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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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マノワの小鐘

表現の修正をしました。

 目を覚ましてから二日経ち、ディアヌローズは自力で起き上がれるまでに回復した。魔力酔いの改善とともに身体機能も戻って、普通の食事をとれるようになった。


 療養のために滞在しているこのフロラント商会では窓が常に開けられていて、時折り入ってくる風が心地いい。噴水の水音も耳に涼やかだ。

 人々の話し声や馬車の音といった街の喧騒が、動けないディアヌローズの気を紛らわせてくれている。



 さらに数日後。ディアヌローズは自力で歩けるようになった。

 日々、窓辺で花を愛でる。鉢に溢れんばかりに咲く、ポピーに似た花の名はパヴォルナ。鮮やかなオレンジ色で、見ているだけで元気をもらえる。

 窓辺に花を飾るのはフロラント商会だけではない。ここから見渡せる建物すべての窓辺に花は飾られており、ディアヌローズの目を愉しませてくれている。


 ディアヌローズのいる二階の部屋は、聖堂へ行くときに見た噴水広場に面している。

 噴水の縁で休んでいる人や、広場でたむろしている鳥の姿、街を行き交う人々を眺めて過ごすのが、ここ数日のディアヌローズの日課になっている。


 この界隈はやはり商業区域で間違いないらしく、どの建物も人の出入りが頻繁だ。馬車の往来もとても多い。

 けれど、ディアヌローズは荷馬車を目にしたことがない。ただ時折り階下から活気が漏れ聞こえる時があるので、たぶん搬入口は裏手にあって、荷の出し入れはそこで行われているのではないかと推測している。



 人々の服装は総じて簡素な意匠で、機能性を重視しているようだ。

 袖は貴族の広がった袖とは違い、腕にぴったりしている。スカートの裾丈は長くても踝より上で、大抵はふくらはぎ程。男性の上着は腰の隠れる短丈がほとんどで、まれに膝上までの長丈の上着を羽織っている人を見かける。

 裕福な人ほど、布をたっぷり使った意匠であるらしい。


 道行く人々の言葉遣いもディアヌローズにとっては新鮮だ。

 いわゆる『平民』と呼ばれる人々の暮らしを知る、いい機会となっている。



 夕暮れ(どき)、最も美しい瞬間に立ち会うため、ディアヌローズは窓辺でその(とき)を待つ。

 空が黄金色に染まっていくにつれ、遠くに臨む山の建築物がしだいに浮き立ってくる。そして奇跡のような一瞬が訪れる────

 日の沈む刹那、黄金色に染まった白い建築物が眩い輝きを放つ。その姿は神々しいほどに美しい。

 おそらく聖堂もあの輝きの中にあるだろう。そう思うと、神々しさもことさら増した。




 友人もできた。花の水やりに訪れる少女、見習い店員のクロエだ。

 側仕えがいる時は目礼のみだが、二人だけの時には水やりの間にお喋りをする。僅かな時間しかないけれど、心待ちにしている大切な時間だ。大人としか接してこなかったディアヌローズにとって、クロエは初めてできた子どもの友人である。


