表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/146

神の家(後編)

表現の修正をしました。

 ディアヌローズのベールがフォセットによって取り払われた。


 露わになったディアヌローズの顔を見るなり、

「顔色がひどいな」と、アルフレデリックの眉根が寄った。


「大丈夫です」


 ディアヌローズは血の気のない顔をして、到底信じてはもらえない言葉を吐いた。これは自身に向けた言葉。強くあらねばと自分を奮い立たせ、ひとりで立ち向かっていくための呪文。


「そうか」アルフレデリックはそれだけ言うと、さっさと扉口へ歩いていった。


 その後ろ姿を、ディアヌローズはぼんやりと目で追った。微かに蒼みを帯びた銀の長い髪が、歩みに合わせて揺れている。奏の薔薇の色にも似た、厳冬の蒼い月と同じ色。転移してきたばかりの頃、何もかもが変わってしまったディアヌローズにとって、唯一の救いとなった色。


 不意にフォセットの手が肩に置かれ、続くようにと促された。ディアヌローズも扉口へと歩き出す。別れのために歩む足どりは重く、遅々として進まない。まるで粘つく床から靴底を剥ぎとるみたいに、一歩一歩足を運んだ。



 部屋を出ると、廊下に責任者の女性が立っていた。ディアヌローズは手間取ったことを申し訳なく思い、笑顔を貼り付けると軽く腰を落として会釈した。


 すると、女性は戸惑いを隠しもせずに礼を執った。


 何か間違えてしまったのか。不安にかられたディアヌローズが立ち止まると、フォセットは進むようにと耳打ちした。


 廊下の先を見れば、アルフレデリックはもうすでに玄関扉を出ていくところだ。あたふたとディアヌローズも玄関を目指す。別れの挨拶どころか、見送りすら間に合わないなんて絶対に嫌だと、必死に足を動かした。



 廊下は昼食が近いらしく、すえたような臭いと料理の匂いが混ざりあっている。その異臭としか形容できないニオイの中、ディアヌローズは胃液が喉にせり上がってくるのを堪えた。鈍る足を急く心で叱咤しながら、軋む廊下を進んだ。


 玄関へ辿り着くと、そのまま立ち止まらずに外へ出た。一変して強い陽射しに射抜かれる。涙で滲む目を眇め、慌てて手を翳した。


 話し合いの間に、日は真上になっていた。目に映る青い空と森の緑の対比が、清々しいほどに美しい。これからはこの景色を(よすが)にしようと、ディアヌローズは心に留めた。



 玄関前では、馬車から次々に木箱を下ろしているところだった。

 ディアヌローズは別れに間に合ったと胸を撫で下ろす。けれどそれも束の間で、運ばれる木箱の中身が気に掛かった。──自分の荷物かもしれない…………。


 居を移すのだから荷物の移動はあたりまえのこと。分かってはいても胸が締め付けられた。預かってもらうつもりでいた《奏》の衣装(ドレス)も、きっとあの中に。けれどよくよく考えてみれば、預けられる側には迷惑でしかないのだ。どこまでも身勝手な自分には失望しかない。


 たぶん──みんなとの繋がりが切れてしまうのが嫌だったのだと、今更ながらに、そう思った。



 稀に吹く乾いた風が、通ってきた道から土ぼこりを巻き上げている。青い草の匂いはすっかり勢いをなくしていた。


 荷下ろしはまだ終わらない。


 ディアヌローズは体力も精神も限界だった。玄関脇の壁に、行儀悪く肩で凭れた。壁に触れた右掌が、ざらりとする。見遣れば、細かく固まった土が汗ばんだ掌についていた。左掌で土を払うと、汗を含んだ土は両の掌に線となって広がった。


 微かに表情を曇らせたフォセットが、ディアヌローズの掌についた土を丁寧に拭きとった。


「……ごめんなさい」


 ディアヌローズは項垂れた。最後の最後までフォセットに手間を掛けさせてしまった。


「アルフレデリック様に、お嬢さまのご様子をお伝えしてまいりますね」


 ディアヌローズは頷きだけで返し、フォセットが離れて行くのを見るともなしに眺めた。



 急に玄関扉から子どもが出てきた。ディアヌローズの前で立ち止まる。

 話し合いの部屋で見かけた女の子だった。ディアヌローズと同じ年ごろで、身体の大きさに合わない、だぶついた鈍色(にびいろ)の服を着ている。


 女の子は、「お水だよ」と、木の杯をディアヌローズに差し出した。


 濁りがあって埃が浮かんだ水。


 お世辞にも奇麗とはいえないその水を、ディアヌローズは見つめた。あの井戸の水だろうか。具合悪そうだからと、気を遣って汲んできてくれたのかもしれない。けれど口にしたら、たちまちお腹を壊してしまいそうな水だ。これからはこの水にも慣れなくてはいけないだろう。でもいまは、飲めそうになかった。


