中立領プリエテールの植物園(4)
馬車の待機施設まで戻ってきた。日はかなり傾いていて、領事棟に着く頃には空を鮮やかな色に染め上げていることだろう。
ディアヌローズはアルフレデリックの腕から下ろされた。
途端に、ぐぅ、とお腹が鳴った。慌ててお腹をおさえる。抱き上げてもらうのは強制的な面もあって慣れたけれど、さすがにお腹が鳴るのは恥ずかしすぎる。いくら子どもになったとはいえ、これはない。顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。
「まあ」
目を丸くするエレオノールに、フォセットは困ったように眉尻を下げて言う。
「朝からそわそわされて、昼食も小鳥ほどしか召し上がりませんでしたの」
「早く戻らなくてはね」
エレオノールはディアヌローズの羞恥で真っ赤になった頬を撫でた。
恥ずかしさには変わりないけれど、少しだけ、子どもで良かったとディアヌローズは思った。
馬車に乗り込み、すぐに出発する。帰りもディアヌローズの隣はエレオノールで、向かいはアルフレデリックだ。
ディアヌローズは恥ずかしさを誤魔化したくて尋ねる。
「姉さま、他にも温室はあるのでしょう?」
「あるわよ。見学できる温室は、薬用植物棟に果樹棟、あと幾つか。
許可を得ないと見学できない温室もあるわ。魔植物棟とかね。
有毒植物や食獣植物といった危険なものは見学できないの」
「食獣、ですか!?」
「そうよ。わたくしは見たことはないけれど……
アルフレデリックはどう?」
窓枠に肘をついた手で、アルフレデリックは顎を摩った。
「ある。ディアヌローズほどの大きさなら食われるだろうな」
「……っ!」
ふたりが声にもならない声を上げると、アルフレデリックは悪い笑みを浮かべた。
エレオノールは柳眉を寄せて、アルフレデリックを睨む。
「揶揄ったのね! 酷いわ、アルフレデリック」
「嘘は言ってない。未消化の獣がディアヌローズくらいだった」
平然とアルフレデリックは言った。
エレオノールは顔色を悪くする。
「未消化……そんなこと教えないで……」
「訊いてきたのは君たちだ」
ふんと鼻を鳴らして、アルフレデリックは窓の外に顔を背けた。
エレオノールの顔色は悪いままだ。想像してしまったのだろう。
斯く言うディアヌローズも同類である。最悪なことにチランギーのニオイまで思い出して、気持ち悪さも倍増だ。揺れと空腹も相まって馬車酔いになり、身体を丸めてエレオノールに凭れかかった。
「大変!」
エレオノールは焦った声を上げた。
「はぁ……、またか」
面倒だと言わんばかりの顔で、アルフレデリックはディアヌローズに癒しをかけた。
気持ち悪さの引いたディアヌローズは丸めていた身体を伸ばした。
「ありがとう存じます、アルフレデリック様。馬車酔いも癒せるのですね」
「当然だ」
「──でも、以前は……」
神の家の見学に向かう道中、ディアヌローズは酷い馬車酔いになったけれど、アルフレデリックから癒しを受けることはなかった。おかげで、途中何度も休憩をはさみ、到着までにかなりの時間を要した。神の家では見学どころか、ほぼ椅子に掛けていただけ。身体を引きずるように歩くのがやっとだった。
ああ、とアルフレデリックは思い当たったように言う。
「何故、神の家に向かった際の馬車酔いを癒さなかったか、と?」
「はい」
ディアヌローズは貝紫の瞳をアルフレデリックに向けた。
暫し、アルフレデリックは頤を親指で摩った。
「理由はいくつかあるが────
最大の理由は、其方の体が弱いことを印象付けるため。
あとは、其方に余計なことを喋らせないため。
容易に行き来できない場所であることを其方に理解させるため。
概ね、そんなところだな。想定以上の効果であった。
こちらの望むどおり、実に効率的に事が運んだ」
「……そんな……」
望むどおりとは、神の家での契約に関することだろう。神の家に預けられたが身体が弱くて直ぐに亡くなった事にする、というもの。それを、他の聖堂から転移したと告白した時に教えられた。
神の家を見学したあの日は馬車酔いで気持ち悪いながらも、挨拶する間合いを見計らっていた。結局、その機会は無かったわけだが。仕組まれていたなんて思いも寄らなかった。でも、そこまでする必要はあっただろうか。
アルフレデリックはディアヌローズの考えていることを見透かしたように、淡い金瞳をディアヌローズに向けた。
「実際、其方は話す機会を窺っていた。
だが、あそこで生きていけると思ったか?」
ディアヌローズは唇を引き結んだ。アルフレデリックの言葉は問いではなく、確信の言葉だ。まさにそのとおりで、ディアヌローズは顔を俯けた。
エレオノールはディアヌローズの肩に回していた腕を強めて、抱き寄せた。
