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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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神の家の調査報告(2)

 ディアヌローズの脳裏には、森で別れ際に見たレミとエマの表情が刻み込まれている。

 緊張の抜けきらない強張った顔。レミはアルフレデリックの癒しにより死の淵から戻って間もなく、エマはレミを喪う恐怖を味わったばかりだった。

 あの日からというもの、二人を思い出すたびにその表情が浮かぶ。


 本当は自ら神の家に赴いて、自分の目で確かめたかった。けれど契約があるからと断念せざるを得ず、ならばせめて様子を教えてほしいとアルフレデリックに強請ったのだ。


 ディアヌローズは手を胸の前で組むと、アントナンの顔をじっと見た。レミとエマについての報告を聞き洩らさないようにと、息を凝らした。


 まずはエマの様子からお話しますね、とアントナンは話し始めた。

「森から戻ったばかりの頃は怯える様子も見られたそうですが、今ではすっかり元に戻ったとのことです。

 私も直に会って話をしました。とても元気で、笑顔を見せてくれましたよ」


 アントナンはそう言って、ディアヌローズに笑みを向けた。


 ほっ、とディアヌローズは小さく息をつく。エマのはにかんだ笑顔が頭に浮かんだ。でもレミの様子を聞くまで、まだ安心はできない。一番の気掛かりはレミの体調。アントナンを貝紫の瞳で見つめた。



「──次に、レミについてですが……

 レミは、神の家にはおりませんでした」


「えっ……」

 ディアヌローズの口から声が零れた。

 目をこれ以上ないほど大きくし、組んでいた手は解けて落ちた。

 まさか、と最悪の事態が頭を過る。


 アントナンは落ち着いてと言いたげに、手を小さく上下に振った。


「ああ、誤解なさらないでください。悪い話ではありません。

 レミは引き取られていて、神の家には居なかったのです。


 ──話を続けてもよろしいですか?」


 こくりとディアヌローズは頷いた。鼓動の音が身の内で、煩く、速く、鳴り響く。



「引き取られたのは、葉月の初め頃。

 正確な日にちと引き取り先は、契約により訊き出せませんでした。


 ですが、森から戻ってからの様子は聞いております。

 週一巡りの十日ほどは顔色が悪かったらしいですが、以降は顔色も日に日に良くなって、元気に動き回っていたそうですよ。


 ──よろしかったですね」



 本当にレミは引き取られたのだろうか──。ディアヌローズは気になって仕方ない。自身の手を見下ろした。あの日、レミの血に塗れた感触が甦る。温かくぬるりとしたレミの血の感触。

『傷は治っても失った血は戻らぬ』と、アルフレデリックは言った。癒しではどうにもできないと。

 自分を庇って負った傷がもとで、もしもレミが助からなかったのなら──。

 訊ねる勇気が出ないまま、目を細めて笑むアントナンを見つめた。



「死んだと考えているのではあるまいな」


 正面にいるアルフレデリックが、ディアヌローズの心を見透かしたように言った。その声には少なくない非難が籠められている。

 そこで初めて、ディアヌローズはアルフレデリックに誤解を与えていると気付いた。

 慌てて言い募る。


「違います! アルフレデリック様の癒しを疑ってなどおりません。

 ……ただ心配だったのです。

 癒しでは血は戻らないのでしょう?

 もしも血が足りなくて、命を落としていたら……。そう思うと苦しくて……。 

 ですが、アルフレデリック様にそう思われても仕方のない振舞いでした。

 申し訳ございません……」


 しゅんと肩をすぼめるディアヌローズに、アントナンは微苦笑を浮かべた。


「嘘は申しておりません。

 真実、レミは引き取られたのですよ。

 引き取り先が知れないので、不安になられたのでしょう?」


 はい、と消え入りそうな声でディアヌローズは返した。



「神の家から引き取られる子どもは、ほぼ契約により引き取り先を秘匿されるのですよ。

 それは、神の家出身であることが知れると、蔑みの対象となるからです。

 その子供を守るため、契約を結ぶのです。


 ご理解いただけましたか?」



 アントナンの言葉は、ディアヌローズを納得させるのに十分だった。エマも神の家の子どもで、拉致された子の一人から蔑みの言葉を投げかけられて傷ついたのだ。ディアヌローズは、それを目の当たりにした。


