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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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お揃いのブローチ

 数日後。

 ディアヌローズはランメルト領事区域の長い廊下を歩いていた。ランセット窓からは穏やかな陽が入り、白い石床にディアヌローズの陰を躍らせている。


 前回この廊下を通ったのは花まつりに向かった時だった。それからまだひと月も経っていないのに昔のことのように思えた。あの日は前を歩くアルフレデリックに遅れてはならないと、必死に小走りでついていったのだった。

 きょうはディアヌローズの側仕えと護衛騎士だけなので、みんなディアヌローズに合わせてくれている。アルフレデリックとはこれから行く面会室で落ち合う約束だ。


 窓の反対側にはかなりの間隔をあけて扉が並んでいて、どの扉もこれといった特徴や用途を示す表示は見あたらない。なのにディアヌローズが見かけた者たちは皆、迷いも見せずに扉を開けては中に入っていく。それがどうにも不思議でならなかった。

 ふと、前にも同じ疑問を持ったことを思い出して、訊ねようとフォセットを見上げた。

 ちょうどその時────


「さあ、着きました」

 ある扉の前で、フォセットは立ち止まった。


 ここが目的の面会室。ディアヌローズはその扉を見上げた。やはり特徴もなければ表示もない。あとで必ず教えてもらおうと心に留めた。


 扉が開かれ、ディアヌローズは部屋の中に一歩入る。

 途端、たたらを踏んだ。


 跪き、(こうべ)を垂れてる人たちが、ディアヌローズの視線の先に並んでいた。



「早く中に入りなさい」


 背後からアルフレデリックの声がした。

 ディアヌローズはアルフレデリックに先を譲り、あとに続く。跪く人たちの手前で、アルフレデリックの斜め後ろに立った。



「顔を上げよ」


 アルフレデリックの一言で、跪いた人たちは顔を上げた。


 その中に友人である商人見習いのクロエを見つけて、ディアヌローズに笑みが零れる。他にも見知った顔が数人。フロラント商会の主人であるロラン、クロエと共に拉致を報せてくれたという主人補佐モリスの姿もあった。



「先日は其方らの報せにより、速やかに事を収めるに至った。本人が労いの言葉をかけたいと希望している」


 ディアヌローズ、とアルフレデリックに促されて、ディアヌローズは一歩進み出る。

 前列で跪いているロランとモリス、そして最後列のクロエを順に見た。


「報せてくださったおかげで、わたくしは無事に戻ってくることができました。感謝いたします」

 ほんの少しだけ腰を落として礼をした。


「この件に関して、契約を交わしていることを忘れぬように」


 一段低めたアルフレデリックの声は、ディアヌローズを不安にさせた。交わした契約とは何だろう。神の家で交わした契約みたいなものだろうか。あとでアルフレデリックに確かめなければならない。今さらとは思いながらも、後ろ足で砂をかける真似にならないことを祈った。



 商会主人のロランは灰色の頭を垂れ、

「心得ております」と礼を執った。

 ロランに倣うように、跪いている全員も頭を垂れた。


「あとは仕事の依頼を。フォセットが対応する」


 そう告げて、アルフレデリックは面会室を出て行った。



 扉が閉まったのを確認してから、ディアヌローズはフォセットに向く。胸の前で両手を組んだ。


「少しだけでいいの。クロエと二人きりで話をさせてくださいませ」


 フォセットは微苦笑を浮かべて小さく嘆息した。


「仕方ありませんわね。わたくしとマリレーヌが、お嬢さまの衣装を注文している間だけですよ」

「ええ、もちろんよ。ありがとう」


 満面の笑顔でディアヌローズはクロエのもとに向かい、畏まっているクロエの手を取った。


「あちらに行きましょう」


 戸惑うクロエの手を引いて、ディアヌローズは窓辺へと移動する。

 クロエはちらちらと商人たちを気にした。その商人たちは今、生地見本を応接卓に広げているところだ。


「あれはクロエのお仕事だった? ごめんなさい。どうしてもクロエと二人きりで話したかったの。話が終わったら、クロエが叱られないようにわたしが謝るわ」

「心配いりません。叱られたりしませんから」


 慌てたみたいにクロエは口早に言って、ばつが悪そうに苦笑した。


 もしかしたら、仕事を学ぶ好機を奪ったのかもしれない。ディアヌローズは思った。けれど、どうしても直接クロエと話したかった。渡したい物もある。そのために、アルフレデリックからこの機会をもぎ取ったのだ。次に得られる保証はなく、今を逃したくなかった。

