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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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額の痣(5)

 執務室に入ったフォセットは辺りを見渡し、部屋の最奥にいるコンスタンティンのもとへと歩んでいった。


 玻璃から入る春の陽射しがコンスタンティンを照らし、普段では艶やかな蒼としか見えない髪が蒼銀に煌めいている。


「其方から顔を見せてくれるとは珍しい」

 コンスタンティンは机上から視線を上げると、緑柱石の目をにこやかに細めた。


 忙しさを微塵も感じさせないコンスタンティンに、フォセットも笑窪を浮かべて淑やかに微笑む。


「執務のお邪魔をするのは憚られたのですけれど、急を要しましたので」

 身体の前で手を組んだフォセットは、凛とした佇まいでそう告げた。


 瞬時にコンスタンティンは表情を改める。広げていた書類を手早く脇へまとめると、机上に両肘をついて手を組んだ。

「聞こう」


 フォセットは僅かに前屈みになる。

「お嬢さまの額の痣についてですわ」と、声を潜めた。


 コンスタンティンは片眉を上げる。「見たのか?」


「ええ。包帯が緩んでおりましたので。──あれはただの痣ではございませんでしょう? 以前のお話と関連があると、わたくしは考えております」


 暗に、呪詛の話と関連があるのでは、とフォセットは口にした。


「──其方だけか?」


「ええ。今のところは」


「話さねば、其方は引き下がらぬのだろうな」


「よくご存じですこと」口角を上げる。


 小さく息をついたコンスタンティンは、一対の秘話石を取り出した。一つを自身で握り、もう片方はフォセットが握り込む。双方、魔力を流した。


 覚悟をはかるコンスタンティンの声が、フォセットの頭蓋に響く。


『知れば哀しみが深くなる。それでも望むか?』


『お嬢さまのお世話を拝命した時から、覚悟はできておりますわ』



 フォセットはアルフレデリックからディアヌローズの世話を頼まれた時、まず耳を疑い、次にアルフレデリックの隠し子かと瞠目し、即座に胸の内でありえないと(かぶり)を振った。


 アルフレデリックはフォセットが世話をしていた子どもの頃から、他人(ひと)に頼ろうとしない子だった。成人してからは、私事で他人に頼みごとをするなど皆無と言っていい。そのアルフレデリックが自分を頼ってきた。余程のことなのだろう。断る気にはなれず、本来であれば十二分にする下調べを飛ばして、その場で承諾した。


 この幼子には何かある。初対面の時からディアヌローズは異質だった。言辞や、挙措、聡明さ。そして極端に虚弱な身体も。だが同時にディアヌローズから垣間見える、怯えや、戸惑い、孤独。ときおり遥か遠くを見つめる眼差しが、フォセットの胸を締めつけた。


 引き受けたからには今まで世話をしてきた子同様、命を賭して護り育むと決めている────



 コンスタンティンはほんの束の間目を伏せ、ふっと笑んだ。

『其方らしい──』


 フォセットはコンスタンティンの緑柱石の瞳に、冬空のような翳りを認める。重く垂れこめる雪雲が空を覆い尽くし、その雲を払う術なく見上げて無力を嘆いているようだった。普段のコンスタンティンではありえないその様が、事態の深刻さを無言で告げている。フォセットにはそう思えた。



 秘話石を通し、コンスタンティンは額の紋様について、以前ヴァランタンに伝えたものと同じ内容をフォセットに告げた。最後に口外法度を言い渡すと、ぽつりと言葉を落とす。


『哀しみを知る者は少ない方がいい──』



 すべてを聴き終えたフォセットは固く目を閉じ、秘話石を砕けんばかりに握りしめた。幼い身で大人でも耐えきれぬものを背負ったディアヌローズを想い、哀しみが全身を駆け巡ったのは数舜のこと。秘話石を執務机に戻したフォセットに、もう哀しみはない。ディアヌローズを護り抜くとの決意だけがあった。