「はい。……ありがとう存じました」


 ディアヌローズはアントナンに礼を述べて、アルフレデリックをちらりと窺った。淡い金の瞳と目が合う。無表情だが、機嫌が悪そうだった。

 何か話題を……と、頭を巡らせる。



「……あ、あの、エレオノール様が植物園に誘ってくださいました。

 行ってもよろしいですか?」

「今の其方では無理だろう」


 表情を変えずにさらりと言われて、ディアヌローズの眉根が寄った。


「どうしてですか?」

「植物園について知っているのか?」


 非難がましいディアヌローズの口ぶりを気にもせず、アルフレデリックは問いを問いで返した。

 ますますディアヌローズの眉根は寄った。


「エレオノール様から伺いました。

 聖堂の裏手にあって、花から薬草まで、様々な種類の植物が植えられているそうですね」


「正解とは言えないな。聖堂が山の麓を一周しているのは知っているだろう。

 聖堂の裏手とはいっても、植物園は山の反対側にある。しかも敷地は広大だ。

 つい先ほど息が上がってアントナンに抱き上げられた其方では、途中で疲れ果てて動けなくなるであろう」


「そんな……。

 ですが、花を観るだけなら、そんなに歩かないのではありませんか?」


 エレオノールとの外出がかかっているだけに、ディアヌローズは簡単には引き下がれない。

 そんなディアヌローズに、アルフレデリックは鼻を鳴らした。


「中立領は花の女神フェルヴェリーラの領地。花の区域が一番広い。

 其方のこと故、見物に夢中になって動けなくなるのが目に見えるようだ」


 アントナンが手を上げて、発言の許可を求めた。


「失礼ながらアルフレデリック様、その時には私がお嬢さまを抱き上げてお運びいたしましょう」

「では其方がついて行け。私は行かぬ」


 おや、と僅かに目を大きくして、アントナンは顎に手をやった。

「エレオノール様より、

 お嬢さまとの外出の際に同伴する許可をいただいた記憶がございますが」


 アルフレデリックは眉間に皺を寄せた。

「『考えておく』と言っただけだ。私は行かぬ」



「エレオノール様がいらっしゃるのに、

 私ごときがアルフレデリック様の代理など、務まるわけございませんでしょう。

 たしか……

 移領までの思い出作りのお出掛け、とのお話でしたね」


 アントナンは訳知り顔でそう言うと、アルフレデリックからディアヌローズへと顔を向ける。

「諦めるしかありませんね。……残念です」

 同情するように、やれやれと頭を振った。


 ディアヌローズはしょんぼりと肩を落とした。体力が無いのも事実であるし、アルフレデリックの不興を買った自身の迂闊さが元でもある。諦めるしかなさそうだった。


「エレオノール様には辞退の連絡をいたします」

「別に、『行くな』とは言っていない。

 私は行かぬ、と言っただけだ。私は忙しい」



「何を揉めている? 行くとか、行かぬとか、何の話だ?」


 コンスタンティンの声だった。

 どうやら、揉めていてコンスタンティンの来訪に気付かなかったらしい。

 颯爽と二人の許までやって来たコンスタンティンの瞳は、好奇心丸出しに輝いている。


「父上……。なに用で?」

 面倒そうに問うアルフレデリックの隣に、コンスタンティンはどかりと腰を下ろした。

「すげないな、アルフレデリック。領地に戻るゆえ、ディアヌローズの顔を見に来たのだ」


「戻られるのですか?」

 驚くディアヌローズに、コンスタンティンは愛おしそうに緑柱石の瞳を向けた。

「ああ。私の仕事は終わったからね。後はアルフレデリックに任せられる」


「……。ですから『忙しい』と仰ったのですね」

 アルフレデリックにしては珍しく、大きく頷いて見せた。微かに蒼い銀髪が揺れる。

「そうだ。私は忙しくて同行できぬが、其方は行ってくればいい」


「どこへ行くのだ?」

 コンスタンティンの問いに、ディアヌローズはアルフレデリックをちらりと見て口を開く。

「エレオノール様より、植物園にお誘いいただいたのですけれど……」


