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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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思いがけない訪問者

 ディアヌローズは食い入るように開かれた扉を見つめた。


 間を置かず、扉口から孔雀色をした光沢ある衣装の裾がのぞき、面識のない美しい女性が姿を現した。


 エレオノールがすかさず立ち上がる。

 フォセットに促されて、ディアヌローズも椅子から降りた。だが戸惑いを隠せない。


 女性はディアヌローズたちへと迷いなく歩んでくる。

 歩を進めるたびに孔雀色の衣装はかすかな色調の変化を見せ、ディアヌローズの目を惹いた。


 女性はディアヌローズ達から少し離れた処で立ち止まり、淑やかに微笑んだ。姿勢のいい立ち姿は威厳と気品に溢れている。鼻梁の通った面立ちに涼やかな目もと。青玉(せいぎょく)の瞳はかぎりなく青く、果てしなく深く澄んでいる。編み込んだ水色の髪を幾つものピンで纏め上げ、そのピン先の飾り石は瞳と同じ青玉色。



 エレオノールが跪礼(カーツィ)する。

「お久しぶりでございます。アデライード様」


「お久しぶりね。エレオノール。堅苦しい挨拶は要らないわ。押しかけて来たのはわたくしですからね」


 アデライードはそう言って、ディアヌローズに視線を向けた。

 深く澄んだ青玉の瞳は心の底まで見透かすようで、ディアヌローズは思わず息を呑む。



「あなたが──ディアヌローズね」


 はい、とディアヌローズは居ずまいを正した。

「お初に目にかかります。わたくしがディアヌローズです」

 深く腰を落として跪礼する。


「立派な挨拶でした。わたくしはアデライードよ」


 祖母と似ている、とディアヌローズは思った。もちろん容姿ではない。纏っている雰囲気、声の抑揚や言葉の()、といったものが似ているのだ。祖母は優しかったけれど、礼儀にはとても厳しい人だった。奏だった時、祖母の前では常に挙措に気を配り、姿勢を崩したことはない。

 そのピリッとした緊張感が今、ディアヌローズとなった身にも訪れている。背筋を伸ばし、指先までをも気を遣う。懐かしさで喉がひくついたが、息を止めてそれを堪えた。



 はぁ、とアルフレデリックはこれ見よがしに嘆息した。立ち上がると、訪れた女性に淡い金の瞳を向けた。

「やはりおいでになりましたか……。父上はご存知なのですか? 母上」


 ディアヌローズは目を大きくしてアルフレデリックを二度見した。長い白金の睫毛を(しばたた)かせる。

 当のアルフレデリックは迷惑そうに眉を顰めて、アデライードを見ていた。

 動じることなく、アデライードは笑みを深めた。


「先にこちらに顔を出したの。そのためにプリエテールに来たのですからね。アルフレデリック、歓迎してくれないの?」


 呆けたように眼前の親子を見遣っていたディアヌローズは、その言葉で我に返った。大慌てで席を勧める。

「申し訳ございません。どうぞお寛ぎくださいませ」


 アデライードはアルフレデリックの隣席に腰を下ろし、みんなも元の席についた。

 フォセットによって新しくお茶が淹れられる。ティーポットから、湯気とともに青林檎に似た香りが周囲に広がった。


「あら? ディンブラね」


 アデライードの声にフォセットは笑み、笑窪を浮かべた。


「はい。お好みでいらっしゃいましたでしょう」

「希少茶葉の用意があるとは流石ね。フォセット」


 アデライードはティーカップを優雅に口許に寄せ、香りを確かめてから口をつけた。余韻を楽しむと満足そうに口端を上げる。


「とても美味しいわ。ありがとう」

「お褒めいただき光栄ですわ」



 ディアヌローズも飲み頃になったお茶をフォセットから渡される。口に含めば、イストワールに転移してからもうじき一年になるけれど、初めて味わうお茶だった。

 もしかしたらフォセットはアデライードが訪れることを知っていて、希少な茶葉を用意しておいたのだろうか。そんな疑問が頭を過る。少なくとも、この茶葉のおかげで助けられたことだけは間違いなかった。



