第九区画「死の土地は無数の金脈だったようです」
その日の朝は、鉛色の空で明けた。
北へ進むほど、世界から色が抜けていく。草は緑を失って灰がかり、立ち枯れた木々が骨のように並ぶ。
鳥の声が、いつの間にか聞こえなくなっていた。風の音と車輪の音だけが世界に残る。静かというよりも、「留守」という感じの、静けさだった。
『植生:広範囲で衰弱〜枯死』
『鳥類の鳴声:本日観測数ゼロ』
『雰囲気:最悪』
(……鑑定項目に「雰囲気」があるのか、ちょいちょい、笑わせようとしてくるんだよな。この鑑定眼)
セリアも、さすがに口数が少ない。まあ、無理もない。誰がどう見ても、ここは「死につつある土地」だ。
やがて前方に、蔦に呑まれた石造りの門が見えてきた。崩れかけた小屋と、朽ちた遮断棒。十五年前まで機能していた、旧関所の跡だ。
傍らには苔むした境界石。うっすらと、ローゼンベルク家の紋が読み取れる。
「本来ならここで通行証を見せて、入領税を納めるわけだが……徴収する側が俺で、審査する側も俺か」
俺は誰もいない関所跡に向かって、一応、名乗ってみた。
「タクミ・フォン・ローゼンベルク。本日付で、当領の領主に着任します。———はい、確認しました。どうぞお通りください」
「……何をなさっているのですか」
「入領手続き。行政は手続きが命だ」
「お戯れを」
俺は境界石の薄れた紋を、指でなぞった。
「この紋も、いずれ彫り直そう。うちの……新しい街の印にな」
「印の考案より先に、住む場所の確保をお願いします」
呆れ顔のセリアが手綱を振り、馬車が動き出す。
車輪が、境界石の描く見えない線を越えた。
その瞬間だった。
世界の手触りが、変わった。
どう言えばいいのか。今まで指先だけだった力が、急に全身になったような感覚。視界の解像度が一段も二段も跳ね上がり、空気の中に、土の下に、無数の読める情報がびっしりと詰まっているのが分かる。
「———!」
「タクミ様? 顔色が」
「……いや。大丈夫だ。むしろ、絶好調すぎて怖い」
「そうですか。……実は、私も妙な感覚が。空気中のマナが重いのです。濃いのに、流れていない。淀んだ水面の下にいるような」
ほう。魔法の使い手の肌感覚で分かるものらしい。
原因の見当はもう半分ついているが、診断の裏付けがまた一つ増えた。
俺は馬車を停めさせ、地面に降りた。灰の混じった、痩せた乾いた土。膝をつき、素手でひと掴み、すくい上げる。
———前世。巨大なオフィスビルの建築に携わった。総工費数百億の商業施設を建てた。オフィス街を再開発した。何百人が暮らすタワーマンションを企画した。寂れそうな地方都市の再開発も手がけて、人をそこに招いた。
だがそのどれ一つ、土地、建物、床のタイル一枚、扉のノブ一個、石ころ一つすら、俺のものではなかった。
作っては引き渡し、作っては引き渡し。二十年、他人の地図に他人の街を描き続けた。
最後は他人の建物の床に倒れて死んだ。薄れる意識で見上げた、あの磨き抜かれた吹き抜けの天井は、決して、俺のものではなかった。
手の中のこの痩せた土くれ。
(……ここは俺のだ。この土も、この空も、あの地平線の向こうまで———全部、俺の土地だ)
二度目の人生で、初めて、所有できた。俺の場所。
「タクミ様。土を握りしめて震えるのはおやめください。傍から見ると、かなり不気味です」
「まあ、そう言うな、今の俺は大陸一の幸せ者だ」
立ち上がり、土を払う。少し先に、なだらかな丘が見えた。あそこなら、領地を一望できる。
「セリア、丘に上がるぞ。開業前の、棚卸しだ」
丘の上に立ち、俺は深く息を吸った。
「【万象の鑑定眼】広域査定実施」
次の瞬間、世界が査定書になった。
