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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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神の家(前編)

表現を修正しました。

誤字の修正、及び、軽微な修正をしました。

 昨夜からの雨が早朝に上がった。雲間から漏れるエティスタース()の陽が、庭にできた水たまりをきらきらと輝かせている。


 ディアヌローズの炎症痕はほぼ元どおりになり、喉の痛みも違和感ほどに回復した。生活が日常に戻りつつあった。



 そして今、声を出していいかを見極めるために、アルフレデリックが訪れている。

 アルフレデリックは、長椅子に腰掛けたディアヌローズの前に立った。


「顎を上げなさい」


 顎を上げるディアヌローズ。

 その顎に、腰をかがめたアルフレデリックの少しひんやりとした手が触れた。


 アルフレデリックの顔が間近になる。ディアヌローズは目のやり場に困って、ぎゅっと目を瞑った。こんな時に成人の恥じらいが顔を出すなんて、我がことながら勘弁して欲しいと内心で狼狽えた。



 暫くすると、喉に触れていたアルフレデリックの手が離れていった。

 そーっ、と目を開く。


 瞬間、フリーズした。


 ──きれい…………。


 透き通った月のような瞳に心を奪われた。瞬きすら忘れて。

 アルフレデリックの瞳は、淡い金ではなくて銀色だった。

 銀の光彩の中で、金色の粒が煌めいている。

 アルフレデリックの瞳の印象が、その時々で変わる理由を知った気がした。



「何を呆けている」


 訝し気に、アルフレデリックは眉を寄せた。

 ディアヌローズは上げたままの顎を慌てて引く。


『呆けてなどおりません』と、ばつの悪さを誤魔化すように、口をへの字に曲げた。


「事実を述べたのだ」


 アルフレデリックは、ふんと鼻を鳴らした。



 《奏》の時に、美しい目の人は心も美しい、と小説で見かけた記憶がある。けれど、どうやらアルフレデリックにはあてはまらないらしい。辛辣な言葉を投げつけてくるアルフレデリックが、夢を壊した心地がしてひどく残念でならなかった。



 ディアヌローズの様子など頓着せず、アルフレデリックは告げる。


「大きな声を出したり、話しすぎたりしなければ、声を出してもいいだろう」


「──はい」


 慎重に出した声はイストワールに来てから馴染みのある声で、ディアヌローズは元どおりの声に安堵する。すっかりこの身体に馴染んだものだ。


 ──何を歌おう。


 久々に歌う記念すべき一曲目は、マノワに捧げると決めている。マノワに好きな曲を訊いたほうがいいだろうか。考えるだけで愉しくて、にまにまと口許が緩んだ。



「ディアヌローズ、歌うことは禁止だ」


 きょとり、とディアヌローズはアルフレデリックを見上げた。


「わたくし、考えていることを口にしていましたか?」


 アルフレデリックはとても嫌そうに顔を顰めた。


「その顔を見れば誰でも分かる」


 反論をひとまず吞み込んで、ディアヌローズは周囲を見渡した。笑うのを堪えてか、肩を震わせている人が数人いる。思っていることが顔に出過ぎると、祖母に散々注意されていたことを思い出した。


 ディアヌローズは今さらながらに表情を引き締め、

「気を付けます」と、左手を胸に当てて優雅に礼を執った。



 アルフレデリックは細く息をつく。対面の椅子へ腰を下ろすと、目を伏せた。微かな蒼銀の睫毛が、端正な面立ちに影を落とす。再び目を上げた時、纏う空気が一変していた。出会って間もない頃の、感情を排したアルフレデリックが、そこに居た。


 ディアヌローズの全身が強張っていく。

 無表情なアルフレデリックの、薄く整った唇だけが動いた。


「ディアヌローズ、(かね)て其方が希望していた、神の家──」


 ドクリ、とディアヌローズの心臓が嫌な音をたてた。冷たい汗が背中に滲む。(とばり)越しに聞こえてきた、アルフレデリックとエレオノールの話。もう知っている。もとをたどれば自分が望んだことでもある。今さら動揺するなんて莫迦げてる。


