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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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祈りの日の聖堂(1)

表現の修正をしました。

 ディアヌローズは目を覚ました。暗くて夜明け前かと思ったけれど、一筋の光が漏れている。昨夜(ゆうべ)マノワに会うために、(とばり)を閉じてもらったことを思い出した。


 手を目の前に掲げてじっと見つめた。眠る時にマノワが撫でてくれたその手は、朝を迎えてもマノワの温もりを憶えていて、頬にあてればマノワに撫でてもらえた気さえする。


 そのままにディアヌローズは目を閉じた。瞼の向こうに、昨夜マノワが授けてくれた加護の光が鮮やかに浮かんだ。花びらのように解けた光は、柔らかく、温かく、優しくディアヌローズに舞い落ち、心に沁みこんで芯に根付いた。


 イストワールで最後になるかもしれない夜が、マノワとの思い出に満ちていることが堪らなく嬉しかった。



 ほどなくして二の鐘が鳴る。

 いつもより早く目覚めてしまったのは、緊張しているのかもしれない。

 とうとう聖堂へ行く日がやってきた。行く道の決まる日である。


 聖堂に行ったら、すぐに還れるだろうか。

 その時、真実と別れを告げる時間はあるだろうか。


 すぐに還れなくても、手掛かりを見つけられるだろうか。

 その時には、みんなに《奏》のことを話して協力を願い出るべきだろうか。


 そして、何も得られなかったなら──

 記憶が戻ったとして、身寄りはいないと告げて神の家へ行く。


 いずれにしても、みんなとの別れだけは決まっている。

 還れるかもしれない嬉しさに負けないくらい、別れの寂しさがある。



 ディアヌローズは首を振って寂しさを追い払い、代わりにきょう持って行くものを指折り数えていく。耳飾り、指環、腕環、ブローチ、エレオノールから貰ったハンカチ。マノワとお揃いのレースバンド。それから──マノワから貰った小鐘(ベル)


 ──どうしよう……。


 返すべきか迷っていると、マノワのしわがれ声が頭の中に届いた。


 ──持っていておくれ。


 辺りを見回してもマノワの姿はなくて、ディアヌローズはあちこちに目を配りながら尋ねる。


 ──大切な物なのでしょう? 本当にいいの?


 ──ああ。何度も言わせないでおくれ。


 ──ありがとう。姿は見せてくれないの?


 ──あんたを起こしに向かってるのがいるからね。きょうはしっかりおやり。


 ──ええ、頑張るわ。ありがとう。



 間を置かず、二と半の鐘が鳴った。

 マノワの言ったとおり、鐘の音に合わせるように帳が開いて、マリレーヌが顔を出した。


「おはようございます。お目覚めですか」


 ディアヌローズは一気に朝日に晒されて、あまりの眩しさに手をかざす。目を眇めた。

「おはようございます、マリレーヌさん。きょうもいい天気ね」




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 朝食を終えると、外出の支度が始まった。


 外出着は若菜色の控えめなパフスリーブがとても可愛らしく、スカートは布がたっぷり使われて膨らむ意匠になっている。ウエストには白茶のサッシュ。靴も白茶、髪と胸もとのリボンは茶色。全体的に落ち着いた雰囲気だ。


 マリレーヌとベアトリスの手によって着替え、最後に装飾品が付けられた。



 ディアヌローズは飾り箱に入れてあったブローチをこっそり隠しの内側に留め、ハンカチとレースバンドも隠しに入れた。マノワの小鐘は、指環を下げている金鎖に一緒に通した。

 本当は転移の日に着ていた衣装(ドレス)や靴も持って行きたいけれど、さすがに無理だと諦めた。


 準備を万端に済ませて、ディアヌローズは飾り棚に置かれた玻璃(ガラス)のドームを見上げた。一緒に転移してきた薔薇はアルフレデリックの手によって、玻璃の中で今もあの日と変わらない美しさを保っている。


 ──連れて行けなくて、ごめんね……。


 薔薇に別れの挨拶をすませた。




 暫くすると、フォセットが外出着にマント姿でやって来た。


 ディアヌローズは「フォセットさん──」と呼びかけた。


「いかがされまして?」


「……あの……」口籠った。


 《奏の世界》に還れた場合に備えて、みんなへの贈り物をフォセットにお願いしようと思った。でも理由を問われたら答えられないと、今さらながらに気付いてしまった。


 ディアヌローズは代わりの言葉が見つからないまま、

「──よろしくお願いします……」と口にした。


 フォセットは青緑色の目を瞬かせる。

「わたくしこそお願いいたしますね」と笑んだ。




 それからすぐに、マント姿のアントナンがワゴンに大きな木箱を載せて現れた。


 ディアヌローズには嫌な予感しかしない。

 案の定、木箱はディアヌローズの前に置かれて、蓋が開けられた。中にはクッションが入れられている。以前、神の家に行ったときと同じだ。

 暗く狭い箱の中は暑くて、息苦しくて、気持ち悪くなったことを思いだす。我知らず眉が寄った。



「こちらに入ってください」アントナンが促した。


 ディアヌローズは半歩後ずさる。

「うっ、……どうしても入らないといけないのですか?」


 いつもの柔和な雰囲気を消したアントナンは、きわめて真面目な顔で尋ねる。

「どうしても、です。聖堂に行きたいのでしょう?」


 ディアヌローズはフォセットを見た。気遣わしそうな表情のフォセットと目が合う。フォセットは神の家にも同行してくれたので、具合が悪くなったことを知っているからだろう。止めてもいい、と言われている気がした。


