祈りの日の聖堂(3)
表現の修正をしました。
白い石造りの聖堂正面は、幅広の五角形をしたゴシック様式の威容な建物で、息を呑むほどに美しい。
聳えたつ聖堂正面には青銅色の扉が並んでいる。中央には重厚な両開きの大扉、左右にそれよりも小さな両開きの扉、さらにその両端には片扉を構え、それらの表面はレリーフで埋めつくされている。
扉と扉の間は柱のように張り出しており、見上げれば尖塔になっているのが印象的だ。
アーチ状に縁どられた扉の周りには神話の場面を表しているらしい神々が緻密に彫刻され、尖塔下の石組みには神の遣いと思しき動物の像も見える。
壁面のあらゆるところには平らな部分が無いほど、花のレリーフが施されていた。
ディアヌローズたちの前を歩いていた親子連れは、左から二番目にある開かれた扉に入って行った。
アントナンはその扉を通り過ぎて一番左の扉へと向かい、扉前に立つ男の人に木札を見せた。木札を確認したその人が扉を開き、ディアヌローズたちは扉の内に入った。中は薄暗いが、いくぶんか涼しい。
目が慣れてみれば、そこには螺旋階段だけがあった。
狭くて急な階段を、アンベールを先頭にアントナン、ディアヌローズ、フォセット、クロティルドの順に一列になって上がっていく。
ディアヌローズには段差がきつすぎて、早々にアントナンに抱き上げられて二階の踊り場で下ろされた。
全員が踊り場に揃うと、アンベールが扉を開いた。
途端に溢れるほどの光に包まれる。人々のざわめきが聞こえてきた。
「この側廊を進みます」
アントナンはアンベールと一緒に先頭になって歩き出し、ディアヌローズも後に続いた。
壁にはランセット窓が奥まで連なり、彩り豊かなステンドグラスから透ける光が側廊に降り注いで、とても神々しくて麗しい。
ディアヌローズからではステンドグラスが近すぎて、何が描かれているかまではわからなかった。
側廊手摺の向こう側は吹き抜けになっているようで、階下の礼拝に訪れた人々のざわめきが聖堂内に反響している。
ディアヌローズは頭上を見た。側廊が三階にもあるらしい。
「アントナンさん、上の階があるのですよね。なのに階段がありませんでした」
「よく気が付かれましたね。上の階には別の階段で上がるのですよ」
きっと何かしら意味がある。だから態々そんな造りにしたのだ。いずれ役に立つかもしれないと、ディアヌローズは記憶に留めた。
しだいに側廊の壁が外側に弧を描くように張り出しはじめ、半円状の広い場所までやって来た。
先頭のアントナンが足を止めて振り向いた。
「この翼廊で見学します」
アントナンの背後には、手摺に向かって椅子が並んでいる。
用意された椅子の真ん中にはディアヌローズ、その両脇にアントナンとフォセット、後ろの席にはレオナールとクロティルドがついた。
「手摺が邪魔でよく見えません。立っていてはいけませんか?」
「仕方ございませんわね」
フォセットは苦笑して、ディアヌローズを椅子から降ろした。
ディアヌローズはいそいそと手摺の隙間から下を覗き込んだ。
瞬間に圧倒される──。
月詠家の聖堂とは、規模も壮麗さも何もかもが桁違いだった。
眼下には中央通路である幅広の身廊と、その両脇に側廊が並列し、身廊と側廊の境には束ね柱が等間隔に並んでいる。
ディアヌローズ達がいる場所は、見えている側廊のさらに外側にあたる。
天井を仰ぎ見た。
大空間を覆う高い天井は弓型の穹窿と尖塔アーチが支え、すべての梁と梁の間は透かし彫りで埋められている。
身廊や側廊の境に並ぶ束ね柱は天井近くで枝分かれし、天井の透かし彫りによって葉を茂らせた樹々のようだ。
そこかしこにある花のレリーフも相まって、ディアヌローズは自分がまるで森に住む小人のようだと思った。
圧倒的な空間の聖堂内部はほぼすべてが白で統一され、そこにステンドグラスからの柔らかな色の光を映して荘厳である。
──本当に修了試験のあったあの日、ここに転移してきたの?
