ディアヌローズの告白(後編)
表現を修正しました。
ディアヌローズは、告白の始めの言葉を口にした。
もう後戻りはできない。一気に緊張が高まった。血液が体内をドクドクと忙しなく巡り、動悸が激しくなる。冷え切っていた身体が火照り始めた。凍りついたような手も熱くなってきて、包んでくれているエレオノールの手が冷たく感じた。
吐息のように絞り出した声は、アントナンによって再びアルフレデリック達に伝えられる。
アルフレデリックは片眉を上げて、ディアヌローズを見た。
と同時に、
「アルフレデリック、ディアヌローズの手が熱いの。きっと熱が出ているわ」
と、エレオノールが焦ったように声を上げた。
アルフレデリックはディアヌローズの額に触れ、顔を曇らせた。
ディアヌローズはアルフレデリックを見上げて、願う。
「大丈夫、ですから。
……どうか、わたくしの、話を……聞いて……ください、ませ」
「ディアヌローズ、教えただろう。
きょう目覚めなければ、命は無かったと。
話なら後で聞く。今は寝みなさい」
「わたくしは、お伝え、するために、……戻って、きたのです」
断固たる決意をもって、アルフレデリックを見つめた。
暫し沈黙が落ちた後、アルフレデリックは嘆息した。
「約束しなさい。
私が『ここまで』と言ったら、必ず寝むと」
「無理はさせないで。アルフレデリック」
エレオノールは柳眉を寄せた。
「承知している。
だが、いま少しなりとも聞いてやらねば、却って身体に障るだろう。
約束しなさい。ディアヌローズ」
「……約束、いたします」
「宜しい。では、聞こう」
アルフレデリックは椅子に腰を下ろし、広げた両手の指先を合わせて、いつもの聞く体勢をとった。
心を落ち着けようと、ディアヌローズは天蓋を見つめて息をはく。
いざとなると弱い自分が顔を出して、震える唇は開いては閉じ、閉じては開くを繰り返した。
自分の手を包んでくれているエレオノールの手は、真実を告げた後でも、このままでいてくれるだろうか。そんな資格も無いのに、浅ましい願いが頭を過った。
さあ、お終いにしなくては──。どんなに引き延ばしても、結果は変わらない。
貝紫の瞳で、エレオノールを見つめ、それからアルフレデリックを見つめた。
「────わたくしは、……違う、聖堂から、……来たのです」
ただ一人、ディアヌローズの唇を読んだアントナンだけが、驚愕の色に染まる。
通訳を忘れて固まった。
束の間、アントナンに視線が集まった。
アルフレデリックが、苛立ちをみせる。
「アントナン、伝えよ」
我に返ったアントナンは腰の物入れから何かを取り出し、
「──その前に、こちらを」と、掌を広げた。
アルフレデリックはそれを一瞥し、僅かに怪訝な表情をみせながらも頷いた。
了承を得たアントナンの掌上で、光が生まれる。
光はアントナンを中心に半ドーム状に広がって、アルフレデリック、エレオノールとディアヌローズを覆った。
「伝えよ」
「──お嬢さまは、違う聖堂から来られた、と」
アルフレデリックとエレオノールは瞠目した。
やはり、信じてもらえないかもしれない──。ディアヌローズは思った。あまりにも荒唐無稽な話だ。自分でさえも、最初は信じられなかったのだから。このイストワール国を、『夢の世界』と何度思ったことか。
今でさえ、そうであればいいのに、と思い続けている。
暫し頤を親指で摩っていたアルフレデリックは、その手を止めた。
「どこの聖堂か憶えているか?」
「その前に、……この光は、何ですか?」
光のドームを見渡して、ディアヌローズは訊ねた。
「遮音の魔術だ。この光の外に、音は漏れない」
「わたくしは、……皆さんにも、お伝え、……したい、のです」
「皆に伝えるかは、すべてを聞いたのち判断する」
「では、せめて、……フォセットさんを……お願い、いたします」
エレオノールとアルフレデリックの次に世話になったのは、フォセットだった。人伝では伝わらないものがある。フォセットには言葉だけでなく、自分のすべてを知って欲しかった。
アルフレデリックの許可を得て、フォセットが光のドームの内側に入ってきた。
気遣わしそうな目を向けるフォセットに、ディアヌローズは小さく笑んでみせた。
「わたくしが、いた聖堂は、……小さな、聖堂です。
……アルモニアムは、……ありました。
それから、わたくしが、……髪につけていた、花が、
庭に、たくさん……咲いて、いました」
「その聖堂で光を受けたのか?」
「はい。……あの日、
……わたくしは、アルモニアムを……弾いて、歌った、のです。
……すると、光の粒が……降って、きました。
光の粒は、……眩い、ほどに、……増えて、
……わたくしを、……呑み込み、ました」
長く話すと息苦しくて、ディアヌローズは肩で息をする。話を続けた。
「……光が、収まって……目を、開けました。
……アルモニアムは……わたくしの、目の前に……ありました。
……聖堂の中も、……わたくしの、いた、聖堂と……同じでした。
…………なのに、祈りの日に、……訪れた、聖堂は……違って、いた。
わたくしには、……わかりま、せん。
……わたくしが、あの日、見ていた……聖堂は、何だったの、ですか?
……そして、祈りの日に、……同じ光を、見ました。
……なのに、…………還れな、かった。……還れなかったの、です。
……どうして、ですか? ……どうして? ……どうして?
