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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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その先のために

 ブランを連れ帰った翌日早朝から乗馬の練習が始まった。


 月は果実月に入って季節もアウレルーメル()に変わり、日中は相変わらずエティスタース()のような暑さではあるものの、朝露の降りた馬場までの小径を歩いていると秋を感じずにはいられない。

 朝露を載せた艶やかな草の中で、白い蝶が群れて飛んでいるように見える花はガウラ。淡い青紫の小花をこんもりと霞むように咲かせているのはネペタで、ラベンダーに似ている。

 どちらも夏の終わり頃から咲き始める花だと、庭師見習いのトビが教えてくれた。庭師たちの朝も早く、奇病の一件以来、顔を合わせた時には仕事の邪魔にならないくらいに二言三言話すようになったのだ。



 乗馬の教師はヴァランタンだ。

 護衛騎士たちが交代で教師役になる予定だったものをヴァランタンが買って出てくれたそう。多忙を極める奇病の対処で時間がとれないだろうとのアデライードの意見も、朝に弱いのだからせめてお茶の時間の後にしたらというメリアザンドの助言も物ともせずに、早朝なら仕事に支障が出ないとコンスタンティンを説得したという。

 そう話してくれたメリアザンドは、「どうしても譲りたくなかったみたいよ。付き合ってあげてね」と笑った。


 ディアヌローズとしては誰が教師役でも拘りはない。元々早くに目を覚まして起床時間までゴロゴロ過ごしている身。早朝練習に何ら問題はなく、(むし)ろ奏の経験から馬には早朝に乗った方がしっくりくるのでありがたいくらいだ。


 ただ、眠そうな目と寝癖のある水色の髪を毎朝見る度に、無理を押して教えてくれるヴァランタンには申し訳ない気持ちになる。

 一日でも早くヴァランタンを教師役から解放すべく、奏の時の経験を惜しみなく解放している。おかげで「上達が早い」とベタ褒めされているが、致し方ない。

 でも──。どうしてそこまでしてくれるのだろう……。よくわからない。




速歩(はやあし)も及第だ」


 馬場の真ん中で、ヴァランタンはブランに乗るディアヌローズに向かって声を張った。肩を竦めて、呆れたように笑う。


 ディアヌローズはブランとヴァランタンの処へ行き、用意された踏み台に降りた。


 ヴァランタンが呆れるのも無理はないとディアヌローズも思う。二日前に常歩(なみあし)を及第し、きのう速歩の練習に入ったばかり。にも拘らず、今朝はもう調馬索をつけずに速歩を乗りこなして見せたのだ。

 奏とディアヌローズの体格差による感覚を埋めてしまえば、乗馬は一通り奏の時に習得済みなのだから当然と言えば当然で、結局、一番時間をかけたのはブランと信頼関係を築くことだった。


 これでヴァランタンの負担が減るとディアヌローズが喜んだのも束の間、ヴァランタンは持っていた調馬索を馬丁に預けると妙なことを言い出した。


「ここまで出来ればお披露目には十分だけど……、せっかくだから横乗りも覚えようか」

「えっ⁉」


 思わず、ディアヌローズは目を大きくする。そんなつもりで頑張ったわけではない。どうやらやり過ぎてしまったようだ。


「専用の乗馬服と鞍が用意でき次第、練習に入るからね」

「──はい」


 乗馬は好きだが、ヴァランタンには負担をかけたくない。つい返事が遅れたディアヌローズに、ヴァランタンは人差し指をピンと立てて横に振る。


「『やりたくない』は無しだよ。どうせ覚えなければいけないんだ」

「……いえ。そうではなくて、……お忙しいのに、と思って」

「ディー、そんなこと気にしたのかい!? 私が早起きになったものだから、皆は仕事が捗るって喜んでるんだ。君のおかげだってさ」


 ヴァランタンはディアヌローズの頭にぽんぽんと手を載せた。


「そうよ、ディー。一度の声がけで起きるって側仕えたちが驚いていたわ」


 そう言ったのは、柵の外で見学していたメリアザンドだ。いつまでも立ち話をしているものだから待ちきれなくなってやって来たらしい。


「だから気にする必要はないのよ」

「そういうこと」


 頭から離れるヴァランタンの手を見上げて、ディアヌローズはもうひと頑張りするしかなさそうだと困ったように笑んだ。横乗りも、奏の時に習得済みである。


 最後にご褒美の人参とレネットをブランにあげて馬場を後にし、これからお気に入りのコンサバトリーでメリアザンドと少し遅い朝食をとる約束だ。




 朝食を済ませて二階の湖に面した談話室に行くと、もうみんな揃っていた。寝癖の直っているヴァランタンはすっかり眠気がとれた爽やかな顔をしていて、朝が本当に苦手なのだとよくわかる。


