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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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湖畔で(3)

 初対面の相手から開口一番に理不尽な要求をされて、ディアヌローズは唖然と女の子を見つめた。

 カールした二つ結びの赤い髪には濃い緑色の大きなリボン。衣装も艶やかな緑色で、小ぶりなリボンが幾つもあしらわれている。見た目はお人形のようなのに、口から出てきたのは言いがかりだ。


 女の子は眉間に皺を寄せ、棒立ちのディアヌローズを追い払うように大きく腕を振った。

「早く退()きなさいよ!」

 ドンと片足で地面を踏んだ。


 ディアヌローズの目はますます丸くなった。相当苛立っているらしいが、まるで駄々っ子だ。床だったならさぞかし足が痛くなっただろうに……。

 いくら退けと言われても、おいそれと謂れのない要求を呑む訳にはいかない。ここはシュバル捕獲の為にコンスタンティンが魔方陣を展開してくれた場所だ。

 当のコンスタンティンを窺い見れば、顎を摩ってこちらを眺めている。木立の際でピクニック用の簡易椅子にすっかり腰を落ち着けていて、まったく動く気配はない。他のみんなもお茶を手に、談笑しながらこちらを見ているだけ。

 誰一人として、子ども同士のいざこざに介入する気はないらしい。


 ディアヌローズは胸の内で溜息をつく。さて、どうしようか。



「どこ見てるのよ!」


 苛立った赤髪の女の子が声を張り上げたその時、黒髪の男の子が追いついてきた。盛大に息を切らす男の子は二度三度と深呼吸した。


「ア、アクティナ……も、戻ろうよ」


 彼女の名はアクティナと云うらしい。

 一足遅れて亜麻色の髪の女の子もやって来た。膝に手をついて息をしている。


「はぁ、はぁ……。ブレーセルの言うとおりよ。早く戻らないと叱られるわ」


 そう言って亜麻色の髪の女の子がアクティナの手を取ろうとした瞬間、アクティナはその手を払いのけた。


「ブレーセルもティミーユも黙ってて!」


 ふたりはビクッと肩を震わせて、即座に唇を結んだ。


 どうやら、ふたりにはアクティナの説得は無理そうだ。ディアヌローズは胸の内で二度目の溜息をつく。

 見るからに勝気そうなアクティナに視線を向けた。


「ここはわたくしの為に用意していただいた魔方陣よ。あなた達にはあなた達の魔方陣があるのでしょう?」


「わたくし達の魔方陣にシュバルが来ないのよ! 毎年必ずシュバルが集まる処だとお父さまは仰っていたわ。それなのに……」

 悔しそうに唇を噛んだアクティナは束の間目を伏せ、握った拳を震わせてディアヌローズを睨んだ。

「だから、この魔方陣の所為(せい)ってことよ!!」

 叫ぶように怒鳴った。


 怒鳴られたことよりも、謎の主張にディアヌローズの目が点になる。

 アクティナの言動から察するに、シュバルを待つ間、必ずシュバルの集まる場所だと言い聞かされていたのだろう。

 だからといってディアヌローズに身勝手な言い分をきく気はないが。


 アクティナの場所はおそらく、コンスタンティンが当初予定していた場所だったのではないだろうか。きょうしか休みの取れないコンスタンティンにしてみれば、確実に捕獲できる場所を望んだ筈だ。

 にも拘らずここにシュバルが集まったのは、偏にコンスタンティンの力量が勝っていたということで、やけに張り切った結果なのだ。

 そう考えが至ってみれば、アクティナの父には同情の気持ちが湧いてくる。一刻も早く、鹿毛と青毛のシュバルを解放した方がいいだろう。



 返事のないディアヌローズを、アクティナは自分の言い分を理解したと思ったらしい。後ろにいるふたりに向いた。


「三頭いるから丁度いいわね。わたくしは白毛のシュバルにするわ。ティミーユは鹿毛、ブレーセルは青毛のシュバルよ。髪の色と同じだもの」


 先ほどとは打って変わった弾んだ声でアクティナは言った。


 ディアヌローズは開いた口が塞がらない。髪色でシュバルを決めるなら、アクティナのシュバルは赤でなければならないだろうに。しかも百歩譲って二頭ならまだわかる。まさか三頭全部とは。これでは強盗と変わらない。