 今のディアヌローズの不調は、魔力腺の損傷や額の紋様だけではないとフォセットは確信を深めた。アルフレデリックのあの一言や態度が、ディアヌローズを苦しめているに違いないと。


 自分がアルフレデリックの幼少期に、教え、諭し、導ききれなかった故だと、自責の念にかられた。

 アルフレデリックを諫めなければならない──。

 これは己の務めであるとの思いを強くした。



 フォセットは毅然とコンスタンティンを見る。

「アルフレデリック様はどちらですの?」


「何やら忙しそうにしていたが……」訝し気に眉根を寄せた。


「わたくし、お諫めせねばなりませんの。御前を失礼いたしますわ」


 礼を執って踵を返そうとするフォセットに、コンスタンティンは腰を浮かす。


「待て待て、何があった?」


「告げ口のような真似はできかねます」


 コンスタンティンはただならぬフォセットの様子に、

「アルフレデリックを呼ぶ」と、フォセットを執務室に留めた。




 暫くして現れたアルフレデリックは、フォセットの顔を見るなり微かに口端を引いた。


 それをフォセットは見逃さない。アルフレデリックが幼い頃からの、疚しいことがある時の仕草だ。知っているのはアルフレデリックにごく近しい者しかおらず、フォセットを含めてほんの僅かしかいない。大抵の者は笑んだと思うだろう。



「数日ぶりですわね。どうされましたの?」


 フォセットの問いに、真っ先に反応したのはコンスタンティンだった。口を開きかけたコンスタンティンを、フォセットは目で制す。アルフレデリックを待っている間に、静観するよう約束を取り付けてあった。


「いや……」

 アルフレデリックは言葉を濁し、コンスタンティンの隣席に腰掛けた。フォセットの対面となるように、空けておいた席である。


「遮音石を展開してくださいませ」


 アルフレデリックは疑問も文句も言わず、「ペルドル」と遮音石を起動する。

 黄色の光膜が、三人がいる応接卓の周囲を覆った。



「つい先ほど、お嬢様の額の紋様について、コンスタンティン様よりご説明いただきましたわ」


 アルフレデリックが隣のコンスタンティンに向くと、コンスタンティンは頷いた。

 それを見届けて、フォセットは話を再開する。


「あの日以来、お嬢様のもとに訪れないのは何故(なにゆえ)ですの?」


「理由は二つある。まず一つ。導師(グル)が行っている魔方陣による魔力排出は、同じ者が担った方がいいからだ」端的に答えた。


「もう一つは何ですの?」


「ディアヌローズの耳飾りに付ける、守護石を作っている。左右とも拉致犯に襲われた際に、起動して失った。早急に用意せねばならない」淀みなく答えた。


「その二つが理由だと? わたくしの耳には言い訳としか聴こえてきませんわ」


「っ!……」言葉にならない声を漏らし、アルフレデリックは黙り込んだ。



「お嬢さまがシェリール様と判明した頃の、ミゼリコルド様のお言葉を覚えていらっしゃいますか? 『アルフレデリックはコンスタンティンに、ディアヌローズを支えるようにと言われておる』と──」


 言葉を切ったフォセットは、コンスタンティンを見る。ミゼリコルドを疑ってはいないが、コンスタンティン本人から確証を得ておきたかった。首肯を確認すると、再びアルフレデリックに視線を戻し、先を続ける。


「──わたくしは忘れたことはございませんよ。……ですがアルフレデリック様は、忘れてしまわれたようですね」微苦笑を浮かべた。


 淡い金の目をアルフレデリックは伏せる。

「忘れてなどいない……」



 相変わらず、他人を近づけるのが苦手な方だ。フォセットは思う。子どもの頃からそうだった。だが、漸く変われる千載一遇の機会が訪れた。自分から進んで変わる気はないだろうが、ディアヌローズが絡めば否が応でも変わるしかないだろう。


