが訪れた。
木箱を二つ応接卓の上に用意させると、ディアヌローズを杏色の瞳で真っ直ぐ見た。
「さあ、ディアヌローズ。
どちらからでも構わないから、開けてみて」
いつになく勢いのあるエレオノールに気圧されながら、ディアヌローズは細長い方の箱を開いてもらう。
箱の中には────
人形が眠っていた。
人形が着ている衣装は、前にエレオノールから贈られた菫色の衣装と同じ。
さらに、人形の髪はディアヌローズと同じ白金色だ。
瞼は閉じている。でも、きっと瞳の色は──。
ディアヌローズは期待の眼差しをエレオノールに向けた。
「触ってもよろしいですか?」
「もちろんよ」
弾んだ声でエレオノールは答えた。
人形の脇にディアヌローズは手を差し入れた。
僅かに布越しに伝わる、ひんやりとした硬い感触。
そっと抱き上げる。
閉じられていた瞼は徐々に開いていき────
貝紫色の瞳と目が合った。
瞬きも忘れて、ディアヌローズは人形を見つめた。
「ほぅ……」と、我知らず息を漏らした。
そんなディアヌローズを見て、エレオノールは嬉しそうに何度も頷いた。
「気に入ってくれたかしら?
女の子はね、自分と同じ色の瞳と髪の人形で、自分に似合う衣装や髪型を学んでいくのよ」
それから暫く、エレオノールは人形についてディアヌローズに語った。
衣装を新調する際には、人形にも同じものを仕立てること。
だから、人形はとても衣装持ちであること。
意匠に迷った時には、先に人形で試したりもすること。
着なくなった衣装は下げ渡してしまうので、記念として残す意味もあること。
ディアヌローズは感心しきりに耳を傾けた。
ひと通り人形と衣装の話をすると、エレオノールはもう一つの木箱を指し示した。
「さあ、もうひとつの箱も開けて頂戴」
ディアヌローズは隣に人形を座らせ、もうひとつの箱を開けてもらう。
中にはミニサイズの茶器が並んでいて、イニシャルと薔薇が絵付けされていた。
「お茶会を学ぶためのティーセットよ。
これでお茶会の練習をするの。小さいけれど、ちゃんと使えるのよ。
手に取って見てごらんなさい」
ディアヌローズは言われるままにティーポットを取り出すと、蓋を開けて中を覗きこんだ。きちんとお茶を注げるようになっている。ティーカップとソーサー、ケーキ皿、ボウル、ティースプーン、デザートフォークは6揃いずつ。大皿が3枚、トレー、シュガーポット、クリーマーポットが2個。ミニサイズながらもフルセットだ。
「気に入ってもらえて?
あなたの名を決めてから、直ぐに人形と一緒に注文したのよ。
『ディアヌローズ』は仮の名だから、イニシャルを入れるか迷ったの。
でも、記念になると思って入れたのよ」
人形の時とは違い、エレオノールの瞳には不安な色が混ざっている。
名を決めたのは転移してきて間もない頃。出会ってすぐにエレオノールは手配してくれた。
なのに、自分はみんなを騙して利用する事しか考えていなかった──。ディアヌローズは自身の愚かさを改めて思い知った。
こんな自分を赦し、気にかけてくれる。
なんて優しい人──。
見る間に視界がぼやけていく。
幸せが胸を満たして、早く感謝を伝えたいのに言葉が探せない。
浮かんだ言葉はひどくありきたり。でも、最上と思えた。
「ありがとう、存じます……」
感極まって声が震えたけれど、ありったけの気持ちを籠めた。
「気に入ってもらえてよかったわ」
エレオノールはふわりとほどけるように微笑んだ。
「何かお返しできるものがあればいいのですけれど……」
与えてもらうばかりで返せるものが何もない。ディアヌローズは申し訳なくて眉を下げた。
するとエレオノールは緩く頭を振った。
「気にする必要なくてよ。わたくしがそうしたかったのだから」
「でも……」と、ディアヌローズは俯いた。
今の自分にできる事といえば、歌かヴィオリナ。あとは刺繍くらいで、目新しいものはない。子どもでなければもっといろいろできるのに──。そんな自分がもどかしかった。
エレオノールは小首を傾げて「そうね……」と何やら考え始め、大して間を置かずに「そうだわ」と言った。その声は思いのほか、ふたりの間で大きく響いた。
ディアヌローズが驚いて顔を上げると、目を輝かせたエレオノールと視線が合った。
「わたくしを『姉』と呼んでくれるかしら。二人の時だけでもいいの」
「えっ、よろしいの、です……か?」
躊躇うディアヌローズに、今度はエレオノールが期待のこもった眼差しを向けてきた。
「早く呼んでみて」
奏は一人っ子だった。憧れた人生初の呼びかけに、ディアヌローズは緊張を隠せない。
「──エレオノール……お、お姉、さま」
おずおずと口にした。
思いも寄らない展開に、頬が熱くて仕方ない。
嬉しくて、恥ずかしくて、夢のよう。
「ああ、素敵ね」
エレオノールは鮮やかに笑んだ。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
翌日の朝食後も、ディアヌローズはグロゼイユを摘みに庭に出た。まだ自分で歩く許可は下りなくて、きょうはレオナールに抱き上げられた。
レオナールにもきのうと同じ道を通ってもらい、グロゼイユの茂みを目指した。今朝は残念ながらフェブルの声は聞こえてこない。
目的の茂みに着いて、ディアヌローズをレオナールが下ろそうとした時だった。
ガサガサ────
茂みが大きく揺れた。




