ドミヌ(2)
軽微な修正をしました。
「領政において、領主が最も心を砕くことは何だと思う?」
遮音の黄色い光膜に覆われた内側で、唐突にコンスタンティンはディアヌローズに問うた。
ディアヌローズは戸惑いに眉を寄せ、視線を膝上の手に落とした。
奏の時に、祖母から次代としての教育は受けている。けれど、それは月詠家を存続させるための教えであって、領政とではあまりにも規模が違いすぎて参考にならない。
なぜ今、コンスタンティンはこの質問を投げかけたのか。そこにヒントがあるとするなら──。
ディアヌローズは上げた視線をコンスタンティンに向けた。
「領民が健やかに暮らせる環境を整えることでしょうか」
「──合格。正解の一つだ」
コンスタンティンは口角を上げ、ディアヌローズは眉を開いた。
隣ではメリアザンドが、うんうんと頷いている。
その様子をコンスタンティンは暫し眺めて、軽く咳払いした。
「民は領の礎であり、子は領の未来なのだ。
何より、私には神との契約がある」
以降の話は口外無用だ、とコンスタンティンは真顔で言った。
ディアヌローズは正していた背筋をますますピンと伸びばして、コンスタンティンの話に一段と耳を傾ける。
「契約の一つに、領民の数を著しく減少させてはならないというものがある。
契約に反すれば、領主は神より罰が降される。かねてより──」
コンスタンティンの目はディアヌローズを越えて、遥か遠くを見つめた。
「契約を守れなかった領主は幾人もいた。
例えば、疫病の蔓延によって。
或いは、非道な悪政によって」
そう言ったコンスタンティンの眉が名状しがたい動きをした。
初めて目にする表情にコンスタンティンが胸に抱えるものを垣間見たようで、ディアヌローズは息を呑む。
ランメルト建領から領主であり続けているコンスタンティンだからこそ、罰が降されてきた領主を追想していたのではないか。そんな気がしてならない。その中には、自業自得とは言い難いものや、もしかしたら親しい人物がいたのかもしれない。
寸の間コンスタンティンは目を伏せて嘆息した。
「領主などどいうものは、私を含め、たまたま神に任命されたにすぎぬのだ。
にも拘らず、自身が神になったかのように勘違いする者は少なくなかった。
就任当初は仁政に心血を注いでいた者が、やがて全能感に浸りきり、心の赴くまま民に死を与えては背徳的な愉悦を味わう者へと変貌する。
罰が降されると知りながら、暗い欲望に身を委ねる。──『悪』とは、よほど魅力的なのだろう」
私には理解できないがね、とコンスタンティンは哀しそう微笑んで続ける。
「私は小心者だから、ただ言いつけを守っているだけなのだよ」
ディアヌローズは目を大きくして、胸の内で「とんでもない!」と叫んだ。
続けることこそが難しい。奏の時、月詠家の伝統を受け継ぐために幼い頃から努力を重ねた。憧れの祖母の存在は、幼い頃には輝く目標だったけれど、成長するにつれて乗り越えなければならない壁になった。あまりにも偉大で、越えるどころか足元にも及ばないと思い知る日々だった。
けれど、現実は無くなってはくれない。なぜ自分が、と思ったことは数えきれない。伝統から、決められた未来から、逃げ出したかった。伝統の重みを、続ける苦しさを、投げ出したかった。
それでも月詠家の成人として認められるまで頑張れたのは、偏に祖母が上手く導いてくれたから。
奏が二十一歳までの、奏にとっては人生の全てだけれど、永遠に比べればたったの二十一年間に過ぎない出来事。
ある日突然、自分が領主に指名されたらと考えてみる。理想に燃えて努力して、それでも上手くいかなかったら……。想像するだけで身が竦む。良き理解者と有能な人材を得なければ、あっという間に領は傾くに違いない。たぶん自分のような力量不足の者が、悪の魅力に負けるのだ。
今日この瞬間も、コンスタンティンはランメルト領を維持し、領主として永遠を生きている。
コンスタンティンが重ねてきた現実に比べて、表す言葉のなんと軽いことか。
「今日までランメルトを導いてこられた方ですのに……」
不敬を承知でディアヌローズが尻すぼみながらも勇気を振り絞って口にすると、コンスタンティンは首を横に振った。
「いや。私は小心者なのだよ。だからこそ些細な異変にも目を配り、大事になる目を潰して領を存続させてきたのだ」
理由を聞いてしまえば、『小心者』とはコンスタンティンにとって自らへの戒飭の言葉らしい。
ディアヌローズは尊敬の眼差しでコンスタンティンを見つめた。
すると、コンスタンティンは「まあ、そんなところだ」と足を組み替えて、逸れてしまった話を元に戻すと言った。
「過去に、疫病が発生した領地は幾つもあった。
当然、領主の適切な対応によって感染を抑えた領地はあった。
だが、甘く見た領主の後手に回った対応で瞬く間に蔓延し、多くの民が犠牲になった領地もあった。
