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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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一条の光

表現の修正をしました。

 闇に溶け込んだ『何者か』は、微かに意識があった。

 だが、

 自分が誰であったかを憶えてはいない。


 闇は、『何者か』の不安を掻き立てた。

 だから『何者か』は、膝を抱えて蹲っている。

 試しに伸ばした手は闇に消え、恐くなって即座に引き戻した。

 膝を抱える、その腕に力を籠めた。自分を見失わないように。

 それから膝に額をつけた。自分を確認するために。


 ここは漆黒の闇で、

 瞼を閉じていても、開いていても、変わりはない。

 ()えて『何者か』は、瞼を閉じた。闇を見たくなくて。


 まるで漆黒の闇に(うずくま)る、路傍の石のよう。



 声を、『何者か』は聞いた。

 雑音の酷い、切れ切れの声。

 その声を、耳を澄まして拾う。


 ──……ァ……ロ……、ズ……ディ……ヌロ……ズ、ディ……ローズ……。


 同じ言葉が繰り返されているらしい。

 それは、たぶん、誰かの名前。

 でも、誰の?

 この漆黒の闇には、自分以外にも誰かがいるらしい。


 その名前が誰かに向けて呼びかけられる。繰り返し、繰り返し。

 質の違う幾つかの声で。繰り返し、繰り返し。

 とても大切な人らしい。


 その名前の人は、本当にここに居るの?

 これだけ呼びかけて気付かないのなら、眠っているのではないかしら。


 何も見えないから、じっとしているしかできないから、

 眠くなったのだわ。きっとね。


 自分も膝を抱えて眠ってばかり。

 だから、間違いないと思うの。


 時折、凄みのある声も聞こえてくる。

 もしかしたらその誰かは、聴こえないフリをしているのではないかしら。

 応えたら、怖い声の人に叱られそうな気がするから。


 そういえば────

 叱られたことがあった……。遠い昔に。


 いつ? どうして?

 あれは、…………『危ない』って、叱られたの。

 叱られて、……それから……ぎゅっ、と抱きしめられた……。


 誰に?

 誰、だったかな……多分、()()()を慈しんでくれた人。

 ……会いたいのに、……もう、会えない人……。


 あれ? どうして、そう思ったんだろう?

 ……分からない。


 そもそも、()()()は、誰?


 考え続けることはひどく難しい。

 曖昧な意識を集中させると疲労が増して、

 少し考えては眠り、また少し考えては眠った。


 何度目覚めても、漆黒の闇は変わらない。

 そもそも、どうして漆黒の闇に居るの?


 漆黒の闇にいるのだから、

 光の下にはいられないのだから、

 ()()()は、悪いことをした。きっと。


 なのに()()()は、何をしたかを憶えてない。

 記憶を消してしまうほど、悪いことをしたの。きっと。

 なら、罪悪感はあったのかもしれない。

 自業自得なのだわ。きっと。


 それからまた眠った。

 もう何度、眠りと目覚めを繰り返しただろう。

 この漆黒の闇からは逃れられない。

 そう理解するのに十分な時間を過ごした。


 さすがに同じ姿勢でいるのはもう限界。

 ならばと、そろりと足を伸ばす。足は闇に消えていった。

 次に、ゆっくりと身体を仰向ける。身体すべてが闇に隠れた。


 まあ、最初から見えてはいなかったけれど。

 ただ、膝を抱えていた時には自分を感じていられただけで。

 でも、今は身体を投げ出しているから、身体が自分のものとは思えない。 

 まるで暗闇に身体が吞まれているよう。


 時間の感覚はもうなくて、たぶん殆ど眠ってる。

 身体の感覚もとうに無くて、動かそうとも思わない。


 ただ耳だけは、変わらずに呼びかける声を拾っている。

 未だに応える人がいないのなら、ここには居ない。きっと。

 辛くても、現実を受け入れた方がいいだろうに……。


 しだいに微かな意識までもが呑まれていく。

 ()()()を、考えられない。

 ()()()は、闇に溶けていく。

 ()()()が、闇に同化していく。


 ……でも、……なんか、……もう、いいや……。




 ──ディアヌローズ!


 いきなり明瞭な声が聞こえて、『何者か』は驚いた。

 見えもしない暗闇を、右へ左へと見渡した。

 それは、初めて聞くしゃがれた声。

 なのに、なんとなく懐かしさを憶える声。

 不思議ね。


 声は、その人をまだ諦めていないらしい。

 そんなに想われているなんて、羨ましいとさえ思う。


 ──あたしを忘れるなんて、薄情者だね。


 どうやら、その人が見つかったらしい。

 他人事(ひとごと)ながらも喜ばしい。


 ──ああ、見つかったとも。

 ()()()のことだよ、『ディアヌローズ』

 それとも《奏》と呼んだ方がいいのかい?


 ──もしかして、()()()に話しかけているの?

 それが、()()()の名前?


 ──そうともさ、ディアヌローズ。

 ()()()に話してるのさ。


 ──あなたは誰?