 お茶の後は、ヴィオリナやクラヴィエールをみんなに見守られながら練習するのも日課になった。お披露目のような練習は間違えられない緊張感と間違えた時の恥ずかしさがある半面、上手くいかなくても褒めてもらえるのは子でもであるディアヌローズの特権だと思って享受している。


 奏がディアヌローズと同じ歳の頃は、間違えた時に祖母から褒められることなどなかった。もちろん、叱られたり厳しく指導されたりはしない。間違えた箇所が技術的な場合はその指導を受け、練習不足の場合はそれを指摘された。

 至極当然だったと今でも思うし、次までに直そうと努力したものだった。誤解がないように付け加えると、祖母は褒めるべき時にはきちんと褒めてくれた。


 でも──。難易度がとうに大人顔負けの域に達していることも一因かもしれないが、此処(ランメルト)では間違えても褒められる。それはそれで、とにかく恥ずかしい。もう間違えたくない、と強く思う。言うまでもなく、間違えた箇所については技術的な指導がある。

 違いは、指導の後で「できるようになればもっと素晴らしくなるから楽しみ」と笑顔で言われること。過程は違うのに、結果は同じ。これも指導法なのだと理解した。



 移領してからというもの、自分を子どもとして扱う人が増えたこともあってか、甘やかされた子ども時代というものをディアヌローズとして経験させてもらっているのだと思っている。


 当然、手放しで甘やかされているとまでは思っていないし、子ども扱いせずに一人の人間として接するアルフレデリックのような人だっている。

 湖の畔で遭遇したアクティナのようになる気は毛頭ないが、月詠家の次代になるべく育てられた身としては、こういう環境に身を置いたらどういう風に育っていくのだろうかと、つい考えてしまう自分がいる。


 そしてイストワールに転移してきて思うのは、側仕えや護衛騎士を除いて、一人きりでいる状況が殆どないこと。特にランメルトに移ってきてからは、一日の内にメリアザンド達の誰かしら──つまりは、()()──と顔を合わせている。たぶん、そうしてくれているのだと思う。湖の館に来てからは一段と感じていて、奇病の対処に追われていた時でさえ、丸一日誰にも会わないということは無かった。



 だからこそ気づいてしまった。

 奏としての幼少期、自分は淋しかったのだ、と。

 月詠家の長である祖母は多忙で、ふたりきりの家族だったのに会えない日も少なくなかった。

 会えた日に注いでもらったたくさんの愛情を、会えない日に消費した。

 淋しさに気づかないフリをして、月詠家の課題に没頭した。習得すれば敬愛する祖母に褒めてもらえる、祖母の次代として相応しくなれると自分に言い聞かせて。


 奏はディアヌローズを、羨ましいと思っているのだろうか……。

 ディアヌローズは奏を、可哀そうと思っているのだろうか……。

 どちらも自分のことなのに、よくわからない。

 漆黒の闇から戻ってきてから、奏とディアヌローズの境界が曖昧になってきている気がしてならない……。



 不意に、メリアザンドが腕に触れた。


「ねえ、ディー。聞いてた?」

「っ!……ごめんなさい」


 ディアヌローズは慌てて隣にいるメリアザンドを見上げた。長椅子で隣り合っていては、さすがに「聞いていました」とは誤魔化せない。


「収穫祭の前に領城に戻るわよ。あと週一巡り、十日後よ」

「収穫祭?」

「ええ。収穫祭よ」


 収穫祭はレザン(葡萄)の実りを豊穣の女神リシェリュールに感謝する祭りで、領民はレザン酒の仕込みに沸き立つという。聖堂では神官がリシェリュールに感謝を捧げるとともに、翌月から本格的な収穫を迎える農作物がより豊作であるようにと祈るのだそう。


 収穫祭を収穫月ではなく果実月に行うのは神事に則した面だけではなく、収穫月には身分を問わず婚姻の儀が執り行われることや、収穫を終えるとすぐに冬への備えで慌ただしくなるなどの生活に即した面もあるとのこと。