 強張る口角を引き上げ、笑顔を貼り付けた。姿勢を正してアルフレデリックの話に向き合う。


「──許可しよう。近日中に手配するので、体調を整えておくように」


 ディアヌローズは動揺を押し隠し、恭しく跪礼(カーツィ)する。声が震えませんように、と祈った。


「希望を叶えてくださり、感謝いたします」


 出発までにやるべきことが、矢継ぎ早に頭の中を(よぎ)っていく。

 みんなに感謝とお礼を伝える。エレオノールから贈られたハンカチは持っていく。基本文字と数字の木札を持っていけるようにお願いする。ブローチは────。



「────ディアヌローズ!」


 突然の大きな声が、ディアヌローズの耳朶を打つ。

 ぎくり、と肩が跳ね上がった。アルフレデリックを仰ぎ見た。


「聞いていたか?」


 凍えるような低音を響かせ、アルフレデリックが見下ろしていた。

 不機嫌を刻んだ眉間の深い皺。これは正直に『聞いていませんでした』とは言い難い。ディアヌローズは曖昧に微笑んだ。


 すぅと目を細めたアルフレデリックは、口の端を微かにつり上げて嗤った。


「まあよい。とにかく、神の家へ行く心づもりでいるように」


 再び説明する気は無いようで、ディアヌローズの曖昧な微笑みを諾の(いら)えとして帰っていった。


 ディアヌローズは(くう)を見つめた。姿勢も表情もそのままに。



 突然、玻璃が「ガタリ」と鳴った。ディアヌローズは長椅子をおりて窓辺に行く。


 庭の梢が風になぶられていた。空は濃灰の雲が垂れ込めている。みるみるうちに、大粒の雨がバラバラと降り出した。水たまりに落ちた幾つもの雨粒が、泥水を忙しなく跳ね上げ、泥濘に変えてゆく。少し前には陽を浴びて、美しく輝いていたとは思えないほどに。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 神の家に行く日がやってきた。朝からみんな慌ただしい。

 朝食を済ませると、フォセットとマリレーヌによって、すぐに支度が始まった。


 花緑青(はなろくしょう)色の外出着は、襟ぐりとスカート部分の裾周りに控え目なフリルがあるだけのシンプルな意匠だ。碧色(へきしょく)のリボンが襟に結ばれ、同色のサッシュが腰に巻かれた。

 靴はボタン留めの革製ショートブーツ。髪はハーフアップに纏められて、同じ色のリボンで結ばれた。


 迷っているうちに、金鎖や耳飾り、腕飾りはいつもどおりに着けられた。ブローチはしまわれたまま。状況が分からない神の家に持っていきたいとは、口にできなかった。取り上げられでもしたらと思うと、慎重にならざるを得なかった。


 支度が終わると、エレオノールから貰ったハンカチを隠しにしまい、マノワの小鐘を金鎖に通した。


 ディアヌローズは自分を見下ろした。部屋着よりもかなり簡素であることが、心許なく思えた。

 よほど顔に出ていたのだろう。フォセットに、「きょうはこれ位で丁度いいのですよ」と微笑まれた。



 基本文字の木札を見ながら、ディアヌローズはアルフレデリックを待った。言い渡された日から会えずじまいだったので、出発前に木札を持っていく許可をもらうつもりである。感謝や別れの挨拶もしなければならない。




 アルフレデリックがマントを靡かせ、やって来た。マントの下は騎士寄りの出で立ちだ。大ぶりの石をあしらった、マント留めのフィブラが目を惹いた。黄玉のようなそれは、一目で彼が最上位者と分かるものだ。尤も彼の醸し出す雰囲気が、とうに下達に慣れている人物だと知らしめていたけれど。