 ──やれやれ。

 またあたしに名乗らせるたぁ、いい度胸だ。

 あたしはマノワ。屋敷精霊のマノワだ。


 ──初めましてマノワ。

 でも会ったことがあるのなら、『ごきげんよう』かしら。


 ──挨拶なんて、何でも構やしないさ。

 それより、いつまでそうしてるつもりだい?


 ──えーと、分からないわ。

 ()()()、悪いことをしてここにいるのよ。きっと。


 ──なに寝ぼけたこと言ってんだい、まったく。

 いいかい、あんたは────


 マノワは『何者か』に、《ディアヌローズ》について教えた。

 違う世界からイストワールに転移したこと。

 《奏》から《ディアヌローズ》になったこと。

 保護してくれた人たちに真実を告げられず、記憶が無いと嘘をついていること。

 《奏の世界》へ還るための重要な鍵は、聖堂の大オルガンであること。

 聖堂に行って光を受けたけれど、還れなかったこと。

 これ以上嘘をつきたくないから、神の家へ行きたいと申し出たこと。



 すべてを聞き終えて、『何者か』は考える。

 《ディアヌローズ》と《奏》、という人を。

 どちらも自分らしいけれど、いまひとつ実感は無い。

 けれど、迷いや苦しみは理解できた。


 《ディアヌローズ》は、きっと耐えられなくなったのだ。

 なら、このままの方がいい。

 ここにいた方が、《ディアヌローズ》の『想い』に適っている。

 闇に溶けて、同化する。

 それが《ディアヌローズ》の選んだ贖罪。きっと。


 マノワは態々(わざわざ)《ディアヌローズ》を迎えにきた奇特な精霊だけれど、《ディアヌローズ》の想いを話してお帰り願おう。



 ──あの……マノワ、教えてくれてありがとう。

 《ディアヌローズ》は嘘をついて守ってもらうことに、耐えられなくなったみたいなの。

 お世話になった大切な人たちに迷惑を掛けたり、困らせたりしたくないのよ。きっと。

 だから、このままここにいた方がいいと思うの。



 ──()()()、神の家へ行くって言い出したんじゃないか。


 ──あ、ああ……そうね。

 なら、どうして、……ここにいるの?

 やっぱり、罰でここにいるんじゃないかしら……。


 ──まったく、まどろっこしいね!