「それで母上、用向きは何ですか?」


 お茶をひととおり楽しんだところで、アルフレデリックがむすりと訊ねた。

 アデライードは小さく嘆息して、応接卓に音もなくソーサーごとティーカップを置いた。


「せっかちだこと。まあいいわ」と、エレオノールに向く。


 エレオノールは姿勢を正し、つられてディアヌローズもますます背筋を伸ばした。


「エレオノール、あなたに礼を伝えたかったのですよ。ディアヌローズの面倒をみてくれてありがとう」


 ディアヌローズは胸の前で手を重ね、隣のエレオノールを見上げた。本当にアデライードは礼を述べるためだけに訪れたのだろうか。きょうにでも移領するようにと告げるのではないか。そんな不安が胸に広がった。


 エレオノールは微苦笑を浮かべる。


「アルフレデリック様がディアヌローズを保護した日、たまたま聖堂に居合わせたわたくしは、世話をさせて欲しいとアルフレデリック様に願いました。兄弟姉妹のいないわたくしにとって、ディアヌローズは大切な妹です。──ディアヌローズと過ごす日々は宝石のように輝いていて、わたくしにとって何ものにも代え難い尊い時間ですの」


「──姉さま……」

 我知らず、ディアヌローズの口から零れ落ちた。


 杏色の目を細め、エレオノールは嫋やかな手でディアヌローズ頬を撫でる。その手にディアヌローズは擦り寄った。


 アデライードはその様子を見つめ、口を開く。

「エレオノール、あなたがどれほど慈しんでくれたかは一目瞭然ね。アルフレデリックだけでは無理だったでしょう」


 隣のアルフレデリックをちらりと見て、アデライードはなおも話す。


「幼い子どもの面倒をみるためには細やかさが大切ですもの。特に魔力の多い子どもは感情を乱すと体調を崩しやすいですからね。男手だけでは無理なのです。エレオノールの手を借り、フォセットに頼ったのは賢明な判断でしたよ、アルフレデリック」


 アルフレデリックはむすりとして無言だ。



 話を聞いて、ディアヌローズは心配になった。アルフレデリックがどれだけ自分に手を尽くしてくれたのかをアデライードは知らないのではないか。だとしたら、それを報せるのは自分しかいない。

 ディアヌローズはアデライードをまっすぐ貝紫の瞳で見つめ、不躾を承知で必死に言い募る。


「アデライード様、アルフレデリック様もいろいろしてくださいました。具合が悪い時には癒してくださいましたし、文字も教えてくださいました。それからヴィオリナも……」


 アデライードはうっそりと笑みを浮かべた。


「心配しなくても大丈夫ですよ、ディアヌローズ。報告は受けていますからね。匿ったのですからアルフレデリックが面倒を見るのは当然の義務です。アルフレデリック、よかったわね。あなたの行いは評価してもらえているようよ」


 少し前の不機嫌な表情から一変、アルフレデリックは薄く整った唇の端を上げて、お手本のような笑みを浮かべた。


「評価を頂けたので、私は退出するとしましょう」

「──用が済んだらわたくしから連絡します。コンスタンティンに言ってはダメですよ」

「承知しました」



 アルフレデリックは立ち上がる直前、ディアヌローズに視線を向けた。


 おそらく、うっかり口を滑らすな、と言いたいに違いない。薔薇のことも、ビジュのことも。そして新たな腕環に関することも。そういう含みのある視線だと、ディアヌローズは理解した。

