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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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中立領プリエテールの植物園(3)

 小さな玻璃(ガラス)の扉をくぐったディアヌローズの正面に、また同じ玻璃の扉があった。右を見れば、そこにも玻璃の扉がある。


「正面の扉から入るのよ。

 アルフレデリック、開けて頂戴な」


 エレオノールが言い、アルフレデリックは扉を開く。


 次の温室には────

 ()があった。


 冬の温室と同じような配置で植物が植えられ、同じように障壁が張ってある。


「今度の障壁は、うすい緑色ですね」

「障壁に色は無いのよ」


「でも……」

 ディアヌローズはエレオノールの言葉に首を傾げて、障壁を見上げた。


「障壁の内側には、魔方陣で季節を生み出しているのだ。

 季節には、その季節を司る大神の色がある。

 (エアリューリス)は、緑。(エティスタース)は、赤。(アウレルーメル)は、黄。(エイレヴェール)は、青。


 障壁に色があるように見えるのは、その季節の色が透けているからだ。

 魔方陣は天井と地面に刻印されており、その中間に季節が展開される。

 天井を見なさい。魔方陣が見える」


 アルフレデリックの指さす天井をディアヌローズは見上げた。

 障壁内側の天井いっぱいに刻印された魔方陣から、緑の光が降り注いでいる。



 若芽を広げ始めたばかりの樹々を眺めながら、三人並んで見学通路を歩いていく。木立の中で作業している人がちらほら見えた。

 進むにつれて葉が茂り、緑が濃くなっていく。花の種類も増えていった。


 ディアヌローズとエレオノールは好みの花を見つけては足を止め、共にその花に見入った。

 《奏の世界》では目にしたことのないイストワール特有の植物の中にあって、稀に《奏の世界》の植物にそっくりなものもあるのが興味深い。


 博識なアルフレデリックは、ふたりが興味を持った植物の名を教えていく。

 その度、ディアヌローズはその名を憶える。イストワール固有のものは聞いたまま。

 そして《奏の世界》で既知の植物は、その名をイストワールの名に上書きする。たとえば《モミの樹》を《アビエス》というように。


 それは植物だけでなく、物の名でも同じ。《蜂蜜》も《ミエル》になって久しい。この一年近くで、結構な数の物の名がイストワールの名に置き換えられた。必要なことではあるけれど、《奏の世界》の言葉を頭の中でも使わなくなるのが淋しくて、その言葉を失うようで哀しくなる。そうやって、いつかはすっかりイストワールの民になるのだろう。



 ふとディアヌローズの目に留まったのは、石楠花(しゃくなげ)の白い花。金平糖のような蕾が可愛らしい。月詠家の庭にも植えてあったので、懐かしさがこみ上げた。


「《ルミアラ》だな」


 そう言って、アルフレデリックは「行くぞ」と歩き出した。

 どうやら立ち止まってばかりで、ちっとも先に進まないのがお気に召さないらしい。


 ディアヌローズは頭の中で、『石楠花、ルミアラ』と何度か繰り返し、最後に『石楠花』で、締めくくった。



 それからも何度か足を止めながら進んでいき、また一番奥には扉があった。

 扉を開くと、さらに小さな扉だけの部屋がある。どうやら、温室を繋ぐ連結部分のようだ。



 そして、開かれた扉の先には────

 ()ではなく、()があった。


 天井の魔方陣は黄色で、障壁もうっすらと黄色を帯びている。


「夏だと思いましたのに……」

 予想が外れて、ディアヌローズは口を尖らせた。


「春と夏は気候が近しい。隣り合っていた方が管理の効率化が図れるのだろう」

「夏は細かく分けてあるのよ。先に行けばわかるわ」


 微笑ましそうに杏色の目を細めて、エレオノールはそう言った。

 ディアヌローズは温室の奥に目を向けた。奥にいくにつれて鮮やかに紅葉している。この温室の次が、夏の温室ということだろうか。


 歩き出して間もない場所に、鮮やかな黄色のジャスミンが咲いていて、つい懐かしさから近寄った。

 途端、背筋がぞわりとする。それはジャスミンに似た、猛毒の花木。資料でしか見たことはないけれど、確信が持てた。《奏の世界》で小さな頃より庭の手入れのためにと、祖母からは薔薇をはじめ、薬毒草についても厳しく叩きこまれていた。



