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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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湖畔で

軽微な修正をしました。

「明日はみんなで湖畔に行きましょうよ」

「いいね。ディーをひとりぼっちにした埋め合わせをしよう」


 メリアザンドがディアヌローズの涙をハンカチで拭いながら提案すると、ヴァランタンは諸手を挙げて賛成した。


「ならば私も」


 前のめりで参加を表明したコンスタンティンに、アデライードが尋ねる。


「戻らなくてよろしいのですか?」

「目途は立ったのだ。働き詰めの褒美に、明日くらいは休みをもらってもいいだろう?」


 コンスタンティンはサボりではないと言いたげに眉を下げて、妻にお伺いを立てた。


「そうですわねぇ……」

 アデライードは嫋やかな手を頬に当てること暫し。これでもかと口角を上げる。

「湖畔でしたら、何かあってもすぐに戻れますわね」


「おいおい。不吉なことを言わんでくれ」


 ますますコンスタンティンが眉を下げると、アデライードはくすりと笑った。みんなからも笑みが漏れる。


「お祖父(じい)さまとお祖母(ばあ)さまも、勿論ご一緒してくださるでしょう?」

「ああ」

「ええ。賑やかになるわね」


 メリアザンドに問われて、オーギュストとヨランディアは互いに目を細め合う。



 女性たちがピクニックに持っていく昼食やお茶菓子の話を始めたところで、唐突にコンスタンティンが声を上げる。


「シュバルが子別れの時期だな。丁度いい。ディーの馬を見つけよう」


「シュバル?」

 ディアヌローズは小首を傾げた。


「乗馬用の馬をシュバルという。熱月の終わる今頃は子別れの季節なのだよ」


 人慣れさせやすいのは、親から独り立ちしたばかりの仔馬だ。

 仔馬は好奇心が強く、好物の果物や野菜を撒いておくと必ず寄ってこようとする。親馬は、独り立ちにはまだ早い仔馬は引き留めるが、独り立ちを迎えた仔馬を引き留めることはない。よって、その仔馬を捕まえたとしても取り返そうとすることもない。


「だから、安心して好みの仔馬を選ぶといい」


 相性が合えば連れ帰るとコンスタンティンは言うが、ディアヌローズは仔馬を騙すようで気乗りしない。

 たぶん、それが顔に出ていたのだろう。


「洗礼式を終えた七歳の子どもは、洗礼後初となる花まつりの翌週に披露目をする。その際、馬に乗って領城門から登城するのが慣例だ」


 洗礼式……。ディアヌローズはますます気が進まなくなった。洗礼のその先が、自分にあるとは到底思えない。


「でも……」

 と言ったきり、ディアヌローズは目を伏せた。


「馬に乗れなければ、後見人の私が恥をかく」


 コンスタンティンが発した低い声に驚いて、ディアヌローズは視線を上げた。ほんの一瞬だけ見えた鋭い眼光に思わず息を呑む。

 すぐに笑みの形になったコンスタンティンの目許はどこか哀し気で、体面を穢される怒りでないのはディアヌローズにも理解できた。


 ディアヌローズ自身も、コンスタンティンも、これまで口にしないできた言葉。洗礼──。それが今、ふたりの間で重く沈んでいる。


 諦念を持って粛々と洗礼を待つディアヌローズに対して、コンスタンティンはその先を見据えている。術者の呪詛の力を目の当たりにしてもなお、諦めないでいてくれるのは何故なのか。今は亡き友人、その娘というだけでしかないのに……。どうして。



