祈りの日の聖堂(2)
表現の修正をしました。
青い瞳に灰色の髪をした上品な初老の男性に案内されて、ディアヌローズ達は商会の中へと入った。
店内には高級そうな布地や衣装が陳列されている。服飾関係の店らしく、他にも帽子にステッキ、靴や手袋などが整然と並べられている。店の奥へ進むほどに高価な商品になるようで、最奥は装飾品の棚だ。
店員たちは清掃や商品の陳列に余念がないので、開店前なのだろう。子どもが大人に混じって働いている姿が目に留まった。
ディアヌローズ達は店のさらに奥へと進み、二階の客間に案内された。室内には椅子に掛けた先客二人の背が見える。
「待たせたな」
アントナンが声を掛けると、先客二人は立ち上がってこちらを向いた。
「いえ、着いたばかりです」
レオナールとクロティルドが声を合わせた。
アントナンとフォセットは纏っていたマントを外した。
ふたりの姿を見て、ディアヌローズは小首を傾げる。
「きょうの装いは、いつもと何か違いますね」
「きょうの我々は平民ですからね」
「袖口がぴったりなのですわ。袖口の幅が長いのは貴族だけですから」
アントナンにつづいてフォセットも答えた。
二人を見れば、たしかに袖は広がっていない。
「憶えておきます」
「そのような些末なことは、憶えずともよろしいのですよ。さあ、少し休みましょう」
フォセットはそう言うと、ディアヌローズを椅子に掛けさせて自身も隣に掛けた。
みんなも席に着く。
しかし、ディアヌローズは早く聖堂に行きたくて仕方ない。
「まだ聖堂には行かないのですか?」
「我々は祈りが始まる直前に聖堂へ入ります。衆目が無い方がいいですからね」
アントナンが言った。
ディアヌローズは自分の服を見下ろす。落ち着いた雰囲気だとばかり思っていた。
「そんなに目立ちますか?」
するとアントナンは、にんまりと目を細くする。
「ええ目立ちますとも。お可愛らしいですからね」
ディアヌローズは袖を摘まんだ。たしかにこのパフスリーブはとても可愛いと思っていた。アントナンも言うくらいなら、この服ではまずかったのかもしれない。
「──この袖が可愛らし過ぎるのでしょうか……。フォセットさん、どうしましょう……」
情けない声を上げた。
「ぶほっ!」と、アントナンが吹き出した。
フォセットはアントナンを一瞥して、ディアヌローズに向いた。
「お可愛らしいのは、お嬢様だと申し上げたのですよ」
一瞬ディアヌローズは目を瞠り、アントナンを振り仰いで睨んだ。
「揶揄うのは止めてくださいませ」
アントナンはにやけた顔を真顔に引き締めて、声を潜める。
「冗談ではないのですよ。人攫いがいるのです。特にきょうのような人混みは狙われます。決して我々から離れないでくださいね」
余りにも真剣な面持ちで言われ、ディアヌローズは声も出さずにこくこくと頷いた。
「脅し過ぎましたかね」
おどけたようにアントナンは言った。
「えっ、揶揄ったのですか? 酷いです……。フォセットさん、本当に人攫いがいるのですか?」
「真実ですよ。ですから、わたくし達から離れないでくださいませね」
ディアヌローズはフォセットの言葉なら信じられるとばかりに、
「はい」と神妙に頷いた。
ノックの音が三度鳴り、黒髪の男の人とお茶を載せたワゴンを押す子どもが入ってきた。
「もう少しお時間がございますので、よろしければどうぞ」
黒髪の男性はティーカップを丁寧に置いていき、ディアヌローズの前にも置いた。
ディアヌローズは、にこりと感謝を伝える。
男性は一瞬動きを止めて軽く口の端を上げ、再びお茶出しを再開した。
──あれ? 変なことしたかな。
お茶出しを終えると、二人は退出していった。
ディアヌローズは不可解な面持ちで、フォセットに尋ねる。
「わたくし何かしてしまいましたか?」
「礼をする必要はないのですよ」苦笑した。
「そうなのですか……」
