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第六区画「旅の相談は事務所で行うようです」

 ローゼンベルク本領を発って、四日目の昼。


 馬車は相変わらず、代わり映えのしない平野をガタゴトと北へ進んでいた。


 いや、ガタゴトという表現は上品に過ぎる。舗装なき街道の凹凸は、車輪から床板へ、床板から座席へ、尻を削るような振動を直送してくる。これでは羊皮紙に線の一本も引けやしない。


「セリア。そろそろ、第一回の経営会議をやろうと思う」


「構いませんが……この揺れの中で、ですか。インク壺は本日すでに三度転倒していますが」


「だな。だからまず、会議室を用意する」


「……は?」


 俺は指先で、馬車の内壁をコンと叩いた。


「【神域の用途指定セイクリッド・ゾーニング】——区画、この馬車の内側。用途、【移動事務所】。付帯効果、静音・防振」


 瞬間、車内の空気が、ふっと一段澄んだ。


 耳障りだった車輪の軋みが遠のき、突き上げるような振動が、絨毯の上を滑るような揺れに変わる。


 そして窓際の空中には、半透明の札が一枚、ぽつんと浮かんでいた。


 曰く——『移動事務所につき、お静かに』。


「————」


 セリアが、固まった。落ちる寸前だったインク壺が、机の上でぴたりと静止している。


「……揺れて、いない。音も。……タクミ様、今のは、一体」


「俺のスキルだ。指定した区画に『用途』を貼りつけた。すると世界のほうが、その用途に沿う行いを後押しして、反する行いを邪魔してくれる。事務所と貼れば騒音と振動は『反する行い』だから、ああして黙る」


「魔法……ではありませんね。詠唱も、魔力の流れもありませんでした」


「魔力じゃないからな。強いて言えば『権利』の力だ。だから五歳の水晶にも、成人の儀の測定にも引っかからない。あれが測るのは魔力の量だけだ」


 嘘は言っていない。出所が女神であることと、前世のことだけは、墓まで持っていくが。


「制約はある。攻撃はできない。この力単体じゃ、ネズミ一匹殺せない。それと、好き放題どこでも貼れるわけでもない。自分の持ち物と所有地なら、制限なく貼りっぱなしにできるが、他人の土地では数分が限度。同時に維持できるのは、今のところ二枚だ」


「……成人の儀」


 セリアの目が、すっと細くなった。


「あなたが血判状で『所有権』に固執した理由は、それですか」


「察しが良くて助かる。さて——会議だ。議題は三つ。資金、人材、拠点」


 俺はトランクを引き寄せ、留め具を外し、底板を持ち上げた。二重底の下から現れた革袋と、油紙に包んだ束を机に置く。


「まず資金繰り。現金で金貨五十枚。それと商業ギルドでの為替が四百五十枚分。締めて五百枚だ」


「…………は?」


 美しい令嬢の口から、素っ頓狂な音が漏れた。


「ご、五百……どこからそんな大金を。あなたは十年間、あの館で冷遇されて——」


「冷遇されて、暇だったからな。もう一つのスキルを見せよう。【万象の鑑定眼アブソリュート・アプレイザル】」


 視線をインク壺に落とす。空中に、淡い文字列が展開した。


『インク壺:ローゼタール地方市場製。市場価値・銅貨八枚。底部に気泡、耐久性難あり』


「セリアには、見えていないだろうが、今言葉にしたように『物の本当の価値』が俺には見えている。館に出入りしていた行商人のテオを覚えてるか? あの男を窓口に、市場で安く誤鑑定されている古物や魔道具を買わせて、正しい値で売らせた。その歩合を数年間、コツコツとな」


「差益取引……それを、十歳やそこらから……」


 セリアは額を押さえ、それから、はっと顔を上げた。


「お待ちください。では成人の儀のあれは、手切金の金貨百枚を乞うて、土下座して、皆に嘲笑われていた、あの惨めな条文は」


「削らせるための生贄だよ。人間、一箇所『勝った』と思うと残りの検分が甘くなる。……その時点で懐に五倍あったのは、まあ、ご愛敬だ」


「…………悪辣です」


「褒め言葉として受け取っておこう」


 セリアはしばし俺を睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐き、羊皮紙を引き寄せた。ペンが走る。その速度が、尋常ではない。


