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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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額の痣(4)

 執務室の扉が開かれてアルフレデリックが姿を見せた途端、コンスタンティンは手を上げた。隣にはミゼリコルドの姿もある。アルフレデリックは足早に二人の待つ応接卓へと向かう。


「戻りました」

 二人に礼を執り、コンスタンティンの対面に腰を下ろした。


「どうであった?」コンスタンティンが問う。


「危惧したとおり、申告以外にもディアヌローズは魔力を動かしていました」


 コンスタンティンは弾けるように椅子から身を乗り出した。

「問い(ただ)したのか!?」


「額の紋様が消えていましたので」


「それならよいが──」

 コンスタンティンは端座し、動かした魔力の程度を訊ねた。


 アルフレデリックは(かぶり)を振る。

「そもそもディアヌローズ自身が分かっていません。ディアヌローズを庇って拉致犯に斬られた者がおりました。その者を癒そうとしたようです」


「気持ちは分からぬでもないな……」

 呟くように、ミゼリコルドは言葉を落とした。


 アルフレデリックは眉宇を寄せる。

「愚かな行為です。──庇った者を助けたいと願ったら、掌に熱が集まったと。魔力の自覚すらありません。魔力腺の損傷は、想定をさらに上回っているでしょう。治療方針を変更しなければなりません」


「何とかなりそうか?」コンスタンティンは問う。


「魔力腺の傷み具合と魔力量回復の均衡をとるのは、極めて困難です。厳しいと言わざるをえません」

 アルフレデリックは淡い金の目を伏せ、暫し迷いを見せた。再び視線を上げる。

「……ディアヌローズは理解していました。傷ついた魔力腺では、魔力が回復した時には耐えられないことを」


 コンスタンティンが瞠目する中、その経緯をアルフレデリックは語る。


「洗礼前は特に、精神状態によって体内魔力量が増減するのはご存じでしょう。──保護して間もない頃のディアヌローズは精神的に不安定で、体調を崩しがちでした。魔力量が多いであろうことは、すぐに察しがつきました」


 コンスタンティンが「それで?」と先を促す。


「魔力腺の発達が魔力量の増加に追いつかなくなった場合、治癒魔術ではどうにもならないと教えました。だから極力平静でいるように、と。その一度きりでしたが、憶えていたようです。多少怖がらせておけば、気を付けるだろうと考えてのことでした。──」


 ですが、とアルフレデリックは一拍息をついて、話を再開する。


「──それが裏目に出ました。魔力腺が損傷した場合について、あそこまで正確に考察できるとは思いも寄りませんでした。私の落ち度です」

 悔いるように目を伏せた。


「普通に生活して魔力腺が損傷するなど、早々起こらんからなぁ……」

 お手上げとばかりに、コンスタンティンは椅子の背へと倒れこむように凭れた。


 ミゼリコルドは白銀の長い顎鬚を撫で、

「さて、どうするか」と、独り言ちるように口にした。


「魔方陣による魔力の排出が一般的だが……あれではな」

 困り果てたようにコンスタンティンは言った。


 アルフレデリックは相槌を打つ。

「ええ。魔方陣による排出は、魔力の集まる掌か額。通常は掌で、素肌から直に排出させます。ですがディアヌローズはその掌は左右とも爛れ、額は紋様に影響を及ぼしかねない。八方塞がりです」


 腕を組んだコンスタンティンは、眉間に縦皺を刻む。

「血族であれば負担なく魔力を抜けるのだが……」


「今できうる限りをするよりほかはあるまい。──明日は私が診る日であったな。まずは掌の治癒を重点的に施し、紋様が消えているのであれば、額から魔方陣での魔力排出を試みようて」


 そう言ったミゼリコルドに、アルフレデリックが「導師(グル)……」と言い淀む。暫し逡巡したのち、懸念を口にする。


「──紋様ですが、また現れたやもしれません」と目を逸らし、

「厳しく接してしまいましたので」と、気まずそうに言った。


「必要に迫られてか?」


 ミゼリコルドは静かに訊ねた。その声は、岩から染み出る澄んだ水のようだった。何の色も持っていない。責めるでなく、諭すでもない。ただ聴いた者の心に、深く沁み込んでいく。


「……いえ」


「そうか」


 たった一言だけ、ミゼリコルドは口にした。だが、けして突き放すような声音ではない。柔らかく、穏やかで、導くような響きがあった。


 アルフレデリックは言葉を返さず、深く礼を執る。

 その様を、コンスタンティンは黙したまま、緑柱石の瞳で見つめた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 二の鐘で、ディアヌローズは目を覚ました。一瞬、真っ暗で何事かと身を竦め、そして力を抜いた。昨夜(ゆうべ)(とばり)をすべて閉じてもらったのは自分だったことを思い出したからだ。


