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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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建国神話

表現の修正をしました。

 刺繍の練習も順調に進み、穏やかな日常を過ごしていたある日、フォセットが立派な本を抱えてきた。


「アルフレデリック様よりお預かりしてまいりました」


 応接卓に置かれた本は、ベルトで留められていた。革張りの表紙には箔押しと貴石による装飾が施され、重厚感が漂っている。


 博物館級の装丁本を前に、ディアヌローズは頭を傾げた。


「何かしら?」


「本ですわ」


 さすがに本であるのはディアヌローズにも分かっている。これがエレオノールからであれば、飛びついて開いていただろう。けれどアルフレデリックからとなれば話は別で、迂闊に受け取れば課題にされかねない。


 今は刺繍の練習に余念がないので、できれば新たな課題は遠慮したいところだ。

 ディアヌローズは頬に手を当てて、眉を(ひそ)めた。


「新しい課題かしら?」


 フォセットは苦笑交じりに言う。


「まあ。違いましてよ。お嬢さまが基本文字を習得されたので、この本をお貸しくださったのですわ」


「よかった……。新しい課題なのかと思ったの」


 ディアヌローズはほっと胸を撫で下ろした。アルフレデリックを疑ったのは申し訳ないとは思っても、これまでの経験が身構えさせてしまうのだから仕方ない。



 フォセットが書見台に本を載せて、ベルトを外した。


「どうぞご覧になられて」


 開かれた頁は外見に劣らず立派で、ディアヌローズは思わず見惚れた。挿絵は精緻で美しく、文字は一文字ごとに尾ひれのついた飾り文字。それらが色付きで構成されている。


 だが読むとなれば話は別で、基本のシンプルな文字しか知らないディアヌローズにとっては、一行読むにも骨が折れそうだ。やはりアルフレデリックからもたらされるものは、一筋縄ではいかないらしい。


 とはいえ、せめて冒頭だけでも読んでおかないと、後々読んでいないのかと叱られそうな気がする。

 ディアヌローズは気の進まないまま頁の一番上、一文字目のひときわ大きな文字に目を遣った。


「は、はな……花、の、め、が……めが、女神……ふ、フェ、ル……ヴ、ヴェ、リー……ラ。……花の、女神……フェルヴェ、リーラ。……花の女神フェルヴェリーラ」


 この本、読み終われる? ──やすりの上を進むような滑り出しにうんざりしながらも、せめて三行は読もうと決め、なけなしのやる気を総動員する。行きつ戻りつしながら読んでいくうちに、何とか目標の三行を読めるようになった。