 クロエから、出迎えてくれた灰色の髪をした男性は商会主人のロランだとも教わった。



 そして今、部屋にはディアヌローズとクロエだけ。

 ディアヌローズはさっそくクロエに話しかける。


「パヴォルナが元気なのはクロエのおかげね。ありがとう」

「わたしは水をあげているだけですから。ここが一番きれいに咲いているんですよ。他は枯れ始めているので、そろそろ植え替えないといけません」

「花を飾るのは決まりなの?」

「昔からなので、詳しくは知らないんですけど……。たぶん中立領プリエテールは、花の女神フェルヴェリーラ様の領地だから、でしょうか」

「クロエはお世話が大変でしょうけれど、花が溢れているって素敵だわ」

「わたしも、そう思います」


 二人は顔を見合わせて、笑みを交わし合う。


「クロエのお家は中立領プリエテールにあるの?」

「いいえ。ランメルト領にあります。中立領プリエテールは交易領地で領民はいません。フロラント商会に限らず、それぞれの領地から来ているんです」

「えっ、領民がいないの!?」

「はい。──あっ、」


 ノックのすぐ後に扉が開いて、ベアトリスが入ってきた。


 クロエは友だちの顔からすぐに商人見習いの顔に戻って、

「失礼いたします」と、部屋を出て行った。



 ディアヌローズは窓辺に佇んだまま、この領地に領民がいない事実を考える。

 神の家の子どもはどうなるのだろう──。まるきり根無し草だ。

 転移してきた自分は神の家に移ったところで、所詮どこまでも異邦人でしかない──。


 雲一つない青く澄み渡る空を、ディアヌローズは唇を引き結んで見上げた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 体調に余裕が出てきて、ディアヌローズはマノワから貰った小鐘(ベル)を試そうと考えた。神の家では試す余裕も機会もなかったから、今度こそ挑戦したい。


 他の人には見えないとマノワは言っていたけれど、念のため夜を待つ。領事棟でマノワと会う時みたいに、寝台の(とばり)を閉めてから実行すると決めた。


 ところがいざ夜になって帳を閉めてもらうと、ここの帳はとても薄くて中の様子が丸見えだった。仕方なく、一人になる機会を窺った。けれどついには寝落ちてしまい、気付いた時には朝だった。


 そうやって数日が過ぎたある日、とうとう機会が巡ってきた。今夜は月あかりが部屋に入ってこない。

 ディアヌローズは寝間着の襟ぐりから金鎖を引き出した。マノワの小鐘が現れる。


 はたしてこの商会に屋敷精霊はいるだろうか。


 小鐘を慎重に摘まみ、ディアヌローズはゆっくり振った。

 なのに、音が鳴らない。

 壊れているのかと訝しみ、耳に小鐘を寄せる。

 再び小鐘を振ろうとした、その時────



 ──マノワの信を得たのは君かい?

 何とも可愛らしいお嬢さんだ。


 渋い男性の声が、ディアヌローズの頭の中に届いた。

 見ればディアヌローズの足元の向こう、寝台の端に、黒いスーツにリボンタイ姿の屋敷精霊がいる。身長は大人の掌ほどで、顔には深い皺がある。黒髪はオールバックで、マノワのように立派な鷲鼻をしている老紳士だ。


 ──はじめまして。わたくしはディアヌローズと申します。


 ディアヌローズは緊張しながらも、第一印象が大切とばかりに笑顔で自己紹介した。


 ──これはご丁寧に。わしはオジェ。このフロラント商会の屋敷精霊だ。


 オジェは慇懃に挨拶して、ディアヌローズの枕もとまで歩んできた。


 ──突然呼び出してしまって、ごめんなさい。マノワの小鐘を試してみたかったの。


 ディアヌローズはオジェの都合を考えなかったことに気付いて、しゅんと肩を落とした。


 ──気にしなくてよい、些末なことだ。

 わしとしては、マノワに気に入りができたことに驚くばかりだよ。


 ──マノワはとても大切なお友だちよ。


 ──それは、それは。

 どうかいつまでもマノワと仲良くしてやっておくれ。


 好々爺然としたオジェからは優しさが溢れている。

 緊張の解れたディアヌローズは、満面の笑みを浮かべる。


 ──ええ。もちろんだわ。



 それからディアヌローズは、いかに自分がマノワの言葉に救われたかを熱くオジェに語り、マノワの優しさを力説した。

 オジェはときに笑みを浮かべ、ときに相槌を打って、ディアヌローズの話に耳を傾けた。


 そしてオジェも、ディアヌローズにいろいろな話をした。

 オジェはずっとフロラント商会にいて、マノワとは幼少の頃からの知己であること。

 城下の昔からある建物には、だいたい屋敷精霊がいること。その中でもフロラント商会は最も古いこと。たぶん、オジェは最古参の屋敷精霊なのだろう。

 屋敷精霊は棲んでいる屋敷が気に入らなければ、屋移りする場合もあること。



 夜も更けて、(やす)むようにと、オジェはディアヌローズに言った。

 ディアヌローズはまだまだ話し足りなかったけれど、再会の約束をしてその晩はお開きとなった。



 その後も約束どおり、オジェはたびたびディアヌローズのもとを訪れた。


 数日経ったある日、ディアヌローズは思い切ってオジェに尋ねる。


 ──オジェ、お友だちになってくれる?


