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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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刺繍教室

表現の修正をしました。

 水の濾過実験が成功した翌日。


 ディアヌローズは久しぶりにいい目覚めを迎えた。側仕えに声を掛けられるまで、寝台からいつものように庭を眺める。この数日は灰色に見えていた庭が、今朝は鮮やかに輝いて見えた。


 晴れやかな気持ちでいられることが、なによりも堪らなく嬉しい。


 それだけではない。きのうはエレオノールの思いがけない来訪もあった。わざわざ隙間時間に会いに来てくれたのだ。本当の姉のようで、思い出すだけで頬が緩んでしまう。

 その上、実験にまで付き合ってくれた────あれ? そんな時間あった、の?


『少し時間ができたから』と、エレオノールは言っていた。

 少しの時間しかないのなら、実験に付き合う時間まであっただろうか。


 エレオノールは本当に、()()()()()()()()から、会いに来てくれたのだろうか……。


 たぶん違う。わざわざ会いに来てくれた────おそらく、様子がおかしいと伝え聞いて。

 時間を作り、喜ばせようと刺繍道具を用意して。

 連絡を入れずに来てしまったと、謝ってまでして────少しも悪くないのに。


 そして、実験までも付き合ってくれた。

 こんな自分のために。

 なんて優しい人。


 酷いね、《奏》。すぐに気付かないなんて。

 これでは正真正銘、五歳のディアヌローズだ。



 一つ気付いてしまえば、他に気付くのは容易かった。

 思い出すのは、レオナールが庭へ誘ってくれたときの彼の瞳。庭で小石集めを終えて戻ってきたときのフォセットの表情。他のみんなだって……。


 みんなに、心配を掛けるだけかけて。

 自分しか見えていなくて、自分の焦りでみんなを振り回した。


 なんて小さな心しか、持ち合わせていないのだろう。


 ぎゅっと、強く目を瞑った。

 開いた目から、じんわりと涙が滲んでいく。

 やがて涙は眦から零れて、止まらなくなった。


 とめどなく溢れる涙が顳顬(こめかみ)を伝うに任せ、両手を目の前に掲げた。


 この小さな手で、何を返せるだろう…………。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 二と半の鐘が鳴って、ディアヌローズは慌てて目を擦った。誰かが起こしに来てしまう。


 鐘の音の余韻が消える前に、「おはようございます」と言いながら、フォセットがやって来た。


 ディアヌローズの顔を見るなり、青緑色の目を大きくした。


「……まあ! どうされましたの?」


「ごめんなさい」この数日の謝罪を口にした。


「咎めてはおりませんよ。どうされたのかを教えてくださいませ」


 心の中がぐちゃぐちゃで、何から話せばいいのか纏まらない。


「我儘ばかりでごめんなさい」


 フォセットは困ったように眉尻を下げた。


「お嬢さまは、我儘ではありませんわ」


 ディアヌローズは潤んだ貝紫の瞳でフォセットを見つめ、顔を歪めた。


「自分の事しか考えていなかったわ。皆さんに無理なお願いをして、困らせたの。きのうの実験のために……」


「わたくし共は、無理などしておりませんよ」


 忙しい中、強請られた材料の手配は手間だったずで、ディアヌローズにはどう詫びればいいのか分からない。


「でも……」と言ったきり、途方に暮れた。


 そんなディアヌローズの手を、フォセットの温かい手が包み込む。


「怖い夢でもご覧になりまして?」



 怖い夢────確かに、そう。ディアヌローズは思う。

 イストワールに転移してきて、最初に考えたのは『夢の世界では?』だった。

 状況が呑み込めずに混乱した。此の世界が怖かった。

 違う。今でも、ずっと怖いまま。

 自分がどうなってしまうのか分からなくて……。


 だから、あながち『怖い夢』でも間違っていない気がした。

 その『怖い夢』を、エレオノールやフォセット、みんなが、和らげてくれている。

 今もこうして────



 ディアヌローズは半泣きの笑顔をフォセットに向けた。


「そうね……。きっと怖い夢を見たのだわ」


 フォセットは青緑色の目を細めて微笑んだ。


「もう大丈夫でしてよ。朝に夢魔はおりませんもの」

 と、ディアヌローズの白金の髪を慈しむように手で梳いた。



 ディアヌローズは気恥ずかしさの中にも、懐かしい心地がする。

 まるで祖母に髪を梳かれているみたいで。

 甘えてもいいだろうか。幼いディアヌローズとして。

 なら、こういう時は謝るのではなくて────


「はい。……ありがとう存じます」


 はにかんだ笑みをフォセットに向けた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 日課の課題を終えたディアヌローズは、みんなに感謝を伝えたいと、ひとり長椅子で考えている。歌とヴィオリナでは今さら感が否めないので、できれば違う方法がいい。


