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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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エレオノールへの秘密

エレオノールの夏至祭の台詞から『芽月』を削除しました。

軽微な修正をしました。

 突然、

「ピィピィ」と、けたたましい声が部屋中に響いた。


 ディアヌローズはがばりと跳ね起きて、平たい籠が置かれた卓を見た。雛鳥用のその籠には今、雛に戻ったビジュがいる。


「大変。どうしたのかしら」

 遠目に籠を見ながら、ディアヌローズはフォセットに尋ねた。


「お腹が空いたのでしょう」

「フォセットさん、わたくしが食べさせてもいいですか?」

「ええ。まずは着替えましょう」


 ディアヌローズが着替えている間に、ビジュの声はけたたましさを増していった。


「とてもお腹が空いているのだわ。待たせるのは可哀そうね。どなたかビジュに食べさせてくださいませ」


 すぐにマリレーヌがビジュに給餌を始めて、部屋は静かになった。


 朝の支度を終えたディアヌローズが籠を覗くと、ビジュはお腹がくちくなったのか居眠りをしていた。ふわふわの羽毛でまん丸なビジュの愛らしい姿に、思わず目尻が下がった。


「眠っているわ」


 ディアヌローズが声を潜めて言うと、フォセットが微苦笑を浮かべる。


「すぐにお腹が空いたと騒ぎ始めましてよ」

「そうなの? 次こそわたくしにさせてくださいませね」

「まずはお嬢様がお食事なさってください」



 ディアヌローズは食卓に向かう。

 途中、窓辺にある鉢に目を遣れば、きのう植えた薔薇が朝の柔らかな陽を浴びている。ほのかに蒼い白薔薇は輝くようで、凛と咲く様子にディアヌローズは安堵する。

 もう玻璃の中にあった時とは違い、世話を怠れば枯れてしまう。奏の時に薔薇の世話をした経験はあるけれど、しょせん手伝いの知識しか持っていない。祖母のような管理ができるだろうか。不安が拭えない。



 朝食を済ませて、ディアヌローズは薔薇の水やりをする。植え替えて二週間ほどは毎日水をたっぷり与えなければならない。水の入ったじょうろは重く、ぶるぶると手が震えた。フォセットに支えてもらって水やりを終えた。


 花はあとどれくらい美しく咲いてくれるだろうか。ディアヌローズはたった一輪しかない薔薇を慈しむように両手で包んだ。

 どうか一日でも長く咲き、元気に育ってほしいと願った。

 途端────

 新芽がむくむくと顔を出しはじめた。


 ディアヌローズは貝紫の目を丸くして、弾かれたように包んでいた手を離した。



「願うな、と言っただろう。忘れたのか」

 冷ややかな声とともに、アルフレデリックがやって来た。


 ディアヌローズは飛び上がらんばかりに驚いた。両手を背に隠して、アルフレデリックを振り仰ぐ。アルフレデリックは不機嫌を隠しもせずに、眉間に深い皺を刻んでいた。


「右腕を出しなさい」


 ディアヌローズがおとなしく差し出した右腕に、アルフレデリックは持っていた腕環を通した。簡単に抜けてしまいそうな腕環はしゅるりと縮まって、ディアヌローズの腕に丁度よくなった。

 陽を受けて鈍い銀光を放つ腕環に飾り石などは無く、繊細な模様だけが刻まれている。


「これは?」

防遏(ぼうあつ)の腕環だ。其方が今のように願っても、この腕環が防いでくれる。迂闊な其方には必需品だな」


 その腕環をディアヌローズはしげしげと見つめた。ただの装飾品にしか見えない。


 アルフレデリックはディアヌローズの心を読んだかのように言う。

「試してみるといい」



 ディアヌローズはおそるおそる薔薇の花弁に触れ、先ほどと同じように願った。ほのかに腕環が温かくなる。

 だが、薔薇に変化は起こらなかった。


 右腕を掲げて、ディアヌローズは反対の手で腕環に触れた。金属の硬い感触がするだけで、やはり普通の装飾品と何ら変わったところは無い。なんて不思議なことだろう。



 ディアヌローズが腕環に気を取られている間に、アルフレデリックは周囲を見渡した。


「ディアヌローズ、(ローズ)は人目に触れないところに置きなさい」

「なぜですか?」

「理由はきのう話したとおりだ。きょうのお茶の時間にエレオノールが訪れる」

「……はい」


 隣室に移される薔薇をディアヌローズは目で追う。せっかくエレオノールに会えるのに、隠し事のせいで喜びは半分になってしまった。領地が違ってもエレオノールはエレオノールなのに、何がいけないというのか。憤りを禁じ得ない。