 これまでは、起床の声が掛けられるまでの間、庭を眺めて過ごすのが愉しみだった。その日の天候、季節の移ろい、偶に現れる生き物たちの姿──。朝の光には心が浮き立ち、雨が玻璃を濡らす日にはその音に耳を傾けた。夏の深緑、秋は虫の音、冬には梢で輝く雪の白。そして花が(あで)やかに咲き誇る春。


 でも今は、眠り落ちる前には点いていた脇卓の灯りさえも消え、暗闇だけがある。気の塞がる思いに、我知らず自身の腕に縋って、ぎゅっと目を閉じた。きょうからは、これが日常──。だったら、愉しめる工夫をしよう。


 瞼の向こうに、(エアリューリス)の花たちを思い浮かべてみる。まずはペルマム。色が幾種類もあるデージーに似た花。中でも特に気に入っているのはエレオノールの瞳と同じ、柔らかな杏色。それから花かんざしのように小さくて可憐な、白花のアンテモ。沈丁花と変わらないダフネ。香りさえも思い出せる。


 暗闇の中でも、花咲く光の中にいられる。季節を問わず、その日の天候も関係なく、思い描く景色に身を置くことができる。


 ──だから、大丈夫。

 自分自身に言い聞かせた。

 不調をみんなに悟られないよう、迷惑を掛けないようにと、きのう立てた誓いを胸に刻む。

 体調だって悪くなく、微かに額が疼くだけ。だから大丈夫、と胸の内に言葉を重ねた。




 やがて二と半の鐘が鳴って、帳がベアトリスによって開かれた。本物の、眩い朝の光に手を翳す。笑顔で朝の挨拶を交わし、朝の洗面から朝食までをベアトリスの手を借りて終えた。




 突然音もなく、玻璃からウルラが抜けてきた。ディアヌローズの前を旋回し、新しい止まり木に降り立つと、真っ白な翼を畳んだ。


 ディアヌローズはすんすんと匂いを嗅いで、「血の臭いがするわ」と眉を寄せた。すぐに失敗したと首を竦める。


 案の定、ウルラはむくれたように「フェブルは食しておらぬ」と、そっぽを向いてしまった。


 慌ててディアヌローズは言い募る。

「もう疑ってないわ。信じてる。わたしの魔力の代わり、狩りに行ってきたのでしょう? ごめんなさい」


 本当のところ、ディアヌローズは臭いも含めて血が苦手である。爛れるからだけでなく、庭で魔獣に襲われた光景や、レミから流れ出た血の感触が思い出されてしまうからだ。けれど自分の都合で魔力をウルラに渡せない今、狩りはウルラにとって命を繋ぐ手段であると重々承知している。



「理解しておるなら、よい」


 睥睨するウルラに、ディアヌローズは機嫌を取り結ぼうと試みる。


「その止まり木はウルラに合うようにと、アルフレデリック様が用意してくださったのよ。どうかしら?」


「──よいのではないか」


 ディアヌローズは微苦笑を浮かべる。この梟はやはり素直な(たち)ではないらしい。ビジュの止まり木には目もくれなかったのだから、気に入ったのだろうに。何となくその止まり木を用意してくれた人が思い出されて、ディアヌローズは内心でくすりと笑った。声を出して笑ったら、ウルラの機嫌がまた悪くなる、そんな気がした。




 昼過ぎ。治癒を施すため、ミゼリコルドがディアヌローズを(おとな)った。


 ミゼリコルドはまず首と掌に治癒の施術を行い、最後に額の包帯を解いた。アルフレデリックの懸念どおりに、微かな文様を認める。魔方陣での魔力排出を試すのは諦め、爛れの施術は必要なかったが、形ばかり青い光をあてて再び包帯を巻いた。


 包帯を巻き終えたミゼリコルドに、ディアヌローズは貝紫の瞳を向ける。


「額の包帯を外してはいけませんか?」


「そうさな。アルフレデリックは何と言っておった?」


「わたくしがうっかり触って、瘡蓋が剥がれたら痕になると……」

 口をとがらせる。


「私も同感だな。可愛い額には痕が残らぬ方がいい。そう思わないかね」


 ミゼリコルドに穏やかな口調で訊ねられ、ディアヌローズは不承不承

「……それは、そうですけれど……」と口にする。


 ミゼリコルドは青い目を細め、白銀の口髭を動かしてにっこり笑む。

「ならば決まりだな」


 優しいミゼリコルドに強請れば包帯を外してもらえる、とディアヌローズは踏んでいた。なのに結果は惨敗。かといってアルフレデリックの時みたいに、反発心は抱いていない。ただ軽くいなされて、納得させられた。