 突然、ヴァランタンがポンと手を合わせた。

「まずはシュバルを見てみないとね。きっとディーも乗ってみたくなるんじゃないかな。とても美しい馬なんだ」


「お父様ったら、シュバルの群れを見つけてから言ってくださればいいのに。ピクニックを楽しめなかったらお父さまのせいよ」

「メリアザンド……。私は明日しかいられないんだ」


 コンスタンティンが淋しそうに肩を落とすと、仕方ないわねと言わんばかりにアデライードは嘆息した。


「お父さまはご自分でディーのシュバルを捕まえたいのよ。あなた達のシュバルもそうだったでしょう?」


「!」

 ハッとしたメリアザンドの顔が、みるみるうちにすまなそうな表情に変わった。


「お父さま、ごめんなさい……」

「思い出してくれて嬉しいよ。あの時の私はカッコよかっただろう?」

「……。はい、とても」


 一拍間をあけてメリアザンドが答えると、ヴァランタンは苦笑を零した。


「父上の雄姿のためにも、明日はシュバル探しを頑張らないとですね」

「ピクニックなのだ。探し回らずとも、湖畔に撒き餌をしてのんびり待てばいい」

「それなら……。ヴァランタン、あなたが撒き餌をしてきてちょうだい」


 メリアザンドは隣のディアヌローズをチラ見して、笑みを深める。


「えっ!? ……ああ」

 ヴァランタンは小さく頷き、胸に手をあてる。

「仰せのままに」

 芝居じみたように恭しく礼を執った。肩口で切りそろえられた水色の髪がさらりと揺れる。


 ディアヌローズはその様に気を取られ、ヴァランタンに遅れること数舜。

「わたくしがやります」

 慌てて申し出た。シュバルを捕まえる気にはなれないが、自分のためにヴァランタンが動くとなれば話は別だ。


「では、ふたりでやろう」

「お茶の用意をして待っているわね」


 何となくうまく誘導された気がしなくもない。ディアヌローズはにこにこと笑顔を浮かべるみんなを見渡した。



 ◆◇◆



 夜。

 明日に備えてディアヌローズは早めに寝台に入れられた。

 だからといって眠れるものでもなく、天蓋を見つめる。今まで頭の外に追いやっていた洗礼についてをつい、あれこれ考えた。

 でも、どうしようもないじゃない……。



 不意に男性の声が頭の中に響いてきて、辺りを見渡した。


 ──私に会わぬつもりか、と言っておる。


 三度目の呼び掛けで、漸くディアヌローズは脇卓に立つ大人の掌ほどの人物を見つけた。

 白髪混じりの黒髪をオールバックにした執事服姿の屋敷精霊だ。鷲鼻に片眼鏡を嵌めている。呼び掛ける毎に声の不機嫌さが増していただけあって、灰色の瞳は鋭く、仁王立ちだ。


 ──ごめんなさい。


 ディアヌローズにとっては心からの謝罪の言葉だったけれど、屋敷精霊はむすりとしたまま、脇卓の上で微動だにしない。

 この様子では誠心誠意、言葉を重ねるしかなさそうだ。


 ──言い訳に聞こえるかもしれないけれど、本当は転移してきた日に挨拶するつもりだったのよ。でも、気に掛かることがあって……。

 あなたとは、すっきりした気持ちで会いたかったの。


 そのつもりで、ディアヌローズはマノワの小鐘を持ってきていた。まさか着いた早々悩むことになるとは思いも寄らず、初対面なのに気もそぞろで会っては礼を欠くとも考えた。それが裏目に出てしまったようだ。


 ──ふん。奇病のことか。知っておる。

 だが、片づいたではないか。


 彼なりに譲歩してくれていたらしい。

 とはいえ、洗礼については知らないようだ。初対面の相手に話すような内容ではないのだけれど、彼の怒りを鎮めるには話すほかなさそうである。どの道、彼の耳にも入ると割り切るしかない。


 ──わたしね、洗礼式で呪詛を受けるの。生きていられるのは洗礼式までよ。

 ……なのに明日、お披露目で乗るシュバルを捕まえに行くって……。どうせムダになっちゃうのにね。シュバルだって可哀そう。

 そんなことで頭がいっぱいになっちゃって……。こんな状態で挨拶するのは失礼だと思ったの。


 正直に気持ちを伝えると、彼は暫し顎先を摩ってから嘲るように鼻を鳴らした。


 ──昼間の話はそういうことか。だが。

 諦めているのは其方だけのようだが?


 ──でも……。


 五歳の祝いの日、母は目の前で呪詛に倒れた。父も亡くなったと聞いている。コンスタンティンはじめ、その場にいた誰もが呪詛を祓うことはできなかった。誰も敵わなかった。

 自分のために誰かが傷ついたり、ましてや命を落とすことは耐えられない。それなら宿命を受け入れる方がずっといい。数えきれないほど受けた恩を、仇で返すわけにはいかない。だから。


 ムリよ、とディアヌローズは首を横に振った。


 すると彼は目を伏せて、大きな溜息を一つ落とした。

 目を上げた彼の瞳からは鋭さが消えていた。


 ──其方のように、最悪を考えるのは悪いことではない。

 最善だけを考える者は夢想家であり、愚かといえよう。加えて。

 すべての道筋を考えない者も愚かである。

 其方に問う。

 備えずにいたとして、その先が開けた時、其方はどうするつもりなのだ?


 まるで出来の悪い教え子を諭すみたいな口ぶりだった。


 限りなくゼロに近い可能性。でもゼロとは言い切れない。

 諦めることと、備えを怠ることは別な話。

 もしも先が開けた時、愚かな自分のせいで迷惑を被る人がいる……。

 そんなことにすら気づけない、不甲斐ない自分。


 ──……そのとおりね。


 ──考えうる限りの備えをする者は賢明であり、怠る輩は暗愚である。


 ディアヌローズにとって実に耳の痛い話を、初対面にも拘らず呈してくれる彼。気難しいだけではこのタイミングで現れてなんてくれない。彼は篤実なのだろう。


 ──愚かな道に進むところだったわ。ありがとう。


 構わぬ、と彼はまた鼻を鳴らした。だが、ディアヌローズにもう気後れはない。


 ──あっ!

 挨拶がまだね。礼儀知らずでごめんなさい。

 わたしはディアヌローズよ。あなたの名を伺ってもいいかしら。


 領城のレジダから、湖の館にも屋敷精霊がいると聞いていた。

 でも、レジダは名を言わなかった。その理由がわかった気がする。たぶん、彼に名を請い、彼の口から教えてもらわないとダメなのだ。


 ──ドゥマだ。


 ──今夜わたしに会いに来てくださってありがとう、ドゥマ。あなたのおかげで、明日の自分が一つ愚かでなくなるわ。


 ──そうか。


 いずれまた、とドゥマはディアヌローズの返事を待たずに消えた。


 結局、ドゥマは脇卓の上から下りてこなかった。

 でも『いずれまた』と言っていたのだから、また会ってくれると思っていいだろうか。

 その時には明日のピクニックの話をしよう。厳格な教師のようなドゥマがどんな反応をしてくれるかが楽しみだ。どうか脇卓から下りてきてくれますように──。






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