月詠家の聖堂は、ここの四半分もあるだろうか。二階すら無く、扉は両開きの扉ひとつ。通路も身廊と壁に沿った側廊が左右にあるだけで、翼廊は無い。
規模が違うことは道中の馬車で既にわかっていたこと。聖堂正面を見た時にも。それでも月詠家の聖堂と同じところがあるはずだと、微かな希望を捨てきれずにいた。
──でも……手掛かりなんて見つかる?
この聖堂に来ることさえ叶えば、必ず還る手掛かりが見つかると信じていた。うまくいけばすぐに還れるとも。けれど今となっては、あの日、ここに転移してきたことすら信じられない。
簡単には答えが出そうにない問いに、ディアヌローズは一旦蓋をする。
せめて大オルガンは同じであってほしい。ディアヌローズは祈りをこめ、大オルガンを求めて最奥の祭壇へと目を向ける。月詠家の聖堂では、大オルガンは祭壇にあたる最奥に据えてあったのだ。
祭壇のある後陣は一段高くなっていた。外にむけて半円状に膨らんだ壁には、中心を最も高くなるように配されたランセット窓が並び、その前には神々の像が壁の曲線に沿うように祀られている。遠目にも美しいステンドグラスからの光を受ける姿は壮麗だ。
神々の像の手前には祭壇が設えられ、溢れんばかりに花が飾られている。供物も見えるが、遠くて何かまではわからない。
さらに祭壇手前には、人ひとりが立って使うほどの小さな卓が据えられている。
だが、後陣のどこにも大オルガンは無い。
ステンドグラスの意匠については花や神々であることはわかるものの、遠すぎて月詠家の聖堂と同じであるかまではわからなかった。
ディアヌローズは後陣の手前にある内陣へと視線を移す。
月詠家聖堂の内陣床は薔薇のモザイク。しかしここの内陣床のモザイクは、月詠家とは異なる花だった。
その内陣真上には、隙間なく彫刻が施された大天蓋がある。外光が規則的に設けられた窓から取り込まれ、内陣床に描かれた花のモザイクを円く照らしだしている。
次に、内陣から入口扉までの長い身廊と側廊に目を向けた。
相対する側廊には椅子が整然と並べられいる。しかし礼拝者用と思われる椅子には、誰ひとりとして掛けていない。
ディアヌローズは振り返って尋ねる。
「アントナンさん、どうしてあちらの椅子には誰もいないのでしょう?」
「あちらは貴族用ですよ。平民の席は、我々の真下にあります」
「今わたくしたちの居る、この場所も平民用ですか?」
「平民用ではありますが、特別な許可を得た者しか入れない場所になりますね」
どうやら神の前でも身分差があるらしい。この世界は思っているよりもかなり身分に厳格のようだ。もしも神の家に行くことになったら、相当厳しい生活が待っているのだとディアヌローズは覚悟した。
残るは扉周辺だけになった。しかし人々が出入りする場所に、果たして大オルガンがあるだろうか。それでもディアヌローズは一縷の望みを託し、顔を手摺に擦り付けんばかりにして扉へと視線を向けた。
まずは中央の大扉、それから両隣にある扉周辺を探した。やはり大オルガンは見つからない。残念ながら、両端の片扉は二階の側廊に隠れて見えなかった。
──なぜ見つからないの?
