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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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神の家(中編)

表現を修正しました。

誤字の修正、及び、軽微な修正をしました。

 神の家は、森の中の迂曲した小径の行き止まりにポツンとあった。

 くすんだ石造りの建物で、小さな窓が等間隔に並んでいるほかは、これといった特徴は見あたらない。


 建物の脇には短く刈り込まれた草地があり、ちょっとした広場になっている。その奥にある石積みの井戸では、子ども達が水を汲み上げていた。


 馬車が速度を落としながら扉前に着くと、中から責任者らしき細身の女性が出てきた。髪をひっ詰め、黒い飾り気のない服を着ている。吊り上がった目と皮膚の薄い面立ちが、神経質そうな印象を与えていた。



 後続馬車の到着を待ってから、乗り込んだときと逆の順で降りていく。ディアヌローズは外で待つアントナンに抱え降ろされた。馬車を降りても、身体が揺れているようだった。


 フォセットがディアヌローズの皺になったスカートを整え、ベールを直そうと手を掛けた。──その途端に緑の香りが強く、ベールの中に薫った。

 はっと、ディアヌローズは伏せていた目を上げた。


 周辺は草を刈ったばかりらしく、青い草の匂いが漂っていた。《奏》の庭の匂いも似て、ディアヌローズは懐かしむように深く息を吸い込んだ。馬車酔いが少し軽くなった気がした。


 ふと視線を感じてディアヌローズがその先を見ると、井戸端の子ども達がこちらを見ていた。馬車の中で見かけた時よりも、あきらかに人数が増えている。子ども達は視線が合うと、慌てたように水汲みを再開したが、大半はまろぶように駆けて屋内に消えていった。



 挨拶を終えると、黒服の女性が扉を開けた。


 護衛騎士を先頭に皆が動き出し、ディアヌローズもついて行こうと片足を上げる。──不意にふわりと身体が浮き、気付けばアントナンに抱え上げられていた。

 ディアヌローズはアントナンの胸に腕を突っ張らせると、貝紫の瞳で睨んだ。


「わたくし、自分で歩けます」


 けれどディアヌローズの精一杯の抵抗も、睨みも、抗議の声も、アントナンには通じない。


 アントナンは駄々を宥めるような口ぶりで、

「アルフレデリック様のご指示です。おとなしくされてください」と口端を上げた。


 ディアヌローズは、しぶしぶ抵抗を諦めた。こんな風に甘やかされたら、ますます弱くなってしまう。転移してきた当初の心細さが蘇って、ベール越しに見るアントナンの顔が(いびつ)になった。



 建物に入ると薄暗く、一旦エントランスで止まった。空気が淀んでいて、すえたような匂いが鼻についた。ディアヌローズはベールの中で鼻と口を手で覆いながら、馬車酔いの気持ち悪さが増していくのを堪えた。


 目が慣れてくると屋内の様子が見えてきた。大人二人ほどの幅しかない直線の廊下。その左右に部屋がある造りらしい。窓もなく、黒ずんだ古い板壁がディアヌローズを陰鬱な気持ちにさせた。


 一行は黒服の女性に続いていく。床板は傷んでいるのか、歩く度にギシギシと音を立てた。

 右側手前の部屋に案内される。


 そこは明り取りの窓が二つあるだけで仄暗く、煤けた壁に幾つか絵が掛けてあるほかは飾り気のない部屋だった。来客用の部屋というよりは仕事部屋のようで、使い古された執務机と応接卓、椅子、書類棚に暖炉しかない。床に敷物は無く、黒ずんだ床板はところどころがすり減っていた。



 アルフレデリックは応接卓で、責任者の女性と話し始めた。


 ディアヌローズはフォセットに付き添われ、応接卓から離れた椅子に腰を下ろした。凭れかかりたいのを我慢して、肘かけに身体を寄せるに留めた。こもった土のような黴臭さに、ますます気持ち悪くなった。



 話し合いは、なかなか終わらない。


 ふたりの様子をベール越しに眺めていたディアヌローズは、知らず唇を噛んでいることに気付いて目を伏せた。やはり見学ではなく引き渡しなのだ、と確信を深めた。ほんの微かに残っていた自身の愚かな期待が可笑しくて、自嘲の笑みが浮かんだ。



 手間取っていることに僅かな苛立ちを覚え、中途半端な状態にまたしても感情が揺れる。伏せた目を開け、手許を見るともなしに見た。──まあ、猫を預けるよりは手続きが多いかもしれない──などと、埒も無いことを考えた。


 けれど猫だったなら、ただ生きることだけに懸命になれたのではないか。糧を得るために必死に駆け回って過ごす日々。精一杯、生きるためだけに足掻く一生。単純で分かりやすい。全てが自己責任で、打算も欺瞞もない。


 対して「自分は?」と、ディアヌローズは自身を振り返る。保身のために打算と欺瞞を駆使して、みんなの善意と慈悲に(たか)って日々を重ねてきた。自分のとった方法は最低だったけれど、受けたみんなの心は本物だった。