 魔方陣に一歩近づいたアクティナに、ディアヌローズも魔方陣から一歩前に出る。ふたりの距離は互いが手を伸ばせば届く距離にまで縮まった。


「この白毛のシュバルはわたくしの手からレネットを食べてくれたの。わたくしを選んでくれたのよ」


 上機嫌だったアクティナの顔は瞬時に歪み、顎を上げてディアヌローズを睨みつけた。


「わたくしの話を聞いてなかったの? 白毛のシュバルはわたくしの物よ!」

「シュバルから選んでもらえなければ連れては帰れないのよ。教えてもらわなかったの?」


 人に限らず相性はある。シュバルは無理に連れ帰っても決して懐くことはないと聞いていた。


 すると、アクティナは鼻で嗤った。


「お父さまから聞いたけど、そんなもの連れて帰れば何とでもなるわ。お母さまもお兄様も、いつもわたくしの願いを叶えてくれるもの。それに一生懸命お願いすれば、お父さまだって最後には叶えてくれるんだから」


 得意そうなアクティナに、ディアヌローズは目眩を覚えた。思わず顳顬(こめかみ)を押さえる。「どう? 羨ましいでしょ」と、副音声が聞こえた気さえした。

 どうやら家族総出でアクティナを甘やかしているらしい。相当我儘なお嬢サマだ。

 シュバルを連れ帰った場合の扱いが容易く想像できる。絶対にアクティナにはシュバルを渡さない──。顔を顰めそうになるのをぐっと堪えて、ディアヌローズは笑みを作った。


「きょうはシュバルを捕まえる為に、たくさんの人がこの湖に来ていると聞いているわ。だから、あなたにお譲りするのは公平でないと思うの。二頭は解放するから、あなた達は早く戻って待っていた方がいいわよ」

「まだわからないの? わたくしのシュバルなの。わたくしのお父さまは偉いんだから言うことききなさいよ!」


 語気を荒らげてアクティナが半歩前に出た。

 ディアヌローズは半歩下がりそうになるのをすんでのところで踏みとどまる。


「だから譲れと? たとえあなたのお父さまが立派な方でも、あなたが何をやっても許される訳ではないわ」

「あなた生意気ね。お父さまに言いつけるから!」


 激高したアクティナの顔は真っ赤だ。


 きっと、常にこうやって我儘を通してきたのだろう。彼女の為にならないだろうに、どうして家族は我儘を許しているのか。ディアヌローズには不思議でならない。


 理解してもらえそうもないアクティナにディアヌローズが頭を悩ませていると、アクティナの背向こうの木立からアクティナ達の名を呼ぶ声が聞こえてきた。人影も見える。



「アクティナお嬢さま、お探しいたしました」


 安堵の表情でやって来たのはアクティナの家の使用人らしい。

 アクティナはディアヌローズの所為だと使用人に告げ、早くシュバルを連れ出せと命じている。


 さも申し訳なさそうな顔の使用人がディアヌローズの前に立った。


「お家の方はどちらでしょう? シュバルを譲っていただきたいのです。必ず相応の対価を支払いいたしますので」

 (じき)に主もやって来るという。


 アクティナは「どうだ」と言わんばかりにディアヌローズを見ている。


 ディアヌローズがコンスタンティンを呼ぼうと見てみれば、いまだに動く気配はない。ただメリアザンドの視線だけが、ディアヌローズとコンスタンティンの間を頻りに行ったり来たりしていた。


 何とも言えない沈黙が落ちる。



「あの、お家の方は……」

 再び、使用人が尋ねた。


「直に」

 とだけ、ディアヌローズは口にした。『来ない』とは思いたくないし、非常に困る。『来る』と思いたい。きっとコンスタンティンには考えがあるのだ。



 ほどなくして、アクティナの使用人が現れた木立から、亜麻色の髪をした男性と赤い髪の若い男性が、数人を従えて出てきた。


 そのふたりにアクティナが駆け寄る。

「お父さま! お兄さま!」



 これでは多勢に無勢。ディアヌローズはコンスタンティンを見た。だが、まだ腰を上げる気はないらしい。こともあろうに、メリアザンドが立ち上がろうとするのを止めている。一体、何を企んでいるのか。



