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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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ドミヌ

 ディアヌローズが耳を(そばだ)てるまでもなく、怒りに任せた声は扉を隔ててもよく聞こえてきた。

 奇病対策に抗議しているのは、ザルム家の飼育場関係者のようだ。


 たしかに事業が頓挫すれば関係者は困るだろう。しかし、罹患者が増えれば、結局事業は立ち行かなくなる。一旦は滞るかもしれないが、しっかり対策を施すことで、事業を長く存続させられる筈だ。


 そもそも、ディアヌローズには『平民の替えなど幾らでもいる』という考えが理解できない。平民に限らず、人は有限だ。個々それぞれの人生に替えなどある筈もなく、命は尊いもの。声の主には嫌悪しかない。怒りの矛先を向けられているが、そっくりお返ししたい気分である。



 乱暴に応接室の扉が開いて、黒髪の青年が姿を現した。


 廊下に人がいるなど思いもしなかったのか、青年は一瞬気まずそうな顔をした。

 だが、子どものディアヌローズを一目見るなり、こげ茶の瞳を炯々(けいけい)とさせた。


「お前が噂の……」


 声を落とした青年は一歩足を踏み出して、ディアヌローズを凝視した。眼は憎しみに満ちている。


 その視線と交わった刹那、ディアヌローズの脳裏で、青年と拉致犯バンの瞳が重なった。

 目を逸らすことができずに、思わず半歩後退る。繋いでいるメリアザンドの手を強く握った。バンに首を絞められた記憶までもが甦ってきて、上手く呼吸ができない。繋いだ手とは反対の手で、首を守るように押さえた。



 異変に気づいたメリアザンドが、庇うようにディアヌローズを引き寄せた。


「大丈夫?」

「ぁ……ぅ……」


 心配かけたくなくて「大丈夫」と答えたいのに、ディアヌローズの口から漏れるのは苦しい息づかいだけ。恐怖心に負けたくないのに、身が強張っていうことをきいてくれない。あの事件に、この青年の瞳に、屈したみたいで堪らなく悔しかった。



 側近たちは纏う気を尖らせ、その中でも護衛騎士たちは杖を出現させた。


 メリアザンドは整った笑みを浮かべて、冷え冷えとした視線を青年に投げた。普段とは一段低い声で問う。


「妹に危害を加えるつもりかしら」

「妹……?」


 呟いた青年はぎこちない動きで問われた声に向くと、目を最大限に見開いて固まった。今、初めてメリアザンドの存在に気づいたらしい。


 一方、ディアヌローズは青年の視線が逸れたことで、身の強張りがとけていった。だが、過去に刻まれた恐怖心を追う払うまでには至らず、首を押さえた手はそのままに、深い呼吸を繰り返した。



 護衛騎士たちが青年を取り囲んだ、その時。


「何事ですか」


 やって来たのはアデライードだ。ディアヌローズ達と同じく、お茶の時間に合わせて来たのだろう。

 アデライードは護衛騎士たちに囲まれた青年を一瞥し、娘たちに向き直った。肩で息をするディアヌローズの様子に眉を寄せると、その背を優しく撫でた。


 メリアザンドはディアヌローズをちらりと見て、アデライードと目を合わせた。

「お母さま……」


 心配が滲むメリアザンドの声に、アデライードは無言で頷いた。青玉の瞳で青年を見据える。


「まずは、あなたから話を聞きましょう」


 棒立ちの青年はビクッと震えて、口許を引き攣らせた。



「ア、アーチス!」


 再び応接室の扉が開いて、出てきたコンセールが息子の名を叫んだ。顔面は蒼白である。

 それは、息子が護衛騎士に取り囲まれていたからなのか。はたまた、息子に対峙しているのが領主夫人(ドミナ)であるアデライードであったからなのか。うろうろと視線を彷徨わせている。


 騒ぎを聞きつけたのか、コンスタンティンとヴァランタンが応接室から出てきた。


「まだいたのか」


 コンスタンティンは平然とした口調で言い、それぞれの側近たちでいっぱいの廊下を見渡す。護衛騎士たちに囲まれたアーチスを素通りして、首を押さえるディアヌローズに目を留めると、つかつかと歩み寄って抱き上げた。


