青い光
誤字、表現の再修正をしました。
三日経っても、ディアヌローズの熱は下がらずに高いままだった。
熱で朦朧とした頭の中に、アルフレデリックから教えられた話が甦る。
『洗礼式を迎えるまで、子供は体調を崩しやすい。だから無理をせずに過ごしなさい』
『疲れすぎたり、極度に不安になったりしないように過ごして欲しい』
ディアヌローズはイストワールへの転移者。だから関係ないと聞き流した話。──でも、関係あるのかもしれない、と思い始めている。神の家へ行ったあの日、体調は万全とはいえなくても悪くはなかった。だから可能性として、アルフレデリックに教えられた話を考えてみようという気になった。
無理をしたと思うことは、二つ。
一つ目は馬車酔い。でも、馬車酔いが原因なんて考え難い。
二つ目は神の家の廊下の臭い。すえたような臭いに料理の生臭いニオイが混じり合った、ひどい臭い。けれど、臭いだけで熱を出したりするとは思えない。
では他の原因は? ディアヌローズは記憶を手繰っていく。
不安になったのは『ベールはもう不要だ』と、アルフレデリックに言われた時。みんなとの別れが悲しくて、領事棟の居場所を失うのが辛くて。その苦しさは、みんなを騙した罰だと痛感した。そして、あの神の家でやっていけるのかが不安だった。
けれど不安になっただけで、本当に熱なんて出すだろうか。確かに、分からない体調不良はあった。
ふと────血に触れると炎症を起こすように、本当にあり得るのかもしれない、という考えが過った。
『見学だと言ったはずだが、聞いていなかったのか?』
『これに懲りたら、話は最後まで聞くように』
アルフレデリックの言葉が、頭の中で繰り返される。
これまでだって望んで不安になっていたわけではないけれど、今回ばかりは自ら招いた不安で、回避できるものだった。アルフレデリックの話を最後まで聞いていなかったのだから。本当にこれが原因なら、なんて迂闊なんだろう。祖母にしばしば注意を受けるはずだ。
もう他の原因をディアヌローズには思いつけない。
些細なことで揺れない、不安にならない心が欲しい。
独りで此の世界を生き抜くための強い心、動じない心が欲しい。
心を強くするためには、どうすればいいのだろう…………。
ディアヌローズは自身に問い掛けながら、熱くて浅い息をきれぎれに乾いた唇から漏らした。
時折りアルフレデリックの大きくて冷たい手が、ディアヌローズの熱い額を覆った。指の僅かな隙間から青い光が透けて見えると、熱くて重怠い身体が楽になった。
アルフレデリックに迷惑と手間ばかりをかけている。
たとえイストワールでは子供になってしまっていても、《奏の世界》では月詠家の成人と認められた自負がある。だから尚のこと、ディアヌローズはこんなにも弱い自分が嫌で許せない。身体だけでなく、心までもが幼く弱い自分が。
「ごめんなさい」
浅い眠りの中で、口からするりと出た。
「迷惑をかけてごめんなさい」
「お手間を取らせてごめんなさい」
「話をきちんと聞かなくてごめんなさい」
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
熱の下がらないディアヌローズのもとへ、エレオノールとアルフレデリックは毎日時間を見つけては訪れていた。
漸く四日目の昼過ぎに、ディアヌローズの熱が下がり始めた。
そしていま、ディアヌローズの寝台脇で、エレオノールは柳眉を逆立てている。ディアヌローズが熱に浮かされながらアルフレデリックに謝っていた理由を知ったからだ。
「アルフレデリック。どう考えても、ディアヌローズが熱を出した原因はあなたじゃないの」
「勝手に熱を出した者の責任まで、押し付けられては困る」
「まあ! あなたがディアヌローズにきちんと教えないで、不安にさせたのがいけないのよ」
「それを言うのならば、聞いていない方が問題だろう」冷めた口調でアルフレデリックは言った。
