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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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精霊と金の髪

表現の修正をしました。

 こげ茶のもじゃもじゃ頭に、口も顎も頬までもが髭もじゃ。

 がっちりした体躯の精霊が、そのたくましい腕でディアヌローズの髪を引っ張っていた。


 視線が合うと、お互い息を呑んで固まった。


 先に動き出したのは精霊の方。

 おもむろに掴んだ髪を手放して、今にも踵を返そうとする。



 ──待って! 行かないで。

 わたしはディアヌローズ。マノワの友だちよ。

 あなたはマノワの知り合いなのでしょう? 

 マノワから、他にも精霊がいるって教えてもらったもの。


 姿を消されては大変。ディアヌローズは頭の中で、まくし立てるように精霊に話しかけた。


 精霊はさも不機嫌そうにもじゃもじゃ眉毛をぎゅっぎゅっと寄せた。無言でディアヌローズに向き直り、黒い瞳を向けた。



 ──わたしの髪が要るのでしょう。

 さあ、どうぞ。


 ディアヌローズは精霊から目を離さずに白金の髪を一本抜いて、もじゃもじゃ精霊の前に置いた。

 精霊は仁王立ちのまま、ディアヌローズの置いた髪を黙って見つめた。


 ──一本では足りないの? 待っててね。


 なおも精霊から目を離さないまま、ディアヌローズは手探りで髪を一本摘んだ。



 ──いや……、一本でいい。


 精霊は野太い声をディアヌローズの頭の中に響かせた。


 ──いいの? 

 十本って言われたら困るけど、あと二本くらいなら構わないのよ。


 ──……充分だ。


 ──良かった。本当はちょっと痛かったの。

 嬉しいわ。あなたに会いたかったのよ。



 精霊は素っ気なくて、おしゃべりする気は無いらしい。人形みたいに動かず、ディアヌローズが諦めるのを待っているとしか思えなかった。

 だが、ディアヌローズに諦める気は毛頭ない。



 ──わたしの髪をどうするの? 何に使うの? 

 何かの材料かしら? 一本で足りるものって何?


 畳みかけるようにディアヌローズは質問を投げかけた。

 精霊は辟易したのか大きな溜息をついて、やにわに太い腕を組んだ。その腕も、もじゃもじゃだ。


 ──……靴を直すのに、金の糸が要るんだ。


 ぶっきらぼうに返事した。


 ──もしかして、金の縁取りのレースが裂けている靴かしら?


 その靴は、ディアヌローズが庭の茂みで転んだ時に履いていたものだ。


 ──ああ。


 ──わたしの靴だわ。あなたが直してくれるの?


 ──ああ。


 ──ありがとう。お気に入りの靴なの。とっても嬉しい。


 にっこりとディアヌローズは笑んだ。


 すると厳めしく立っていた精霊は、唐突に視線をウロウロと彷徨(さまよ)わせた。


 ──……儂の仕事だからな。


 ──あなたは靴の精霊なの?


 ──儂は靴職工精霊だ。



 ディアヌローズは貝紫の目を丸くする。凄い。『靴屋さんの小人』だ。是非とも友だちになって、いろいろ話を聞かせてもらいたい。まずは名前から。


 ──だから革のエプロンを着けているのね。とても似合ってるわ。

 わたしの靴を直してもらうのだもの。きちんとお礼を伝えなくてはね。

 そのためにはあなたの名を知っておかなくちゃ。

 恩人の名を知らないなんて失礼な真似はできないもの。

 だからあなたの名を教えて。お願いよ。



 ──…………テチュ、だ。


 ──テチュ、ね。教えてくれてありがとう、テチュ。

 わたしに用意できる物があったら手伝わせてね。


 渋々ながらも名を教えてもらえて、ディアヌローズは嬉しくなった。次は自分の名を呼んでもらうのが目標。呼びかけに応えてもらえるようになるのは、かなり先になりそうだ。




「お目覚めになられまして?」

 突然、ベアトリスの声がした。


 びっくりして、ディアヌローズの肩はぴくりと跳ね上がった。

 テチュが見つからないよう気を引こうと、咄嗟に掛けられていた布を外してベアトリスに渡した。

 幾つも置かれたクッションから身を起こし、平静を心掛ける。


「──眠っちゃったのね」

「もうじき昼食ですわ。刺繍道具は片付けましょう」


「まだ練習したいの」

「その時にまたご用意しますわ」


 もしかしたら刺繍糸の中にテチュの欲しいものがあるかもしれなくて、できればこのままにしておきたかったのに残念だ。

 仕方なく刺繍道具を片付けようと、ディアヌローズは蓋を手に取った。中を見れば、入れておいたレースの端切れが無くなっている。テチュが持って行ったんだとすぐに分かった。