 続いてアルフレデリックは止まり木にいるウルラを一瞥する。

「ウルラを魔石に戻しなさい」


「エレオノール様がいらっしゃるからですか?」

 不満を声にのせて、ディアヌローズは尋ねた。


「理由の一つではあるが、ウルラには無理を強いていた。魔石に控えた方が随獣の負担は減る。魔力腺は治ったのだから魔石に戻すべきだろう」


 ディアヌローズは胸の内で恥じ入った。ウルラに考えが及ばないばかりか、不満からアルフレデリックに八つ当たりしたのだ。

 伏し目がちで「はい」と返し、ウルラには魔石に戻るようにと告げた。


 ウルラは音もなく白い翼を羽ばたかせて止まり木を蹴ると、たちまち光に変化して左腕の腕環にある魔石めがけて飛び込んだ。


 光を揺らめかせているその魔石を、ディアヌローズは気まずさを誤魔化すように見るともなしに見ていた。


 アルフレデリックはそんなディアヌローズの様子を気にも留めず、応接卓に置いた木箱を開ける。


「これは試作したもので少し劣るが、無いよりはいいだろう」


 木箱の中から取り出された物に、ディアヌローズは目が釘付けになった。吸い寄せられるようにふらふらと近付いて、手を伸ばした。


 それは、玻璃(ガラス)のドームと薔薇。きのう壊れてしまった物と同じように、玻璃の中で薔薇が光の粒を受けながら緩やかに回転している。


 じっくり見ても以前のものと何ら遜色なく、ディアヌローズにはどこが劣っているのかがわからない。強いて言えば花弁がやや開きすぎているところと、茎が僅かに短い点だろうか。



 ディアヌローズはアルフレデリックを見上げる。淡い金の瞳と合った。


「──ありがとう存じます」

「お茶の時間には私も同席する。其方ではエレオノールに見抜かれてしまいそうだ」

「……はい」


 確かにアルフレデリックが同席してくれれば、ディアヌローズとしても有難い。ふと、防遏の腕環はきのうコンスタンティンがアルフレデリックに依頼したばかりであることを思い出した。簡単に作れるものだろうか。疑問を持ってアルフレデリックを窺えば、なんとなく疲れているように見える。


「アルフレデリック様、徹夜されたのですか?」


 アルフレデリックはふいと顔を逸らした。微かに蒼い銀の長髪が肩で揺れる。

「一晩くらいはよくある」


 やはり──。ディアヌローズは思う。エレオノールの来訪を知って、急いで作ってくれたのだ。同席の理由も、自分に嘘を言わせないよう慮ってくれたに違いない。

 気に障る言い方をするけれど、アルフレデリックはいつも優しい。

 玻璃のドームだって、失って哀しんだ自分のために持ってきてくれたとしか思えない。そうでなければ試作品を人目に晒そうとはしない。アルフレデリックはそういう人だ。


 アルフレデリックに掛けた負担を想い、ディアヌローズはしゅんと肩を落とした。

「わたくしのために申し訳ございません。わたくしに何かできることはございませんか?」



 にやりとアルフレデリックは口端を上げた。ディアヌローズは嫌な予感しかしない。


「手も治ったのだ。練習を再開するといい。さぞかし腕も鈍ったことだろうな」


 そんな気分ではないのに──。そう思いながらも、ディアヌローズは指をばらばらと動かした。二十日以上も包帯を巻いていただけあって、関節の動きは滑らかさに欠けている。


「──ヴィオリナは無理そうですので、クラヴィエールでの指慣らしからでもよろしいですか?」

「ああ。そうだな。始めなさい」

「今から、ですか?」

「もちろんだ」


 渋々、ディアヌローズはクラヴィエールの準備をフォセットに頼んだ。

 持ち運びできる箱型鍵盤楽器のクラヴィエールはすぐに用意され、蓋が開けられた。特徴的な白鍵と黒鍵の逆転した鍵盤が現れる。


 子ども用の小ぶりな鍵盤に、ディアヌローズは指を置く。

 日常が戻ったと、胸の内で嘆息した。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 五の鐘の少し前に、再びアルフレデリックがやって来た。

 玻璃のドームが元の場所に置かれているのを確認すると、ウルラとビジュの止まり木を撤去するように命じ、寝台の脇卓にある魔石も片付けさせた。


 ディアヌローズはその様子を長椅子から唇を引き結んで見ていた。嘘をつくのは初めてではないけれど、かといって決して平気でいたわけではない。心の負担になっていたことを証明するかのように、たびたび体調を崩していたのだから。