「どうせあなたのことだから、聞いていないと知りながらそのままにしたのでしょう? 不安にならないようにと教えた口が、よく言えたものだわ。悪辣極まりないわね」
ディアヌローズは二人の間で、オロオロと視線を忙しく行き来させた。エレオノールが庇ってくれるほどに、自身の至らなさが身に染みていく。二人の言い争いの種が自分であることが、何とも耐え難かった。
「おふたりとも、もうお止めください。悪いのはわたくしです。アルフレデリック様のお話を、最後までお聞きしなかったのは事実ですから」
「ディアヌローズは悪くないわ。最後まで聞いていなかったのは、途中で気になることがあったのでしょう?」
そう言って、エレオノールはディアヌローズを見つめた。その表情は憂色の色を浮かべ、杏色の瞳が「分かっているのよ」と訴えている。
数舜、ディアヌローズは言葉に詰まった。
「……庇ってくださり、ありがとう存じます。けれど非があるのはわたくしです。それに熱を出したのも偶然で、アルフレデリック様のせいではありません」
ディアヌローズは終わりにしたい気持ちを込めて、ねだるような笑みをエレオノールに向けた。
「もうよい。私が悪いのだろう」
アルフレデリックは淡々と告げたが、どこかバツの悪そうな音が潜んでいた。
エレオノールは、くすりと笑んで肩を竦める。
「アルフレデリック、あなたってまるで子供ね。ディアヌローズの方が大人に見えてよ」
「そんなことを言うのは君だけだ」
「これに懲りて、大人げないことは止めるのね」
ディアヌローズは終わりの見えない二人のやり取りに、熱の上がる思いがする。
止めて欲しい一心で、「コンコン、コンコン」と無理やり咳をした。
「まぁ大変」
エレオノールが慌てるその横で、アルフレデリックはディアヌローズを半眼で見下ろした。
──あれ? ばれてる!?
目を泳がせるディアヌローズの喉に、アルフレデリックの手が触れる。不意に、青い光について訊きそびれていたことを思い出した。
形ばかり触れたアルフレデリックの手が離れていく。
「…………ミエルを摂りなさい」
アルフレデリックを助けたつもりだったのに、いたたまれない思いをしているのは何故だろう。ディアヌローズは用意されたミエルを口にしながら、早く思い出していれば小芝居をせずにすんだのに、と後悔した。
ディアヌローズは凭れていたクッションから背を離して、居ずまいを正した。
「アルフレデリック様、教えていただきたいことがあります」
「何だ?」
「わたくしの額にアルフレデリック様の掌がある時、青い光が見えたのです。あの光は何ですか?」
「あれは治癒の光だ」
「治癒の光?」
アルフレデリックは訝し気に片眉を上げた。「聞いたことが無いのか?」
「…………憶えておりません……」内心で冷や汗をかきながら、ディアヌローズは神妙な顔をした。
アルフレデリックは膝の上に腕をおいて前屈みになると、広げた両掌の指先を合わせた。
「治癒の青い光は、治癒魔術による光だ。治癒魔術には、治癒を受ける者の治癒力を高める補助的な施術と、治癒を受ける者へ直接的に治癒を施すやり方の、二種類がある」
ディアヌローズは目を大きくする。転移したうえに、魔術とは。
イストワールには、精霊がいて、魔術がある。異邦人のディアヌローズとは一線を画した世界。
けれど驚いてばかりはいられない。上手く誤魔化してやっていくために、できる限り情報を得ようと気持ちを切り替えた。
「わたくしはどちらを受けたのでしょう?」
「其方は子供で魔力器官が未発達だ。当然、直接的な治癒を施した」
「魔力のある者には補助でよく、魔力の無い者には全面的に施術する、ということですか?」
「概ね合っている。但し症状の重い場合は、魔力があっても補助では済まない場合もある」
どうやら魔力の無い者もイストワールにはいるらしい。自分が悪目立ちする心配はなさそうである。ディアヌローズは胸を撫で下ろした。でも────
「ご無理をなさったのではありませんか? 補助的な魔術よりも直接的な魔術の方が、よりご負担が大きいのでしょう?」