 クロエの言葉に甘えると決め、「ならよかった」と小さく言葉を落とした。

 それからクロエの両手を握って、まっすぐクロエの黄緑色の瞳を見つめた。


「クロエ、本当にありがとう。あの時、あなたは気付かなかったと思ってた」


 すると、申し訳なさそうにクロエは眉尻を下げた。


「──すみません。詳しくは話せないんです。契約で……」

「そうだったの……。あなたは助けてくれたのに、迷惑をかけてしまってごめんなさい」


 やはりアルフレデリックの言っていた契約は、口外を禁じるものだった。ディアヌローズには商会の中に自分のことを吹聴する人がいるとは思えないし、話したところで誰も得をしないだろうにと思う。

 アルフレデリックは意味の無いことをしない人。そう知ってはいても、ディアヌローズには理解できそうになかった。



 しょんぼりと項垂れるディアヌローズに、クロエは両手を控えめに振った。


「大丈夫ですから。誰だってそう思うはずです」

「……ありがとう」


 クロエの気遣いが胸に沁みて、ディアヌローズはぎこちなく口端を上げる。せめてこれ以上クロエの仕事を邪魔しないと決め、手早く済ませようと、隠しに手を入れて星の欠片を取り出した。大人たちに背を向ける。


「あなたに受け取って欲しいの」


 差し出した星の欠片は、玻璃からの光を受けて様々な色をディアヌローズの掌上で見せている。

 クロエはひと目見るなり半歩下がった。


「受け取れません」

「大したものではないの。星まつりの夜にわたしが拾ったのよ。本当ならあの日、あなたにおすそ分けするはずだったの。遅くなってしまったけれど、受け取ってくれたら嬉しい」


 半歩ディアヌローズが前に出ると、クロエは遠慮がちに両手を掬うように上げた。星の欠片はディアヌローズの傾けた掌から転がって、クロエの掌に移った。

 ありがとうございます、とクロエは星の欠片を摘まんで光に翳した。


「きれいですね……」

「でしょう。だからクロエにもおすそ分けしたかったの」

「大切にしますね」


 ふたりは目を合わせて微笑み合う。

 クロエはハンカチに星の欠片をていねいに包んで、隠しにしまった。

 それからふたりでもう少しだけ話をしてから、大人たちの処に戻った。



 ディアヌローズは椅子に掛けて、大きな応接卓のむこう側で働くクロエを見た。クロエは友人の顔から、すっかり商人見習いの顔に戻っている。

 どんなにディアヌローズがクロエを友人と思っていても、この距離はきっと縮まらない。それがたとえようもなく淋しかった。



 まだ衣装の注文は終わっておらず、フォセットとマリレーヌは商人たちと話し合っている。


 さして衣装に関心のないディアヌローズは、面会室をぐるりと見渡した。ここはディアヌローズの部屋の半分ほどしかない。家具や布類は茶と薄蒼で纏められ、落ち着いた雰囲気だ。応接卓が大きいのは商品や書類を広げやすいためだろうか。壁際にも長卓が置かれていて、そこには木箱がいくつかと布やレースなどが載っている。



「──では石を見せて」


 フォセットの指示で、応接卓には浅い木箱がいくつも置かれた。蓋が開けられる。中には様々な色の裸石が、色ごとに大きなものから小さなものへと順に並べてあった。


「フォセットさん、この石をどうするの?」

「エレオノール様とお揃いのブローチを注文するのですよ。もうじきエレオノール様がいらっしゃいますわ」


 ──姉さまととお揃い……。


 とても魅力的な言葉にディアヌローズはうっとりする。正直、子どもの身に高価なブローチは不要だと思っている。けれどエレオノールとお揃いとなれば話は別で、奏は一人っ子だっただけに抗いがたい誘惑だった。



