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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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神の家の調査報告

 ディアヌローズたちがブローチの意匠を決めていた頃。


 神の家の調査からアントナンが戻ってきた。アルフレデリックの執務室に入るなり、アントナンは表情を険しいものに一変させた。ふだんの気安さはなりを潜め、黒瞳には険しい光がある。


 アルフレデリックは瞬時に好ましくない結果であると判じ、報告をコンスタンティンと共に受ける方が効率的であると決めた。

 アントナンを連れて、コンスタンティンの執務室に移動する。



 コンスタンティンは、執務机で山と積まれた書類に向き合っていた。書類を乱雑に脇へと手で押しやると、両肘を机上について手を組み、聞く体勢をとった。



「神の家の調査報告です」


 アルフレデリックはそう言うと、隣のアントナンに顔を向け、目で報告を求めた。

 重々しくアントナンは首を縦に振る。


「まず井戸水についてですが、過去及び現在おいて、井戸水が濁ったことはないとのことです」

「やはりな」


 頤を親指で摩るアルフレデリックに、アントナンは黒い瞳を向けて声を一段低める。


「気になる話が。見学した当日に下働きが一人、行方不明になったそうです」


 アルフレデリックは片眉を上げる。

「それで?」と、先を促した。


「名はデフー。その者が女児、名をエマと云いますが、エマに杯を渡しているところを見ていた者がいました。

 昼の支度で忙しい最中(さなか)にエマを呼び止め、杯を渡して何やら話していたので、よく覚えていると」


「では、エマが汲んだ水ではないのだな?」

「はい。子どもらは喉が渇けば自分で水を汲むそうです。

 デフーは、昼の片づけを終えた頃にはいなくなっていたと」


「デフーを目撃したのは、エマに杯を渡した時が最後か?」


 はい、と首肯するアントナンに、アルフレデリックは問いを重ねる。


「デフーは長く神の家で働いていたのか?」


「いえ。お嬢様を見学にお連れした時、デフーは働き始めてひと月ほどだったとのことです。

 デフー曰く、『元は旅商人で、騙されてすべてを失ってしまった』と。

『子どもが好きだから神の家で働かせてほしい』とやって来たそうです」


 コンスタンティンは緑柱石の目を僅かばかり大きくして、

「聞くからに怪しげな男をよく雇ったな」と、呆れた声を上げた。


 同意するように、アントナンは肩を竦めてみせた。


「『仲間が迎えがくるまで、食事さえもらえればいい』と言われたそうです。

 神の家で働きたがる者はほぼ皆無で、常に人手不足だとか。

 賃金さえ要らない者を断る気になれなかったと、責任者は申しておりました。

 ですので、挨拶も無しにいなくなったことに腹を立てたものの、荷物も無くなっていたので、きっと仲間が迎えにきたのだろうと思ったとのことです」



「デフーの人相や特徴は?」


 アルフレデリックが問うと、アントナンは手にした木札に目を落とした。


「痩せ型で中背。歳は中年。髪は灰色、瞳は黒。前髪が長く、目許ぎりぎりまであった以外、これと言って目立った特徴のない男だったと、大人たちは口を揃えて証言しています」