 ディアヌローズは、かさついた女の子の手を取った。


「ありがとう。いまは飲めそうにないの。あなたの心だけいただくわね」


 女の子は物悲しそうに眉尻を下げ、

「……わかった。大丈夫なんだね?」と、窺うような視線で念押しした。


「ええ、大丈夫よ。本当にありがとう」


 ディアヌローズは口角を上げ、にこりと笑顔を作る。

 すると女の子は、はにかむように頷いて建物の中に入っていった。



 入れ替わるようにフォセットが戻ってきた。


「知らない者と口をきいてはなりませんよ」


 いつになく厳しいフォセットの口調に、ディアヌローズの背筋が伸びた。イストワールは身分に厳格だ。けれどディアヌローズには無視するなんてできそうになくて、そんな貴族の常識にも馴染めそうにない。これからは自分も口をきいてはもらえないだろう。つきりと胸が痛んだ。


「ごめんなさい。態々(わざわざ)わたくしのために、お水をもってきてくれたの。どうしてもお礼を言いたくて……」


「……今回だけですよ」


 嘆息したフォセットは、仕方のない子と言わんばかりに微苦笑を浮かべた。




 荷下ろしが終わり、別れの時がやってきた。


 ディアヌローズは出来損ないの笑顔を作り、みんなの前に立つ。


 感謝と別れを伝えようと口を開きかけた、その時────


「早く馬車に乗りなさい」アルフレデリックが言った。


「!?」


 アルフレデリックの言葉が、ディアヌローズの頭の中で上滑りする。理解できずに固まった。


 ふわりと、棒立ちのディアヌローズの身体が浮き上がり、アントナンによって運ばれていく。馬車に乗り込んだアルフレデリックに手渡され、来た時と同じく隣りに下ろされた。


 状況が呑み込めないディアヌローズは、内心だけが忙しい。


 激しく動揺している感情とは裏腹に、

「…………わたくし、帰る、のですか?」と、棒読みの台詞を口にした。


「見学だと言ったはずだが、聞いていなかったのか?」


 アルフレデリックはディアヌローズを睨め付ける。


 ディアヌローズは思わず身を竦ませた。神の家へ行くとアルフレデリックに告げられたあの日、初めの言葉に動揺して、たしかに後の話は耳に入ってこなかった。非は当然自身にある。けれどアルフレデリックには分かっていたはずだ。


 自嘲と彼の悪辣さに対する気持ちがせめぎ合い、綯交ぜとなってディアヌローズを俯かせる。


 アルフレデリックは唇の片端を上げて薄く笑んだ。


「これに懲りたら、話は最後まで聞くように」


「……心に刻みます」


 ディアヌローズの握りこむ手に力が入る。口にした言葉のとおりに『アルフレデリックは悪辣』と、心の中で存分に毒づきながら刻みつけた。




 復路、ディアヌローズは最初からアルフレデリックの膝上だ。おかげで格段に揺れも少なく、馬車酔いも軽い。景色を眺める余裕も生まれた。


 窓の外、道の際まで生い茂る草木は緑に溢れて滴るようだ。樹々の枝に茎を伸ばした蔓草の花は、とても鮮やかで目を惹いた。強い陽射しも森の中では木漏れ日となって、穏やかで優し気に見える。時折り、石の道標らしきものが現れては消えた。


 けれど森の中はあまり変化が無くて、ディアヌローズは途中から流れる景色をぼんやりと見送った。



 往路の半分ほどの休憩を挟みながら城下門手前まで戻ってくると、車内に大きな木箱が運び込まれて、窓に覆いがされた。ディアヌローズは城下の街並みを愉しみにしていただけに、残念でならない。