 兄の腕に縋りついたアクティナは、父と兄に顛末を言い募った。無論、自分に都合よく。

 とはいえ、誰が聞いてもアクティナに非があるのは明白だ。肝心なのは、父兄の眼が曇っているか否かに懸かっている点だろうか。


 話を聞き終えたアクティナの兄が大きく頷いて、ディアヌローズに顔を向けた。


「ここにはシュバルを必要とする妹たち三人がいて、丁度よく三頭のシュバルがいる。金をはずむから、君はもう一度シュバルの捕獲を試みてはどうだろう」


 あの妹にしてこの兄──。ディアヌローズは胸の内で三度目の溜息をつく。彼にも話は通じなそうだ。


「白毛のシュバルは、わたくしの手からレネットを食べました。お譲りできません」

 いい加減、誰か加勢に来てほしいと思いつつ、きっぱり断った。


「そうか。それは聞いていなかった」

 アクティナの父親が納得の表情をみせた途端、アクティナが被せるように口を開く。

「なら、わたくしからだって食べるわ!」


 挙句、アクティナはレネットを寄こせと騒ぎ立て、お付きの使用人がレネットを手渡した。


 アクティナは元より、父兄までもがディアヌローズに許可を求めないまま、アクティナは意気揚々とレネットを手に魔方陣へと歩き出した。あろうことか、すれ違いざまにわざとディアヌローズにぶつかった。

 ディアヌローズがたたらを踏んでいる間に、アクティナは白毛馬の前に立った。


 だがしかし────

 レネットどころか、アクティナから逃げるように白毛馬は離れていった。


 ほっと胸を撫で下ろすディアヌローズの前で、アクティナはレネットを地面に叩きつけた。小さく弾んだレネットは砂混じりの土に塗れた。


「何でよ!」

「諦めなさい」

「嫌よ! お父さま、あのシュバルがいいの。あのシュバルしか欲しくないの。……そうだわ。きっとお腹がいっぱいだったのよ。お腹が空けばきっと食べるわ。お願いよお父さま。お願い、お願い」


 アクティナに強請られた父親は、目を瞑って細く息を吐いた。ディアヌローズを見る。


「ここは魔方陣を仕掛けていい場所ではないんだ。見つかれば罰せられるのだよ。特別に黙っていてあげるから、早くここから離れなさい」

「……」


 ディアヌローズは開いた口が塞がらない。アクティナの言ったとおりだ。しつこく願えば、父親は言いなりになる。これでは我儘を助長するばかりではないか。


 アクティナは父の背から顔を覗かせて、「いい気味だ」という目でほくそ笑んでいる。



 突然、ディアヌローズの頭にふわりと手が置かれた。

 その手の人物をディアヌローズは振り仰ぐ。錯視(さくし)の腕環によってくすんだ緑柱石の瞳と目が合った。

 コンスタンティンはにこやかな笑みを浮かべて、アクティナの父親に対峙する。


「何か?」

「ここは湖の館の真下。魔方陣を展開するなど、領主(ドミヌ)に対して叛意ありと取られるでしょう。無論、私に口外する気はありません。供の者にも言ってきかせましょう」

「大した心遣いに驚くばかり。だが──」


 コンスタンティンはこれでもかと口角を上げて、錯視の腕環を抜き取った。

 一瞬で、くすんだ緑柱石の瞳は澄んだ緑柱石に、紺色の髪は銀を帯びた蒼天に、本来の色になった。


「……ド、ドミヌ」

「お父さま?」


 狼狽えたアクティナの父親は二歩三歩と後退り、隣にいるアクティナが不安気な顔で父親にしがみついた。


「私が、私の館の下にいても問題あるまい。其方こそ何故ここに?」

「いえ、あの……娘が迷子になりまして……」


 しどろもどろなアクティナの父親の返答に、「そうか」とコンスタンティンは口角を上げる。ちらりとアクティナを見た。


「無事に娘御も見つかったようで何よりだ。其方もシュバルの捕獲か? 早く戻ったらいい」

「はっ、直ちに」

「えっ⁉ お父さま、わたくしのシュ」

「黙りなさい!」


 アクティナは父親に強く言われたことなど無いのだろう。愕然と立ち尽くした。

 父親はそんなアクティナを抱き上げると、脱兎の如く去っていった。他の者たちも同様だ。



 畔は静かになった。


 ディアヌローズはコンスタンティンと並び、アクティナ達が消えていった木立を眺めたまま口を開く。


「助けてくださらないのかと思いました」

「すまなかったね。知るいい機会だと思ったのだよ。あの娘はディーと同い年だ。一緒にいた二人もね。洗礼の披露目を終えた後は交流しなければならない相手だ。聖堂院では共に学ぶことにもなる」


