思いがけない訪問者(3)
「今ほどの光は何ですの?」
フォセットはやって来るなりディアヌローズにそう尋ねた。
プトーの消えた処から目を離して、ディアヌローズはフォセットを見る。眉を顰めて困惑しているフォセットがそこにいた。
何と返せばいいのだろうか。ディアヌローズ自身もよくわからない。プトーはディアヌローズの問いかけの途中で消えてしまったのだから。当然のごとくディアヌローズ自身も眉を寄せた。
「──よくわからないの……」
「アルフレデリック様に来ていただきましょう」
埒が明かないと判断したのか、フォセットは足早に部屋を出て行った。
ディアヌローズは妙に胸がざわついて仕方なかった。あの光はマノワの授けてくれた加護の光と似ていた。けれど、プトーはそれを否定したのだ。それに『あんたに捧げる誓い』とは? 何を誓い、捧げたのか。プトーは不利益を被ったりしないのだろうか。そして、あの光の糸──。何もかもがわからない。
指先が急激に冷えて震えた。左手を右手で包んで胸に寄せても、小刻みに震える手は少しも温まらなかった。
「こんどは何事だ」
面倒な、と聞こえてきそうな気配を纏わせてアルフレデリックは訊ねた。眉間には深い皺が刻まれている。
「──わからないのです」
ディアヌローズはアルフレデリックを貝紫の瞳で見上げ、同じ返答をした。
はぁ、とわざとらしい大きな溜息を落とすと、アルフレデリックは問いを変えた。
「加護の光か?」
「──いいえ。加護ではないと」
「誰がそのように言ったのだ?」
プトーのことを話してもいいのだろうか。ディアヌローズは迷った。だが拉致された時、プトーはマノワの指示で森のアジトに派遣されてきた。たぶんアルフレデリックは知っている。それにプトーから教えてもらえなかった答えを、きっとアルフレデリックは持っている。心を決めて口を開いた。
「プトー、屋敷精霊のプトーです」
「──森のアジトの見張りにつかせた精霊だな。ほかに何か言っていたか?」
やはりアルフレデリックはプトーを知っていた。ディアヌローズは胸を撫で下ろした。これで心置きなくプトーのことを話せる。いよいよ本題。プトーから教えてもらえなかった問いをアルフレデリックにする。そして答えをもらうのだ。逸る気を、震える手に力を籠めて抑えこんだ。
「わたくしに捧げる誓い、と。──わたくしと出会って覚悟ができた。放浪をやめて、屋敷精霊の役割を果たす。屋敷精霊プトーとして、わたくしに誓うのだと言いました。それから、わたくしの小指に額を付けて……」
喉が震えて声が掠れた。ごくりと喉を鳴らし、ディアヌローズは話を続ける。
「額を離すと、額と小指の間が光の糸でつながっていました。──アルフレデリック様、あの光の糸は何ですか? 捧げる誓いとは何ですか? プトーは困ったりしませんか? 胸がざわつくのです。どうか教えてくださいませ」
矢継ぎ早に訊ねるディアヌローズに、アルフレデリックは淡い金の瞳を向けた。その纏う気配に、もう面倒そうな気配はない。
「精霊が生涯で一度だけ行える誓いだ」
「では、プトーは『屋敷精霊の役割を果たす』ことをわたくしに誓ったのですね」
アルフレデリックは無言で束の間ディアヌローズを見つめて、僅かに目を伏せる。
「……そうだな。誓いを違えれば命を失うのだから、相当な覚悟をしたのだろう」
「えっ、命を懸けた誓いなのですか?」
吃驚するディアヌローズに、アルフレデリックから更に耳を疑いたくなるような事実が告げられる。
「ああ。取り消すことはできない」
とんでもない覚悟をプトーにさせてしまった──。自分と出会ったからだ。自分にさえ出会わなければ、プトーは命を懸けずに済んだ。ディアヌローズは激しく後悔した。
と同時に、それはプトーの命を賭す覚悟に対して失礼ではないか、とも考えた。更に、自分がそうさせたなど傲慢以外のなにものでもなく、プトーの覚悟を見届けることこそが自分の役割でないか。そう思い至った。
