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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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水の濾過

表現の修正をしました。

 神の家から帰ってきて数日が経った。


 それ以来、『水』がディアヌローズの頭から離れない。神の家で女の子から差し出された、あの濁りのある飲めない水。飲めないのなら、飲めるようにすればいい。でも、どうやって? 此の世界でもできそうな、水を濾過する方法が分からない。


 《奏の世界》では、蛇口から簡単にきれいな水が出てきた。それは当たり前過ぎて、贅沢だなんて考えたことすらなかった。確かに大変な思いをしている人々がいるのは、知識として知っている。でもそれは遠い国の出来事で、実感の伴わないものだった。それが今、自分の身に起こっている。


 何としても神の家へ移るまでの間に、濾過する方法を見つけなけらばならない。此の世界で生き抜くための術。見つけられなければ《奏の世界》へ還る前に、死んでしまうのが目に見えている──。




「どうかされまして?」


 ベアトリスの手が肩に触れ、ディアヌローズは思考の沼から引き上げられた。膝の上で、手にしたソーサーが傾いているのに気付いた。


 内心で慌てながらも平静を装って薄く笑み、

「何でもないの……」と、ソーサーからティーカップを取り上げる。口に含んだお茶は、すっかり温くなっていた。



 様子がおかしいと、みんなが気付いているのは感じている。みんなに心配をかけたくないとも思っている。それでも考えることを止められない。寝台の中はもちろん、食事中も、窓辺で庭を眺めるときも、いつも頭の片隅にはあの濁った水がある。課題を終えて長椅子で一息ついていている今でさえ、つい考え込んでしまっている。


 許された時間はどれくらいあるのだろう。気持ちばかりが急いていく。


 一人で生きていくための覚悟すら中途半端だったと思い知った。だからといって、いつまでもみんなの好意に甘えてはいられない。神の家へ行く前に、できる準備はしておくべきなのだから。せめて水の問題だけでも解決しなければと、焦りばかりが降り積もる。


 大声で、『誰か助けて!』と叫びたくなる衝動。

 それを抑えるだけで精一杯。

 胸の裡では、『お祖母(ばあ)さま助けて!』と声を張り上げ続けている。



 ディアヌローズは大抵の時間、意識が心の内側へと向いていて、貝紫の瞳は何も見てはいないし、白金の髪からのぞく耳も音を拾おうとはしない。


 だから、「庭へ出てみませんか?」とのレオナールの声が届いたのは、偶然に近かった。


 ディアヌローズがその声に気付いた時、レオナールはディアヌローズの前で片膝をついていた。いつもは見上げてばかりいるレオナールの顔が真正面にあり、レオナールの優しく細められた碧色の瞳と目が合った。途端にディアヌローズから強張りが抜けていく。知らずに詰めていた息を、潜めるように吐きだした。



 レオナールの心遣いで、ディアヌローズは庭へ出た。レオナールの足元を見ながら、彼の半歩後ろをついて行く。やがてレオナールは歩みを止め、ディアヌローズも立ち止まる。視線を上げた先には、ベルージュの茂みがあった。


 久しぶりにディアヌローズが見たベルージュの実は大きく膨らんで赤く色づき始め、当初よりも大幅に実の数を増やしていた。フェブルも姿を見せるかもしれないとの期待が高まっていく。いつのまにか『水』のことを忘れていた。



 ベルージュの茂みに沿ってさらに進んでいくと、薄紫がかったピンク色の花をつけている茂みに出た。五枚の花弁を持つ小さな花が房になり、枝にぶら下がるように咲いている。


 熱心に見ているディアヌローズに、「グロゼイユですよ」とレオナールが教えた。


 実は熟すと黒くなり、ジャムにすることが多いとのこと。小さな獣の食料にもなっているそうだ。ことしは暑くて花つきが悪いらしいが、この辺りはベルージュと同じく影響を受けていないらしい。


「ここだけなんて………。小さな獣は生きていけるでしょうか……」


 ディアヌローズは眉を(ひそ)める。


「他にも食べるものがありますから、きっと大丈夫ですよ」


 レオナールの言葉も、ディアヌローズには気休めにならない。何とかここだけでも他の不足分を補える実りがあって欲しい。先日の魔術の話を思い出し、自分に魔力があったなら、ぱっと花を咲かせられただろうかなどと考える。神頼みだけでもしてみようと思い立ち、グロゼイユの枝に触れて、たくさん実りますようにと願を掛けた。