「止まってばかりいると、珍しい花に行き着く前に閉園になる」


 花には目もくれず、そう言って急かすアルフレデリックをディアヌローズは見上げる。確かめずにはいられなかった。


「──アルフレデリック様……、ここにあるのは観賞用の植物なのですよね」

「そうだ」

「観賞用の植物でも、薬になったり、毒を持っている植物もあります」


 アルフレデリックは煩わし気に眉を顰めた。


「有毒植物は、観賞の対象にはなっていない」


「でも……」

 と、不安を拭えずにディアヌローズは口籠った。


 するとエレオノールが、行きましょうと、ディアヌローズの肩に手を置いた。

「本当に閉園になってしまうわ」


 手を引かれて、ディアヌローズはとぼとぼ歩いた。頭の中は、ジャスミンに似た花のことでいっぱいだ。有毒植物は観賞の対象でないというけれど、ルミアラにだって毒があるし、他にも挙げればきりがない。でも、あの花はダメだ。あの花はそれらの比ではない。


「疲れたの?」

 エレオノールの声で、ディアヌローズは我に返った。

「いいえ、姉さま。──花を見ながら歩いているので、少しも疲れていません」


 ディアヌローズは我知らず俯けていた顔を上げ、慌てて歩調を速めた。

 ふと、たとえ《奏の世界》と見た目は同じだとしても、毒性まで同じとは限らないのではないか。そう思えると、瞬く間に気が楽になった。


 気付けば障壁のむこう側は、赤や黄色の落ち葉で絨毯のようになっている。障壁の(きわ)には、どんぐりやスズカケの実が幾つも転がっていた。


 ここでも作業をしている人たちが其処此処に見えるので、被害のあった領地からの問い合わせが相当多いのだろう。




 次の温室は、乾燥地だった。


 アルフレデリックが率先して、薄っすらと赤い障壁の中に入っていった。ディアヌローズもエレオノールと一緒に後に続く。暑さで肌がピリッとしたけれど、乾燥しているためか、つらい暑さではない。


 ここでは砂地や乾いた土に、サボテンや多肉植物が数多く植えてあった。


 砂利に小石がばら撒かれている箱庭の前で、アルフレデリックは立ち止まった。

 小石に紛れて白い小さな花が咲いている。どうやら、これをアルフレデリックは見せたかったらしい。

 ディアヌローズはその箱庭を覗き込んだ。


「石の割れ目から花が咲いています!」

「不思議ね。本当に石から咲いたのかしら」


 目を丸くするディアヌローズに、エレオノールは相槌を打った。


「これは《サリコーラ》。別名を石の花と云う。

 石に見える部分は葉で、水分を溜めているのだ」


 ディアヌローズはまじまじとサリコーラを眺めた。

 すると一つだけ、宝石みたいに綺麗なサリコーラがあるのを見つけた。


「姉さま。このサリコーラ、とても綺麗よ」

「まあ、宝石みたいね。アルフレデリックもご覧なさいな」


 アルフレデリックはそのサリコーラを一瞥する。

「……そうだな。先を急ごう」

 さして関心も見せず、ディアヌローズとエレオノールを急き立てた。


 なのに、ディアヌローズ達が障壁を出ても、アルフレデリックは出てこない。障壁の中をディアヌローズが窺い見れば、アントナンに何やら耳打ちしている。


「おいていきましょう。アルフレデリックの足ならすぐに追いつくわ」


 エレオノールとディアヌローズは先を進んだ。

 すぐにアルフレデリックは追いついてきて、また乾燥地の植物を眺めながら歩いて行く。少し歩調が速くなったので、本当に時間が気になるらしい。



 湿地の温室は、区画ごとに季節が違っていた。

 ディアヌローズはアルフレデリックに抱き上げられた。頼んでいないのに運がいい。観賞しながらとはいえかなり歩いたので、正直とても助かった。

 水芭蕉やシダ、池に咲く睡蓮をアルフレデリックの腕の中から眺める。足早にほぼ素通りし、扉の前でディアヌローズは下ろされた。



 そして次の温室。そこは────

 夏だった。


 魔方陣の赤い色は区画によって濃さが違い、場所によっては赤の混色になっている。


 蘭の区画に来た。魔方陣は赤と薄く青も見えるので、障壁は赤紫を帯びている。

 またアルフレデリックが率先して障壁に入っていき、ディアヌローズ達も後に続いた。途端に蒸し暑さが身体に纏わりつく。たくさん蘭が咲いている割に香りの少ないのが意外だ。


