贈り物の準備
表現の修正をしました。
ディアヌローズは昼食を終えると長椅子へと移り、差し出されたティーカップをソーサーごと受け取った。いつもであれば目を瞑って香り愉しみ、可愛らしい口でふうと息を吹きかけて飲むお茶を、きょうはそのまま膝に置いた。
ぼんやりと甘い香りを立ち上らせる湯気を眺めているうちに、気付けば湯気はすっかり消えていた。ティーカップを持ち上げて澄んだ琥珀色に目を落とせば、迷いのある瞳が映っている。すっかり温くなったお茶に、ディアヌローズは我知らず漏れた溜息を落として、ほんの少しだけ口に含んだ。
きのう、アルフレデリックとの面会で聖堂へ訪う許可も下り、一つ大きな壁を乗り越えた。次は聖堂に赴いて、手掛かりを何としても見つけ出す。そして運が良ければそのまま、《奏の世界》に還ることだって──。
先の見えなかった目標が突然目の前に現れて、もちろん嬉しさはあるけれど、同じくらいに戸惑いも大きい。《奏の世界》に還れること、祖母に会えることは何よりも嬉しい。でもみんなとの別れが、心を重くしていた。別れを考えたくなくて、遠いところに置いていたと今ならよく解る。
親切にしてくれたみんなに、最後くらいは誠意を示したい。漠然と考えていたこの思いを、いよいよ決意する時が来た。
《奏の世界》に還る方法を見つけられた場合は、もちろん還る。
その際、状況が許すなら還る前に皆さんに真実を、《奏》であると話し、騙していたことを謝罪する。
そして、還る方法を見つけられなかった場合には──
身寄りがないことを思い出したとして、神の家へ行く。
幸い、水の濾過方法も検証できた。体調を崩す原因も分かったし、整え方も理解した。文字も学習できて、これ以上お世話になったら罰が当たる。
優しい人たちに出会えて、本当に幸せだった。
どちらの場合であっても、みんなとの別れは決まっている。だからハンカチに刺繍をして皆さんに贈り、《ディアヌローズ》が存在した証にしたい。みんなの記憶に少しでも残って欲しいと思うのは身勝手だろうか──。でも感謝を伝えたい気持ちは本物で、この小さな手では《奏》ほど上手くは刺せないけれど、精一杯の心をこめる所存だ。
但し還る方法を見つけられなかった場合には、間違ってもハンカチの刺繍が完成しないことを理由にして、神の家へ行くことを先延ばししてはならない。その時にはありきたりになるが、歌とヴィオリナで感謝を伝えると決めている。
決意を履行するため、ディアヌローズはさっそく贈り物の準備に取り掛かる。
その前に、考えなければならないことが一つ。大切な友人、屋敷精霊マノワへの贈り物について。
マノワは大人の掌ほどの身長で、彼女に合う大きさのハンカチでは刺繍が難しく、できれば他に普段使いできるものを用意したいと考えている。例えば、お団子ヘアを飾れるもの──。
レースバンドはどうだろうか。レースの両端にリボンを付けて、お団子ヘアにレースをぐるりと回してリボンで結ぶ。
まずは自分で試してみようと、フォセットが用意してくれた数種類のレースとリボンの中から、試作用を選んだ。
フォセットからハーフアップのお団子ヘアにしてもらい、レースをお団子に回して長さを測った。レースの長辺片側にギャザーを寄せ、リボンをギャザー側の両短辺に縫い付ける。勿論リボン結びできる長さだ。
完成したレースバンドをフォセットにつけてもらい、「どうかしら?」と訊ねた。
「初めて見る髪飾りですけれど、よくお似合いですわ」
ディアヌローズは身体を捻って、後ろにいるフォセットの顔を見上げる。
「良かった。自分では見えないんですもの」残念そうに眉尻を下げた。
「そうでしたわね」
フォセットは一拍置き、少々このままお待ちくださいませ、と部屋を出て行った。
間もなく戻ってきたフォセットは、小ぶりの木箱を携えている。
お待たせいたしました、とフォセットは木箱を開けた。
楕円形の手鏡を木箱から取り出す。
「さあ、どうぞ。重いので気を付けくださいませ」
ディアヌローズが手鏡の柄を両手で握ると、フォセットは手を離した。
途端に、ずしりとディアヌローズの両手が重くなる。イストワールにも鏡はあったのだなと思いつつ、鏡を自分に向けた。