 ──でも……諦めるなんてできない。そうよ、わたしは還りたい。


 覚悟を固めたディアヌローズは、貝紫の瞳をまっすぐアントナンに向ける。

「入ります」と告げた。



 ディアヌローズが木箱の中に入ると蓋が閉められ、前回の記憶をなぞるように馬車まで運ばれた。嬉しくない懐かしさに泣きたくなる。


 馬車は出発し、やはり馬車酔いで気持ち悪くなってきた頃に止まった。おそらく領事門だろう。

 少しすると馬車は再び動き出した。


 今回は木箱から出してもらえないのだろうか──。ディアヌローズが諦めかけたその時、木箱の蓋が開いた。


 アントナンに抱き上げられて、そのまま膝上に抱えられる。最初から抱き上げてもらえるとは幸先がいい。景色も見やすかったはずだと窓を見る。だがカーテンは閉まっていた。


 ディアヌローズが嘆息して前を向くと、フォセットが見ていた。


「ご気分はいかがです?」心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫です。外を見られなくて残念だったの」


 礼を伝えて笑んで見せ、それから首を捻ってアントナンを見上げた。


「膝にのせてくださってありがとう存じます」


「いえいえ。前回は大変だったそうですね」


「はい。馬車が揺れるたびに跳ね上がって、あちこちぶつけてしまいました」

 情けなく眉尻をへにょりと下げた。


「アルフレデリック様がお嬢さまを抱き上げられたと聞いた時には、側近一同が腰を抜かすほど驚きましたよ」


 言葉とは裏腹に、アントナンは楽しそうだ。


 ディアヌローズは驚きを隠せない。

「そうなのですか!? ……わたくし、辞退申し上げないといけなかったのですね……」


「そんな必要ありませんよ。アルフレデリック様から進んでされたのですから」


「──わたくし、……やはり次は、辞退するようにいたします」


 アントナンは揶揄っているわけではなさそうだけれど、弾む口調がどうにも気になった。


「いえいえ。是非お受けして、私たちを楽しませてください」

 黒い目を細めて、にんまりと口角を上げた。


 困ったディアヌローズはフォセットに助けを求める。

「フォセットさんはどう思われますか?」


「あの時はお顔の色がかなり悪かったので、アルフレデリック様も放っておけなかったのでしょう。お嬢様はまだお小さいのですから、遠慮なさらなくてよろしいのですよ」


「わたくし、とても手がかかるのですね……」

 ポツリとこぼして、目を伏せた。


「子供とは手のかかるものですわ。──だからこそ愛おしいのですよ」


 弾かれるように、ディアヌローズは視線を上げた。フォセットが言葉どおりの表情で微笑んでいた。


「それに、お嬢様はもっと甘えてくださっていいのですよ」


 フォセットのくれた言葉は慈愛に満ちていて、ディアヌローズの心を温かく包み込んだ。心の最奥で眠る奏までもが良い夢を得られると、そう思えた。

 けれど最後になるかもしれない日にもらうには、切なくなる言葉だ。別れがいっそう辛くなる。それでもなお、ディアヌローズは《奏の世界》に還りたかった。


 泣きたくなる気持ちを堪えて、ディアヌローズは口を開いた。


「──わたくし、そのように言っていただいたら……調子にのってしまいます」


「楽しみにしておりますわね」


「それは私も楽しみにしていましょう。主にアルフレデリック様に対して」

 アントナンが言った。


「アントナンさん、それは無理です」

 ディアヌローズは口をへの字に曲げる。アントナンのおかげで色々と台無しだ。


「おや、残念ですね」

 きわめて軽い口調で言った。




 馬車は一旦止まって、城下門を通過した。


「聖堂は城下門の外にあるのですか?」


 ディアヌローズの問いにアントナンが答える。


「聖堂は通り過ぎました。きょうは平民の祈りの日なので、いちど城下に出て専属の商会に行きます。そこで馬車を乗り換えてから聖堂へ向かうのですよ」


「わたくしの我儘で、たくさんの方々にご迷惑をかけてしまったのですね」


「気にしなくていいですよ。私は楽しんでいますからね。──さあ、着きました」



 馬車が止まり、扉が開かれた。

 最初にアントナンが、続いてフォセットが馬車から降りる。

 ディアヌローズは最後に抱き下ろされた。

 組木模様の石畳におり立った途端、夏の陽射しがじりじりと肌を突き刺すようだ。馬車の反対側から、涼やかな水音が聞こえてくる。


 正面には、間口の広い五階建ての立派な建物が見える。ここが専属の商会らしい。

 入口に男の人が二人立っていた。


 その内の一人、灰色の髪をした上品な初老の男性が近づいてきた。


「お待ち申し上げておりました」

 男性は恭しく礼を執った。






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