 フォセットの瞳はアルフレデリックを通り越し、昔を懐かしむように虚空を見つめた。


 幼いアルフレデリックの姿が浮かんだ。淡い金の瞳はどこか冷めているのに、心は温もりを求めている。愛情を注ぎ過ぎると逃げていき、試しに距離をおいてみれば離れた処で窺いみている。そんな子どもだった。


 賢く、聡く、同じ失敗はしない。ただ魔力が多かったので、洗礼までは身体が弱かった。一人寝台にいることが多く、兄姉と交わることが極端に少なかった。その点では、ディアヌローズと似ている。


 フォセットはアルフレデリックに焦点を戻すと、ゆっくり瞬いた。



「子どもには、自分に注目させようと主張する子と、自分に気付いてもらえるまで待つ子と二通りいますの。わたくしがお世話させていただいたお子の中で、前者はヴァランタン様。後者はアルフレデリック様、あなたでしたわ。そして、お嬢様も後者です」


「私はもう子どもではない」さも嫌そうに顔を顰めた。


 フォセットはその様子を見ながら、「ええ、大きくおなりになったこと」と、笑みを深めた。


 僅かに目を剥くアルフレデリックを、フォセットは気にすることなく続ける。


「お嬢さまはアルフレデリック様がおいでにならないことを気にされて、頻繁に扉をご覧になっています。お怒りが解けないと、心を痛めておられる。ご自分のこの先を理解し、一人で耐えているているお嬢さまを、このまま放っておかれるつもりですの?」


 すかさずアルフレデリックは、薄く整った唇を開いた。だがひと呼吸の(のち)、息の漏れる音さえ立てないまま、その唇を結んだ。


 いかにも先刻述べた理由を再び口にしようとしたアルフレデリックを、フォセットは青緑色の瞳でひたと見つめる。


「ミゼリコルド様の魔力排出を言い訳になさらないで。守護の魔石作成とて、アルフレデリック様ともあろうお方が数日掛かりきりなどあり得ませんわ」


「……」アルフレデリックの肩が、僅かに揺れた。



 フォセットは切々と語る。


「お嬢さまは、アルフレデリック様が常に接しておられる権謀術数に長けた方々とは違いましてよ。必要なのは入念な準備ではございません。ただそのお姿を見せてくださいませ。それだけで十分なのですよ。


 そして今一度、思い出していただきたいのです。

 ……あの日の出来事は、言葉の行き違いでしたでしょう? アルフレデリック様のお怒りに対して、お嬢様は()()だと口にされた。わたくしにはお嬢さまの言葉は、アルフレデリック様が孤児を蔑むなどあり得ない、との()()に聴こえましたわ。


 けれどアルフレデリック様にとっては、赦されざる言葉でしたのね……。


 でしたら、わたくしのお世話が至らなかったのです。お嬢さまに対しても。アルフレデリック様に対しても──。お咎めは、謹んでわたくしがお受けいたします。どうか、お嬢さまはご容赦くださいませ」



 アルフレデリックの心の底に届くようにと、フォセットはことさら柔らかい声で畳みかける。


「聖堂でお嬢さまを見つけられた時、中央に引き渡さず手許に保護されたのは、お嬢様のその先を憂いてでございましょう? 心根のお優しい方ですものね。


 だからこそ、いま最も辛いであろうお嬢様に、アルフレデリック様から歩み寄っていただきたいのです。


 ……おそらく、残された時間は然程ございませんわ──」



 コンスタンティンとアルフレデリックは目を瞠る。息を呑んでフォセットを見た。


「──根拠は、わたくしが額の紋様に気付いた理由にありますの」


 フォセットは二人の顔を交互に見て、再び口を開いた。


「お嬢さまはあの日から、お(やす)みの際には帳をすべて閉じるようになりました。寝相のいい方なのですよ。なのに、ひどく敷き布が乱れるようになりました。包帯が解けるほどに。