 コンスタンティンはアルフレデリックを一瞥すると、にやりと口端を上げた。


「アルフレデリック、同行するように。

 さすれば私も安心してランメルトに戻れる。

 私も多忙だ。これ以上、仕事が増えないことを願っている」


 暫し、アルフレデリックはコンスタンティンを見つめた。固く目を瞑る。

 諦めたように嘆息すると、ディアヌローズに淡い金瞳を向けた。


「──当日までに体力をつけておきなさい」


 ディアヌローズは長い白金の睫毛を(しばたた)かせた。

「……よろしいのですか?」


「父上の命であれば、従うほかあるまい……」

 渋々とばかりに、力なくアルフレデリックは言った。


「楽しんでおいで、ディアヌローズ。

 なに、疲れればアルフレデリックに頼めばよい」


 アルフレデリックは、ぎょっと肩を揺らした。

 すかさずコンスタンティンに向かって、

「冗談はやめてください」と低く声を出す。

 ディアヌローズには、

「明日から庭を歩く課題を追加する」と、厳しい声を上げた。



「──ガンバリマス……」


 アルフレデリックは本気だ。ディアヌローズは覚悟する。

 一体どれくらい歩かされるのだろう。想像するだけで背筋が寒くなって、ぶるりと震えた。


「ほどほどにしてやりなさい」


 コンスタンティンは肩を竦めると、気の毒そうにディアヌローズを見た。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 アルフレデリックは自身の執務室に戻った。

 やや雑に執務椅子に掛けると、アントナンに問う。


何故(なにゆえ)、朗報と言った?」

「おや。違っておりましたか? 私は朗報と確信いたしておりましたが」


 飄々とアントナンは答えた。


「──いや、朗報ではあるが……」


 歯切れの悪いアルフレデリックとは対照的に、アントナンの口角は上がった。


「迷いをお見せになるとは──。

 如何されました?

 レミが神の家にいる間、お嬢様は罪悪感から気にされるでしょう。


 引き取られたのは、実に好都合ではありませんか。

 今は気になさっても、そのうち忘れられますよ。

 できれば、エマも早くどこぞに引き取られて欲しいものです」


「……そうだな」


 変わらず浮かない声のアルフレデリックに、アントナンの口調はますます軽妙になる。


「お嬢さまのご心配をされていらっしゃるのですか?

 今後レミと会う可能性は、ほぼないでしょう。

 お嬢さまが引き取り先を知ることもありません。

 アルフレデリック様のご心配は、きっと杞憂に終わりますよ」



 アルフレデリックはアントナンを下がらせた。


 背もたれに深く凭れて指を組むと、目を閉じた。



 確かにアントナンの言うとおりだと、アルフレデリックも思っている。

 神の家から引き取られる者の末路を、ディアヌローズが知ることはまず無い。

 神の家に居る、その時点でその者の道はほぼ確定している。


 契約を破棄しない限り、引き取り先が知れることはまずない。

 にもかかわらず一抹の不安を覚えるのは、ディアヌローズが絡んでいるからだ。

 ディアヌローズが関わると、想定外の事態になってばかりいる。


 もしも、神の家から引き取られる者の末路をディアヌローズが知ってしまったら。

 もしも、レミの引き取り先をディアヌローズが知ってしまったら。


 また面倒なことになる。

 体調を崩すだけでなく。


 その時に掛ける言葉など、アルフレデリックは持ち合わせてなどいない。

 やはり、自分はディアヌローズの心の支えにはなれない。

 コンスタンティンの期待には応えられない。

 あの日、ディアヌローズを支えてほしいとコンスタンティンに言われてから、その言葉は錨のようにアルフレデリックの心に留まり続けている。


 まったく、らしくない──。






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