ディアヌローズの告白(前編)
表現の修正をしました。
闇の祓われた、果ての無い真っ白な空間。
マノワによって自我を取り戻したディアヌローズは、そこに立っていた。
足下には影すらもない。
必ず戻ると、大切な友マノワと約束した。
約束を違えるつもりはない。
でも……と、
ディアヌローズは唇を引き結んで俯いた。
戻るのなら────
真実を話して、嘘を重ねたことを謝らないといけない。
真実を告げる勇気は、足りるだろうか。
困難に立ち向かう覚悟は、足りるだろうか。
告白した時、どうなるだろう……。
やっぱり、騙したと罵倒される?
それとも、浅ましさを辟易される?
どちらにしても、軽蔑の目を向けられる。きっと。
今まで愛情の籠る眼差しを向けてくれたその目で、
罪人を見るような目を向けられる。きっと。
謝罪しても、赦してもらえるわけなくて。
謝罪しなければ、自分を赦せなくて。
贖わなければならない。
優しい人たちを浅ましく欺いて手に入れたもの、全てを手放して。
居場所も、心優しい人たちとの繋がりも、心も、全てを手放して。
恐い──。恐くて、足が竦む。逃げ出したいとすら思う。
それは自分を取り戻す前に羨んだ、
『ディアヌローズ』と呼び続けてくれた声を惜しむから。
『ディアヌローズ』と呼び続けてくれた人たちの心を失いたくないから。
けれどそれこそが、科せられた最大の贖罪。きっと。
震える心を宥めようと、肩と腰に手を交差させて、自分で自分を抱きしめる。
きつく目を瞑った。
今、自分を奮い立たせてくれるのは、マノワがくれた言葉。
『あんたが考え抜いて選んだ道なら、どんな道でも、このマノワが見届けようじゃないか』
マノワがいてくれる。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
震える心に染み込ませるために。繰り返し。繰り返し。
かなりの時間を費やして、
最後に力の限り自分に縋りついて、ディアヌローズはその腕を解いた。
俯けていた顔を上げ、目を開く。
戻る決意をもって、真っ白な世界の天上を見上げた。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
ディアヌローズは意識を外へと向けた。
身体は、まるで凍りついた泥人形みたいだ。
重くて、冷たくて、動かせない。
瞼さえ、ぴたりと張り付いている。
ふと、闇の中で耳が声を拾っていたのを思い出して、耳に意識を集中させた。
「──ピィ、ピュル……ピピピッ」
鳥の囀りが聴こえた。
でも、どうして? 確かめたい、と思った。
やみくもに身体中に力を入れる。────なのに、まったく動かせない。
どうしても知りたくて、諦めたくなくて、
休み休み繰り返しているうち、身体の内に温かいものが巡り始めた。
暫くすると、右手の指先がほんの微かに動かせた。
瞼に思いきり力を籠めてみる。
瞼よりも先に眉が動き、それからほんの少しだけ瞼が持ち上がった。
その僅かな隙間から、細く明かりが見えた。
ひどく眩しくて、すぐに瞼を閉じた。
「ディアヌローズ!」
高音と低音の重なった呼び声。この声を知っている。
羨んだ呼びかける声に、思わず瞼を持ち上げた。
眩しさに目を眇めた先に、半透明の青い光。その奥に、ぼんやりと人が見えた。
誰? 知りたくて、焦点を合わせようと緩慢に瞬きを繰り返す。
やがて青い光は消えた。
その瞬間、冷え切った手が、誰かの温かな手に包まれて持ち上げられた。
その誰かを見る。
手を包んでいたのはエレオノール。
エレオノールは、そのまま手を頬に寄せ、
「──よかった……」と、涙を零した。
「またギリギリではないか……」
目の下に濃い隈をつくったアルフレデリックが、深い息をついた。
──マノワの言ったとおりだ……。
マノワを疑っていたわけではないけれど、ディアヌローズは信じ切れていなかった。
こんな自分を心配してくれる他人がいるなんて、
こんなに手の掛かる自分を惜しんでくれる他人がいるなんて、
とても俄かには信じられなくて。
でも、それは真実を告白するまで。
真実を知ったら、みんなは自分を赦さない。きっと。
あとほんの少しだけ今のままでいたいと、弱い自分が囁く。
エレオノールの手の温もりを失いたくなくて、浅ましい自分が囁く。
あともう少しだけ──。
そうやって、嘘を、罪を、重ねてきた。
でも、もうお終いにする。
そのために、戻ってきたのだから。自分を取り戻して。
「そろそろよいか」
アルフレデリックはエレオノールにそう言うと、ディアヌローズを抱え上げた。緻密な刺繍のされた敷物をフォセットに外させ、ディアヌローズを再び寝台に横たえた。
アントナンから受け取った鳥籠を、脇卓に置いた。
「憶えているか?」
ディアヌローズは鳥籠を見た。
瑠璃色の小鳥が、二本の止まり木の間を元気に行ったり来たりしている。
それは忘れようもない小鳥。雨の日に、ディアヌローズが助けて欲しいとアルフレデリックに願った小鳥だった。
けれどアルフレデリックは拒否したはずだ。自然の理に手を出すな、と言って。
なのにどうして、その小鳥がここにいるのだろう。
ディアヌローズはアルフレデリックを貝紫の瞳で見つめ、無言で問うた。
「助けてくれと、其方が願った鳥だ。もはや野には戻れぬ。
其方が、面倒を見なさい」
あの日の言葉などなかったかのよう。どうして今になって──。ディアヌローズは驚きを隠せない。
小鳥が助かったのは心底嬉しい。あの日だったら小躍りして喜んだだろう。