 そして、お昼寝も長くなっておられます。帳を開けた時には、お顔に脂汗が滲んでいて……。


 わたくし達の前で、お嬢様はけして笑顔を絶やしません。けなげに振る舞われるお嬢さまに、わたくし達は気付かぬふりをするしかできないのです──。


 ご自分を責められるお嬢さまを、わたくしがお救いすることは叶いませんでした……。


 一体どなたなら、お嬢様を救って差し上げられるのでしょうね?」



 フォセットの脳裏に、あの日ディアヌローズを慰めていた時の情景が浮かんだ。身体をフォセットに預けていたディアヌローズが、フォセットの腕に手を置いて身を離した。


 ディアヌローズが自分を責め、懊悩しているのは明らかだった。


 けれど、フォセットの手は離された。自分では救えない──。幾人もの乳母を務めてきた自負が傷つかないわけではないが、ディアヌローズを救えるのなら、己の矜持など火にくべても構わないと思えた。



 沈黙が落ちる────



 もうフォセットに打つ手は残っていない。これでアルフレデリックに届かないのであれば、コンスタンティンに命じてもらうしかないだろう。ディアヌローズも救えず、アルフレデリックを変えることもできない。忸怩たる思いで胸が塞がり、フォセットの瞳は我知らず潤んでいた。




 ガタリ────


 アルフレデリックが立ちあがった。普段のアルフレデリックであれば、音を立てるなどあり得ない。三つ編みにした微かに蒼い銀の長髪が、椅子の背に当たって踊った。いつもの優雅さは、すっかり鳴りを潜めていた。



「わたくしも共に参りましょうか?」

 アルフレデリックを見上げて、フォセットは訊ねた。


「私は子どもではない」鼻の上に皺を寄せる。


「左様ですか。では、わたくしは遅れて戻るといたしましょう」

 笑みを浮かべた。それは雪解けの川辺に降り注ぐ陽のような、あたたかくも清々しい笑みだった。


 アルフレデリックは「アニュリィ」と遮音石を解除すると、足早に執務室を出て行った。




 はぁ……と、腹の底から息をはき出したコンスタンティンは、だらりと椅子の背に凭れかかった。

「そもそも孤児を蔑む者や身分差を振りかざす者など、他領では掃いて捨てるほどいるだろう。大きな(なり)をして、幼子への寛容さを持たぬとは……」と、こぼした。


「年下に接する機会がありませんでしたもの。良い機会を得ましたわ」


「アルフレデリックにとって、譲れないことだと理解している。分かってはいるが……」


「ええ。──ですが、お嬢さまに無理をさせてしまいました」

 申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「あやつが悪い。どうせその辺の有象無象を相手取るように、迂遠な物言いをしたのだろう」


 貴族はアルフレデリックに限らず言質を取られないよう、意味が幾通りにも取れるような話し方をする。とはいえ、さすがに子ども相手では直截に伝えることが殆どだ。


「お嬢さまと話しておりますと、つい幼子であるのを忘れてしまいますもの」


「おかげでこの為体(ていたらく)か!?」


「アルフレデリック様がわたくしを目にした時のご様子で、ご自分の非を認めておられるのが分かりました。守護石を完成させて、歩み寄る機会を作ろうとしたのですわ。きっと」


「其方にはいつまでも苦労を掛けるな」さもすまなそうに言った。


 フォセットは束の間目を閉じる。瞼の向こうには、幼いアルフレデリックがいた。自然と上がる口角に任せて微笑んだ。

「わたくしの心から、小さなアルフレデリック様が消えることはありませんもの」


 コンスタンティンは背もたれから身を離すと、フォセットを真っ直ぐ見つめた。

「感謝する……フォセット。──これからも、頼む」


 フォセットは席を立ち、恭しく礼を執った。






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