 ますます怪しいではないか、とすかさずコンスタンティンが反応した。

「旅商人とはいえ、まがりなりにも商人だろう。そのようにだらしのない髪をしているものか!?」


 アルフレデリックは訝し気に眉を寄せる。

()()()()というのなら、()()()は違うのか?」


「──はい。デフーと遊んだ子の中に、眉の上に傷があったと証言する者がおりました。一人だけですが」


「それを隠すためか……」コンスタンティンは言葉を落とした。


「そうですね。疚しいことがなければ、隠す必要はないでしょう」

 アルフレデリックは相槌を打ち、

「服装に不審な点は?」と、アントナンに訊ねた。


「こげ茶の短上衣とズボン。シャツにタイツ。革ブーツ、皮ベルト。

 旅商人としては中の下ほどで、いたって普通だったそうです」


「仕事ぶりはどうであった?」

「壊れた卓子や椅子の修繕、家屋の補修などを率先して行っていたそうで、かなり重宝がられていたようです。

 あとは家屋周りの草刈り、鳥や小型の獣を狩ってくることもあったと。

 一様に評判は上々でした」


「これで全てか?」


「一応、子ども全員にも聞き取りをしました。先ほどの証言のほかは、大した収穫はありませんが。

 ──手の空いた時にはよく遊んでくれたそうで、多くの子が懐いていたようです。

 手先が器用で、木の玩具を強請られては作っていたと。男児には独楽、女児には人形が人気だったそうです。

 ほかには、ナイフを上手に使っていた。手がごつごつしていた。掌が固くてタコがあった。腕にぶら下がって遊んだ。森で獲物を三つも狩ってくる、と言った子もおりました。

 アルフレデリック様ご指示の調査報告は以上です。あとはお嬢さまご依頼分の報告がありますが……」


「いや。そちらは後でいい」


 人当たりがよく、気安い雰囲気を漂わせているアントナンは、垂れ目気味の風貌もあいまってか、相手を警戒させずに話を引き出してくる。口調や接し方も相手に合わせるのだが、どうやら子どもにまでその能力を発揮してきたらしい。

 施与の荷下ろしほどの短時間で、十分な成果を上げてきた。アントナンを行かせたのは正解だったといえるだろう。



 アルフレデリックはコンスタンティンに向いた。


「旅商人にしては狩りが上手すぎる気がします。鳥を狩るのなら弓矢も使える。小型の獣とはいえ、三頭も狩るのは容易くありません。

 手のタコも、剣ダコの可能性があります。

 おそらく、デフーという名は偽名でしょう」


 こつこつ、とコンスタンティンは指先で机を叩いた。ややあって、その手を止める。


「子どもを懐かせたのは、毒杯を運ばせるためか?」

「可能性はあります。まだ毒杯と確定はしていませんが」



 そこが悩ましいところだと、アルフレデリックは思っている。

 ことが発覚したのは、数日前の濾過器の話から。神の家見学の際、子どもに水を差し出されたが、その杯の水は濁っていて飲めなかった、とディアヌローズが言ったのだ。


 話を聞いた時点で考えられた可能性は、毒物の混入、井戸水の濁り、または杯が汚れていた場合。そして、本人は濁っていたと断言しているが、見間違いによる場合だった。

 しかし、井戸水が濁ることはまずない。もしも井戸水に毒が投げ込まれたのなら、神の家にいる全員に影響が出ているだろう。だが、そのような話を中立領の者から耳にしたことはない。

 杯が汚れている可能性も低いだろう。そうであるなら、『水が濁っていた』とは表現しないと考えられるからだ。


 そこでアントナンを調査に向かわせたわけだが、望まない結果となった。

 神の家を(おとな)ったのは昨年の(エティスタース)、穀月のこと。今は(エアリューリス)の葉月。九か月も経っている。つくづく、その場で究明できなかったことが悔やまれる。

 仮に、ロンタールの指示によるものであるなら、以降の魔獣襲撃や、拉致は防げたに違いないのだ。


 今となってはデフーを見つけ出さない限り、毒杯であったかを知る術はない。

 本当に毒杯であったなら、ディアヌローズが口にしなかったことは、不幸中の幸いと言えるだろう。 



「ロンタールは何と? 尋問したのだろう?」

「神の家を訪問した当日、ロンタールは終日訓練でした。信頼できる者の証言もあるので、確かかと。尋問もしましたが、この件には関与していないと思われます。

 ですが今回の調査によって、デフーなる者との接触があったかを調査しなければなりません」


 コンスタンティンは「あと考えられるのは……」と呟くと、

 前屈みになってアルフレデリックとの距離を詰めた。アルフレデリックも顔を寄せる。

「術者か?」コンスタンティンは声を潜めた。


 アルフレデリックは身体を起こし、暫し考えを巡らす。我知らず、広げた両手それぞれの指先を合わせると、その人差し指で鼻先を摩った。

 その手を離し、

「可能性を否定はしません……」と返した。



 仮説はあるが、口にはしなかった。口にするにはまだ早い。まだ、アルフレデリックはコンスタンティンから全てを教えられてはいない。そう感じているからだ。確信を持つに足る駒が揃っていない。


 訊ねれば、教えてくれるだろう。

 しかし、アルフレデリックには躊躇いがある。ディアヌローズの秘密を知らされたあの日、コンスタンティンから願いという名の覚悟を求められた。

 おそらく、否、間違いなく、全てを教えられる条件はディアヌローズを支えること。今のようにただ傍にいるだけでなく、心の支えになること。

 だがやはり、アルフレデリックにはその覚悟は持てない。今でも、他人の心などわからないし、己のことで手一杯なのも変わらない。


 あの日以来、コンスタンティンが再び同じ言葉を口にしたことは無い。たぶん、これからも──。アルフレデリックが自分から申し出るのを待っている。コンスタンティンは、父は、そういう人だ。