 ──幸せだった……苦しかったけれど。


 だから罰を受けるのだ。これからの日々。いままでは、罪悪感で苦しかった。でもきょうからは、思い出で苦しむだろう。領事棟での幸せだった思い出で。



 ふと、《奏》が子どもの頃に祖母が語った、『幸せ』についての話を思い出した。


『幸せか、不幸せかなんて、その人の心の在り方ひとつよ。例えば薔薇を一輪貰ったとして、それを贈られた事実を幸せと思うか、花束でないという期待が満たされなかった虚構を不幸せと思うか、の違いでしかないの。他の誰でもない、その人自身が決めているのよ。それなら自分から進んで不幸になるなんて、勿体ないでしょう?』


 あの時は幼くて、花束がいいに決まっていると思っていた。


 でも────今ならよく分かる。

 これからは神の家(ここ)で、小さな幸せを見つけて過ごしていけたらいいな、と思う。

 喉を傷めた後に飲んだ、ミエルがたっぷり入ったお茶に幸せを感じたように。

 神の家が自分の居場所となるように、努力していこう。

 できるはず。祖母の血を引く、《月詠(つくよみ)奏》なのだから。




 漸く話し合いが終わったらしい。

 女性は部屋を出て行った。


 アルフレデリックは席を立って、壁の絵を見始めた。

 ディアヌローズも絵に興味が湧き、アントナンに抱き上げてもらう。


 絵は煤鉛筆で写実的に描かれていた。

 この建物を背景に、子ども達が集合しているものが数点。大半は、少人数をポートレートのように描いたものが占めている。


 描いている人の技量は素晴らしく、特に二人の男の子が並んでいる絵は仲の良さが伝わってきて、とても微笑ましい。


 殆どが子どもの絵だったが、僅かに大人も描かれていた。大勢の子どもの真ん中にいる女性は、当時の責任者と思われる。席を外した女性とは真逆の温かい笑顔で、子ども好きの印象を受けた。目を惹いた人がもう一人。その人もやはり女性。最後方の端にいて、とても美しいひと。けれど笑顔の中に、そこはかとない哀しみを湛えているようなひとだった。


 どれもずっと昔に描かれたらしく、黄ばんでいて、ところどころにシミがあった。



 席に戻って間もなく、責任者が子ども達を連れてきた。


 子ども達は全員、鈍色(にびいろ)の貫頭衣を着ている。絵の中の子どもと同じ意匠なので、ここでのお仕着せなのだろう。歩く度に木靴が「ことこと」音を立てるので、とても賑やかだ。


 皆一様に瘦せており、きょろきょろ辺りを見回して落ち着きがない。中には走り回ろうとして、年長の子に腕を掴まれている子までいる。髪型も決まっているらしく、男の子は短髪、女の子はひっ詰めた三つ編みだ。髪が汚れているせいか、どの子も髪色がくすんで見えた。



 ディアヌローズは子ども達の様子を眺めながら、これからの自分を想像する。

 鈍色の服を着て、髪を三つ編みにひっ詰める。──素足に履く木靴の感触はどんなだろう……。




 子ども達は責任者の女性に声を掛けられると、ひとところに集まりだした。


 これから顔合わせ、ということか。ディアヌローズはベールを着けたままでいいのか、勝手に外していいものか分からず、内心オロオロと気を揉んだ。


 ディアヌローズの焦りをよそに、子ども達は執務机の前に縦一列に並んでいった。年長の子に腕を掴まれた子は抜け出そうと必死にもがいていたが、しまいにはおとなしく列に並んだ。


 子ども達は順に、女性へと手を差し出していく。けれど何をしているかまでは、ディアヌローズからは見えない。ただ終わった子が一様に指をおさえて、顔を顰めているのが気になった。


 最後の一人が終わった。

 いよいよ挨拶か。ディアヌローズは立ち上がるタイミングを計った。



 なのに──子ども達は全員、部屋を出て行ってしまった。


 肩透かしを食らったディアヌローズを置き去りに、大人たちは淡々と事を進めていく。


 アルフレデリックと責任者の女性は再び応接卓で相対し、書類を確認し始めた。女性が書類にペンを走らせ、次いでアルフレデリックも書き込んでいる。アルフレデリックがペンを置いた直後、書類が光ったように見えた。


 ほどなくして二人が立ち上がった。今度こそ話し合いは終ったらしい。


 ──これで、お別れね。


 フォセットの手で、ディアヌローズは椅子から降ろされる。──手伝ってもらうのもこれで最後。


 ディアヌローズは、フォセットをベール越しに見上げた。優しくて、温かくて、時に厳しい人。離れがたくて、淋しくて、鼻の奥がつんと痛くなった。喉がひくついて、嗚咽が漏れそうになる。最後の挨拶はきちんとしたい。「ごくり」と、切なさを呑み込んだ。


「フォセットさん、ありがとう存じました」


 上手く笑顔を作れなかったけれど、ベールが隠してくれて助かった。見送りはさせてもらえるだろうか。



 アルフレデリックがディアヌローズの前に立ち、淡い金の瞳で見下ろした。


「歩けるか?」


 はい、とディアヌローズは返す。これからは何でもひとりでこなし、ひとりで歩んでゆくのだから。


「ベールはもう不要だ。外しなさい」


 アルフレデリックの言葉が、ディアヌローズの全身を冷たく痺れさせながら下りていく。


 ディアヌローズ自身も要らないと、言外に告げられた気がした。






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