『花の女神 フェルヴェリーラ 末の神なり』

『父母神 兄姉神 花の女神を慈しむ』

『花の女神 神域より 下界を眺む』



「神話かしら?」


 ディアヌローズの問いに、フォセットは頷く。


「ええ。建国神話ですわ。このイストワール国誕生のお話でしてよ」


 いわゆる国生みの神話だろうか。「神様が創ったの?」


「『花の女神フェルヴェリーラ』様とありましたでしょう。フェルヴェリーラ様から賜った地、それがイストワールですの」


「そうなの……」


 やはり、よくある神による創世神話のようだ。

 さらに文字を辿って読み進めていく。



『人域の花満る地 花の女神 殊のほか好む』

『父神 花の女神へ 花の地を与う』

『花の女神 彼の地より 勤勉なる者を管理者に命ず』

『兄姉神 花の女神に 地を求む』


『花の女神 地を分割し 兄姉に等しき地を貸与す』 

『花の女神 彼の地の中心にて 兄姉神の仲立ちとなる』

『兄姉神 末の女神に倣い 管理者を任ず』



 ディアヌローズは本から顔を上げて、フォセットに訊ねる。


「『管理者』って何かしら?」


「神々が任じた領主様のことですよ」


 ディアヌローズは貝紫の目を大きくした。領主が出てきたなら単なる神話ではなく、史実であることになる。俄かに現実味を帯びてきて、興味を惹かれた。


「神々が領主様をお決めになられるの?」


「はい。(ひと)柱の神が一つの領地を持っていらして、その領地を管理する者を一人任じるのです」


「では、神の御柱だけ領地があるのね」


 数舜、フォセットは中空の一点を青緑色の瞳で見つめ、何やら考えたようだった。


「──すべての神々、であられるかは存じませんが、花の女神フェルヴェリーラ様より領地を借り受けた神の御柱だけ、領地があるのでしょうね」


「花の女神フェルヴェリーラ様は領地の中心、とあったわ。それが中立領プリエテールということ?」


 フォセットは頷く。「ええ。よくお分かりになられましたね」


 以前ディアヌローズはアルフレデリックから、ここはランメルト領の領事区域だと教えられたことがあった。


「ランメルト領にも、神様のお決めになった領主様がいらっしゃるのね」


「はい、左様ですわ」



 ちょうど昼の鐘が鳴り、本は閉じられた。


 フォセット達が昼食の準備で慌ただしくしている中、ディアヌローズは窓辺へ移動した。

 部屋の中央は不思議と暑さを感じないが、窓辺は(エティスタース)の陽射しでそれなりに暑かった。


 ディアヌローズは首筋に纏わりつく白金の髪を払うように後ろへと流してから、建国神話について考えをめぐらせた。


 どうやら、フォセットは建国神話に疑念を持っていないらしい。神は存在し、イストワール国は神から賜ったのだと信じている。


 《奏の世界》にも神の記述はある。自身に唯一とするような神も信仰心もないけれど、神の存在有無に関わらず、信仰としてなら理解できる。


 けれど『管理者を任ず』との一文を、どのように解釈すればいいだろう。実際にランメルト領は、神から任じられた領主が統治しているという。厳然たる事実があるのだから、疑いを挟む余地はない。


 やはり神は存在するのだろうか。

 一体どのような方法で、神は管理者を指名しているのだろう……。



 神が存在する世界、イストワール国────

 此の世界に自分を転移させたのは『神』なのか。


 もしも、そうであるなら、

 どうして自分が選ばれたのか。

 どうして自分でなければならなかったのか。

 どうして……、どうして? どうして!



 ディアヌローズは爪が食い込むほどの力を籠めて、手を固く握り込んだ。

 小さな子供の拳が小刻みに震え、知らぬ間に顔は歪んでいた。

 涙がうっすらと膜を張る。泣きたくなくて、窓越しに空を見上げた。


 遠くベルージュの繁茂する上空を、尾羽の長い瑠璃色をした鳥が翼を広げていた。

 イストワールに転移してから、初めて見る鳥だった。

 大空を、時にまっすぐ、時に旋回、時に滑空して、気ままに飛んでいる。

 雲一つない青空をキャンバスに、さながら絵を描いているかのように。

 自由を謳歌している瑠璃色の鳥が、堪らなく羨ましいと思った。




 突然ディアヌローズの肩の上に、マノワが現れた。こげ茶色のお団子頭はいつもと変わらず、きっちりと纏められている。マノワは皺だらけの手で、ディアヌローズの頬にそっと触れた。


 ──どうしたんだい? 泣きそうじゃないか。


 ──何でもないの……。


 マノワに《奏》のことを打ち明ける勇気がなくて、ディアヌローズは口籠った。


 ──そうかい。無理には訊かないさ。

 だが話したくなったら、いつでも呼んでおくれよ。


 ──ありがとうマノワ。

 ……ねえ、マノワ。この国には、本当に神様がいるの?


 ──ああ、いるとも。


 マノワは迷いなく答えた。


 本当にこの国に神がいるのなら、どうか《奏の世界》に還して欲しい。

 どの神に願えばいいのだろう。

 やはりイストワール国を創世した、花の女神フェルヴェリーラだろうか。


 ──……やっぱり、あの本に書いてあることは本当なのね。


 ──本?


 ──建国神話よ。

 イストワール国は、花の女神フェルヴェリーラ様から賜ったって。


 ──その神話は本物さ。神々は神域でこの国を眺めてるんだ。

 選んだ者に領地を統治させて、その様子を神域から眺めて楽しんでいるのさ。


 ──なら、花の女神フェルヴェリーラ様から領地を借りた神の御柱だけ領地があるのも本当なのね。


 ──ああ、そのとおりだ。


 ──とても広い国、なのね……。


 もしも聖堂から《奏の世界》に還れなかった時、還る手掛かりを見つけられるだろうか。広いと知ったこの国で。心細さで胸が苦しくなる。


 ──たしかに広いかもしれない。

 だがね、ただ生きていくために、そんなに広い世界は必要ないもんさ。

 あたしとしちゃあこんなに広い国の中で、ディアヌローズ、あんたに出会えた幸運を嬉しく思うよ。


 ──マノワ……。ええ、そうね。

 わたし、マノワに会えて、とても幸せだわ。


 マノワはこげ茶色の目を細めて微笑んだ。


 ──やっと笑顔が出たね。あんたには笑顔がよく似合う。


 ディアヌローズは自身の口許に触れる。たしかに口の端が上がっていた。


 ──マノワ、心配を掛けてごめんなさい。ありがとう。大好きよ、マノワ。


 ──どうってことないさ。なんせ、()()()()()、だからね。

 じゃあ、あたしは帰るよ。また会おうディアヌローズ。



 マノワはいつものように、唐突に消えた。


 ディアヌローズはマノワの居なくなった肩を見る。

 自分を気遣ってくれた友人に、秘密を打ち明けられない弱い自分が情けなかった。


 伝えそびれた「さよなら」を、呟くように告げた。

 呟きは肩から滑り落ちて、ディアヌローズの足元で弾けて消えた。






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