「コンセール。浄水の話だが、無かった事になるやもな。

 この様子では、使用許可を考案者から得るのは難しいだろう」

「──まさか……」


 信じられないといった表情で、コンセールはコンスタンティンの腕にいるディアヌローズを見た。


 にやり、とコンスタンティンは口角を上げる。

「よほど慈悲深くなければ無理であろう。私であったなら許可などせぬ」


 がっくりと肩を落としたコンセールを横目に、コンスタンティンはアーチスの開放を命じた。


 護衛騎士たちの引いたアーチスに向けて、ヴァランタンが言い放つ。

「大切な姉と妹を傷つけたら赦さない」


 聞こえているのかいないのか、アーチスは茫然としていて、来訪当初の勢いは見る影もない。


 コンスタンティンは、腕に抱くディアヌローズを揺すり上げて言う。


「これから久々に娘たちと過ごすのだ」

「直ちにお暇いたします」


 礼を執ったコンセールは、アーチスを苦々し気に睨むと、息子を引きずるようにして帰っていった。




 談話室に入ってすぐ、五の鐘が鳴った。

 先に来ていたオーギュストとヨランディアは、ディアヌローズの様子に夫婦で眉を下げた。


 ディアヌローズは長椅子に下ろされても喉を押さえたままだ。呼吸は整ったのに、どうしても手を離すことができなかった。隣に腰掛けたメリアザンドが心配そうに見つめているけれど、声が震えてしまいそうで「大丈夫」のたった一言が言えない。代わりに、小さくにこりと笑んでみた。


 そんなディアヌローズの頭に、コンスタンティンは手を置いた。

「怖い思いをさせたね」


 ふるふるとディアヌローズは頭を振った。

 あのアーチスという青年に会ってしまったのは偶然で、コンスタンティンが気にする必要なんてない。

 アーチスが口にした『噂』だって、おそらくディアヌローズが奇病の症状についてトビに訊ねたことが発端だろう。誰だって、希望が持てたら人に話したくなるもの。そこに悪意は存在しない。たまたま不利益を被る人の耳に入っただけのことだ。



 ディアヌローズの前で片膝をついたヴァランタンが、聞きづらそうに口を開いた。

「……思い出したんじゃないのかい?」


 ヴァランタンの視線を辿ると、首を押さえた手に向けられていて、ディアヌローズは咄嗟に手を離して膝の上で握った。『思い出した』とは、きっとあの事件のことを指すのだろう。確かにそのとおりだ。でも──。


「ち、違います。怖かっただけですから」


 声が震えなくて、ディアヌローズは、ほっと胸を撫で下ろした。

 だがまさか、ヴァランタンがいまだにあの事件を気にしていたなんて──。ヴァランタンが責任を感じることも、後悔も、する必要なんてない。我儘を通した自分が悪かったのだ。


 上手く答えられたと思ったのに、ヴァランタンは眉を顰めて立ち上がった。コンスタンティンに不満気な表情を向ける。


「やはり無理があったのではありませんか?」


 その言動にいち早く反応したのはメリアザンドだ。目を鋭くしてヴァランタンを睨む。


「どういうこと?」


 突然のヴァランタンとメリアザンドの不穏な空気に、ディアヌローズは貝紫の瞳をふたりの間で往復させた。何となく自分絡みな気はするが、その理由(わけ)はさっぱりだ。



「はぁ……」


 これ見よがしに大きく嘆息したのは、コンスタンティンだ。


「まだまだだな、ヴァランタン。其方も席に着け」


 コンスタンティンも一人掛けの椅子に掛け、話が長くなるからとお茶を用意させた。


 ディアヌローズに渡されたお茶は飲み頃で、一口飲んでみればミエルがたっぷり入っている。いつもは強請ってもこんなには入れてもらえなくて、ちらりとフォセットを見ると微笑まれた。甘やかしてもらえたことが、何だか気恥ずかしい。