 城下に入ると揺れは格段に少なくなった。景色を見られず、緊張も緩んだディアヌローズは睡魔に襲われた。アルフレデリックから伝わる温もりが、余計に眠りを誘う。眠り落ちる非礼はできないと必死に抗っても、瞼がどんどん重くなり、頭は支えを失って大きく揺れた。


「ディアヌローズ、木箱に入りなさい」


 アルフレデリックに起こされて、ディアヌローズは膝から下ろされた。


 開けられた木箱の中にはクッションが四方に置かれ、ディアヌローズが膝を抱えてすっぽり入れるほどに深い。ディアヌローズは寝ぼけたまま、アンベールによって木箱へと入れられた。


 蓋が閉められて中が暗くなると、ディアヌローズの眠気はきれいさっぱり吹き飛んだ。木箱の中はアルフレデリックの膝上よりも揺れて、小刻みな振動と腹部の圧迫が馬車酔いを酷くさせた。


 狭い木箱の中がだんだん暑くなってきて、汗が流れた。髪が額や首筋にはりつき、鬱陶しくて仕方ない。木箱の中から外を窺い、早く着いて欲しいと、ただそれだけを考えた。



 領事門を抜け、領事棟に着いた。ワゴンに載せられ、カタカタと聞き覚えのある音を立てながら運ばれていく。細かい振動が気持ち悪く、抱き上げられて移動した往きの方が楽だったと、つくづく思った。


 それでも確実に自分の居場所へと近付いている。喜びが募っていった。

 扉の開く音で、胸の鼓動が跳ね上がる。

 ワゴンが止まり、木箱が床にゴトリと置かれた。

 蓋が持ち上げられて光が差し込み、眩しさに目を細める。

 新鮮な、半日ぶりの懐かしい空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。


 精一杯の速さで立ち上がり、「ただいま戻りました」と、弾む声を上げた。



 笑顔でディアヌローズを迎えたみんなは、一目見るなり動きを止めた。


「お帰りなさいませ」の声が余韻も無く消え、それぞれが忙しそうに散っていく。


 ディアヌローズがあっけに取られている間に、寝支度が整えられていった。

 マリレーヌの手で手早く外出着から寝衣に着せ替えられ、ベアトリスの整えた寝台へ入れられた。


 気付けば、アルフレデリック達はいなくなっていた。



「ベアトリスさん。起きていてはいけませんか?」


 確かに気持ち悪さは解消していないけれど、いまは帰ってこられた喜びに浸っていたい。天蓋を眺めて過ごすのは淋しくて、どこに居ても気持ち悪いなら、みんなの顔が見える長椅子で過ごしたかった。


「熱が出ておられますわ」


「そうかしら?」額を自分で触っても、ディアヌローズにはよく分からない。


「失礼しますね」と、ベアトリスはディアヌローズの額に手を当てた。


「冷たくて気持ちいいわ」


 ひんやりとしたベアトリスの手が何とも気持ちよくて、ディアヌローズは瞼を閉じる。木箱の中が熱いと思っていたけれど、どうやら自分が発熱していたらしい。


 ディアヌローズは《奏》の幼かった頃を思い出した。あの頃もよく具合が悪くなっては祖母を心配させた。──心ばかりか、身体までもが弱いなんて……。──何もかもが弱い自分を持て余した。



 天蓋を見上げて、ディアヌローズはきょうを振り返る。

 神の家については馬車酔いが酷すぎて、正直なところあまりよく覚えていない。

 ただ、水を差しだしてくれた女の子は印象深かった。


 かさついた手と純粋な瞳。鈍色の服。

 木の杯に汲まれた濁りのある水。

 神経質そうな責任者の女性。


 やっていけるだろうか……。

 水を飲むことさえ難しそうな処で。

 ここから、……みんなからも離れて。


 馬車でなければ到底行きつけない遠い場所。

 近い将来、行くところ。


 今回は見学だったけれど、次に訪れたら────

 もう、ここには帰ってこない。


 きょう帰ってこられたのは、見学だったから。

 アルフレデリックは願いを叶えてくれただけで、恨み言を並べるのは筋違いだった。


 悪辣、なんて思って悪いことした。



 ここは仮の居場所。

 一人で生きていく強さと覚悟を。

 別れの時には、感謝と最上の笑顔を。


 ディアヌローズは自身に染み込ませるように、何度も何度も頭の中で繰り返した。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