…………アルモニアムを……弾いた、だけなのに
…………ただ、それだけ、なのに……」
涙がとめどなく溢れては顳顬を濡らしてゆく。冷静に出来事だけを話すつもりだったのに、感情を抑えられなかった。身体の内側で熱が膨れ上がっていくのに、ひどく寒くて、額が疼いた。
「ディアヌローズ。これ以上、心を揺らすな。身体がもたなくなる」
アルフレデリックは眉間に深い皺を刻み、焦りの滲んだ声で言った。
眉宇を寄せたフォセットは、両手で口を覆っている。
「もう止めさせて。アルフレデリック」
エレオノールは懇願の声を上げた。
「……あと、少し、だけです」
ディアヌローズにやめる気は毛頭ない。これからが、一番話さなければならないこと。そのために漆黒の闇から戻ってきたのだ。止められる前にと、話を続ける。
「わたくしは、謝罪のために、……戻って、きたのです。
…………わたくしは、……憶えて、いないと、
皆さんに……嘘を、ついて、……騙して、きました。
……優しい、皆さんの、……心に、つけ込んだ、のです。
……赦して、いただける、とは、……思って、おりません。
けれど、どうしても、……謝りたかった。
……申し訳、ございませんでした。
……どうか、……皆さんにも、
わたくしの、口から……謝罪させて、くださいませ」
アルフレデリックは僅かに目を伏せて、再び頤を親指で摩り始めた。
暫くするとその手を止めて腕を組み、伏せていた目を上げた。
銀にも見える淡い金瞳で、ディアヌローズをひたりと捉えた。
「其方の言いたいことはわかった。
其方は謝罪したのち、どうするつもりだ?」
「…………それは……」目を泳がせた。
「神の家には最早行けぬ。よもや闇に戻ろうと、考えているのではあるまいな」
エレオノールとフォセットは揃って声にならない悲鳴を上げ、アントナンは息を呑んだ。
ディアヌローズは、貝紫の瞳に昏い影を過らせる。唇を引き結んだ。正直なところ、後のことは深く考えていなかった。ただ謝りたかった。赦してもらえる筈もなく、考える必要もなかったこと。
真実を告げ、謝罪し、そうしたら──。
たぶん、アルフレデリックの言うように、漆黒の闇に戻るのだろう。
他にどこに行く?
みんなの処に居られるわけもなくて、
神の家にも行けなくて、
《奏の世界》にも還れない。
だから、きっと、そうなる。
アルフレデリックは銀の濃くなった瞳で、ディアヌローズを見据えた。
「──ディアヌローズ、其方の謝罪を受け入れよう。
その見返りとして、其方には罰を受けてもらう」
フォセットとアントナンが目を瞠った。
エレオノールは声を荒らげる。
「何を言うの! アルフレデリック」
片手を僅かに上げて、アルフレデリックはエレオノールを制止した。
「よいか? ディアヌローズ」
「…………かしこまり、ました」
自分がいなくなった方が、みんなの迷惑にならなくて済むだろうに──。数舜迷いながらも、ディアヌローズは了承した。罪を犯した自分が量定を決めるよりも、被害を受けたアルフレデリックの望む罰を受ける方が、よほど贖罪になると思い直した。それに贖罪を済ませてからでも、闇に溶けるのはとても容易い。
「では────
保護した鳥の面倒をみるように。それが其方への罰だ」
「そ、それは、…………罰では、あり、ません」
「『手を煩わせる』、『手が掛かる』ことは、困るのだろう?
其方が言ったのだ。
よって、その困ることを罰とする」
ディアヌローズから表情が抜け落ちる。
罰どころか、それはまるで──。
「……ここに、居ても……いい……の、ですか?」
「わたくし達が、あなたに居て欲しいのよ。ディアヌローズ」
エレオノールのディアヌローズを包んでいた手に、力が籠る。
ディアヌローズは、未だにエレオノールが手を離さずにいてくれたことに、気付いた。
願いの叶っていることが信じられない。
この手を離さなくていいことが信じられない。
罪人なのに。みんなを騙してきたのに。
赦されていいわけない。甘えていいわけない。
天蓋を見上げた。
不意に、ディアヌローズの手を包んでいたエレオノールの手が離れた。
やはり、と思う間もなく、その手はディアヌローズの頬を慈しむように包んだ。
ディアヌローズはエレオノールを見た。杏色の目は涙が零れそうなほど鏡のように光っていて、なのに微かに震える口許には笑みを湛えている。
赦します、と言ってくれているようで。
甘えていいのよ、と言ってくれているようで。
繋ぎ留めるように、頬を撫でてくれているようで。
思わず、その手に頬をすり寄せた。
でも────
本当に赦されていいのかが気になって、
甘えてもいいのかが気になって、
アルフレデリックを窺いみた。
「だから面倒を見るように、と言っているだろう」
アルフレデリックは、煩わしそうにそう言って鼻を鳴らし、
「ここまでだ。約束したのだから、もう寝みなさい」と続けた。
花が綻ぶように笑んで、ディアヌローズは頷いた。
アルフレデリックが立ち上がり、エレオノールは場所を譲った。前屈みになったアルフレデリックの腕を掠めて、微かに蒼い銀髪が滑り落ちた。
ディアヌローズの目許を、アルフレデリックの手が覆う。青い光が指の隙間から漏れた。
眠りに落ちながら、ディアヌローズはこの機会を与えてくれたマノワに呼びかける。
この喜びを手にできたのは、漆黒の闇にマノワが迎えに来てくれたから。
──マノワ。マノワの言うとおりだったわ。ありがとう。
──お帰り、ディアヌローズ。
慈愛に満ちたマノワの声が、朧になった頭の中に届いた。




