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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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額の痣(8)

 ミゼリコルドはディアヌローズの前髪をはらった。はっきりと現れた紋様を見るなり、白銀の眉を寄せる。アルフレデリックと場所を入れ替わって腰の物入れから魔力排出用の魔石を取り出すと、ディアヌローズの額にあてた。



 アルフレデリックはウルラに向く。淡い金の目を険しく細めた。

「『(なれ)』とは誰だ? 私か?」


 止まり木に留まるウルラは、アルフレデリックの視線を受けとめる。

『ふん。其方なんぞであるものか』

 そう言ったきり、口を噤んだ。



 コンスタンティンはディアヌローズから目を離さずに尋ねる。

「アルフレデリック、ディアヌローズは回復したのではなかったのか?」


「耳飾りの守護石が砕けたと知って急変しました。思い出を失うのは耐えられないと。決定的だったのは……」


 アルフレデリックの話が途切れたことを訝しんで、コンスタンティンはアルフレデリックに向いた。彼の視線の先には応接卓、魔方陣に載せられた薔薇があった。


「それか」

「──はい。慰めるために手もとに置いたのですが、それが仇となりました。私の責です」

「自分を責めるのは後にせよ。ミゼリコルド、どうだ?」

「追いつかぬ。誰ぞ、魔力排出用の魔石を」


 皆がいっせいに懐を探り、ミゼリコルドへと差し出した。



なれ、急がぬか』

 再びウルラが聲を上げた。


「ミゼリコルド様か?」アルフレデリックは再び問う。


『見当違いも甚だしい』


 アルフレデリックは苛立たし気に、

「誰か、と問うているのだ」と、低く声を出した。


『──』


 アルフレデリック、とミゼリコルドが制止する。

「ウルラよ、……おそらく、日が足りぬのだ」


「導師?」


 アルフレデリックはミゼリコルドに怪訝な目を向けた。

 みんなの目も、ミゼリコルドに集まった。


「アルフレデリック、代わってくれ」


 ディアヌローズの額につけられた魔石を離さないよう気をつけながら、アルフレデリックはミゼリコルドと交代した。



「ラームス」

 ミゼリコルドは杖を出し、スティロ、と唱えると、空中に魔方陣を描き始めた。記号を円く羅列していき、一周りするとその外側を同様に、そしてさらにその外側に記していく。複雑な魔方陣が正確によどみなく描かれていった。

 魔方陣が完成すると、ミゼリコルドは杖を振った。


 崩れることなく魔方陣は宙を移動し、ビジュの籠の上で止まった。


 三重になっている魔方陣のもっとも内側に描かれた記号が、右回りで順に光りを放った。次にその外側の記号が順に光を放つ。それも一周し終えると、さらに外側の記号が順に光を放っていった。


 魔方陣のすべての記号が光を放つと、最後に魔方陣の外周に光が走った。

 光が外周を一巡りすると魔方陣全体が眩く輝き、光の粒がビジュへと降り注いだ。



 ビジュは籠の中で忙しなく身体を動かし、そのたびに、瑠璃色の際立った羽が光の干渉によって紫や翠に見えた。

 しだいにビジュの尾羽が伸びてきて、身体と同じ長さだった尾羽はみるみるうちに倍ほどの長さになった。


 ビジュの変化がおさまると魔方陣は光を失い、虚空に溶け込むように消えていった。



 長い尾羽の先を籠の底に這わせ、ビジュは巣立ちのひな鳥のように翼を羽ばたかせた。

 脚で止まり木を蹴ると、その勢いのままに飛び立って籠をすり抜けた。


 唖然とする一同の頭上をビジュは悠々と旋回し、寝台の脇卓に降り立った。トレーに置かれたディアヌローズの魔力排出した魔石を、次々に飲み込んでいく。


 再びビジュは空中に飛び立った。身の内から輝きを放ち、燦爛たる光に包まれる。


 その光はしだいに弱まって、姿を現したビジュの羽色は薄紫に変化していた。

 以前は光の干渉によって変化を見せていた羽色も、いまは自らオーロラのように揺らいで淡く色を変えている。頭上の冠羽はしなやかで美しく、瞳の色は金と銀のオッドアイ。何よりも羽ばたくごとに光が零れ、身体の三倍はあろうかという尾羽はとても優美だ。