 三と半の鐘が鳴って間もなく、エレオノールがやって来た。ディアヌローズの隣の席につく。


「姉さま、お揃いですって!」


 挨拶もそこそこに、ディアヌローズは前のめりで口にした。浮かれている自覚はある。

 エレオノールはディアヌローズに柔らかな笑みを向け、それから申し訳なさそうに柳眉を下げた。


「わたくしもあなたとお揃いと聞いて、厚かましくも来てしまったのよ」


 フォセットは、ディアヌローズとエレオノールの間に顔を寄せた。

「意匠はおふたりでお決めくださいとのことですわ」


「ディアヌローズは何か決めていて?」

「いいえ。姉さまとお揃いなら何でも!」


 寸の間エレオノールは小首を傾げ、それからほんの少しだけ頷くみたいに首を縦に振った。


「わたくしにはお気に入りの意匠があるの」


 そう言って、エレオノールはハンカチを取り出した。広げたハンカチには四つ葉のクローバーを咥えたレアリーヴが刺繍されている。ディアヌローズが贈ったハンカチだった。


 どうかしら、とエレオノールに問われて、ディアヌローズは何とも気恥ずかしくて仕方ない。


「姉さまがそれでいいと仰るなら……」

「これ()いいのよ。でも、葉の色は貝紫がいいわ。あなたの瞳の色にしたいの」

「でしたら、わたくしは杏色がいいです。姉さまの瞳の色ですもの」


 応接卓に並べられた石の中から、ふたりはそれぞれ相手の瞳の色を選んだ。衣装に合わせやすいよう、レアリーヴは金細工、目には守護石を嵌めると決めた。


 商人たちは帰っていった。

 帰り際、ディアヌローズはクロエと視線だけを交わし合った。せめて『また会いましょう』と、再会の声掛けくらいはできるようになりたい。そう強く思った。




 お茶の時間をこのまま面会室で過ごすこととなった。ふたりとも、まずはお茶で喉を潤す。

 エレオノールは優美な所作で、口をつけた茶器を下ろした。


「近いうちに植物園へ行きましょう」

「植物園?」

「ええ。聖堂の裏手にあるのよ。美しい花から薬草に至るまで、様々な種類の植物が植えられているの。花月の方が見頃だけれど、葉月の今でも咲く花は結構あるわ」


 『花』と聞いてディアヌローズが思い浮かべたのは、芽月にあった花まつり。城下中の建物の窓辺や街路には花が飾られ、花で溢れていた。極めつけは馬車から撒かれた花びらが、空から降ってきたのかと見紛うほどの光景。街は、花とその香りで満ちていた。

 でも花月が見頃というのなら、芽月はそれより少ないということ。花まつり以上の花なんて想像もつかない。


「芽月にあった花まつりよりも、花が多いのですか?」

「花まつりの花は、主に神官たちが祈りによって咲かせているのよ。もちろん芽月に咲く花もあるけれど、そんなに多くはないわ。城下の窓辺に飾られていた花がそうね」



 我知らず、ディアヌローズは衣装の袖の上から防遏(ぼうあつ)の腕輪に触れた。布を通して、硬い感触が指先にその存在を主張する。エレオノールには秘密にするようにと、腕輪が威圧してくるようだった。

 祈りで花が咲き、実りが増える。腕輪に封じられたこの能力は希少だと教えられた。その能力を神官が有しているのなら、絶えたという親族は祭祀を行っていたのかもしれない──。



「どうかして? ディアヌローズ」


 腕輪に触れていた手を、ディアヌローズは努めてさり気なく袖から離した。


「あ……あの、わざわざ芽月に花まつりを行うのはどうしてかしら、と考えていました」

「芽月は一年の始まりの月なの。新たな一年を迎えられたことを感謝して、花の女神フェルヴェリーラに花を捧げるのよ」



 それから暫く、植物園についてと、ほかにどこに出掛けるかなどを話して過ごした。


 お茶の時間も終わり、席を立つ。別れの挨拶を交わした。


 エレオノールは嫋やかな手を伸ばして、やわらかくディアヌローズの頬を撫でた。

「きょうは少し遠かったのが残念だったわ」


 一瞬、ディアヌローズは貝紫の目を大きくし、

「わたくしもです」と、(ほど)けるように笑んだ。

 エレオノールも同じ想いでいてくれた。それが堪らなく嬉しかった。


 いつもなら長椅子にふたりで掛けて、エレオノールは必ずディアヌローズを撫でてくれていた。子どものディアヌローズの心はすっかりそれに慣れていて、会うたびに期待し、そして甘やかされていた。

 だからきょうは隣とはいえ、一人掛けの椅子にいるのが物足りなくて嫌だった。でもこれで帳消し。否、それ以上になった。


 お揃いのブローチ。共に出掛ける約束。同じ想い。

 ずっとこの幸せが続いて欲しい。

 祈って叶うならいくらでも祈るのに──。そう考えずにはいられなかった。






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