初めて、ディアヌローズは《ディアヌローズ》を見た。
青白く輝く銀色に縁どられた豪奢な鏡の中から、貝紫色の瞳が見つめている。
それはイストワールに転移してすぐのこと。初めて会ったエレオノールから手渡された、銀製の杯の水底で見た瞳だった。
これが、ディアヌローズ────
二重の大きな目。それを縁取る長い睫毛。
口角の上がった桜色の唇。
子ども特有の、ふっくりとした頬と愛らしい鼻。
白金の髪。
白皙の外国人の容貌をした幼い子どもが、そこに居た。
「どうぞ後ろをご覧になられて」
フォセットは髪飾りが見えるよう、もう一枚の手鏡を使って合わせ鏡にした。鏡を通して見る髪飾りは、バランスよくお団子ヘアを飾っている。
ディアヌローズは角度を変えながらレースバンドを確認して、マノワに似合いそうだと安堵した。今晩にでもマノワを呼んで、サイズを測らせてもらおうと胸の内で予定を立てる。
鏡をフォセットに返すと、マノワに合いそうな生成りのレースと紺色のリボンを選んだ。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
夜。寝台に入ると、ディアヌローズはマノワを呼んだ。
──マノワ。あのね、少し後ろを向いて欲しいの。
ディアヌローズの願いを、マノワは躊躇なく聞き入れて背を向けた。
──こうかい?
──ええ。そのまま動かないでね。
ディアヌローズはレースをマノワのお団子ヘアにあてて長さを測り、続けてリボンも蝶結びにして長さを測った。
ごそごそと動いているディアヌローズに、マノワは背を向けたまま訝し気に訊ねる。
──何をしてるんだい?
ディアヌローズは手早くレースとリボンに印をつけ、大急ぎで枕の下に隠した。
──ふふ、内緒よ。楽しみにしていてね。もう、こっちを向いていいわ。
マノワはディアヌローズへと向き直りながら、不服そうに顔の皺を歪めた。
──気になるじゃないか。
──そうね……少しだけなら話してもいいわ。あのね、わたしとお揃いなのよ。
によによと、ディアヌローズの口が動く。
──お揃い?
──ええ。これ以上は駄目よ。
口の前に人差し指でバツを作って見せると、マノワは目を僅かばかり大きくした。
──分かった、わかった。楽しみにしてるさ。
マノワは苦笑する。
それからふたりは、ディアヌローズが大きな欠伸をするまで、他愛のないおしゃべりを楽しんだ。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
次の日、課題を終えたディアヌローズのもとに、頬をほんのりと染めたマリレーヌがやって来た。
聞けば、レースバンドを作りたいという。
イストワールの女性たちは手の込んだ編み込みはしているけれど、レースや布を使った髪飾りはつけていない。だからレースバンドが物珍しく映ったのだろう。
ディアヌローズにとって、それは願ってもない申し出だった。聖堂へ行くまでの日にちで、刺繍を全員分仕上げるのは厳しいと思っていたからだ。そのうえ気に入ってもらえているのなら、贈り物として申し分ない。
ディアヌローズは、レースバンドを贈らせて欲しいとマリレーヌに提案した。だぶんマリレーヌはレースバンドで飾った髪を婚約者に見せたいのだ。マリレーヌが婚約者に似合うと言ってもらえるようにしようと、ディアヌローズは気合を入れる。
ふんすふんすと鼻息も荒く、
「わたくし、頑張りますね!」と、マリレーヌに向かって宣言した。
まずはデザインから。
マリレーヌは脇から編み込んだ淡紅色の髪を後ろで三つ編みにしてから纏め、瞳と同じ群青色の小さな石をつけたピンを所々に飾っている。
レースバンドだけでは華やかさに欠けて、婚約者に見せるには何だか物足りない。もうひと工夫欲しいところだ。手持ちの材料はレース、リボン、刺繍糸。この限られた材料の中から、時間をかけずにできそうな物を考える。
暫し逡巡して、リボンフラワーを思いついた。レースバンドには縫い留めず、ピンで飾れるようにすればアレンジの幅も広がるだろう。