 アルフレデリックはディアヌローズを一瞥すると、木札に目を留めた。


「木札は置いていきなさい」


 有無を言わさぬ口ぶりに、ディアヌローズはやむなく木札を手放した。


 挨拶する間もなく、急き立てられるように出発となった。

 バサリと、唐突に豪奢な刺繍入りのベールを被せられる。不思議と、被る前と変わらず周囲が見えた。


 アントナンに抱き上げられ、歩みに合わせて左右に揺られる。何とも心地いい。《奏》に父母の記憶はなくて、このように抱き上げてもらった思い出もない。父が抱き上げてくれても同じだろうか。記憶にない父に思いを馳せた。



 部屋を出てから、ゴシック様式の廊下をかなり進んだ。それでもベール越しに見える景色に変化は無い。壁の左側には装飾された細長い窓が連なり、陽光が白い石廊や白壁に反射して眩いほどだ。


 右側にはかなりの間隔をあけながら、大きな扉が次々と現れる。どの扉も同じで、特徴や目印は見当たらない。部屋を間違えたりしないのかと気になった。



 規則正しい揺れで眠気に誘われた頃、ようやく歩みが止まった。目の前には馬車が停められている。


「腕を上げなさい」


 アルフレデリックが馬車の中から、ディアヌローズの両脇に手を差し入れて引き上げた。進行方向の席に、並んで腰掛ける。

 続けてベルナールとアンベールが乗り込んで、向かいの席に着いた。


 馬車はすぐに動き出した。軽快に響く、車輪の音と蹄の音。


 ディアヌローズにとっては初めての外出で、初めての馬車。片道切符であることに目をつぶれば、心は弾んだ。床に付かない足をぶらぶらさせてしまうくらい、浮かれた。アルフレデリックに「はしたない」と睨まれ、すぐにやめたが。