 わかっている、と唇を引き結んで見せる。もともと秘密を知られないようにと、アルフレデリックはここに居てくれたのだから。



 アルフレデリックは退出していった。



「逃げられてしまったわ」


 大して気にした風でもなくアデライードは僅かに肩を竦め、今度はエレオノールに訊ねる。


「ディアヌローズがランメルトに移領する話は聞いているかしら」

「はい。つい先ほどアルフレデリック様から伺いました」

「あなた達を見ていると、引き離すのは酷な気がするの。──エレオノール、ランメルトに来ない? 嫁いでくれば、ディアヌローズといつでも一緒にいられてよ」


 思いがけない提案に、ディアヌローズは期待の眼差しをエレオノールに向ける。エレオノールは困ったように眉尻を下げた。


「……魅力的なお話ですけれど、辞退させてくださいませ。父を一人にしないと、わたくしは亡くなった母に約束しました」

「残念ね。そういうところはお母さま譲りかしら。きっとあなたのお母さまは、あなたが幸せになることを望んでいるでしょう。わたくしも四人の子を持つ母親。子を想う気持ちに違いはないと断言できてよ。気が変わったら申し出て。いつでも歓迎するわ」



 お茶が淹れ替えられてしばし喉を潤してから、再びアデライードが訊ねる。


「洗礼衣装を用意してくれたそうね」

「ディアヌローズを保護した当初に布地を手配いたしました。ですがアデライード様がご用意されるのでしたら、わたくしは取り下げさせていただきます」


 織り上がった布地をディアヌローズが見せてもらったのは、ふた月ほど前のこと。その時に魔術礼装について教えられ、ひどく驚いたことは記憶に新しい。エレオノールとふたりで、あれこれ話し合って意匠を決めるのは楽しかった。そろそろ縫製が終わる頃だろう。それを諦めると考えるだけで、心が寒々しくなってくる。


 そんなディアヌローズの耳に、

「使わせてもらうわ」と、アデライードの声が届いた。顔を俯けて、膝に置く拳を見ていたことに気付いた。


 ディアヌローズはアデライードを振り仰ぐ。


「──ふたりで話し合って決めたのでしょう? その代わりという訳ではないけれど、わたくしにも刺繍をさせて。エレオノールが姉ならば、わたくしは母の役割を担いましょう」


「寛大なご配慮に感謝いたします。アデライード様」


 エレオノールが礼を執り、ディアヌローズも慌てて礼を執った。

 それを見て、アデライードは鈴を転がすように笑った。


「本当に姉妹ね。ところで、その人形もエレオノールが用意してくれたのかしら」


 青玉の視線の先には、エレオノールから贈られた人形のナディがいる。ディアヌローズと同じ貝紫の瞳に、白金の髪をしている。名前はディアヌローズが『奏』をもじって命名した。


 エレオノールはナディを一瞥して、アデライードに向いた。


「はい。差し出がましい真似を致しました」

「誤解しないで。咎めたわけではありません。これから手配したのでは移領に間に合わないもの。女の子の交流には必需品ですからね。男ではこういう細々したことに気が回らないから困るのよ。あなたがいてくれて良かったわ」



 ディアヌローズはナディを抱き上げた。ナディは毎日、ディアヌローズと同じ衣装を側仕えによって着せ付けられている。だが今、その衣装はリボンが曲がり、ところどころが皺だらけだ。

 思い返せばエレオノールの来訪に備え、見られては不味いものをアルフレデリックの指示でみんなが片付けた。その様子を目の当たりにして、いたたまれずナディを抱きしめてしまったのだった。