アルフレデリックは『アルモニアムには近寄れぬ』と言っていた。
もう一度見直そうと中央扉に目を向けた、その時────
大オルガンが中央扉の上方に据えられているのを見つけた。
遠く離れてはいても、ディアヌローズの目には同じ大オルガンに見える。
けれど大オルガンが据えられているのは二階と三階に位置し、そこに行くための通路も階段も見あたらない。独立した場所のようだった。
──どうして転移したあの日、月詠家の聖堂と同じに見えたのだろう……。
たしかにアルフレデリックたちは正面の扉からまっすぐ身廊を進み、脇の階段を上がってきた。今でも思い出せば恐怖が甦ってくるのだから間違いない。
前に杖の騒動があったとき、アルフレデリックは転移してきた日について語ったけれど、聖堂内部が変化していたとは言わなかった。
つまりアルフレデリックの目には、この聖堂と同じに見えたということだ。
再び手摺に顔を寄せる。
大オルガンの上にバラ窓を見つけた。意匠はここの内陣と同じ花で、月詠家とは違っている。最も大きな違いは光を受けていないこと。せっかくのステンドグラスが、まるで電気を消したランプシェードのように暗く沈んでいる。
これではたとえ大オルガンを弾くことが叶っても、転移した時のような光の粒は期待できそうにない。
ディアヌローズは振り返り、バラ窓を指をさして尋ねる。
「アントナンさん、どうしてアルモニアムの上の玻璃は暗いのでしょう?」
アントナンはアルモニアムの上を一瞥した。
「あれはキュクロスと云います。──あそこは外に面していませんから」
「外に面していないのに、窓があるのですか?」
「そうですね……気にしたこともありませんでしたよ」
目を丸くするディアヌローズに、アントナンは肩を竦めてみせた。
他のステンドグラスは外に面しているにもかかわらず、バラ窓だけが内にある。きっとこれにも意味がある。けれど──。
──何もかもがおかしい。……おかしいのは、わたし、なの?
ディアヌローズの手摺を掴む手に力がこもり、額を押し付けた。
「そんなにお顔をつけては、怪我をしてしまいますわ」
フォセットがディアヌローズの肩を引き寄せ、ディアヌローズはフォセットへと向いた。
「何か思い出しましたか?」アントナンが問う。
ディアヌローズは目を伏せ、首をゆっくり横に振った。貝紫の目を開く。
「──何も分からない、ということが分かりました……」
きょうこの聖堂に来ることが、転移した日からずっと心の拠りどころだった──。
転移した日の記憶のままに、大オルガンとバラ窓はあると信じていた。
それらを見つけられれば、簡単に《奏の世界》へ還る手掛かりを得られると思っていた。甘い夢を見ていたといえばそれまでだけれど、大オルガンを弾きさえすれば、きょうにでも《奏の世界》へ還れると考えていた。
なのに、こんなにも記憶とかけ離れた不可思議なことばかりとは思いも寄らなかった。
大オルガン自体が同じに見えることは唯一の救いだけれど、近寄る方法さえ見つけられていない。
還りたかった。還れる確証が欲しかった。そうでなければ正気でいられないと、ディアヌローズは心のどこかで思っていた。見た目どおりの幼い子になって、駄々を捏ねるみたいに恥も外聞もなく涙を流し、哀泣の声を上げるとも思っていた。
なのに冷静でいる自分に、ディアヌローズは戸惑いを覚えている。もちろん諦めたわけではないし、《奏の世界》に還りたいと切望している。祖母にだって一日でも早く会いたいと強く願っている。
ディアヌローズは自分の気持ちが分からなくなった。握った右手を左手で包むと、その手を自身に問いかけるように胸にあてた。服をはさんで、金鎖に下げたマノワの小鐘の感触がする。
ふと、昨夜のマノワの言葉が甦った。
『いいかい、ディアヌローズ。還れなくても、がっかりするんじゃあないよ。
迷い込んだんなら、還る方法は必ずあるはずさ。
何より、あたしとあんたがまだ暫くは一緒にいられるってことだからね』
友の言葉が、ディアヌローズの胸をついた。マノワの心が、ディアヌローズの心に沁みてゆく。
ぎゅっと目を瞑った。
──マノワのおかげだったのね。……そうよ。がっかりなんてしないわ。
少なくとも大オルガンは同じだもの。
ディアヌローズは目を開く。
心配そうに眉を寄せるフォセットと目が合った。
大丈夫よ、と言う代わりに、にこりとディアヌローズは微笑んだ。
重々しい小鐘が聖堂内に響き渡り、祈りの刻の始まりを告げた。