「フェニール……」と囁く声が、さざ波のように広がった。

 誰もが変容したビジュに心を奪われて、瞬きすら忘れて見入った。



 ビジュは部屋の中を大きく旋回し、しだいにその範囲を狭めていった。

 光を溢しながら、ディアヌローズの頭上を旋回する。

 零れる光が、ディアヌローズとディアヌローズを支えるアルフレデリックに降りかかった。


 アルフレデリックはその様子を注視していたが、ディアヌローズは目を固く閉じたまま苦痛に顔を歪めている。


 ビジュは緩やかに高度を下げていく。

 とうとうアルフレデリックの頭を掠め、ディアヌローズの後方へ回った。


 アルフレデリックはディアヌローズを庇うように、ディアヌローズの頭を抱き込んだ。持っていた魔石が手から離れて落ちていく。


 ほぼ同時に、それらは起こった────

 魔石が床で砕け散り、

 ビジュがディアヌローズの背に飛び込んだ。


 ディアヌローズの身体が光に包まれる。その光は銀であり、金でもあり、淡い紫でもあった。オーロラのように柔らかに変化しながら、やがて光は消え去った。



 部屋のあちらこちらから息を呑む声が上がった。

 だが、誰一人として動く者はいない。



「ピィ」


 唐突に、ひな鳥の鳴き声が響いた。

 一同、顔を見合わせる。


 もぞりと、ディアヌローズが身動(みじろ)いだ。

 アルフレデリックはディアヌローズを抱えていた腕を解いた。



 ディアヌローズは二度三度と瞬きを繰り返した。アルフレデリックに身を預けたまま、貝紫の目で自身の膝上を凝視する。


 そこには──

 数カ月前、庭で雨宿りをしていた幼鳥によく似た鳥がいた。だがその鳥は、それよりも更に幼いひな鳥だ。全身ふわふわの羽毛で、黄色い嘴をしている。


 わけが分からず、ディアヌローズはアルフレデリックを見上げた。


 アルフレデリックはディアヌローズの前髪をはらう。額の紋様は跡形もなく消えていた。小さく息をつく。


「それはビジュだ。其方を癒し、雛に戻った。──ビジュの癒しがなければ、其方は助からなかった」


 ディアヌローズは小首を傾げて、アルフレデリックの言葉を考える。確かに、身体中を廻っていた痛みが消えていた。額の疼きもなかった。


 ディアヌローズは雛を両手で掬いあげる。雛鳥はおとなしく手の中におさまった。

 ひな鳥の黒い瞳を見つめて呼びかける。


「ビジュ?」

「ピィ」


 ディアヌローズはそっとビジュを頬に寄せる。

「ビジュ……。ありがとう」



「この件は口外法度だ」


 コンスタンティンが皆に命じた。

 皆は了承の礼を執った。



「雛をこちらに」


 アントナンの差し出した小さな籠に、ディアヌローズはビジュを下ろした。


 アルフレデリックが、ディアヌローズの手に巻かれた包帯を解いていく。

 手の爛れはすっかりきれいになっていた。

 ディアヌローズはその手を握ったり開いたりしながら、アルフレデリックに尋ねる。


「この手もビジュが?」

「ああ。ビジュはフェニールだったのだ」

「フェニール? ビジュはレアリーヴというのでしょう?」


 以前そう教えてくれたミゼリコルドに、ディアヌローズは向いた。

 ミゼリコルドは長い白銀の髭を撫でる。


「そうさな。フェニールは不死鳥だ。聖獣であり、その光を浴びれば傷が癒える。さらには命を分け与えることもできるのだ。故に知られれば、心ない者に狙われる。捕まえたところで意のままにはならぬのに、愚かな者は後を絶たぬ。だからレアリーヴに擬態していたのだろう」