 アルフレデリックは、花の形が六芒星の蘭の前で足を止めた。エレオノールの掌ほどもある大きな花で、光沢のあるクリームがかった白色をしている。


「この花は《アステリ》と云う。特徴は花の後ろにある、この蜜腺だ」


 アルフレデリックの指の先には、花の根元から長く垂れた管のようなものがある。


「姉さま。きっと口の長い、きれいな蝶々が蜜を吸うのよ」

「見てみたいわね」


 ふたりが笑顔で話していると、アルフレデリックは口の片端を上げてにやりと笑った。


「蜜を吸いに来るのは、蝶ではなく蛾だ」

「…………。知りたくありませんでした……」


 恨みがましい目で、ディアヌローズはアルフレデリックを見上げた。

 エレオノールも眉を(ひそ)めている。


「事実から目を背けても、事実は変わらない」

 事も無げにアルフレデリックは言った。


「姉さま、早く行きましょう。蜜を吸いに、蛾が来るかもしれないわ」

 夢を壊した挙句の説教なんて聞きたくもない。ディアヌローズはエレオノールの手を引っ張っぱった。回れ右をして、見学路に向かう。


「蛾は夜行性だ」


 ちっとも乙女心を介さないアルフレデリックの声を無視して、ふたりは足早に障壁から出た。



 最後の温室は密林だった。

 今までで一番、魔方陣は赤が濃く、そこにはっきりと青の魔方陣が重なって見える。放つ光は紫だ。

 樹々にはつる植物が巻きついていたり、幹に根をはる着生植物が多く見られる。大ぶりで鮮やかな色の花が目を引いた。



 とうとう一番突き当りまでやって来た。


 真っ先にエレオノールが眉を(ひそ)め、

「あれがそうかしら。……なんだか美しくないわね」と、言葉を落とした。


 それは、一個体で障壁が張られていた。

 高さが大人二人分はあろうかという、とても大きな紫がかった海老茶色の花だ。


「大きな燭台みたいですね」

 ぽかんと口を開けて、ディアヌローズはその植物を見上げた。



「《チランギー》だ。

 ニオイが独特なのだが、滅多に咲かない花でもある。

 興味があるなら嗅いでみるといい」

 アルフレデリックは言った。


 たしかに滅多に咲かない花であるなら、次に咲いた時に生きている保証はない。ディアヌローズは障壁に大きく一歩を踏み出した。


「待てっ!」

 焦ったアルフレデリックの声が飛んだ。


 と同時に、

『よせ!』と、ウルラの聲がディアヌローズの脳内に響いた。


「えっ!?」


 振り向くディアヌローズの身体は、その勢いのまま障壁を越えた。

 その瞬間────

 肉の腐敗したような強烈なニオイが鼻をついた。

 咄嗟に手で鼻を塞いだが、激しい吐き気に襲われる。


 その場にしゃがみ込みそうになった身体を誰かの腕によって引き寄せられ、障壁の外に出された。


「莫迦者!」


 低く唸ったアルフレデリックをディアヌローズは見上げた。

 激しく鼻に皺を寄せている。


「……。ディアヌローズ……」


 苦しそうな声のエレオノールを見れば、ひどく顔を顰め、手で鼻を覆っていた。こんな表情のエレオノールをディアヌローズは今まで見たことがない。



「出るぞ」


 アルフレデリックの一言で、みんなは逃げるように温室から出た。


 ディアヌローズはアルフレデリックの小脇に抱えられて外に出された。

 芝生に下ろされ、四つん這いになる。気持ち悪い上にお腹を圧迫されて、今にも吐きそうだ。外に出ても、あの腐敗臭が鼻に残って消えてくれそうにない。

 頭の中では『何故(なにゆえ)(われ)の制止をきかぬ』と、ウルラの小言が続いている。


 みんなは深呼吸をしたり、衣装をパタパタ叩いたりと忙しない。


「ブラスク」