 そして夏至祭のように、貴族もお忍びで収穫祭を楽しむという。


「一緒に行きましょうね。葡萄踏みのダンスや大道芸も見られるわ」

「子豚レースもあるな。出てみるか──」

「ダメよ!」


 メリアザンドがヴァランタンの声に被せる勢いで却下して、ディアヌローズは目を丸くした。こんなメリアザンドは見たことがない。

 却下された当のヴァランタンは苦笑している。


「別に危なくなんてないのに。姉上だってディーと同じ歳の頃にはやったでしょう?」

「──ええ。……でも、怪我したら大変だもの」

「心配しすぎですよ。大人なら豚に乗るから怪我もするでしょうけど、子どもは子豚の後ろで手を叩いて追い立てるだけなんですから」

「そうね……」


 どうやら、傷の治りの悪さをメリアザンドは気にしてくれたらしい。


「品評会もあるわよ。加工品や手工芸品とかね」

「大きさを競うお化けカボチャもあるな」


 ヨランディアが逸らした話にオーギュストも乗り、楽しみだと微笑み合っている。本当に仲がいい。


「見どころはたくさんあるのだから当日に決めたらいいわ」


 いつものようにアデライードが話をしめて、食後のお茶を終えた。


 これからヴァランタンは執務室で仕事。オーギュストとヨランディアは日課の散策。アデライードとメリアザンドは洗礼衣装の刺繍をするそう。ディアヌローズも刺繍だが、一人でする予定だ。

 一般的に刺繍は会話を楽しみながら刺すことが多いけれど、洗礼衣装への刺繍に関しては仕上がるまで内緒にしたいと別々なのだ。メリアザンドからは「楽しみにしていてね」と言われている。



 大抵は自室で刺繍するディアヌローズだが、きょうはコンサバトリーですることにした。この館にいられるのもあと週一巡り。月詠家の庭に似たお気に入りの庭を少しでも長く見ていたい。

 でも、まずは刺繍だ。


 エレオノールに贈るために始めた刺繍は二枚目に入っている。

 慣れたのか子どもの手でも針運びは早く、それでいて丁寧に刺せている。思ったよりも順調だ。修了試験の準備に追われていた奏の時よりも刺繍に専念できているからだろう。よくよく考えてみればあの頃は、大オルガンの練習に大半の時間を割いていたのだった。


 この月詠家に伝承されている守護と退呪の魔方陣を完成させてエレオノールに贈ることが、洗礼までの生きる意義だった。それは今も変わらない。


 けれど、屋敷精霊ドゥマに問われて考えを改めた。

 もしも、洗礼の先があるのなら……。

 何がしたいだろう。

 何ができるだろう。

 洗礼のその先のために、何をすべきだろう。


 考えているけれど、まだ見つけられていない。

 叶うなら館を離れる迄に、洗礼のその先の目標をドゥマに報告したいのだ。



 ディアヌローズは小さく息をついて窓向こうの庭を暫し眺め、止まっていた手をまた動かした。




 その日から、刺繍はコンサバトリーでするようになった。

 考えに耽る度に手が止まり、我に返っては庭を暫し眺めて刺繍をする。

 やりたい事は見つからず、刺繍も捗らず、時間だけが過ぎていった。




 数日後。

 その日何度目かの庭に目を向けた時、休憩するようにとフォセットが言った。

 ディアヌローズは刺繍と引き換えに手渡された果実水を一口飲んで、また庭を眺めた。


「この庭がとても気に入られたようですわね」

「ええ。大好きよ。でも、領城に戻ったら見られなくなっちゃう。残念だわ」

「でしたら、好みの庭を領城にお造りなさいませ」

「えっ、わたくしが庭を造るの?」

「左様ですわ」


 領城には庭師が手掛けた庭園の他に、領主一族が設計した庭があるのだとフォセットは言った。必ず一人が一つの庭を、花の女神フェルヴェリーラに捧げるのだという。

 つまり、領城の談話室で窓に映されていた庭の中には、コンスタンティン達の設計した庭があったということだ。となればおそらく、迷路の庭はシーグフリードが設計したのだろう。でも。


「わたくしが造ってもいいの?」

「もちろんですわ」


 なら──。月詠家の庭を再現してもいいだろうか……。

 あの妖精の棲まう森のような庭を、洗礼のその先の目標としてもいいだろうか。

 じわりと胸の中に喜びと期待が広がってゆく。胸が高鳴った。


「あのね、フォセットさん。造りたい庭があるの」

「まあ。もう決まっておいでですの?」

「そうよ。この庭に似ているけれど、もっと森みたいなの。植えたい花も決まっているわ」

「では、領城に戻られたら庭師にお話しなさいませ」


 戻るまでなんて、とてもディアヌローズには待てそうにない。手にしていた果実水を一気に飲み干して、空になったゴブレットをフォセットに返した。


「たしか、植えたい花がこの庭にもあったわ。見てきてもいい?」

「では扉を開けましょう。元気が出られたようで安心いたしました」


 フォセットはそう言って微笑むと、扉を開いた。

 心配をかけていたなんてディアヌローズは思いもしなくて、「庭を見られなくなるのが淋しかったの」と謝って庭へ出た。


 さて、どの辺に植わっていたかしら……。足取りも軽やかに目当ての花を探す。

 月詠家の庭を懐かしんで眺めていた時とは違う。目的がある。


 洗礼の、その先のために。






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