第七区画「財務責任者の目は誤魔化せないようです」
五日目の夕刻。
平野を北上し続けたオンボロ馬車は、グランディール王国最北の居住区——旧宿場町ノルトールに到着した。
「北の門」を意味する名を持つ、デッドエンド手前の最後の補給地。かつては北方交易の要衝として栄えた……らしいのだが。
「……随分と、寂れていますね」
大通りを行く人影はまばら。鎧戸を下ろしたままの店が、歯抜けのように並んでいる。
俺はそっと【万象の鑑定眼】を起動した。視界に半透明の査定タグが、ぱらぱらと街並みへ重なっていく。
『商圏価値:下落継続(十五年連続)』
『空き家率:三四%』
『大通り歩行者数:一時間あたり七名(うち二名は同一人物)』
(……もうちょっとオブラートに包め、俺の眼)
数字は残酷だ。物流の動線から外れた街がどうなるか、前世で嫌というほど見てきた。郊外の大型モールに客を吸われて枯れていったシャッター商店街と、寸分違わぬ死に方である。
「今夜はここで一泊だ。明日からは魔物の出る廃道区間。物資はここで限界まで買い込む」
「承知しました。宿泊費と物価の相場は頭に入っています。ふっかけてきたら、お任せを」
「頼もしいが、宿の人と戦争はするなよ」
街一番の宿に入ると、親父が転がるような勢いで飛び出してきた。無理もない。
客が俺たちしかいないのだ。夕食のエールは注文と同時に出てきたし、頼んでいない干し肉の盛り合わせまで付いてきた。過剰サービスは経営難の兆候である。
(『エール:水増し率一二%』……見なかったことにしよう。干し肉と相殺だ)
食事がてら、俺たちは愛想のいい親父を捕まえて、デッドエンドの現状についてヒアリングを開始した。
「——デッドエンドに向かうだって!? あんたたち、正気か!?」
親父は目を剥いて、テーブルに身を乗り出した。
「あそこは人の住む場所じゃねえ! この十五年、行って生きて帰った奴はいねえんだ。領主様の館だった『グレンツェ砦』も、今じゃゴブリンだのオークだのの巣窟になってるって噂だぜ」
「なるほど。居抜き物件に先客がいるわけか」
「い、いぬき……?」
親父の顔に「こいつは何を言ってるんだ」と大書してあるが、かまわず続けてもらった。
「と、とにかくやめとけ! 最近じゃ夜になると、北の山から腹の底に響く地鳴りが……いや、ありゃ巨大な獣の唸り声だ。絶対にヤバい化け物が棲みついてるぞ」
「上の階の騒音問題か。入居者間のトラブル調整は、管理会社の腕の見せ所だな」
「うえのかい……? 山だぞ!?」
「親父さん。その『魔物が増えた』『地鳴りがする』ってのは、いつ頃からだ?」
「ん? ああ……思えば、ちょうど十五年前くらいからだな。急に北の山の様子がおかしくなって、魔物が平野まで溢れてきた。それで当時の駐屯部隊も、砦を捨てて撤退しちまったのさ」
……十五年前ね。
頭の中にピンとくるものがあった。
地脈の異常。竜らしき何かの飛来。魔物の増加。駐屯部隊の撤退。デッドエンドの死。バラバラだった点と点が、「十五年前」の一言で一本の線に繋がる。
そして十五年前といえば、俺が「タクミ」としてこの世界に生まれた年と、完全に一致する。
(……これは偶然か? そういえばあの女神様、別れ際に「詳細を伝えられないのが残念です」と言っていたな。まさかその『詳細』って、これのことじゃないだろうな)
引き渡し後に重大な瑕疵が分かるみたいな話だな。勘弁してほしい。確証はないが、頭の隅にピン留めはしておこう。
「親父さん、いい事前調査になった。感謝する」
「……悪いことは言わねえ、やめとけって。あんたら、いい客なんだからよ」
最後のひと言だけは、魂からの本音だろう。なにせ客が俺たちしかいない。