 顔を顰めたまま、アルフレデリックは風の精霊を呼び出した。


 ブラスクは出てくるなり(あるじ)そっくりに鼻に皺を寄せ、自身の周りに強く風を巡らせた。

 ニオイを吹き飛ばすようにアルフレデリックに命じられると、風を巻き起こしながらみんなの間を通り抜けて、纏わりついたニオイを吹き飛ばしていった。


 顔色がみるみる良くなっていく人たちの中にあって、ただ一人、ディアヌローズだけは顔色が悪く、口を押さえて蹲ったままだった。


 アルフレデリックは深く大きく溜息してから、ディアヌローズに癒しをかけた。

 気持ち悪さが消えて人心地ついたディアヌローズに、目を三角にしたアルフレデリックの小言が放たれる。


「迂闊にもほどがある。

 私は、ニオイを嗅いでみるよう言ったのだ。中に入れとは言っておらぬ」



 むう、とディアヌローズは唇を突き出した。

「ご存知でしたなら、先にひどいニオイだと教えてくださればいいのに」


「自身の迂闊を私のせいにするな。

 よくわかりもせぬのに、いきなり飛び込む者などおらぬ。

 我らこそ、其方のせいでひどい目に遭った」


 アルフレデリックは非常にオカンムリだ。

 そのアルフレデリックに、エレオノールは眉を吊り上げた。


「わたくしも、ディアヌローズの言うとおりだと思うわ。

 ひどいニオイだと教えたなら、ディアヌローズだって入らなかったわよ」


「それではニオイを嗅いでみないだろう。一度は経験してみるべきだ」

「二度と御免だわ」


「私は二度目だ」

 アルフレデリックはむすりと言った。


 束の間エレオノールは目を瞠って、それからくすりと笑った。

「ばちが当たったのよ。きっと」


 はらはらしながらふたりを見ていたディアヌローズは、

「ごめんなさい」と、肩をすぼめる。

「忘れられない思い出になりました……」言葉を落とした。


「わたくしもよ」

 エレオノールはそう言って、ディアヌローズを見つめた。

 顔を見合わせて、どちらからともなく笑み零れる。ふたりは声を上げて笑った。


 みんなからも笑みが漏れ、ひとしきり笑い合った。

 けれどアルフレデリックだけはその間、眉を顰めて黙り込んでいた。



「帰るぞ」低い声でアルフレデリックは言った。


 ディアヌローズは立ち上がろうと、芝生に手をつく。

「──あれ?」

 生まれたての小鹿みたいに足がプルプルする。ちっとも立ち上がれない。


「体力の限界だな」

 ディアヌローズを見下ろして、アルフレデリックは言った。


「癒していただきましたのに……」

「癒しで体力は戻らない。体力を戻すのは、回復薬だ。

 だが、洗礼前に回復薬の使用は禁止されている」


「……ほんの少しだけなら……」

 ディアヌローズはできれば自力で歩きたいのだ。もうきょうは随分アルフレデリックに抱き上げてもらっている。さすがにこれ以上、迷惑を掛けたくなかった。


「体力だけでなく、魔力も回復するのだ。

 魔力腺が未発達の洗礼前に使用すると、命を落とす危険がある」


 しょんぼりするディアヌローズに、アントナンが言う。

「花まつりからまだひと月ほどですからね。とても頑張られましたよ」


「ええ。きょうのために、毎日欠かさず庭を歩かれましたもの」

 フォセットも言葉を重ねた。


「偉いわ」

 エレオノールはディアヌローズの頬を撫で、それからアルフレデリックに向いた。

「ディアヌローズを抱き上げて。じきに閉園になるわ」


 アルフレデリックはディアヌローズを抱き上げる。

 一行は馬車の待機施設へと向かった。






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