ディアヌローズは、マリレーヌが髪飾りをつけて、婚約者に恥じらいながらお披露目する姿を想像する。一人悦に入って、くふくふと笑った。
まずは幅の広いレースの中からレースバンド用をマリレーヌに選んでもらい、中心の幅が一番広くなるように工夫して順調に仕上げた。
続けてリボンフラワーに手を付けようとして、はたと手が止まった。
リボンフラワーには作り方が二種類ある。一つ目は畳むだけの簡単な方法。但し、形が崩れやすい。二つ目は糸で留めながら作り進める方法。形は崩れないが、子どもの手で作るには力と細やかさに欠ける。
まずは簡単な方法で作ってみた。
出来上がったリボンフラワーは薔薇に似ている。そのリボンの薔薇を角度を変えて見分し、花弁を摘んで強度を確かめた。結果、長くは使えそうにないと諦めた。
次にもう一つの作り方、糸で留めながら作る方法も試してみる。
花芯になる部分をきつく巻き、糸で留めるために針を刺す。けれど芯に厚みがあるせいで、子どもの手では針が通らなかった。
いい思いつきなだけに落胆は大きく、我知らず大きな溜息が落ちた。
フォセットがディアヌローズの前で膝を折り、目線を合わせた。
「どうされまして?」
「──何でもないの……」口籠って顔を伏せた。
「何でもないようには見えませんわ」
贈り物に他人の手を借りるわけにはいかないとの思いが、続く言葉を躊躇らわせる。
顔を上げたものの、「──これでは駄目なの。でも……」と言い淀んだ。
そんなディアヌローズに、フォセットは見守るような慈愛の籠る瞳を向けている。
かなりの間をあけて、ディアヌローズは重い口を開いた。
「──もう一つ作り方があるの。でも……わたくしには難しくて……」
──《奏》だったらできるのに。
悔しさと不甲斐なさで、ディアヌローズは思わず涙を零す。つうと頬を伝い落ちた。子どもになった心は感情を抑えるのが難しくて、また一粒、また一粒と涙が零れた。
ディアヌローズの涙を、フォセットはハンカチで優しく拭いながら訊ねる。
「作り方はご存じなのですね」
こくりと、ディアヌローズは頷いた。
「わたくしがお手伝いしてもよろしいですか?」
「でも、贈り物なの。……自分でやらないと……」
「わたくしはお手伝いするだけですもの」
フォセットは笑窪を浮かべて、朗らかに笑んだ。
──いいのだろうか、頼っても。
明るく楽しそうに笑むフォセットを見て、ディアヌローズは考える。思い描いたとおりの贈り物を、フォセットの手を借りれば完成できる。マリレーヌに喜んでもらえる。
ディアヌローズは幼い手で衣装をぎゅっと掴み、躊躇いがちに口にする。
「──お、お願いしてもよろしいですか……」
「勿論ですとも。さあ、教えてくださいませ」
フォセットはディアヌローズの手の甲を、柔らかくぽんぽんと叩いた。
糸で留めながら作る方法をディアヌローズはフォセットに説明し、まずは試作をお願いする。
フォセットは慎重にリボンの薔薇を一つ作ると、次からは手際よく仕上げ、あっという間に三つ作った。
出来上がった薔薇から順にディアヌローズがピンにつけていき、薔薇飾りは完成した。
見映えを確認するため、ディアヌローズはレースバンドと薔薇飾りをフォセットにつけてもらって鏡を見る。
「贈り物にできますか?」
合わせ鏡の中の髪飾りを見ながら、フォセットに訊ねた。
「とても良い贈り物になりますわ」青緑色の目を細める。
自分はピンにつけただけ。でも、ディアヌローズは嬉しさを堪え切れない。
「ありがとう存じます」と、はにかみながら言った。
「わたくしはお手伝いしただけでしてよ。では本番と参りましょうか」
「はい」ディアヌローズは満面の笑顔をフォセットに向けた。
いよいよマリレーヌへの贈り物に手を付ける。リボンの幅は試作品よりも広いものにして、大きな花にするつもりだ。色はフォセットと相談して、薄灰と緑、そしてマリレーヌの瞳の色と同じ群青に決めた。
フォセットが次々にリボンの薔薇を作り、ディアヌローズはピンにつけていく。
傍目にはどう見てもディアヌローズの方がお手伝いだけれど、ディアヌローズは満足だ。フォセットと一緒に作れることが、何ものにも代えがたい思い出となっていた。