 和やかとはほど遠い雰囲気の中、コンスタンティンがお茶を半分ほど飲んだところで、ティーカップを卓子に置いた。

 それを合図に、みんなも話を聞く体勢を整えた。


 この顛末の仔細を話す気はなかったのだがね、とコンスタンティンは前置きした。

 アデライードは仕方なさそうに微笑んでいる。


「此度の奇病の件は、単に、奇病の原因究明と対策を講じるだけでは解決しない点が厄介なのだ。

 一つ目は、ザルム家管轄地の飼育場が絡んでいること。

 二つ目、奇病の原因を洗礼前の子どもが言い当てた、との噂が広まったこと。

 そして三つ目。その噂が、ザルム家の耳にまで入ったこと」


 コンスタンティンは事項を一つ上げる毎に、指を一本ずつ立てて語った。

 その口調も表情も、日頃ディアヌローズが知るコンスタンティンとは比較できないくらいに威厳がある。


 ディアヌローズは噂の発端がやはり自分であり、今回の事態を引き起こした原因であるとも知って、申し訳なさから顔を俯けて膝上の手に視線を落とした。



 コンスタンティンの話は続く。


「一連の失態だけで、ザルム家管轄地を他家に任せるのは難しい。仮に他家に移譲した場合、管轄地の奇病対策は我々がやらなくてはならなくなる。その上、ザルム家全体から恨みを買うだろう。

 よって、ザルム家にはこのまま管轄地を任せ、奇病対策をやらせる。これは決定事項だ。対策に関して、当主であるコンセールが意義を唱えることはない。

 問題は、飼育場を開いたアーチスだ。奇病対策を受け入れないことはわかっていた。噂を聞きつけて、ディアヌローズに恨みを持つこともだ」


 ディアヌローズの肩がびくりと揺れると、メリアザンドはディアヌローズの膝上にある手を包んだ。


 コンスタンティンは足を組んで、だが、と言った。


「アーチスは、今しがたの愚行によって父親の目が厳しくなった。実に上々である。排除してもよいが、暫し猶予を与え、奇病対策の様子をみてからでも遅くないと考えている。冷静さに欠いて浅慮ではあるが、向上心と先見性、実行力はあるようだからな。

 無論、我々が警備を怠ることはない」



 メリアザンドは不承知と言わんばかりに顔を歪めた。


「お父さまはあの眼をご覧になっていないから、猶予なんて仰るのだわ」


「ディアヌローズに対する恨みは、事業が頓挫する故のものだ。末子のアーチスは父親に認められんがために、兄弟との差を埋めようと必死だと聞き及んでいる。温情を与えれば、恨みは感謝に変わるだろう。今は薄っぺらな忠誠心も、厚みを増すと期待もできる。

 奇病対策において、魔力の負担が最も大きいのは、水の浄化だ。貯水池の造成は一度で済むが、水の浄化はもともと魔力の消費が大きい上、飼育場のある限り続く。

 (アーチス)が噛みついてきたのは、ある意味理解できなくもない」


 コンスタンティンはディアヌローズに顔を向ける。


「水の濾過方法をザルム家に伝えたい。

 いいだろうか?」


 それで恩が売れる、とコンスタンティンは付け足して、ディアヌローズを緑柱石の瞳で見つめた。

 ディアヌローズに否などある筈もない。許可なんて求めずに使ってくれて構わなかった。


「はい。お役立てください。飼育場の人たちだけでなく、みんなが助かるのでしょう?」

「ああ、勿論だ」


 満足そうに目を細めるコンスタンティンに、メリアザンドはさも不快そうな表情を向ける。


「でもお父さま、ディアヌローズとアーチスが遭うように仕向けるなんて酷いわ」


 えっ!? ──。ディアヌローズは目を瞬かせた。どうやらメリアザンドとヴァランタンの不穏な空気はコレだったらしい。



「ザルム家当主であるコンセールからは、噂を信じないとの言質は取った。しかし、アーチス個人が納得しないのは明白だった。ディアヌローズの身を守るため、浄水の考案者を仄めかして恩義を感じさせる必要があったのだ。

 メリアザンドの言いたいことはわかる。

 だが、これが最も合理的で、最も効果が高い。最善であると判断した」


 コンスタンティンはそう言い切って、ディアヌローズに向き直った。


「さて、ディアヌローズ」


 普段の口調で呼びかけられはしたが、ディアヌローズは背筋を伸ばした。


「君には怖い思いをさせた。辛い経験を思い出させて、可哀そうなことをしたと理解している。私個人としては、君を表に出さずに守ってやりたいと思う。だが──

 私はドミヌ(領主)だ。まず、領主としての責務がある。

 同様に、領主に連なる者たちにも責務がある。ヴァランタン然り、メリアザンド然り。そして」


 コンスタンティンは一拍間を置いた。


「ディアヌローズ。君も、領主に連なる一人だ」


 息を呑むディアヌローズに、コンスタンティンは「ふっ」と笑みを漏らした。


「いい機会だから話しておこう」


 コンスタンティンは側近たちを下がらせて、ヴァランタンに遮音の魔術を展開させた。






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