 心細かったことを知って欲しかっただけなのに……。知りたくもなかった情報にディアヌローズはうんざりする。口がへの字に曲がった。


「それに、あの娘が特別我儘な訳ではないのだよ」


 ぎょっとするディアヌローズに、同情の眼差しでコンスタンティンは見下ろした。


理由(わけ)があってね……」

 コンスタンティンは口を閉じた。


 躊躇いを見せるコンスタンティンなど珍しい。ディアヌローズは未だくすんでいる貝紫の瞳でコンスタンティンを見つめた。


 ディアヌローズの頬をするりと撫でて、コンスタンティンは口を開く。


「──洗礼を迎えられない子どもは少なくないのだ」

「アルフレデリック様から保護していただいたばかりの頃に伺いました」


 コンスタンティンは僅かに目を大きくした。


「そうか……」

「『心を揺らすな』と、よく注意を受けました」


 転移したばかりの頃、《奏の世界》に還りたくて、祖母に会いたくて。よく熱を出したものだった。イストワールでの暮らしにも慣れ、知識を得た今になってみれば、どれほどアルフレデリックが気を揉んだかも、心を砕いてくれたかも理解できる。


「本当は、保護者が現れたら直ぐに出るつもりだったのだがね。父親が彼だとわかったら様子を見たくなったのだよ」

「え?」


 ディアヌローズは小首を傾げた。


「よほど親しい間柄でない限り、子どもは洗礼を迎えるまで他人の目に触れないように育てられる。理由は幾つかあるが、先に話した理由が最も大きい。──あの娘の父親は、あの娘が生まれる前に子を失っているのだ」

「……っ!」


 息を呑むディアヌローズに、コンスタンティンは続ける。


「以前、躾には厳しいと聞いたことがある……。

 親は皆、子を失うのが怖ろしい。だから甘くなる。改めるべきだと思うが、気持ちは解るのだよ……」


 それきりコンスタンティンは何も言わなかった。

 コンスタンティンは遠くを見つめてどこか淋し気で、ディアヌローズは言葉が見つからずにそっとコンスタンティンの手に触れた。

 その手を繋がれる。

 穏やかな波音、遠い鳥の囀り、囁くような葉音に身を置いた。



 暫らくして、ヴァランタンがやって来た。


「シュバルをお忘れでは?」

「あっ!」


 気の利くヴァランタンからレネットを貰って、ディアヌローズは白毛のシュバルの許に行く。

 地面に転がったアクティナのレネットを横目に、ディアヌローズのレネットを美味しそうに食む白毛馬の鼻先を撫でた。



 白毛馬に頭絡がつけられると、コンスタンティンは魔方陣を解除した。


 自由になった二頭をディアヌローズは見送る。どうか我儘な子どもの処には行きませんように──。



「ディー偉かったわ」


 メリアザンドの声にディアヌローズは振り向いた。


「お父様ったら、『待て』としか仰らないんですもの。気を揉んだわ」

 メリアザンドは恨みがましい目をコンスタンティンに向けた。


「ちゃんと謝ったとも。だろう?」


 コンスタンティンから同意を求められて、ディアヌローズは苦笑交じりで頷く。

 アクティナの父親の前でみせた領主の威厳は欠片もない。家族としてのコンスタンティンがそこにいた。



 白毛馬の手綱をヴァランタンが引いてやってきた。


「では一件落着ということで。シュバルに名を付けよう」


 ディアヌローズは白毛馬を見つめる。瞳は青だけど……。


「……ブラン。あなたはブランよ。どうかしら?」


 白毛馬は首を下げてディアヌローズの顔に擦り寄った。


「気に入ったみたいじゃないか」

「これからよろしくね、ブラン」


 ディアヌローズもブランに頬ずりした。






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