 試されているのかもしれない。アルフレデリックは思った。



 アルフレデリックの思考を断ち切るように、

「では誰だというのだ?」と、コンスタンティンが問いかけた。


「一つずつ可能性を潰していくしかないでしょう。まずは、ロンタールとイニャス、それぞれの交友関係を洗い直してみます。ヴァランタン兄上に、領地での調査を頼まなければなりません」


「ヴァランタンは、ロンタールの母親とイニャスの母親の調査で手一杯だろう。シーグフリードにも手伝わせるしかあるまいな。ディアヌローズの移領を早めたいというのに──頭の痛いことだ」


 コンスタンティンは顳顬(こめかみ)に手をやって、うんざりといわんばかりに蒼銀の頭を振った。


「シーグフリード兄上は父上の代行でお忙しいのでは?」

「こちらに、わたしの手はもう必要なかろう。其方に任せ、私はランメルトに戻る」


 アルフレデリックは親指で頤を摩り、淡い金瞳を伏せた。暫し考えて、金瞳をコンスタンティンに向ける。


「そうですね。父上にお願いするしかない手続きは終わりましたので」

「この書類の山に署名を終えたら、あとは任せる」


 そう言って、コンスタンティンは脇に押しやった書類の山を引き寄せた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




「レミとエマについて、ディアヌローズに話せぬ報告はあるか?」


 コンスタンティンの執務室を辞して廊下に出るとすぐ、アルフレデリックはアントナンに訊ねた。


「いえ。朗報だけです」

「ではこのままディアヌローズの処へ」


 ふたりはディアヌローズの部屋へ行った。

 だが、ディアヌローズはまだ面会室から戻っていなかった。

 アルフレデリックは自身の執務室へと引き返す途中で、遠目にディアヌローズの姿を見つけた。立ち止まってディアヌローズを待つ。


 ディアヌローズもこちらに気付いたらしい。歩みが早くなった、とは思うが、さして距離は縮まらない。思わずため息が漏れ、アルフレデリックは仕方なくディアヌローズに向かって歩き始めた。

 あっという間にディアヌローズの許まで行く。


「……はぁはぁ……。ごきげんよう、アルフレデリック様」

「ああ」


 息を切らすディアヌローズを見下ろして、アルフレデリックは少なからず驚いた。あの歩みはそこそこ全力だったらしい。今後、体力をつける課題の必要がありそうだと、心に留める。



「クロエに会わせていただき、ありがとう存じました」

 貝紫の瞳でアルフレデリックを見上げ、ディアヌローズは簡易ながらも礼を執った。


「ああ。戻るぞ」


 アルフレデリックが歩き出すと、慌ててディアヌローズも歩き始めた。小走りでアルフレデリックに続く。

 見兼ねたアントナンが抱き上げた。


「歩けます」

 未だ整わない息で、ディアヌローズはアントナンに抗議した。


「アルフレデリック様は俊足ですから、お伴するのは私でも難儀なんですよ」


 苦笑するアントナンに、ディアヌローズは眉を寄せて小首を傾げた。


「本当に?」

「ええ。本当です」


 あからさまにホッとした顔を見せ、ディアヌローズはアントナンに礼を言った。

 それから、アルフレデリック様、と声をかけた。


「先ほど、ブローチの注文を終えました。ありがとうございましたと、アデライード様にお伝えくださいませ」

「そうか」


「──それから、教えていただきたい事があるのです」

「何だ?」

「領事棟の扉はみな同じに見えますのに、どうして皆さんは躊躇ったり、間違えたりしないのですか?」

「……」


 一瞬、アルフレデリックは冗談かと思い、ディアヌローズを見た。しかし、至極まじめな顔で首を傾げている。どうやら本気で問うているらしい。時折り、ディアヌローズは莫迦げたことを訊いてくる。大抵は聡いというのに。


「部屋の用途を記していたら不用心ではないか。もともと、許可のある者のみが入室できる仕組みとなっているのだ。新任の者でもない限り、みな部屋の配置は憶えている。だが、部屋の確認をする方法はある。その場合は、杖を出して呪文を唱えなければならない。──人目を引くがな」


「わたくしも憶える努力をいたします」


 深く頷くディアヌローズを見て、アルフレデリックは呆れ返った。まだ杖どころか、洗礼さえ迎えていない。それを本人は理解しているのだろうか。



 話しているうちに、ディアヌローズの部屋に着いた。

 応接卓をはさみ、対面の席につく。


「レミとエマの様子についての報告だ。アントナン」


 アントナンが進み出た。






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