 オジェは目を(しばたた)かせた。ディアヌローズは不安になる。


 ──初めて会った日、わしらは友人になったはずだよ。

 違ったのかい?


 芝居じみて悄気返(しょげかえ)るオジェに、ディアヌローズは慌てて言い募る。


 ──ありがとう、オジェ。嬉しいわ。

 わたしは子どもだから、お願いしないとお友だちになってもらえないと思ったの。


 オジェは茶目っ気たっぷりにおどけた調子で言う。


 ──わしはこう見えても若いんだ。

 子どもの心を持ち続けているからね。


 そうね、とディアヌローズが肯定すると、オジェは相好を崩した。つられてディアヌローズも声を出さないように口を押さえて笑った。



 二人も友を得られて、療養生活はそう悪いものでもないと思えた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 日に日に回復していくディアヌローズにとって、一つだけ困ったことが起こった。

 とにかく暑い。窓から入ってくる心地いいはずの風が、急に熱風にしか感じなくなったのである。どうやら、気温を感じられるようになった、ということらしい。


 領事棟が窓を閉め切っていても暑くなかったのは、魔術で温度管理をしていたのだと今更ながらに気付いた。



 特にこの夏の暑さは異常らしく、これまでに経験がないと側仕えたちは口を揃えている。

 しかしみんなは温度調節の魔方陣で暑さをやり過ごしているのか、汗ひとつかいていない。実際に汗だくになっているのはディアヌローズだけだった。


 もともと体力が落ちていたディアヌローズは、あっという間にバテてしまった。


 このままでは寝台へ逆戻りかと思われた頃、戻ってくるようにとアルフレデリックから連絡が入った。




 領事棟へ戻る前の晩、ディアヌローズはオジェに別れを告げようと小鐘を鳴らした。


 ──こんばんは、オジェ。


 ──こんばんは、ディアヌローズ。

 元気がないね。どうしたんだい?



 ディアヌローズは顔を俯ける。白金の髪が、さらりと肩を滑り落ちた。


 ──あのね、オジェ……わたし明日、領事棟へ戻るの。

 だから、さよならを言いたくて……。


 ──そうか、淋しくなるな。

 ……引き留めたらマノワに叱られてしまうだろうね。

 昔から怒らせると怖いんだよ、マノワは。

 残念だが、わしは君を送り出すとしよう。


 ──いままでありがとう。とても愉しかったわ。


 オジェは黒曜石の目を細めて、ディアヌローズに笑みを向ける。


 ──わしも楽しかった。また会おう、ディアヌローズ。



 ──また……? そうね……。


 淋しさでディアヌローズの心が冷えていく。また、なんてあるだろうか。神の家へ行くのに──。

 そう思った途端、ずっと秘めていた期待がむくむと頭をもたげてきた。オジェに訊いて確かめたい欲求に駆られた。けれど(のぞ)む結果が得られるとは限らないことを、ディアヌローズは嫌というほど知っている。

 掛け布の上で手を組んだり解いたりを繰り返しながら逡巡し、訊ねる覚悟を固めた。


 ──ねえ、オジェ。……教えて欲しいことがあるの。

 あのね、……神の家を知ってるかしら?


 唐突な話題に、オジェは困惑したように眉根を寄せた。


 ──神の家? ああ、知ってはいるが……。

 神の家がどうかしたのかい?


 ディアヌローズはつとめて平静を心掛けて訊ねる。


 ──……神の家に屋敷精霊はいるのかしら、と、思って……。


 ──昔はいたんだがね。今はいないと記憶しているよ。


 ディアヌローズの胸の内に、落胆と諦観が代わるがわる押し寄せた。

 気付かれないように小さく息をついて、笑顔を貼り付ける。


 ──そう……。

 ありがとう。また会いましょうね、オジェ。


 ──……ああ。

 再び会える日を楽しみにしている。



 ふっ、とオジェは消えていった。



 オジェの立っていた場所を、ディアヌローズは貝紫の瞳でぼんやりと眺めた。

 神の家へ行ったなら、もう屋敷精霊にも会えなくなる。

「また独りからやり直し……」

 囁くような声を落とした途端、涙が零れる。

 頬を伝い、滴り落ちていった。






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