 蓋をして、ベアトリスに刺繍道具を渡した。


 それからテチュを探したけれど、もう長椅子のどこにもテチュは居なくて、置いておいた髪も無くなっていた。


 テチュが顔を厳めしくしながら、あの逞しい腕で繊細なレースを直してくれる。その姿を想像するだけで無性に愉しくなってくる。思わず緩んでしまう口許を、不審がられないよう引き締めた。



 ──テチュ、また会いましょうね。


 ディアヌローズの挨拶に、返る声はなかった。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 翌日、ディアヌローズが庭へ出る支度をしていると、外履きの靴をマリレーヌが持ってきた。


 ベアトリスはその靴を見るなり、

「その靴はレースが裂けているから、違う靴を持ってきてね」と声を掛けた。


 マリレーヌは手にした靴をじっと見て、怪訝な顔をした。

「どこにも裂けたところは無くてよ。ベアトリスも確かめてみて」


 ベアトリスは受け取った靴を念入りに調べて、首を傾げた。

「変ね。確かにきのう、ここのレースが裂けていたのよ。

 フォセットも確認したから、間違いないのに……」



 ふたりのやりとりを横目に、ディアヌローズは嬉しくて堪らない。


 ──テチュ、ありがとう。


 頭の中でテチュに伝えた。

 やはりテチュからの返事はなかったけれど、テチュはきっとこの部屋のどこかで見ている。そんな気がした。


 ディアヌローズはふたりに貝紫の瞳を向ける。

「本当に不思議ね。誰が直してくれたのかしら。

 その靴はお気に入りだから、とっても嬉しいわ」

 満面の笑みを浮かべた。



 支度を終えたディアヌローズは、アンベールに抱き上げられてグロゼイユの茂みへと向かった。

 きょうもまた、あの背の高い男の人が現れるかが気になった。


 レオナールはあの男の人に命じられたとおりに、誰にも話していないらしい。アンベールは特段の警戒をとることもなく、グロゼイユの茂みに踏み込んだ。


 下ろされたディアヌローズはきのう隠れた場所で屈むと、グロゼイユの実を探すふりをしながら耳をそばだてた。


 何も起きないのを確かめてから手近にあったグロゼイユの房を摘み取り、またアンベールに抱き上げられて部屋に戻った。

 拍子抜けするくらい何事もなかった。




 ビジュにグロゼイユをあげ、ディアヌローズは長椅子に腰を下ろした。

 きのうの男の人について考える。

 一体、何者なのか──。

『また会おう』と言っていたから、てっきり今日も現れると思っていた。


 レオナールに命令できる人で、どこかから逃げてきた人。

 でも、悪い人には見えなかった。


 レオナールに訊きたい。

 でも、きっとレオナールは困るに違いない。あの男の人と話すレオナールは、とても弱りきった顔をしていたから。

 訊くのはもう少し待った方がいい。そんな気がした。




 それから数日、あの男の人は現れなかった。

 ディアヌローズも三日ほどで警戒心が薄れ、隠れるように摘み取ることはなくなっていた。



 週を一巡りした。

 漸くディアヌローズに、自分の足でグロゼイユを摘みに行く許可が下りた。


 その初日。

 ディアヌローズはレオナールを急かして、意気揚々と庭へ出た。

 久しぶりに足に伝わる、柔らかな草地の感触。自分で歩くのはやっぱり愉しくて、土の匂いを強く感じるのも懐かしい。

 ただ子どもの背では低木の茂みにすら遮られて、抱き上げられた時みたいに風を感じられないのが残念だ。


 足取りも軽く小径を進んでいく。


 途中、いつも迂回する木立の入り口近くに────

 白銀の髪の男性が立っていた。






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