「馬二頭の飼葉と蹄鉄、街道の通行料、食料は保存食主体で半年分、砦の補修資材、灯油、塩、医薬品、予備費二割——」


 みるみるうちに、費目と数字の並んだ予算表が組み上がっていく。あの日見た【高速演算クロック・アクセラレータ】とでも呼ぶべきセリア特有の能力。


 でも、あの時よりももっと早く、正確になっている。


 そして、ペンが、ぴたりと止まった。


「……タクミ様。傭兵の雇用費が、どこにも計上できません。魔物の跋扈する土地へ向かうのに、警備予算が抜けています」


「抜いてあるんだ。傭兵は雇わない」


「正気ですか」


「警備も労働力も、現地で調達する。金で雇えない相手をな」


「現地……? デッドエンドにいるのは魔物だけ——」


 そこまで言って、セリアは絶句した。俺はにっこりと頷いてみせる。


「そう。言葉の通じる魔物と、雇用契約を結ぶ」


「…………本気で、仰っているのですか?」


「大真面目だ。いいかセリア、魔物が暴れる理由なんて大抵決まってる。腹が減った、縄張りを荒らされた、住み処が気に入らない。つまり全部『ニーズ』だ。ニーズってのは対価で応えられる。対価で応えられる相手とは——契約が結べる。これは、俺の持論だ」


 クレーム対応の鉄則でもある。怒鳴り込んでくる客は敵じゃない。ニーズを一番大声で教えてくれる、最上の情報源だ。


「……仮に、そうだとして。契約の席に着くまでは、向こうは牙を剥くのでは」


「そこは君の腕を見込んでる」


「———なぜ、私が戦えると」


「旅行鞄より先に、細剣を馬車へ積み込んだだろう。没落した家の令嬢が、護身を人任せにできないことくらい知ってるさ」


 セリアは見透かされたことが不服そうに唇を結び、それでも小さく認めた。


「……氷魔法の適性が、多少。剣は、自衛程度には。ですが群れを相手には——」


「無理な方法で戦わせやしない。そのための手立ては、俺が用意する。実演は……まあ、道中に機会があるだろう。さて議題の三つ目、拠点だ」


 俺は都市計画図の端に、四つの工程を書き足した。


「計画は四段階。第一段階、拠点の確保。第二段階、安全と現地労働力。第三段階、水と道——インフラだ。第四段階、商業施設とテナントの誘致。最終形は、三国の国境に立つ自由交易都市。まずは第一段階だが——実は、拠点のアテはもうある」


「あの荒れ地に、ですか」


「グレンツェ砦。ローゼンベルク家が十五年前まで使っていた、駐屯砦兼領主館だ。血判状の第一条——『域内に存する一切の遺構』、つまり、あれももう俺の物だ」


「……十五年間、無人で放置された建物が、あの土地で無事だとお思いですか」


「無事なわけがないな」


 俺はあっさり頷いた。むしろ、そこが本題だ。


「立地良好、躯体は石造り、築古、そして十中八九——先客入居中。魔物の不法占拠者付きの、極めつけの事故物件だよ」


「先客の、いる砦に、住むと」


「追い出せばいい。着任最初の仕事は、退去交渉だな」


 にこやかに宣言する俺を、セリアは見定めるような目でじっと見つめ、それから予算表の隅に、几帳面な字で一行を書き足した。


 ——『葬儀費用(二名分):計上保留』


「おい」


「備えは会計の基本です」


 窓の外、平野の果てに低い山並みが見え始めている。明日の夕方には最後の街、ノルトールに着く。補給と情報収集ができる機会は、そこで終わりだ。


 その先は——地図が「無価値」と切り捨てた、俺たちの土地になる。

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