 けれど元気があったのはそこまで。石畳の小刻みな振動で、あっという間に乗り物酔いになった。見上げる窓からは空しか見えず、意識を気持ち悪さに集中させた。




 門で馬車が止まった。アンベールが窓を開け、門の騎士に書類を見せている。

 開いた窓から、僅かな風が車内に流れ込んできた。新鮮な風に、ディアヌローズは知らず息をつく。


「領事門だ」と、アルフレデリックが囁くように言った。


 門というからには、ここまでが領事棟なのだろう。ディアヌローズは領事棟の広さに驚きを隠せない。この先の道のりを思い、不安にかられた。


 門の騎士が車内を遠慮がちに覗き、窓が閉められた。

 車輪が軋んで、再び馬車が動き出す。


 また石畳が続いたが、領事門を抜ける前よりも揺れは酷くなった。


 揺れる度、ディアヌローズの身体は跳ね上がった。椅子は硬く、これではお尻が痛くなるのも直ぐだろう。座席から落とされそうになって、咄嗟に座面の(へり)を掴んだ。


 馬車酔いが悪化して、窓の外を見る余裕はもう無い。左手で口を押さえ、右手は座面の縁を掴んだ。いっそ跳ねるにまかせて、床に蹲ってしまいたいとさえ思う。




 ディアヌローズが限界になった頃、もう一つ門が現れて馬車が止まった。


「城下門だ」と、アルフレデリックが言った。


 ディアヌローズは喉にせり上がってくるものを堪え、

「アルフレデリック様、馬車に酔いました……」と、両手をベールに突っ込んで口を覆った。


 アルフレデリックはディアヌローズを見て、僅かに目を大きくする。顳顬(こめかみ)を押さえると、これ見よがしに「はぁ」と嘆息した。


 馬車は城下門を過ぎてまもなく、アルフレデリックの指示で止まった。


「少しだけ外に出てもよろしいですか?」


「それは許可できない。窓を開けるのも駄目だ。我慢しなさい」


 はい、とディアヌローズは返す。仕方なくベールの内側で大きく呼吸した。肺は膨らむ。なのにそれだけだ。息苦しいのは変わらない。



 息苦しいのは身体なのか、心なのか……。ディアヌローズはベールの中で自問する。


 神の家の見学を願ったことは、先を見据えての正しい判断だ。

 なのに今は少しばかり……、否、とても後悔している自分がいる。


 もしも最初の場所が神の家であったなら、少なくとも申し出たあの時、神の家に移っていたなら、諦念を抱いたとしても、そこを居場所として心を置いただろう。


 ひとりになる決意も、自力で生きる覚悟もした。

 祖母の許へ還るという目的もある。

 そのためには何としても生き抜くと決意した。


 けれど、知ってしまった。

 アルフレデリックやエレオノール、優しい眼差しで見守ってくれる人たちを。

 心は領事棟の、あの部屋にある。

 根無し草である自分の、その心が深く根付いてしまった、あの部屋に。


 だからといって甘え続けるわけにはいかない。

 正さなければならない。本来のあるべき場所へ。

 心優しい人たちを欺いて、騙して、利用したのだから。


 たとえ枯れようとも、深く根付いた心を移すのだ。力ずくで引き抜いて。

 ぶつぶつと、音を立てて抜けるだろう。まるで断末魔のように。

 根ざした深さだけ、悲鳴を上げる。


 これは罰。みんなを欺き続けた罰なのだから。


 ただ、心残りがひとつ。

 散々お世話になったみんなに、感謝と別れの挨拶ができなかったこと。


 けれど、これでよかったのかもしれない、とも思う。

 笑顔でお別れなんて、できそうになかったから。

 木札だって持ってきていたら、きっと見るたびに思い出す。

 そして泣いてしまうだろう。


 ────きっと全部、これでよかったんだ。…………きっとね。

 さよなら、お世話になった人たち。

 さよなら、わたしの居場所。



 ぎゅっ、とディアヌローズの握り込む手に、力が籠った。




「もうよいか?」アルフレデリックが訊ねた。


 はい、とディアヌローズは返す。馬車酔いは変わらないけれど、これ以上予定を遅らせるのが憚られた。


 馬車は舗装されていない、土が剥き出しのでこぼこ道を進んだ。土ぼこりを上げ、車体は大きく上下左右に振られた。


 ディアヌローズの身体は、容赦なく其処此処に打ちつけられた。舌を嚙まないよう唇を引き結び、早く着きますようにと祈った。



「私が膝にお乗せしてもよろしいでしょうか?」


 アンベールが見かねたような顔で、アルフレデリックに訊ねた。

 アルフレデリックはディアヌローズに視線を移すと、微かに息を呑んだ。


「いや、…………いい。──ディアヌローズ、来なさい」


 唐突なアルフレデリックの言葉に、ディアヌローズは固まった。正確には、固まりはしたが、揺れで身体は座席から落ちそうなほど跳ねている。


 業を煮やしたアルフレデリックは眉を(ひそ)め、掬うようにディアヌローズを抱き上げた。


「まったく手間が掛かる。護衛騎士の手を塞ぐわけにはいかぬのだから、私しかいないではないか」


 一瞬何が起きたのか、ディアヌローズは分からなかった。けれど揺れが大幅に軽減されたことで、ようやくアルフレデリックの膝上にいるのだと理解した。首を捻って、アルフレデリックを見上げる。


「ありがとう存じます」


「────よい」


 ディアヌローズは胴に回された、アルフレデリックの腕を眺めた。この腕に支えられただけで、あの酷い揺れがなくなったのだ。信じられなかった。誰かの膝にのるなんて、《奏》の記憶にだって無い。しかもそれがアルフレデリックだなんて。


 確かめるように、再びアルフレデリックを見た。


 アルフレデリックは右肘を窓において、外を見ていた。だらりと垂れた右手が馬車に合わせて揺れている。節くれだった指の爪は形が良くて、とても整っていた。




 それからもこまめに休憩をとりながら進み、予定していたよりもかなり遅れて神の家に着いた。






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