そう言いつつも、絶対無理だとディアヌローズは思った。
フォセットがディアヌローズの前に置かれたお茶から一口飲み、それをディアヌローズに手渡した。
そのお茶をディアヌローズは口にする。ミントに似た爽やかな香りが口いっぱいに広がって、馬車酔いが和らいでいった。適温でとても美味しいお茶だけれど、熱くても自分で冷まして飲めるのに、フォセットはとても過保護だ。
お茶を飲み終わる頃、馬車の準備が整ったと知らされた。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
用意された馬車は来たときの馬車よりも一回り小さく、大人四人が掛ければ席にゆとりはない。ディアヌローズはまたアントナンの膝上に収まった。前席はフォセットだ。
出迎えの時と同じ男性が会釈で馬車を見送る中、馬車はゆっくりと動き出した。
カーテンの開けられた窓から、ディアヌローズは街の景色を眺める。商会は町の広場に面していた。
広場の中心には大きな噴水があり、零れ落ちる水が夏の陽射しを受けてキラキラと輝いている。常歩の馬車の音に紛れながら聞こえてくる水音が、ディアヌローズの耳に涼しさを運んで心地いい。広場には鳩らしき鳥もちらほら見えたが、人の姿は見当たらなかった。
立ち寄った商会の他にも、同じような建物が並んでいるので、この一帯は商業区域らしい。けれど箱馬車の往来はあるものの、荷馬車の類は見えなかった。美観を損ねるからだろうか。
街並みの区画を区切るように整然と街路樹が並び、花壇には夏らしい鮮やかな花が咲き誇っている。目に映るすべての上階の窓辺には花が飾られていて、旅行案内の表紙になりそうなほどに美美しい街だ。
半分開いた窓から入る乾いた風が、ディアヌローズの汗ばんだ顔を撫でていく。乗り換える前の馬車は、窓が閉まっていても暑くなかった。空調なんてありそうもないのに不思議なことだ。
ディアヌローズはフォセットに尋ねる。
「この馬車の中は暑いですね。商会に行くときには暑くありませんでしたのに」
フォセットは隠しからハンカチを取り出すと、腰を浮かせてディアヌローズの汗を拭いながら苦笑した。
「この馬車は平民のものですから。着くまでの辛抱ですわ」
意味が分からず、ディアヌローズは小首を傾げた。
するとアントナンが、
「温度調節の魔方陣を刻んでありませんからね」と言った。
「魔方陣、ですか?」
「そのうち、アルフレデリック様から教えていただけるでしょう」
ディアヌローズは黙して笑んだ。『そのうち』なんてない。もう決めているのだから。運が良ければきょう《奏の世界》に還り、手掛かりを得られたら助力を求めて《奏の世界》に還る。そうでなければ神の家へ行くと。
それはさておき、みんな平気な顔をしているのは何故だろう。
「皆さんは暑くないのですか?」
隣のレオナールが「我々は訓練で慣れていますから」と言うと、クロティルドも同意するように頷いた。
「おや? 魔方陣は刺繍していないのかい?」
「アントナン様、洗礼前の子どもによろしいのですか」
慌てたようにクロティルドが言った。
「本来は法度だが、アルフレデリック様がすでに魔力について話されているんだ。別に問題ないだろう」
アントナンはまるで天気の話でもしているみたいだと、ディアヌローズは思う。
「なぜ子どもに教えてはいけないのですか?」
「興味本位で魔力を使われては危ないですからね」
話してはいけないことを話すなんてと、ディアヌローズは半ば呆れて胸の内で嘆息する。アントナンには自分が子どもに見えないのだろうか。それとも単なる愉快犯だろうか。はたまた好奇心を抑えられる子どもとでも思っているのだろうか。
自分に魔力があるなんて爪の先ほども思っていないけれど、もしも持っていたなら試しまう自信はある。
これ以上のアブナイ話は聞きたくない。