震えの治まった手をぎゅっと握って、ディアヌローズはアルフレデリックをまっすぐ見つめた。
「──プトーなら大丈夫です。森のアジトまで来てくれた、とても勇敢な屋敷精霊ですもの。わたくしのせいでプトーに不利益が生じるのではないかと恐かったのですが、これで安心できました。ありがとう存じます。アルフレデリック様」
「そうか……」
一言だけ、アルフレデリックは言葉を落とした。
そのたった一言が、妙にディアヌローズの耳に残った。微かに小首を傾げる。
その時、
寝台脇に控えているフォセットのもとにマリレーヌがやって来た。物入れを持っている。
「冬物の衣装はまとめ、ランメルトに送る手筈は整いました。こちらは如何いたしましょう」
マリレーヌの差し出した物入れをフォセットは一瞥する。
失礼いたしますと、話が一段落したディアヌローズの前に置いた。
ディアヌローズが中を覗き込むと、実験道具がしまわれている。処分するか、ランメルトに送るかの確認だろう。少しずつ確実に、移領の準備は進んでいると実感させられる。
「こちらはどうされますか?」
「懐かしい……。もう使うことはないでしょうけれど、思い出深い実験道具なのでランメルトに送ってくださいませ」
「実験道具?」
興味を持ったらしいアルフレデリックが、物入れに目を遣った。
「はい。濁った水を浄化する濾過器です」
「報告にあったな。──何故そのような実験を行ったのだ?」
そう問われてみれば、ディアヌローズは説明したことがない。あの頃は、神の家に移ったら飲み水に困ると、そのことばかりを考えて過ごしていた。
「神の家に見学に行った時、わたくしが酷い馬車酔いだったのはアルフレデリック様もご存知のとおりです。帰り際、一人で壁に凭れていると、女の子が水を持ってきてくれました。それは埃の浮いた濁った水で、わたくしには飲めそうもない水でした。ですから神の家に移るまでにと、わたくしはこれを作ったのです」
アルフレデリックは訝し気に眉を顰め、フォセットと顔を見合わせた。フォセットも怪訝な顔をしている。
「神の家の井戸水が濁っているなどあり得ぬ」
「いいえ。飲めない水だったからこそ、わたくしはこれを作ったのです」
胸を張って、ディアヌローズは断言した。いくら馬車酔いが酷くても見間違えたりしないし、あの時あんなに悩まなかった。
フォセットは顔色を悪くして、
「わたくしたちがお渡しするものだけ口にされて」
と、寝台でクッションに凭れるディアヌローズを胸元に抱き寄せた。
今になってこんなに心配をかけるとは思いも寄らず、ディアヌローズは戸惑った。安心してもらうにはどうしたらいいだろう。フォセットのあたたかい腕の中で水の濁った理由を必死に考える。フォセットを見上げた。
「大丈夫よ、フォセットさん。飲まなかったもの。あの日は風が強かったから、たぶん埃が混ざってしまったのだわ。そう思いませんか? アルフレデリック様」
同意してと言わんばかりの目で、ディアヌローズはアルフレデリックを見つめた。
「……ああ、そうだろうな。──だがフォセットの言は尤もだ。むやみに他人からモノを貰わぬよう気をつけよ」
失礼な言葉にディアヌローズは憤慨し、抗議の口を開きかけ、そして閉じた。言葉は悪いが、内容的にはフォセットのそれと変わらない。アルフレデリックなりに心配してくれた……と自分を納得させた。でも──
「あの時、水を持ってきたのはエマですよ。レミと一緒に拉致された女の子です。いい子ですよ」
「レミに縋って泣いていた子どもだな。だが神の家では初対面ではないか。飲める水であれば口にしていたのであろう。迂闊に過ぎる」
確かに──。反論の余地もなく、ディアヌローズはしょんぼりと肩をすぼめた。神の家に移るとの先走った考えも、濾過器の作成も、迂闊のなせる業と言えなくもない。でも、あの時はあの時なりに必死だった。