中には、領主が迅速な対応を講じたにも拘わらず、強い感染力に万作尽きた領地もあった。これは実に同情に値する事例である」
コツリ、とコンスタンティンは指先でひじ掛けを叩いた。
一瞬気を取られたディアヌローズだが、すぐにコンスタンティンと目を合わせる。
「神との契約においては、結果がすべてであり、理由が考慮されることはない。
──須らく、領主には罰が降された」
「そんな……」
ディアヌローズは遣る瀬無さに唇を噛む。最善を尽くすだけではダメなのだ。常に結果が伴わなければ──。永遠に、選択を間違ってはならない。なんて途方もない話だろう。
「此度の奇病は幸い疫病ではなく、数的にも取るに足りないものだった。
だが、私は小心者だろう? できる対処があるなら労力を惜しむ気はないのだよ。ましてや、君から情報を得られたからね」
コンスタンティンは淡々と、事も無げに言った。そして。
「建国神話に、神との契約に関する詳細までは記されていない。
だから、今の話を決して漏らしてならない。
──いいね」
その明確な理由をコンスタンティンは語らなかったけれど、ディアヌローズでも何となく推測できる。おそらく、領主交代を謀る悪人に知られでもしたら、領が滅ぶ事態になりかねないからに違いない。
ディアヌローズが「はい」と返すと、コンスタンティンはヴァランタンに遮音の魔術を解除させた。
側近たちも戻ってきて、お茶が淹れ直された。
喋りっぱなしで喉が渇いたらしいコンスタンティンは暫くお茶を楽しんで、空になったティーカップを卓子に置いた。
「さて、やっと奇病の話ができる」
思わぬ珍客で話の順序が狂ってしまったと、コンスタンティンは口許をへの字に曲げた。
そこに神との契約について話していた面影はまるでなく、いつもの表情にディアヌローズは安心感を覚えた。
進捗について求められたヴァランタンが、木札に目を落としながら報告を始める。
「遺族の同意を得て死亡者の体内を調べた結果、寄生虫が発見されました。よって、奇病の原因は寄生虫であると断定。患者から寄生虫を摘出する目途も立っています」
摘出にあたるのは森の奥にたった一人で暮らす風変わりな医師で、治癒師のいない近隣の民はその男を頼っているという。病人はいうまでもなく、重傷のケガ人も救っている実績があり、外科的治療の様子を決して見せないが腕は確かで、周囲からの信頼も篤い。
その医師に寄生虫の摘出を任せ、摘出後の癒しを治癒師が行うことで効率化を図る予定である。
ヴァランタンは一通りの説明を終えるとディアヌローズに向いた。
「最初に治療するのは、トビの叔父だ」
「よかった……」
我知らずディアヌローズは胸に手をあてた。
奇病についてトビから話を聞いた時、寄生中が原因だと確信した。けれど癒しは効かず、イストワールで治せるかはわからなかった。正直にトビに伝えると、今にも泣き出しそうな顔で笑んで、知らないよりいいと言ってくれた。一歩前に進める、とも。
もどかしい気持ちで数日を過ごし、治るかもしれないとの可能性をトビから聞いたのが談話室に来る少し前のこと。
それが現実になる。トビの喜ぶ顔を思い浮かべるだけで、ディアヌローズの頬は緩んだ。
患者の対応についての報告が終わり、重複する部分もあるが、とコンスタンティンは前置きした。
「次は、抗議に訪れたザルム家が絡む話だ。飼育場が汚水をそのまま川に流していたことで、下流の村にも奇病が発生した。
この件については、水の浄化方法をザルム家に伝えることで解決の道筋は立った。発案者であるディアヌローズから許可を得ている」
確認を求めるようにコンスタンティンが視線を向けたので、ディアヌローズは頷きで同意を示した。
「今後の予防策については──」
コンスタンティンの言葉を、軽く手を上げたオーギュストが引き継ぐ。
「駆除薬に関しては、まだ暫く刻が掛かる。アルフレデリックと手分けして作業に当たっているところだ」
確かに外科的処置と違い、薬効を調べるのは時間が掛かるだろう。新薬ともなれば猶更だ。
中立領にいるアルフレデリックまでもが奇病対策にかかわっていると知って、ディアヌローズは少なからず驚いた。自分がのほほんと暮らしている間に、みんなは一丸となって奇病に立ち向かっていたのだと改めて実感した。
だからこそ、コンスタンティンは心構えを説いてくれたのかもしれない。本当に、『領主に連なる者と』して扱ってくれた。そう思い至って堪らなく嬉しくなった。
不意に、コンスタンティンが緑柱石の瞳をすっとディアヌローズに向けた。
「被害の拡大を防げたのはディーの功績だ。
ありがとう」
「……。
わたくしこそ、お役に立てて嬉しいです」
ディアヌローズの視界は潤み、胸の内には熱いものがこみ上げる。これまでに受けた恩は数えきれず、やっと一つ返せただけ。これからも返せるものがあってほしい──。深く、深く願った。
とうとう眦の涙は溢れて、つぅとディアヌローズの頬を滑り落ちた。