「わたくし、聞かなかったことにいたします」と、宣言した。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
馬車は再び城下門を通過し、馬車の揺れが少なくなった。
見れば、大型の馬車二台が余裕ですれ違えるほど広い道には、大きな白い石畳が整然と敷かれている。
白いのは石畳だけではない。城下との境にある壁や視界に入る建築物すべてが真っ白で、夏の強い陽射しを反射して目に沁みるほどに眩しい。
走る馬車と競うように道沿いの高い樹木が影を落とし、高木の間にある植栽の緑が眩しさを和らげてくれている。花も城下におとらず咲き誇っていて、とても華やかだ。
やがて馬車は城下壁の反対にある建物に沿って、なだらかな坂道を進んでいく。建物は緩い曲線を描きながら途切れることなく続き、とても大きな建物であることが窺えた。
「どこに聖堂があるのでしょう?」
ディアヌローズはアントナンに尋ねた。
「見えている建物がすべて聖堂ですよ」
「これが全部、聖堂なのですか?」目を丸くする。
「はい。大きくて驚かれたでしょう。もうすぐ聖堂正面が見えてきますよ」
ディアヌローズは一気に不安になった。月詠家の聖堂とあまりにも規模が違い過ぎる。これで記憶のままに同じなんてことがあり得るだろうか。隠しの上から、ぎゅっとブローチを握った。
聖堂に到着した。
馬車から抱き下ろされたディアヌローズは、白い石畳の眩しさと熱気で思わず顔を歪めた。
石畳から立ち上る陽炎の先、長い階段の奥にある聖堂を見上げる。聖堂は下の方が隠れて見えないけれど、圧倒されるほどに大きくて高い。林立する小尖塔が見てとれた。
「さあ、行きましょう」
アントナンに声を掛けられて、ディアヌローズは前を向いた。視線の先に、子どもを真ん中にして手を繋いでいる平民の親子連れが歩いていた。その親子連れに、ディアヌローズの目は釘付けになる。父母のいなかった奏にとって、それは幼い時に憧れた光景そのものだった。
両手を父母と繋いだ子どもは、ぴょんぴょん跳ねたり、繋いだ手にぶら下がったりしながら聖堂へ向かっていた。その子供は、父と母を交互に見ては幸せそうに笑顔を振りまいている。
──いいなぁ……。
その場に立ち止まったまま、ディアヌローズの目は親子を追い続けた。
「我々も手を繋ぎましょう」
突然のアントナンの提案に、ディアヌローズは自身の耳を疑った。半信半疑でアントナンに尋ねる。
「よろしいのですか?」
「きょうの我々は平民ですからね。但し、跳ねたり、ぶら下がったりは禁止です」
アントナンは楽し気に左手をディアヌローズへと差し出した。
「……お、お願いいたします」
ディアヌローズはおずおずとアントナンと手を繋ぎ、それからフォセットを見上げた。
フォセットも右手を差し出しす。
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」
ディアヌローズは、はにかみながらフォセットとも手を繋ぐ。
三人は手を繋いで歩き始めた。
ディアヌローズはこっそりふたりを仰ぎ見た。初めての感覚に、頬が緩むのを抑えられない。
フォセットの手は温かくて安心でき、アントナンの手はごつごつと大きくて守られていると感じる。両親と手を繋いでも、こんな感じなのだろうか。
ちらちらと二人の手を見ながら、ディアヌローズは歩んだ。
階段までやって来た。
ディアヌローズはアントナンとフォセットの手を借りながら、数十段ある階段を上がり切った。
汗びっしょりになったものの、手を離したいとは思わない。このまま続けばいいとさえ思う自分がいる。この先自分が何処にいるかはわからないけれど、手を繋いだ思い出とこの気持ちは、決して忘れることはないだろう。
とうとうディアヌローズの目前に、幅広の五角形をした白い石造りの聖堂正面が現れた。