 慌ててナディの曲がったリボンを直し、皺を手で伸ばしていく。

 そこではたと気付いた。ナディと一緒にエレオノールから贈られたものが、もう一つある。


 あの……、とディアヌローズはおずおずと申し出る。

「エレオノール様からは、子ども用の茶器もいただきました」


「それならすぐに交流の場を設けられるわね。エレオノール、素晴らしい心配りをありがとう」

「おそれいります。子ども時分を思い出してディアヌローズに贈りましたの」




 再び、来訪を報せる小鐘(ベル)が鳴った。

 現れた人物は、足早にアデライードのもとへとやって来た。


「やはり此処でしたか」

 腰に手をあてて呆れたように言った人物の髪は、アデライードと同じ水色だ。


「あら、ヴァランタン。用が済んだら連絡すると、アルフレデリックから聞かなかった?」

「父上には言うな、と仰ったのでしょう?」

「アルフレデリックったら相変わらずね。そんなだからエレオノールに振られるのだわ。あなたもよ、ヴァランタン」


 弱りきったようにエレオノールが声を上げる。

「アデライード様……。揶揄わないでくださいませ」


 またですか母上、とヴァランタンは嘆息した。

「エレオノール嬢、母上が困らせたようで申し訳ない。気にしないでくれ。気に入った令嬢を口説くのが趣味なんだ」


 アデライードは柳眉を吊り上げて、ヴァランタンを睨め付ける。


「ヴァランタン、それは違いますよ。甲斐性の無い息子ばかりだから、わたくしが未来の義娘に声掛けするしかないのです。魅力に欠ける息子を持つ母の身にもなってくれるかしら。気苦労が多くて老けてしまうわ」

「私の魅力を知ってもらう前に、母上のせいで振られてしまっているとは考えないのですか? 母上は十分お若いですし、もともと不老ですから老けたりしないでしょう」

「気持ちが老けると言っているのです」

「それこそ孫ができたら気持ちが老けこみますよ。事あるごとに『お祖母(ばあ)さま』と呼ばれるんですから」

「名前を呼ばせますから心配無用よ」


 はい、わかりました、とヴァランタンはぞんざいに返し、アデライードを急き立てる。

「──そのご様子なら用はお済みですよね。さあ、帰りましょう。母上のせいで、私が父上に叱られてもいいんですか」


「仕方ないわね……。エレオノール、ディアヌローズ。また会いましょう」


 渋々と言わんばかりの顔で、アデライードはヴァランタンに伴われて帰っていった。



 嵐のように去っていった親子に、ディアヌローズとエレオノールは顔を見合わせて息をつく。


 どうやらあれがアデライードの()であるらしい。ディアヌローズは移領に対する気持ちが少しばかり軽くなった。



「アデライード様はあのように仰ったけれど、御子息三人とも社交界ではとても人気があるのよ。ご本人にその気がないだけなの。あの方々のもとになら、安心してあなたを送り出せるわ」


 エレオノールはそう言って、ディアヌローズの白金の髪を柔らかく撫で梳いた。


 安堵と淋しさが同居しているようなエレオノールの顔。その顔がディアヌローズの胸を締めつけた。エレオノールも同じ気持ちでいてくれているのだろうか。そう思わずにはいられない。


 もともと洗礼式にはランメルトに移ることは決まっていて、別れの覚悟もしていた。

 なのに突然、早期の移領が決定された。

 ディアヌローズにとって、別れの覚悟は当初に予定した洗礼間近にしかない。早められて失う、エレオノールと共に過ごすはずの日々を、惜しむ気持ちを捨てきれない。


 エレオノールはその失った日々をどのように過ごすのだろう。一人で過ごすのだろうか──。


 ディアヌローズ自身も慣れないランメルトでの生活に不安はある。けれどたぶん、環境に慣れることに気をとられて、淋しさを感じるのはずっと先になるだろう。

 そう考えるのには根拠がある。イストワールに転移してきたことで、既にディアヌローズは新天地で過ごす経験をしているからだ。そして祖母を想うたび、心配させ、淋しくさせ、哀しくさせていると心が苛まれる。


 だからきっと、残るエレオノールの方が自分よりも淋しい──。

 そう考えるのは自信過剰だろうか。



 ──本当にランメルトに来てくれればいいのに……。


 そうすればずっと一緒にいられる。身勝手な願いだとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。






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