「そうでした……。気をつけマス。──濾過器も必要ありませんでしたね」
「いや、稀に水害が起こることもある。その際には水が濁るので、魔力の無い者には役立つだろう。我々の手間も省ける。だが、まずは性能を確認してからだ。採用の可否はそれから判断する。あとで私に見せるように」
あんなにディアヌローズが頭を悩ませた水の浄化も、どうやら魔術で解決できるらしい。自分もみんなの役に立てるような魔術を使えるようになるだろうか。拉致された時に魔術で水を呼んだけれど、本格的な魔術は洗礼してからと聞いている。ディアヌローズは少しだけ洗礼が楽しみになった。
四の鐘が鳴った。
安静にしている時間の終了を告げる鐘の音だ。
「アルフレデリック様、もう寝台から出てもいいでしょう?」
「構わぬ。無理せず過ごすように。私は戻る」
はい、とディアヌローズは元気よく返事をした。
寝台を降りるディアヌローズを横目にアルフレデリックは踵を返し、まっすぐ扉を目指して部屋を出た。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
アルフレデリックは廊下に出るとすぐ、頭の中でマノワに呼びかけた。
──今更ではあるが、よろしいのか?
すぐにマノワの声がアルフレデリックの頭の中に届く。だが姿は見えない。
──ああ。プトーの覚悟だ。
だが、ディアヌローズには黙っていてくれ。気にするからね。
──承知した。
簡潔に会話を終え、何事もなかったかのようにアルフレデリックは歩き出した。
執務室に入る。コンスタンティンのいる執務机に向かいながら、背後のアントナンを呼び寄せた。
「施与の馬車を向かわせる予定を早め、其方も同行せよ。神の家見学当日、及び、その前後における井戸水の水質、不審人物の有無の調査を。──ディアヌローズの願いがあったな……。レミとエマの様子をみてきてくれ。契約に触れぬよう、気を付けるように」
拝命いたしました、と礼を執り、アントナンは下がっていった。
アルフレデリックは重厚な執務机の前で立ち止まる。
書類からコンスタンティンは顔を上げて、緑柱石の瞳をアルフレデリックに向けた。
「何があった?」
ディアヌローズから聞き取った神の家での水の話をアルフレデリックは伝えた。
聞くうちにコンスタンティンの眉根が寄っていく。持っていたペンを置いた。
「ロンタールの仕業か?」
「これから尋問を。──神の家も調査しますが、かなり日も経っています。加えて契約に抵触する恐れがあり、ディアヌローズに水を持ってきた者にも直接訊けません。何も得られない可能性が高いでしょう」
「わかった。その話は調査が済んでからだな」
そう言って、コンスタンティンはペンを手に取った。
書類に署名をすると、再び顔を上げた。
「──ああ、忘れないうちに伝えておく。アデライードが、ディアヌローズとエレオノールに揃いのブローチを贈りたいと。ふたりで決めていいそうだ」
「ディアヌローズとフロラント商会の見習いを近日中に会わせる予定です。その時に手配できるよう、フォセットに言っておきます」
「頼む。アデライードはふたりを実の姉妹のようだと。引き離すのが可哀そうなほどだと言っていた。それで思いついたらしい。──メリアザンドにも同じように懐いてくれるといいのだがな……」
ペンを弄びながら、しみじみとコンスタンティンは言った。
「姉上ならきっと大丈夫でしょう」
コンスタンティンは目を大きくする。信じられないものでも見たかのようにアルフレデリックを凝視した。
「──アルフレデリック……変わったな」
「何が変わったと? 何も変わってなどいませんが?」
「いや、以前の其方であれば『知らない』の一言で片付けたさ」
コンスタンティンは目を細めて柔らかな笑みを浮かべる。
対照的に、アルフレデリックは押し黙って気配を尖らせた。