翌朝。市場で物資の買い出しにかかった。食料、水、野営具、拠点修繕用の工具類。
寂れた市場の商人は、余所者のお坊ちゃん貴族に見える俺を一目見るなり、露骨に目を輝かせた。カモがネギと鍋と薪を背負って歩いてきた、という顔である。
「へへっ、お坊ちゃん。これだけ揃えるなら、全部で銀貨八十枚ってとこだな。これでも勉強してるんだぜ?」
「……八十枚、ですか」
俺が口を開くより早く、隣のセリアが、すっ、と一歩前に出た。
———ああ。死んだな、商人。
「王国内の市場における同等の保存食の相場、銀貨十八枚。工具類は鉄の含有量から算出して十五枚。街道の輸送リスクと迂回路による運賃の高騰を、ローゼンベルク領を発つ前に確認した関税記録と過去五年の物価変動から加味しても、適正価格は銀貨四十二枚、譲歩して四十五枚。——銀貨八十枚という原価率を完全に無視した価格は、いかなる計算式から導かれたのか、ご説明いただけますか」
息継ぎゼロ。詠唱破棄で撃つ攻撃魔法のような早口だった。
「な、なんだと!? い、いや、ほら、最近は魔物が多くて輸送費が……」
「昨夜、宿の酒場で南から来た行商人が『道中、魔物は影も見なかった』と話していました。加えて、この樽の埃と保存食の乾き具合——仕入れはひと月以上前ですね。輸送費の高騰を転嫁する余地は、どこにもありません」
「ぐっ……お、おう、なら六十枚で……」
「四十枚」
「ご、五十……!」
「四十枚。これ以上の吹っかけは、商業ギルドへ不当価格として報告させていただきます」
「四十枚でお願いしますなんでもしますんでギルドだけは勘弁してください!」
商人は人生最速の敬語で陥落した。もはや値切り交渉ではない。データとロジックによる公開処刑だ。
(すごいな……どんぶり勘定のファンタジー商人が、音を立ててすり潰されていく。さすが、うちの頼れるCFOだ)
セリアが支払いを済ませると、俺は当然の顔で言い放った。
「領収書を。宛名は『デッドエンド領』で」
「りょ、りょうしゅうしょ……?」
「ああ、この売買が成立したことの証明さ」
適当な紙に金額と商品名を羅列してもらい、拇印を押してもらう。
そして、打ちひしがれる商人に、荷積みを終えた俺は声をかけた。
「悪いな、親父さん。うちの財務責任者は数字に厳しくてね。だが、この寂れた街で滞留在庫を一気に現金化できたんだ。キャッシュフローは回っただろう?」
「きゃっしゅ……ま、まあ、正直、助かったけどよ……」
「なら覚えておいてくれ。数年後、デッドエンドが開通すれば、このノルトールは大陸物流の『中継点』として蘇る。その時、俺の領地へ物資を納める指定業者として、あんたの店を予約しておきたい」
「よ、予約ぅ? 開通ぅ? あんた、一体……」
「タクミ・フォン・ローゼンベルク。デッドエンドの新しい領主だ。———また必ず、買いに来る」
そんな言葉を残して馬車に乗り込むと、手綱を取ったセリアが、半眼でこちらを見ていた。
「タクミ様。ああいう大言壮語は、どの科目で帳簿につければよろしいのですか」
「『広告宣伝費』でいいだろう。金はかかってないが」
「……『回収見込みの立たない先行投資』として、備考欄に記載しておきます」
「うちのCFOは手厳しい」
「……しーえふおー? よく分からないですが——」
セリアはふと目を伏せ、誰にともなく小さく付け足した。
「もし、あなたの眼が映す未来が本当なら。この街の査定額も、いつか書き換わるかもしれませんね」
セリアの中の不信と好奇心。その天秤が、ほんの少しだけ傾いた音がした。
馬車はノルトールの門を抜け——いよいよ、魔物の跋扈する廃道区間へと乗り入れた。