 部屋へ帰る途中、ひなたを歩く。(エティスタース)の陽射しで汗ばむほどだ。同じ道を戻っているにも関わらず、往きには全く気付かなかった自身に、ディアヌローズは内心で苦く笑う。


 草のまばらに生えた小径で、小石がディアヌローズのつま先に当たった。コロコロと軽快に転がる小石を目で追いながら、子供の頃に参加したサマーキャンプを思い出し────

「あっ!」と、思わず大きな声が出た。


「何かありましたか?」振り向いたレオナールが問う。


 ディアヌローズはうわの空で、

「……いいえ、見間違えたみたい、です」と返した。


 蘇った記憶で、血が一気にどくどくと身体中を駆け巡る。

 頭の中では、渋滞する記憶を整理するので手一杯だ。

 水の濾過方法────


 子供の頃、サマーキャンプで水を濾過する方法を習ったことがある。小石と砂利、砂に活性炭、あとは布だったと記憶している。濾過した後は煮沸すれば飲めるようになるはずだ。神の家へ行くまでに試してみようと決意した。



 部屋へ戻ってレオナールに感謝を伝え、ディアヌローズは長椅子で考える。


 まずは材料の準備から。庭で小石は集められる。砂利と砂は探すところから。布と筒はお願いするしかなくて、活性炭は一番難しい。消し炭なら手に入るかもしれないけれど、暖炉を使うのは冬。ここに冬までいられるとは思えない。なら竈とか?


 自力でできる事の少なさに落胆しながらも、ディアヌローズは庭へ出る許可を願い出る。

 許可はすんなり下た。


 その翌日から、ディアヌローズは課題を終えるとすぐに庭へ出た。降り注ぐ夏の強い陽射しが、緑を濃くした樹々の葉に容赦なく照りつけている。眩しさに目を眇めて手を翳し、木陰を目指した。


 まずはこの場所から小石を探そうと決め、きょろきょろ辺りを見回した。手ごろな大きさの小石を見つけては左手に貯め、持ちきれなくなったところで出てきた掃き出し窓の手前まで戻り、一纏めに置いていく。


 それから木陰と窓を何往復かして、ディアヌローズは部屋へ戻った。窓のすぐ向こうには、小石が山になっている。成果を目にしながら飲む果実水は格別に美味しくて、柑橘の酸味がくたくたになった身体に沁みわたっていく。


 この調子なら、自力での作業は数日で終えるだろう。自分では用意できない布や筒などを早めにお願いしておけば、実験できる日は案外早くやってくるかもしれない。問題は話の切り出し方。どうしたものかと、ディアヌローズは考えあぐねた。



 杯を下げにきたフォセットが、

「初めてお子様らしく遊ばれているのを拝見しましたわ。小石を集める遊びは存じませんけれど」

 と、どこか安心めいた口調で言った。


 ディアヌローズにしてみれば遊んでいた訳ではないけれど、フォセットの目にはそう映ったらしい。それが、何故だか無性に可笑しかった。


「ふふっ、試してみたいことがあるのです。でも足りないものがあって……」


「わたくしでご用意できる物でしたら、お手伝いいたしますよ」


 ディアヌローズはフォセットの申し出に一も二もなく飛びつき、織り目の詰んだ布と、筒。それから消し炭をお願いした。


 フォセットは首を傾げながらも、ディアヌローズに用意すると約束した。

 理由を聞かれずに済んで、ディアヌローズは胸をなで下ろす。これで残りは砂利と砂。何とか自力で見つけたい。




 翌日もディアヌローズは庭へ出る。

 けれど許可された範囲に、砂利も砂も見あたらなかった。

 レオナールに訊ねてみたところ、庭には土しかないという。


 ディアヌローズは肩を落として俯いた。効率を重視するあまり、フォセットに無駄な仕事をさせてしまったことを悔いた。



「砂利と砂なら心当たりがあります。私が用意しましょう」


 ディアヌローズはレオナールを振り仰ぐ。


 前のめりで、「よろしいのですか!」と勢い込んだ。


 レオナールは苦笑する。「ええ。大した手間ではありませんから」


「あ、ありがとう存じます」


 ディアヌローズは満面の笑顔をレオナールに向けた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 数日後、すべての材料が揃った。