「馬車酔いさせたままで可哀そうなことをしてしまったけれど、わたくしたちも必死だったの。赦してね」
ふるふると、ディアヌローズは頭を振った。いつも後になってから、みんながどれほど自分のことを考えてくれていたかを知るのだ。自分はさっぱり返すものが無いというのに。
そうだわ、とエレオノールはさも思い出したように、ひときわ明るい声を出した。
「洗礼式の衣装が縫い上がってきたのよ。刺繍を始めたわ。早く終わらせて、アデライード様にお渡ししなくてはね」
「ありがとう存じます。姉さま」
そう言ってディアヌローズがエレオノールを見上げれば、エレオノールは杏色の目を細めた。
「健やかな成長を願う魔方陣はアデライード様が刺繍されるでしょうから、わたくしは領地の主神が司る加護にしたの。智慧と知識の加護をねがう魔方陣よ」
ディアヌローズはきょとりとする。
「領地の主神が司る加護?」
「ええ。わたくしの領地はアロガントル。
主神は闇の神なの。智慧と知識を司るのよ」
建国神話に、主神が司るものは載っていただろうか。ディアヌローズはどうにも思い出せない。小言を覚悟で訊ねてみる。
「アルフレデリック様、ランメルトの主神が司るものは何ですか?」
「ランメルト領の主神は光の女神。慈悲と仁導を司る」
小言を言われないところをみると、どうやら建国神話には載っていないらしい。ディアヌローズは胸を撫で下ろした。
「では、中立領プリエテールは?」
「花の女神フェルヴェリーラの加護は、主に植物に向けられている」
ディアヌローズは花まつりで馬車から撒かれた花びらを思い出し、次いで、祈りの日に儀式の中で神官が祭壇の床に花びらを撒いていたことを思い出した。
「あっ!」と、思わず声を上げた。
「どうしたの?」
突然の声に驚いて、エレオノールは尋ねた。
「思い出しました。
バスティアン様は、祈りの日に長い杖を持って儀式をされていた方です。
聖堂長なのですか?」
「バスティアン様は中央聖堂の神官長よ。
聖堂長はあなたもよく知っている方だわ。
ミゼリコルド様なの」
白金の長い睫毛をディアヌローズは数度瞬かせた。言われてみれば、とてもしっくりくる。銀色の長い髪と長い髭で儀杖を持つ姿。広く深く胸に沁みてゆく、穏やかな声。
「通常、儀式は聖堂長が行う。
だが、あの頃の導師は天候不順の対応に追われていた」
頤を摩りながら、アルフレデリックは言った。
「なぜ、アルフレデリック様はミゼリコルド様を導師とお呼びするのですか?」
「導師は呼称だ。
ミゼリコルド様は中央聖堂長だが、同時に人を導く方でもある。
聖堂関係者でなければ、導師とお呼びする者がほとんどだ。
出身はランメルト領であり、私の師だ」
「呼称と言えば、バスティアン様は賢者と呼ばれているわ。とても人望のある方よ」
エレオノールは言った。
「では、賢者であり神官長でもある方が、植物の手配に駆り出されたのですか」
ディアヌローズは驚きを隠せない。
ふふっとエレオノールは笑んだ。
「バスティアン様は労を惜しまない方なの。周りを気遣って、ご自分から奔走されているのでしょう」
「アルフレデリック様もバスティアン様をご存じなのでしょう?」
ディアヌローズは尋ねた。
アルフレデリックは窓の外に目を向けたまま、
「──ああ」と言ったきり、何も語らなかった。
バスティアンをよく知らないのだろうか。ディアヌローズは小首を傾げる。
ふと、バスティアンを褒めたことが面白くないのかもしれない、と思った。とするなら、とても子どもっぽい。あるいは、エレオノールが褒めたから嫉妬したとか。この理由の方が素敵だけれど、ありそうもない。
ただ、何となく普段のアルフレデリックとは違う気がした。
だからつい、「アルフレデリック様は、精霊使いでしたね」
と、口をついて出てしまった。
すると案の定、
「それがどうした」と冷たい声が返ってきた。
これ以上は止めておいた方が良さそうだと口を噤む。
暫くすると、「ふわぁ……」と欠伸が出た。
エレオノールの温もりが心地よくて瞼はだんだん重くなっていき、終いにディアヌローズは眠り落ちた。
「静かになったと思えば、眠ったのか」
すよすよと眠るディアヌローズを見て、アルフレデリックは嘆息した。
「忙しないことこの上ない。まったく手がかかる」
エレオノールは柔らかな眼差しでディアヌローズを見つめる。
「きょうはとても楽しかったわ。──いいえ。今までで一番楽しかった。
これが最後でも悔いはないけれど、また出掛けたいわ。
わたくしはとても欲張りになった……。
ディアヌローズが愛おしくて、
共に過ごす時間が愛おしくて、
何ものにも代え難くて。
また共にいたいと、そう願わずにはいられないの。
ディアヌローズと出会う前、わたくしはどうやって過ごしていたのかしら、ね」
言い終えると、ディアヌローズの白金の髪を慈しむように撫で梳いた。