こうして各色二つずつ、計六つの薔薇飾りは完成した。
ディアヌローズはマリレーヌには申し訳ないと思いながらも、みんなと同じ時機に贈りたいと彼女に伝えて、了承を得た。
他の女性たちにはハンカチと髪飾りのどちらかを選んでもらい、フォセット以外の人たちは髪飾りを希望した。
「本当に髪飾りでなくてよろしいのですか? ──あっ、でもリボンの花はフォセットさんに作っていただかないとでしたね……。わたくしの拙い刺繍で我慢してくださいませ」
恐縮しきりに身を縮こまらせるディアヌローズに、フォセットは緩く頭を振る。
「わたくしは始めからハンカチを所望するつもりでしたわ」
ディアヌローズは目を瞠った。
フォセットはそんなディアヌローズの前で膝を折ると、そっとディアヌローズの小さな手を取った。
「この小さな手で、わたくしのために一針一針刺してくださるのですもの。わたくしにとって何よりの宝物になりますわ」
途端にディアヌローズは喉が震える。鼻の奥がツンと痛くなった。
「──わたくし、精一杯の心を籠めますね」瞳を潤ませて、にっこりと笑んだ。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
さらに次の日、ディアヌローズは課題が終わるとすぐにフォセットと二人で、ベアトリス、オードレイ、クロティルドの薔薇飾りを作り上げた。レースバンドについては、ディアヌローズが一人で完成させたのは言うまでもない。
その後、フォセットがお茶の支度で離れた間に、ディアヌローズはマノワのレースバンドを仕上げた。マノワには薔薇飾りを用意できないけれど、きっとマノワは気にしない。もしも自分で作れる飾りを思いついて、そして渡せる状況にあったなら、その時にもう一度贈ろうと思う。
これで残るはハンカチの刺繍だけになった。
ハンカチを贈るのは、フォセット、エレオノール、アルフレデリック、アントナン、アンベール、レオナールの六人。聖堂へ行く日までに、ギリギリ間に合うかというところだ。
レースバンドを作り終えた翌日。
ディアヌローズが刺繍の支度をフォセットにお願いした時だった。
「きょうはお休みなさいませ」
フォセットがディアヌローズの指を見ながら言った。
「わたくし、やりたいの。駄目ですか?」
「頑張り過ぎて、指先が赤くなっていますわ」
ちらりと見た自身の指先を、ディアヌローズは握り込んで隠した。じんじんして痛むから、本当は見なくても知っている。
「これくらい平気よ」嘘をついた。だって時間が無い。
眉を寄せたフォセットは小さく息を吐いて、
「無理だけはなさらないでくださいね」と、仕方なさそうに言った。
ハンカチの刺繍に掛かる。
すでに面会依頼を出した時から始めていたので、イニシャルの続きから刺していく。糸の色は贈る人それぞれの瞳の色だ。
丁寧に作業を進めて、ディアヌローズはイニシャルを刺し終えた。
いよいよ最後の飾り刺繍に取り掛かる。
フォセットへの飾り刺繡はフェブルだ。一瞬しか見ていないけれど、ビオラに似ていたから、うさぎにすれば大丈夫だと思っている。フェブルを見ると幸運が訪れる、とフォセットは言っていたので、喜んでくれたら嬉しい。フェブルを一羽と、周りには草花を刺した。
エレオノールにも幸運が訪れるものを選んだ。教えてもらった図案の中に四葉のクローバーによく似た物があったので、瑠璃色の小鳥が四葉のクローバーを嘴で咥えながら翔んでいる図案にした。小鳥の下には針葉樹を配してある。
あとは男性たちの飾り刺繍。蔦柄を少しずつ図案を変えて、同じ柄にならないように工夫した。特にアルフレデリックのものは飾りを増やしてある。蔦柄はカーブが多いので慎重に針を進めていく。急ぎ過ぎるとかえってやり直しになってしまうので、逸る気持ちを抑えながら丁寧に刺していった。
すべての贈り物が完成したのは、聖堂へ行く前日だった。
やり遂げられたのはフォセットのおかげだ。感謝してもしきれない。もしも聖堂で手掛かりを見つけられなかった時、贈り物が用意できていないと言い訳して、神の家へ行き渋る自分を容易に想像できていたから、退路を断つことができて良かったと思っている。