 昼食後にディアヌローズが実験の準備をしていると、小鐘(ベル)がエレオノールの来訪を告げた。一旦手を止めて、エレオノールを迎え入れる。



 エレオノールは用意された実験道具を見て、すまなそうに眉尻を下げた。


「何か始めるところだったの? 邪魔をしてしまったわね。少し時間ができたから、あなたの顔が見たくなったのよ。先触れを出さずに来てしまって、ごめんなさいね」


 ディアヌローズは気まずさを隠せない。悪戯を見つかった子供みたいに肩を窄めた。


「あの……た、試したいことがあって、その準備をしていただけです。お会いできる方が嬉しいですもの。お気にされないでくださいませ」


「何を試すの? わたくしにも見学させて頂戴な」


 好奇心に杏色の瞳を輝かせるエレオノールに、ディアヌローズは拒めそうにない。


「大した実験ではないのですが……それでもよろしければ」


「ええ。楽しみだわ。そうそう、忘れるところだった。きょうはディアヌローズに渡したい物があったのよ」



 エレオノールは応接卓の上に箱を用意させ、ディアヌローズに開けるようにと促した。


 箱の中には、刺繍道具が入っていた。糸は基本の色から中間色、金糸と銀糸までもが揃い、艶のある美しい糸が色彩順に並んでいる。


 エレオノールは刺繍糸に見惚れているディアヌローズの様子を眺めて、嬉しそうに目を細めた。


「気に入ってもらえたらいいのだけれど」


 ディアヌローズは刺繍道具から目を離し、

「ありがとう存じます。──本当にいただいてもよろしいのですか?」

 と、小首を傾げた。子どもに贈るにしては立派過ぎる物だった。


 ふわりとエレオノールは微笑む。


「当り前じゃない。ディアヌローズ、あなたのために用意したの。刺繍を始めるには少し早いけれど、わたくしとお揃いなのよ」


 お揃いと聞き、ディアヌローズは本当に姉ができたような心持ちがする。一人っ子だった《奏》にとって、憧れだった姉という存在。嬉しくて、恥ずかしくて、擽ったい。


「お揃い……嬉しいです。大切に使わせていただきます」


 赤くなった顔を見られたくなくて、ディアヌローズは顔を伏せた。膝の上での手遊びが止められない。




 暫しお茶とお喋りを楽しんでから、実験のために庭へ出た。

 準備した材料を使って奏の時に習った手順で濾過器を作成し、その下にボウルを置いて実験を開始する。


 神の家で見た水と同じくらいの濁り水を、少しずつ筒へ注いでいく。暫くすると、透明になった水が筒の下からぽたりと落ちてきた。


 ある程度濾過して筒を外す。ボウルに溜まった濾過水は、ボウル底に描かれた花をくっきり見せた。変なニオイもない。これなら沸騰させれば飲めそうだ。


「成功しました。皆さん、ありがとう存じます」笑顔が弾けた。



 水がきれいになる様を興味深そうに見ていたみんなは、今はどこか微妙な顔をしている。みんなには、わざわざ泥水を濾過する意図が分からないのだろう。でも、実験の成功にディアヌローズは大満足だ。子供の遊びと思って許して欲しい。


 エレオノールがみんなを代表するように、

「どうして態々(わざわざ)きれいな水を泥水にして、またきれいにするの?」と訊ねた。


 本当の目的を言えず、ディアヌローズは目を泳がせる。


「…………あの……、濁った水しかない処に、きれいな水があったらいいな、と思ったのです」


「そう……。そんな処が、もしもあったなら……そう、ね。素晴らしいと思うわ」


 困惑しながらも、エレオノールは一生懸命褒めてくれる。それが何とも彼女らしいと、ディアヌローズは思った。



 たぶん、エレオノールは、みんなは、知らないのだ。きっと。

 実際にそんな場所があることを。

 神の家────近い将来、行く場所(ところ)

 そこで生きていくために、必要な濾過器(もの)


 実験の結果はたしかに嬉しくて、これからを考えれば心強い。

 なのに、どうにも悲しくて、心細くて仕方ない。

 一つ準備できれば、一つ駒が進む気がする。


 ディアヌローズはぎゅっと目を瞑り、そして開いた。

 何もしなくても、時間切れはやってくる。

 なら、前を向くしかないではないか。



 きれいな水は確保できた。

 あとは煮沸するための火起こしの方法。


 だけど結局、火起こしの方法は教えてもらえなかった。誰もが口々に危ないと口を揃えた。世界は違えど火に関して、大人の考えは同じらしい。諦めるしかなかった。






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