第八区画「戦闘もCFOの仕事の内のようです」
ノルトールを出て、半日。
街道は、みるみるうちに「道」であることをやめていった。
石畳は割れて草に呑まれ、路肩の距離標は苔むして読めない。倒木が三度、行く手を塞いだ。
十五年間、誰にも管理されなかった道の、当然の末路である。
『道路等級:廃道(管理者不在・十五年)』
『舗装残存率:一二%』
『本日の通行量:一台(当馬車)』
(……知ってた)
その夜は街道脇の高台で野営し、交代で見張りをして明けた。
次の日の昼。馬車を進めていると、
———遠吠えが、聞こえた。
一つではない。前から、左の森から、背後から。声が互いに呼び交わし、輪を描くようにして近づいてくる。
「セリア」
「はい。囲まれています。数、十二……いえ、十四」
彼女は手綱を俺に渡し、細剣を抜いて荷台の縁に立った。
直後、枯れた藪を割って灰色の影が躍り出る。灰狼の群れ。どの個体も、目が飢えていた。
『灰狼:魔石相当・銀貨三枚/毛皮:状態良』
(……鑑定してる場合じゃないか)
「凍結」
セリアの指先から放たれた氷の魔法が、先頭の一匹の足元を正確に撃ち抜き、転倒させた。
「風、右から微弱。跳躍高、推定一・二メートル。——偏差、修正」
「雹刀」
ぶつぶつと呟きながら放たれる無数の氷の弾丸は、宙を跳んだ狼を寸分違わず撃ち落とす。
踏み込んできた一匹は、最小の動きの細剣が喉元を掠めて追い返した。三匹目までは、完璧だった。
「———多い、です……!」
だが十数匹は、一人で捌ける数ではない。左右から同時に来られれば、演算が追いついても剣が足りない。
「セリア! 摑まれ! 【神域の用途指定】——区画、前方の街道二百メートル。用途、【優先通行帯】!」
道の両脇が淡く光り、宙に半透明の札が浮かんだ。
札曰く——『優先通行帯につき、飛び出し注意』
瞬間、馬たちの脚が別の生き物のように回り始めた。車輪の軋みが消え、荒れ果てた廃道が、この馬車にとってだけ舗装路に変わる。
横から飛びかかった一匹が、見えない流れに弾かれ、道の外へ転がっていった。
(そうとも。ここは今、優先通行帯だ。進路妨害は「用途に反する行い」なんだよ)
「速い……! ですがタクミ様、これは一体」
「ここは他人の土地だ、一時指定に過ぎない! もって数分だ! その間に引き離す!」
——だが、群れの長は賢かった。
ひときわ大きな個体が短く吠えると、群れの半数が森へ消え、数百メートル先、崩れた切り通しの上から、先回りした影が次々と道へ降ってきた。前方、封鎖。停止やむなし。
「……地元の地理に詳しい相手に、カーチェイスを挑んだのが間違いだったな」
「かーちぇいす?」
「なんでもない。——戦うぞ。すまん、俺の移動事務所」
馬車に貼りっぱなしだった【移動事務所】の札が、音もなく消えた。他人の所有地内で同時に維持できる札は二枚。
片方を剥がさなければ、次は貼れない。さらば快適通勤。経費削減だ。
「【神域の用途指定】——区画、この場、直径二十メートル。用途、【戦場】!」
範囲を狭く絞った分だけ、効果の上限は高く設定できる。地面が薄く光り、新しい札が浮かぶ。
『戦場につき、関係者以外立入禁止』
「セリア・フォート・アークライト! 当戦場への戦闘員登録に、同意を!」
「……え?」
「人に効果を付与する指定は、本人の同意が要るんだ! 同意してくれ!」
「し、しますっ! 同意します!」
瞬間——彼女の輪郭が、ふ、と鋭くなった。
登録戦闘員、一名。この二十メートルにおいて、彼女が戦うことは何よりも「用途に沿う行い」だ。踏み込みは風になり、剣先は狼の動きを追い越し、氷は彼女が望んだ座標で咲く。
逆に、登録なき牙は「反する行い」。狼たちの跳躍は見えない泥を掻くように鈍り、噛みつきはことごとく寸前で流された。
「三分だ、セリア! 三分だけ、君は無敵だ!」
「——充分です」
氷の令嬢が、廃道を舞った。
「……身体が軽い…!」
振り抜かれる細剣。撃ち出される雹刃。演算された軌道は一度も外れない。
二匹、四匹、七匹——と、群れが音を立てて崩れ、そして、狼の長が正面から彼女に躍りかかり、凍りついた前脚ごと、喉元に突きつけられた剣先の前で、止まった。
「………どうしますか?」
しばらく、長い、長い沈黙が続いた。
やがて長は牙を収め、身を低くして後ずさり、生き残りを連れて北の山のほうへ消えていった。
ぱきん、と札が砕ける。時間切れだ。膝をつきかけたセリアを慌てて支える。
「セリア、よくやった。怪我は」
「……ありません。それより今のは……身体が、勝手に最適解を選んで……」
息を整えた彼女は、それから改めて、じっと俺を見た。査定するようなあの目だ。
「タクミ様。あなたのスキルは、ただの防音装置では……なかったのですね」
「言っただろう、用途は自由に貼れる。逃げ道にもなるし、戦場にもなる。———ただし、俺自体は何もできない。だから、君が必要だ。この力は、一人では何もできない」
頼りにしてる、と頭を下げると、セリアはしばし黙り、小さく息を吐いた。
「……役割分担は理解しました。前衛と財務経理は私。後方と世界の書き換えはタクミ様」
「書き換えじゃない、用途指定だ」
それから俺たちは、倒れた狼から魔石と毛皮を回収した。セリアは荷台で帳面を開き、几帳面な字で書き付ける。
『初売上:灰狼の魔石七(銀貨二十一枚)、毛皮七(同七枚)。計、銀貨二十八枚見込み』
「タクミ様。当開発領、開業前に黒字転換の見込みです」
「幸先がいい。……と言いたいところだが」
俺は、群れが消えた北の山を見た。
目が飢えていた。毛艶も悪かった。あれは縄張り争いに勝った狼の顔じゃない。山を追われ、南へ南へと押し出されてきた、言うなれば、避難民の群れだ。
(北で何かが、生き物の住める環境を壊し続けている。十五年前から、ずっと。俺の眼が正しければ、あそこは肥沃な土地であるはずなのに。)
原因の根っこは、まだこの先だ。
「行こう。明日には領内に入る」
馬車は再び、北へ。
明日、俺たちはようやく、俺たち自身の土地に入るのだ。
第一棟「才能がないので死の土地を目指すことにします」完