 我知らず、ナディを抱きしめていた。




 五の鐘が鳴って間もなく、エレオノールが訪れた。

 エレオノールはアルフレデリックを目に留めて、ほんの僅か目を大きくした。

 三人で挨拶を交わし合い、エレオノールは長椅子にいるディアヌローズの隣に腰掛けた。


 エレオノールは杏色の目を細めて、やわらかくディアヌローズの頬を撫でた。

「治ったのね、よかった。どうしても断れない用事があって領地に帰っていたの。ずっとあなたのことが気になっていたわ」


「心配をお掛けしました、姉さま」

 ディアヌローズはぎこちなく笑む。


 エレオノールは小首を傾げた。

「元気がないわね。どうしたの?」


「別に……」

 ディアヌローズは口籠ってアルフレデリックをちらりと見る。



 するとまるで時を見計らったかのように、

「ピィ、ピィピィ」と、ビジュが空腹を訴え始めた。



「何?」

 エレオノールが驚いたように周囲を見渡した。


「ビジュが逃げたのだ」と、アルフレデリックが口を開いた。

「窓を開けた拍子に出て行って、それきり戻らなかった。ディアヌローズには諦めるよう言ったのだが散々泣かれた。それで仕方なく雛を見つけてきたのだ」


 エレオノールは柳眉を下げ、

「可愛がっていたものね」と、温かな手でディアヌローズの頬を包んだ。



 こんなにも優しい人をまた騙すなんて──。ディアヌローズは鼻の奥がツンと痛くなった。膝の上で手を握りしめる。エレオノールに嘘をつくなんて納得できないし、したくもない。コンスタンティンやアルフレデリックの考えがまったく理解できなかった。



 エレオノール、とアルフレデリックが呼びかける。

「ディアヌローズは準備が整い次第、ランメルトに移ることが決まった」


 エレオノールは目を瞠り、ひと呼吸おいて「そう」と呟いた。ディアヌローズの頬に添えた両手をそのままに、顔を覗き込むようにして視線を合わせた。


「それを気にしていたの?」


 ディアヌローズは目を合わせることができない。もちろん移領も気になるけれど、それよりも心を重くすることがある。けれど、真実を口にすることは許されていないのだ。こんなも自分を気にかけてくれる優しい人を騙すなんて──。心が軋んだ。

 知らぬ間に目の縁に涙が溜まる。

 瞬きと同時に、つぅと涙が頬を滑り落ちていった。


「あらあら」

 エレオノールはハンカチを取り出して、優しくディアヌローズの涙を拭った。


 そのハンカチにディアヌローズは目を留める。四葉のクローバーを咥えた、瑠璃色の小鳥が刺繍されている。

「そのハンカチは……」


「あなたが刺繍してくれたハンカチよ。領地に帰っていた時にはこのハンカチを見て、あなたに会いたい気持ちを慰めていたの」



 ディアヌローズは嬉しさと心苦しさの狭間で、いまにも心が捩じ切れてしまいそうだ。泣くなんて子供じみたことはしたくないのに、勝手に涙が溢れた。

 その度にエレオノールは涙を拭ってくれる。


「わたくしも淋しいけれど、洗礼式の前までに領地には慣れた方がいいわ。ランメルトに移るまでの間にたくさん思い出を作りましょうね。どこかへお出かけするのはどうかしら。きっと楽しいわよ」


 了承の返事をすることも、頷くことも、ディアヌローズは躊躇った。エレオノールは知らないけれど、花まつりに出かけて拉致され、みんなに迷惑を掛けたばかりだ。困ってアルフレデリックを窺った。


 その様子を見て、エレオノールが言う。

「アルフレデリック、貴方も付いてきていいわよ。ディアヌローズ、それならいいでしょう?」


「……でも」ディアヌローズは握り込む手に力を籠めた。


 はぁ、とアルフレデリックはこれ見よがしに大きく嘆息した。

「考えておく」



 エレオノールはディアヌローズの手を取ると、ことさら明るい声を上げる。


「どこがいいかしら。穀月までいられるなら夏至祭を一緒に楽しめるわ。もちろん、その前にもいろいろな処へ出かけましょうね」

「夏至祭?」

「噴水広場では大道芸が披露されるの。吟遊詩人もたくさん集まるわ。みんな仮面をつけるから、お忍びで参加する貴族も多いのよ。今が葉月で、それから花月、牧草月。そして穀月だから、まだまだ先になるけれど」

「エレオノール、夏至祭の約束はできない。準備が整いしだい移領する予定だと言っただろう」

「夏至祭までいられたら、でいいのよ。予定なんだから別に構わないでしょう? 楽しみは多い方がいいもの。ね、ディアヌローズ」


 ディアヌローズは不格好に笑んだ。エレオノールは別れを惜しんでくれているのだろうか。こんなに嘘つきな自分のために。嬉しくて、哀しくて、辛くて、もうどうしていいのかがわからない。




 唐突に、小鐘(ベル)の音が部屋に鳴り響いた。


 ディアヌローズは初めて耳にする音色を訝しみ、扉を凝視する。きょうはエレオノールの他に来訪予定者はいないはずで、(ことづけ)かもしれないと思った。


 けれど予想に反し、扉は大きく開かれた。






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