けれど、いまさら小鳥を世話するなんて無理な話。すぐにでも神の家へ移ろうと考えているのだから。
それにあの時、ディアヌローズは小鳥を見捨てた。
世話する資格など、あろうはずもない。
ディアヌローズは、言葉になりきれない息の漏れるような声で、切れ切れに語る。
「小鳥を……助けて、くださり……、ありがとう……存じ、ます。
あの日、……わたくしは、小鳥を……見捨て、ました。
わたくしに、面倒……を見る、資格は……ございま、せん」
アントナンがディアヌローズの唇を読んで、アルフレデリック達に伝える。
聞き終えて眉間に深い皺を刻んだアルフレデリックを見上げ、ディアヌローズは唇を引き結んだ。
沈黙が広がる────。
「それでは伝わらなくてよ」
と、見兼ねたようにエレオノールが声を上げた。
「──あのね、ディアヌローズ。
アルフレデリックは、『あなたに望まれて助けた小鳥を、責任もって面倒見るように』と、あなたに言ったの。
それは分かるわね?」
ディアヌローズの頷きを待って、エレオノールは続ける。
「同じように、アルフレデリックも、あなたに責任を持つと言っているのよ」
エレオノールは小さく息を吐き、アルフレデリックをちらりと見る。
「──分かり難いけれど」と、締めくくった。
ディアヌローズは驚嘆し、息を呑んだ。
何を言われたのか、上手く理解できなかった。
こんなに手の掛かる子供の面倒を見るなんて、アルフレデリックがどうかしているか、自分の耳や頭が正常に働いていないのだ。きっと。
そろりとアルフレデリックを窺った。
アルフレデリックはあらぬ方を見ていて、形容しがたい表情で腕を組んでいる。
それにね、とエレオノールの声がする。ディアヌローズはエレオノールを見た。
「──教えるつもりは無かったのだけれど……
あなたは、神の家に移ったことになっているのよ」
エレオノールは自身の手許に視線を落とした。
「神の家見学の日、あなたは神の家に預けられた。
けれど身体が弱くてすぐに亡くなってしまった、という話になっているの。
あなたに相談もせずに、勝手に決めてしまってごめんなさいね」
柳眉を下げるエレオノールに、ディアヌローズは小さく頭を振った。
「あなたは知らない方がいいと思ったの……。
中央の騎士団から、あなたを神の家に入れるようにと通達がきてしまって……。
でもここにいる誰もが、あなたを神の家になどやりたくなかった。
だから、あなたを神の家に入れたと見せかけて、隠して連れ戻ったの。
でも、わたくしたちが勝手にしたことだから、あなたが罪に問われることはないわ」
ディアヌローズの知らない事実が、次々に告げられた。
以前、帳の閉められた寝台で聞いた、切れ切れの話し声のことだと気付いた。
本当だろうか。
ここに居てもいいと、みんなが思っていてくれたなんて──。
自分に都合よく解釈しているとしか思えない。
あまりにも自分にだけ益があり、みんなには益の欠片もない話。
それに何をおいても、自分を匿うことで、みんなが罪人になるのだけは耐えられない。
こればかりは譲れない。ディアヌローズは決意を貝紫の目に宿し、見上げた。
「皆さんが……罪に、問われるのは……嫌、です」
「私がそんな失態をさらすわけがない」
尊大な態度で、アルフレデリックは言い切った。
嬉しくて堪らない。でも──、とディアヌローズは胸の内で心苦しさに震えた。
甘えていいのだろうか、本当に。
みんなに罪を犯させてしまった自分が。
どう報いればいいというのだろう。
せめて心優しい人たちに、呼び続けてくれたことへの感謝だけでも伝えたい。
「ずっと、……呼んでくださいましたね。
わたくしは、闇の中にいて、自分が、誰なのか……分からなくて……。
わたくしが、呼ばれているとは……思って、おりませんでした。
……とても眠くて、……何も考えられなくて。
このまま……闇に、溶けてしまおうと、していました」
ディアヌローズの手をエレオノールが強く握った。ディアヌローズは薄く笑む。
「……ずっと、羨ましかった、のです。諦めずに……呼んで、もらえるその人が。
その名が、わたくしの……名と分かって、……とても、嬉しかった。
それで、……自分を、取り戻した、のです。
……呼び続けて、くださり、……ありがとう……存じ、ます」
アルフレデリックはディアヌローズを、淡い金の瞳でしばし見つめた。
「────きょう意識が戻らねば、助からないところだった……」
そう言った後、ひどく嫌そうに顔を歪めて、力のない声で続ける。
「エレオノールからは険のある目を向けられ、アントナンには恨めしい目で見られた。フォセットにも咎められて、私は散々な目に遭った」
「それは大変な……ご迷惑を、お掛け、いたしました。
……悪いのは、わたくし、ですのに……」
「あなたは少しも悪くなくてよ、ディアヌローズ。アルフレデリックの物言いが意地悪なのだわ」
エレオノールは杏色の瞳で、アルフレデリックを睨んだ。
──ああ、なんて愛おしい時間だろう。
この時間を最後に持てただけで、ディアヌローズは満足だと思えた。
もうお終いにしなければ──。
心優しい人たちに、真実を告げる。
そのために、漆黒の闇から戻ってきたのだから。
ディアヌローズは軽く目を瞑り、小さく息をつく。
──お祖母さま、わたしに勇気を。
……マノワ、……見ていてね。
目を開くと、エレオノールを見つめ、それからアルフレデリックを見つめた。
「────わたくしは……皆さんに、
……お伝えしていない事が、……あるのです……」