「どうしてわたくしを助けてくれたのでしょう……」

「其方を気に入ったのであろうな。フェニールは自らの意思でしか癒しを行わぬゆえ」

「ビジュは大丈夫なのですか?」

「不死であるからな。命を分け与えずとも、定期的に雛に還っているのだよ。そうやって永遠を生きているのだ。其方も、けしてビジュがフェニールだと口にしてはならぬよ」


「はい」

 神妙な面持ちで、ディアヌローズは頷いた。



 アルフレデリックは、片目を瞑るウルラに向いた。

「ウルラ、其方はビジュがフェニールと知っていたのか?」


(なれ)らのように目が節穴でない故。(われ)は夜目もきく。ああ、だがあの者も知っていたのだな』

 ウルラは愉快気にミゼリコルドを見た。


「ビジュが歌ったと伝え聞いたのだ。長く生きてきたが、歌うレアリーヴなど聞いたこともない。ゆえにもしやと思ってな」


『汝も夜目がきくのではないか?』

 ビジュは嗤ったかのように目を細めた。



 アルフレデリックは黙したまま、ミゼリコルドを、それからコンスタンティンを見た。薄く口を開いて何かを言いかけたが、声を出すことなくその口を閉じた。



 ディアヌローズはアルフレデリックを見上げる。淡い金の瞳と目を合わせた。


「アルフレデリック様、ありがとう存じます」

「なんだ?」

「あの日、雨宿りをしていたビジュを助けてくださいましたでしょう」

「私は助ける気など無かった。其方が私に強請ったのだ」

「わたくし、あの日のことはきちんと憶えておりますもの。やはりアルフレデリック様のおかげです。ありがとうございました」


 ディアヌローズは貝紫の瞳で、アルフレデリックを真っ直ぐ見た。

 アルフレデリックは目を逸らす。


「……知らぬ。──それよりもビジュの世話をするように」

「はい」



 ディアヌローズは籠の中のビジュを見つめた。低木の根元で濡れそぼるビジュを見つけた、あの雨の日を思い出す。

 アルフレデリックは言った。

『手を出してはならぬ。野に生きるものの生死は自然の理。一度(ひとたび)手を差し伸べれば野には戻れぬ。そもそも其方はあれを助けたとして、生涯の面倒を見られるのか?』


 アルフレデリックは正しくて、優しい。ディアヌローズは思う。自分にはあんな風に言ったのに、秘かにビジュを助けて世話をしてくれていた。記憶が無いと嘘をついていたと告白した時も、ビジュの世話をすることが罰だと言ってくれた。



 ──ああ、そうか……。

 わたしのことも、助けてしまったから面倒を見てくれていたんだ……。


 だからアルフレデリックは、自分の立場を危うくするかもしれないのに匿ってくれたのだ。中央の騎士団に虚偽の報告をし、神の家にもやらず、コンスタンティンたちにも秘密にして。体調を崩すたびに癒しをかけてくれ、拉致された時も助けてくれた。


 なのに、その優しさに甘えて困らせてばかり。耳飾りだって、台座はそのままだと言ってくれたのに。薔薇にいたっては、アルフレデリックが玻璃のドームを用意してくれなければ、とっくに枯れていた。元に戻せもしないものを惜しんで、アルフレデリックに八つ当たりした。


 ──まるで子どもね。なんて我儘だったのだろう……。


 ディアヌローズは足元を見た。割れた玻璃(ガラス)は片付けられていて、薔薇は見あたらなかった。もう枯れてしまったのかもしれない、と思った。その事実を呑み込もうと、目を伏せた。



「花であれば応接卓の上だ」


 アルフレデリックの声に、ディアヌローズは目を開いて応接卓を見る。

 魔方陣の布の上に、薔薇があった。少しだけ艶を失っている気がした。

 じっと見つめているディアヌローズの膝に、アントナンが魔方陣ごと薔薇をのせた。


「魔方陣に触れていれば、暫くは保たれるだろう」

 アルフレデリックは言った。


 申し訳なさそうに、ディアヌローズは眉を寄せる。


「アルフレデリック様のお力で、きょうまで枯れずにいられたのです。それすらわたくしは気付かずに、失ったと哀しみました。わたくしは……とても愚かでした。お赦しくださいませ」


 アルフレデリックは僅かに目を大きくする。


「……構わぬ」

「触ってもよろしいですか?」

「魔方陣から離さぬように」


 はい、と頷いて、ディアヌローズはおそるおそる薔薇に手を伸ばした。

 指先が、厳冬の月色にも似た花弁に触れた。


 その刹那────






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