ディアヌローズはこれまで、アルフレデリックから少なくない回数の治癒魔術を受けていた。あまりにも申し訳なくて、しゅんと肩を窄めた。
「子供が気にする必要はない。大した負担にはなっておらぬ」
「誰もが使える魔術なのですか? だから負担が少ないと?」
「誰でもとはいかないが、適性があれば使える」
どうにもはぐらかされている気がして、ディアヌローズは戸惑いの顔をエレオノールに向けた。
「アルフレデリックに負担をかけているのを、申し訳なく思っているのね?」
エレオノールに問われ、ディアヌローズはこくりと頷いた。
それはね、とエレオノールが説明する。皆それぞれ神から受けた加護が違うこと。アルフレデリックは癒しの加護を受けていて治癒魔術の適正が高く、直接的な施術ができること。施術者にとって負担になるかは、施術者自身が保持する魔力量によること。
「──アルフレデリックが負担にならないというのなら、彼の魔力保持量では大したことないのでしょう。心配しなくても大丈夫よ」
ディアヌローズは確かめるようにアルフレデリックを窺った。
「だから、大した負担にはなっていないと言っただろう」と、アルフレデリックは腕を組んだ。
「……はい。お世話なりました。ありがとう存じます」
「分かればよい。体調を崩せば、私が夜中でも呼ばれるのだ。それまでは以前にも忠告したように、無理をしないように。其方も洗礼式が近付けば、魔力の有無が分かるだろう」
「洗礼式の頃に分かるのですか?」
「そうだ。だいたいは親の魔力の有無や属性を受け継ぎ、成人すればほぼ親と同等の魔力保持量になる。一般的に魔力の無い子供の方が育ちやすく、逆に魔力を有する子どもの方が育ちにくいとされている。特に魔力量の多い子供ほど育ちにくい。それは魔力腺、いわゆる魔力回路の発達が、魔力量の増加に追いつかなくなるからだ。こればかりは治癒魔術ではどうにもならない」
エレオノールが焦ったように、
「アルフレデリック、そこまで教える必要はないでしょう」と、非難にも似た声を上げた。
「いや。ディアヌローズは思っていたよりも聡いようだ。勝手に妄想を膨らませて不安になられるよりも、正しい知識を与えた方がよい」
アルフレデリックは親指で頤を摩りながら声を低める。
「恐らく……其方は魔力があるだろう。──これまでの経緯からみても、魔力量も多いと思われる。故に最大限、心を揺らさないように」と付け足した。
ディアヌローズは魔力が無い理由を言えず、「はい」と返して貝紫の目を伏せた。
その様子を見ていたエレオノールは、ディアヌローズが不安がっていると思ったらしい。
「心配する必要はなくてよ。アルフレデリックに任せれば、大抵のことは何とかしてくれるから。『ジン』を冠しているのだもの。きっとあなたの役に立つわ。あなたは不安になる前に、彼に相談しなさいな」
「ジン、ですか?」ディアヌローズは小首を傾げた。
「『精霊使い』のことをジンというのよ」
瞬時に、屋敷精霊マノワの顔がディアヌローズの脳裏に浮んだ。マノワのような精霊を友としてではなく、僕として使いまわすとでもいうのだろうか。
ディアヌローズは、「精霊使い……」と思わず漏らし、知らず眉根が寄った。
エレオノールはディアヌローズの様子に気付かないようだった。
「ええ。イストワール国の中で過去を含めても、数える程しかいないわ」
アルフレデリックがエレオノールをギロリと横目で睨んだ。
「エレオノール、私の仕事を増やす気か。精霊の話は別の機会とする。話し過ぎて、また熱を出されたら面倒だ。もう寝みなさい」
アルフレデリックは足早に、エレオノールは微苦笑を浮かべて帰っていった。
ひとりディアヌローズは窓の外を見遣る。深緑の葉に、夏の眩い陽射しが容赦なく降り注いでいた。
──上手くやっていけるだろうか……。
視線を庭から自身の手に移し、じっと見つめる。その小さな手を、ぎゅっと握った。