 マノワが言うや否や、

 天上に光が現れる。


 漆黒の闇に輝く、一条の光────


 光の糸は煌めきながら、あお向けた『何者か』の目前に降りてきた。

 触れずにはいられない、仁愛に満ちた光。


『何者か』は意識を手に集中した。

 暫くぶりに動かす手は、油の切れた機械みたいだ。

 ギシギシと音がしそうな関節の痛みとぎこちない動きで、蜘蛛の糸のように繊細な光へと手を伸ばす。


 震える指先が光に触れた刹那────


『何者か』は立っていた。

 薄い光が身体を覆い、灯台のように周囲を照らし出している。

 波頭を鈍く光らせる濁流が『何者か』を中心に渦を巻き、ごうごうと音を立てていた。

 目の当たりにして怖気(おぞけ)立つ。



 津波のような大波が、『還れなかった』と慟哭している。

 『何者か』を呑み込むように覆い被さり、失意の海に沈めようと牙を剝く。

 荒れ狂う波濤は光の膜に触れた端から力を失い、膜を舐めるように足元へと流れ落ちては消えていった。


 次に、うねりの強い三角波が、『祖母に会えない』と悲鳴を上げた。

 ぶつかり合い、捻じれ、千切れる水飛沫が、哀しみの渦へ引きずり込もうと網を打つ。

 起伏の激しい飛沫(しぶき)を光の膜へとまき散らし、大波と同じように流れ落ちて無くなった。


 続いて、大切な人たちとの繋がりを断ち切ろうと、『別離』が唸りを上げて襲いかかる。

 神の家へ移る際の、別れの喪失感が、淋しくて、怖くて、辛い。

 階級社会で切り分けられた世界の中で、孤児となった『何者か』は、大切な人たちからもう口をきいてはもらえない。

 足を掬い、絡めとろうとする急流が、光の膜を『何者か』から引き剝がそうとしては吸い込まれていった。



 ふと、轟音の狭間で、囁くように願っている声に『何者か』は気付いた。

 小舟のように翻弄されている声。

 ともすれば見逃したり、沈んでしまいそうな其れを、『何者か』は掬い上げて声を聞いた。


 ああ……。

 ()()()は守られたかったのか────



 寄りかかり、守られることに甘えすぎて、慣れ過ぎた。

 独りで立ち向かうのが怖くなった。

 嘘をつく浅ましさも、(もと)を正せば守られたいから。

 理性は寄る辺ない者として神の家へと結論付けても、感情は現状維持を望んだ。

 成人した《奏》としての理性と、幼い《ディアヌローズ》としての感情。

 幼い《ディアヌローズ》の器は耐えきれなかった。


 当然ではないか。

 ある日突然、未知の世界に放り込まれたのだから。望んでもいないのに。

 独りで生きていくことなど、到底無理な子供にまでされて。

 イストワールで待ち受ける未来は、すべてが怖くて辛いものばかり。


 身が竦んで、一歩も前へなど進めない。


 だから、

 …………もういい。




 ──マノワ……()()()、がわかったわ。ありがとう。

 ()()()ね、みんなとお別れするのが嫌だったの。

 マノワとも会えなくなる……。

 でも、お世話になった人たちに、迷惑をかけるのはもっと嫌なの。

 本当は、領事棟のあの部屋に居続けたい。

 でも、そんな我儘を言って、大切な人たちを困らせたくない。

 聖堂に行った時、……還れたら、良かったのにね……。

 そうしたら、誰にも迷惑をかけたり、困らせたりしないで済んだのに。

 もう、頑張れそうにないの……。

 ごめんなさい、マノワ。

 ()()()のために手を尽くしてくれて、ありがとう。

 神の家へ行ってお別れするのも、ここでお別れするのも変わらない。

 だから、……ここで、さよならさせて。

 ありがとう。マノワ。心からの感謝を……。




 ──何が、()()()()、だ! ふざけんじゃないよ。

 いいかい、あんたは分かっちゃいない。

 迷惑かけるのが嫌? 困らせたくない?

 ああ、見上げた心がけだ。褒めてやるさ。

 だがね、あんたは一つ、大事なものを忘れてる。

 あんたを失って、()()()()()()()とは考えないのかい?



 ──()()()みたいに手の掛かる子どもを、

 惜しむ人なんていないわ。



 ──はっ、見くびられたもんだね。このマノワをお忘れかい?

 ()()()を失っちまったら、あたしが大泣きしてやるよ。

 それに、あたしだけじゃない。

 嘘だと思うなら、ちょいと目を開けてみな。

 目を腫らしたり、隈をつくった奴らがあんたを囲んでる。



 ────……そ、んな、……はず、ない……。



 手間を掛けさせてばかりなのに、惜しんでもらえるなんて思えない。

 期待してはダメ。叶わないときの苦しさを、もう味わいたくない。



 ──『ディアヌローズ』、

 この呼びかけを聞いたことあるだろ?



 ──……ええ、あるわ。ずっと、呼び続けてた名前ね。

 …………ちょっと、待って……。

 ……()()()の、名前、ね。

 ……()()()を呼ぶ声、だった、の!?

 羨ましい、……と思ったわ。

 ……でも、

 …………()()()は、()()()を羨んでいたのね。



 ──ああ、そうとも。

 この屋敷精霊マノワが加護を与えた、あたしの(めぐ)し子さ。

 よくお聞き、ディアヌローズ。

 岐路に立ったときには、一方の道だけを見ちゃダメだ。

 別れた道の数だけ、あんたは考えなきゃいけない。

 見通しのいい平坦な道だって、泥濘道(ぬかりみち)かもしれないし、先へ行けば断崖絶壁かもしれない。

 藪に覆われた道の方が、抜ければ素晴らしい景色が広がってるかもしれないんだ。

 目先に囚われるのは愚か者のすることさ。

 道の質を調べ、風の匂いを嗅ぎ、景色の変化に目を光らせる。

 自分の向かう先から来る者に話を聞いたり、木に登って先を見通したっていい。

 これまで歩いてきた道と比べてみるのも大切だ。

 できる限りを尽くして選んだ道なら、後悔は少ないはずさ。

 いいかい、ディアヌローズ。あんたの道を創るのは、あんただけだ。

 あんたが考え抜いて選んだ道なら、どんな道でも、このマノワが見届けようじゃないか。



 ()()()にはこんなにも、心と言葉を尽くしてくれる友がいた。

 この先に待つ、寂しさや哀しさ、辛さや苦しさは、変わらずにそのままあるのだろう。

 けれど待ち受ける困難に立ち向かう時、独りでないないのなら頑張れるかもしれない。

 自分のためには怠ける心も、

 大切な友が寄り添ってくれていると知ったからには、踏ん張れるかもしれない。



 ──マノワ、……わたし頑張ってみる。


 ──あんたなら出来るさ、ディアヌローズ。

 待ってるよ。


 ──ええ、必ず戻るわ。

 待っていて。



『わたし』は決意表明した。

 すると、足元に淀んでいた闇が、音もたてずに足元に吸われて消えた。

 闇の消えた其処ここに、色とりどりの丸い玉が散らばっている。


 手近の玉を拾い上げると、すぐに萎んでなくなった。

 同時に、『わたし』の中に『ディアヌローズ』の記憶が顕れた。


 もう一つ手を伸ばして拾い上げると、それは『奏』だった。

 同じように萎んで消え、『わたし』の中に『奏』として現れた。


 思うように動かない身体を必死に動かして、いろんな色の玉を拾っては、

『わたし』の中に、『ディアヌローズ』や『奏』の記憶や想いを取り込んでいく。


 余さず全部を取り込んだ時、

 他人事(ひとごと)のように聞いたマノワの話が、すべて自分の事だと『わたし』は理解した。



『わたし』は、『ディアヌローズ』であり『奏』になった。






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