 早く目立つ包帯を取り去って、元気になったとみんなに示したい。心配を掛けたくない。その焦る気持ちだけがディアヌローズの心に残った。




 その翌日、再びミゼリコルドがディアヌローズのもとへやって来た。


 ディアヌローズは訝し気に眉を寄せて、訊ねる。

「きょうはアルフレデリック様の日、ではありませんでしたか?」


「私が其方に会いたかったのだが、アルフレデリックの方がよかったかな?」

 悲し気に白銀の眉を下げた。


 少々芝居じみている気もしたが、ディアヌローズは「いいえ」と口角を上げる。

 アルフレデリックは怒りが収まらないのだろう。それだけ深く、アルフレデリックの矜持を傷つけた。もう会ってはもらえないのかもしれない、とディアヌローズは思った。




 ミゼリコルドは額から紋様が消えていることを確認すると、腰の物入れから魔方陣が刺繍された袋を取り出して、それをディアヌローズに見せた。


「これが何か分かるかな?」


 ディアヌローズは人差し指を唇につけ、小首を傾げた。白金の髪がさらりと肩を滑る。

「星の欠片を集めた袋と同じ、でしょうか……」


「そうとも。この袋の刺繍は、魔力を吸い出す魔方陣だ。袋の中の魔石に、其方の魔力を移すことができる。通常は掌から行うが、其方はまだ掌が使えぬ。故に、額で試そうと思う。上手くいったなら、その魔石を其方の随獣に渡すといい。さすれば、随獣は狩りに行かずともよくなる」


 ぱあっと顔を輝かせて、ディアヌローズはミゼリコルドを仰ぎ見た。もしも上手くいけば、ウルラは不便が解消され、ディアヌローズ自身も負い目が無くなる。



「少しの間、じっとしておいで」


 ミゼリコルドはディアヌローズに目を瞑らせる。

 片手でディアヌローズの後頭部を支え、もう一方の手で瘡蓋とは反対側の額へと慎重に袋をあてた。十数えるほどで袋を額から離し、また同じ間ほど額にあてるを繰り返した。


 その間ディアヌローズは、掌の時よりも格段にむずむずする額のこそばゆさを、必死になって堪えた。


 やがて袋からかっと光が放たれ、光はすぐに収まった。


 ミゼリコルドの手が離れ、

「見てごらん」と、ミゼリコルドは袋の中身を掛け布の上に出した。


 小粒の魔石が三つ。

 ディアヌローズがその内の一つを手に取って光に翳してみれば、虹色に鈍く輝いて見えた。


「もっと魔力を籠めれば、光輝くでしょう?」


「無理をしてはならぬよ。随獣に渡すには十分足りておるからな」


 ミゼリコルドの許しを得て、ディアヌローズはウルラを呼ぶ。ウルラは掛け布の上にふわりと下りると、あっという間に啄んだ。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 ディアヌローズが助け出されて領事棟に戻ってから、十日ほど経った。

 血による爛れは日々順調に回復しているものの、掌の包帯を外すには至っていない。


 魔力腺も回復はしていたが、魔力の回復する方が早くて、魔方陣による魔力の排出は追いついていなかった。


 加えて、額の紋様が再び現れてもう消えることはなく、ほんの微かではあるが形を取り始めている。それでもミゼリコルドの検証によって、僅かずつの魔方陣による魔力排出は、紋様に影響が出ないと分かった。しかし今以上の魔力排出を試すことは、さすがのミゼリコルドも躊躇った。


 もう現状、打つ手がなかった────



 ディアヌローズは自らに課した誓いを守り、けしてみんなの前では笑顔を絶やさない。ただ、日に日に増す痛みを堪えるのが難しくなってきて、昼寝と称して帳を閉め切り、ひとり痛みに耐えている。身体を丸めて息を詰め、痛みが引くのをひたすら待った。脂汗が滲み、痛みで漏れそうになる声を、枕に顔を押し付けて堪えた。




 領事棟の白い廊下。

 フォセットが硬い表情で歩いている。

 足を止め、ひときわ重厚な大扉の前で小鐘(ベル)を鳴らした。






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