 手を見つめる。

 小さくて、頼りない、幼い手────この手で、できることは何だろう。

 感謝を伝えるための努力なら、惜しまずに頑張れる。



 ヒントが欲しくて部屋を見渡した。飾り棚に置かれた、玻璃の(ガラス)ドームが目に入った。近くで玻璃の中の薔薇を眺める。転移してから季節が変わっても変わらずに瑞々しく、玻璃の中で光の粒を花弁に受けながら、今も緩やかに回っている。


 花びらから滑り落ちる光の粒を目で追って、ドームの底に敷かれた布に惹きつけられた。

 布には美しい模様が刺繍されている。


 これだ────ディアヌローズは思った。

 と同時に、できるだろうか……とも思う。この小さな子どもの手で、刺繍をするなんて。

 《奏》の時でも、刺繍を始めたのは十歳を迎えてからだった。


 再び手を見つめる。

 繊細な作業ができるとはお世辞にも言えない、幼い手。

 でも、折よくエレオノールから刺繍道具を贈られた。これは偶然だろうか。試してもみずに思い悩むなんて馬鹿げているかもしれない。


 それに《奏》の経験値がある。修了試験で纏った衣装(ドレス)に刺繍を施したのは、《奏》自身。

 丁寧に、慎重に、時間を掛けて針を運べば、……きっとできる。


 《奏》のように上手くは刺せないかもしれなけれど、心を籠めよう。きっとエレオノールなら受け取ってくれる。みんなも、きっと。心優しい人たちばかりだから。


 でも、いきなり習ってもいない刺繍を始める訳にはいかないだろう。やり方が同じとも限らないし、まずは教えを乞うべきだ。



 決心の鈍らないうちにと、ディアヌローズはフォセットの処へ向かった。


「フォセットさん。わたくしに刺繍を教えてくださいませ」


 フォセットは目を丸くする。


「えっ、ええ……お教えいたしますわ。けれど刺繡は洗礼を迎えてから始めるのが慣例ですから、もう少し大きくなられてからでよろしいのですよ」


「せっかくエレオノール様から、刺繍道具をいただいたのですもの。やってみたいの」


 手を胸の前で組んで、ディアヌローズはフォセットに強請った。


「早いような気もいたしますけれど……」


 頬に手を当てて困惑するフォセットに、ディアヌローズは鼻息も荒く半歩前へ出る。


「アルフレデリック様が前に仰っていたわ。『無為に時間を過ごすのは、愚か者のすることだ』って」

 と、アルフレデリックを真似た。


 フォセットは苦笑する。「承知いたしました。いつから始められますか?」


 胸の内でガッツボーズをしながら、慎ましやかに姿勢を正す。


「ありがとう存じます。フォセットさんのご都合のいい時にお願いします」


「あらあら。では今から始めましょう」人好きのする笑みを笑窪にのせた。




 エレオノールとお揃いの刺繍道具を用意して、刺繍教室は始まった。


 まずは、針に糸を通して玉を作るところから。

 次に練習用の布を刺繍枠に嵌め、針の刺し方を教わった。布に対して直角に、上から下へまっすぐ刺して裏から引き、裏からも同様に下から上へまっすぐ刺して表へ引き上げる。


 フォセットは、「裏に抜けた針を取る時に、指を刺さないように」と、ディアヌローズに注意を重ねた。


 思い返せば、祖母も『裏の針を取るときには、布地に手を滑らせるように』と、口酸っぱく言っていた。


 ディアヌローズはフォセットの手許を見ながら、祖母の面影を重ね合わせた。とても懐かしくて、なによりもこの時間が愛おしくて仕方ない。


 フォセットから正しい運針を褒められた。でも《奏》の経験があるだけにズルをしている気がして、手放しで喜べないまま愛想笑いで濁した。


 それから数種類のステッチを習い、糸の止め方や面の刺し方も練習した。

 子どもになった手でも焦らなければ目を揃られる。あとは地道に頑張ればいいだけだと分かった。



 昼近くになり、刺繍教室は終了した。


「驚きましたわ。洗礼を終えても、ここまでできる者はおりませんもの」


 フォセットの言葉に、ディアヌローズは謙虚とはほど遠い控えめな態度を見せる。


「……そうかしら。嬉しいわ。あしたも教えてくださいませ」




 翌日からは昼食後に刺繍を教わるのが日課となり、先生は都度、手の空いている者が代わる代わる務めた。


 ディアヌローズは手が慣れていくにつれて、日に日に針の運びがスムーズになっていった。縫い目を揃えることに注力すれば、子どもの手でもそれなりの出来に見えた。それでもやはり《奏》のようにはいかなくて、それが堪らなくもどかしかった。


 数日で基礎のステッチを習得し終え、次は飾り刺繍を教わっていく。

 ひたすら根気強く、慌てないように慎重に針目を整え、糸が緩んだり引き攣れたりしないように気を付けた。


 このまま上達していけば、みんなにお返しできる日は思ったよりも早いかもしれない。

 諦めなかった自分を、褒めたくなった。






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