視界いっぱいに、半透明のタグが束になって展開する。谷に、川筋の跡に、山肌に、地の底に。何百枚という査定札が、荒野の上に静かに降り積もっていく。
前世の時に夢見た「土地が自分で語ってくれたらいいのに」という戯言の、完全上位互換だった。
『地下水脈:豊富(水質・極上/湧出点あり)』
『マナ鉱脈:極上・完全未開発(推定埋蔵:規格外)』
『鉄鉱床:中規模』『銀鉱:小規模』
『森林資源:北斜面に針葉樹群・建材適性良』
『旧市街跡:街道沿いに石造基礎・多数残存(再利用可)』
(……昔は、ちゃんと人の街があったんだな。つまりここは「住めない土地」じゃない。「住めなくなった土地」だ。原因さえ取り除けば、戻せる)
「……嘘、でしょう」
俺が読み上げるたび、隣のセリアの顔から血の気が引いていく。いや、上気していく。判別が難しい顔だった。
「水と、マナと、鉄と銀……この死の土地の下に、そんなものが」
「まだ本命が残ってる。——おおっ!?」
『石灰岩層:厚大/市場価値:微少(主要な用途なし)』
『粘土層:良質・広範囲/市場価値:微少』
「ふ、ふふふ……はははは!」
「タクミ様? 銀鉱の時より声が弾んでいますが」
「石灰だ、セリア! 石灰岩がこんなに厚く! しかも粘土まで! その上この世界じゃ二束三文とは、最高だ!」
「……銀には冷静で、石ころに歓喜なさるのですか」
「石ころじゃないさ。焼いて挽いて『水で練ると石に戻る魔法の粉』になる石と、焼けば煉瓦になる土。
こいつらを混ぜ合わせれば、強力な建築材料になる。
つまり——道と、水路と、防壁と、家や街の骨格が、この地面から無限に湧いてくるってことだ」
鑑定眼の値付けは、あくまで「この世界の市場」基準だ。
市場に出回る前のまだ値段を付けられない素材の価値は、俺の知識でしか読めない。
そして視界の中央、タグの奔流の一番上に、ひときわ大きな一枚が明滅していた。
『当該領地・総合査定額:————算定不能(桁外れ)』
「聞いてくれ。セリア。算定不能。桁外れ。これが俺たちの領地の価値だ」
「…………」
「この土地の取得原価は?」
「……金貨、一枚です」
「利回りにすると?」
セリアの瞳が、高速で揺れ——ぴたりと、止まった。
「……算出できません。分母が小さすぎます。私の演算が、初めて、答えを返しません」
「だろうな」
母の荷物といい、この土地といい。どうも俺の周りには「算定不能」ばかりが集まってくるらしい。悪くない傾向だ。
俺はもう一度、荒野を見渡した。
枯れ野の上に、査定タグの光が重なっている。だが俺の目に映っているのは、本当はそんなデータじゃない。
交差点から放射状に伸びる石畳の大路。水路沿いの並木。市場のテント屋根の連なり。三国の隊商が行き交い、屋台の湯気が上がり、広場の噴水で子供が遊ぶ。
——まだどこにもない街の完成予想図が、勝手に描かれては浮かび上がり続ける。
職業病だ。デベロッパーというのは、開発しがいのある更地を見ると「建った後」が視えてしまう生き物なのである。
前世で、次に開発しようとしていた土地は想像のままに終わったが、ここでなら———きっと。
——だが、問題もあるようだ。
浮かれた視界の北の端。そこだけが、澱んでいた。
地の底を、金色の大河が流れている。西の森から一本。東の山脈から一本。南の平野から一本。三本の輝く流れが、ゆったりと蛇行しながら、この領地の中央で合流している———マナの地脈。大地の血管だ。
合流点の真上の平野は、査定タグの密度がひときわ濃い。三国の恵みが混ざり合う、大陸でここにしかない一点。
俺が馬車の中で都市計画図の中心に据えた、あの交差点である。
その合流した流れが北へ抜けようとする先、あの山の根元で、赤黒く固まって、止まっていた。
行き場を失ったマナが渦を巻き、軋み、熱に変わって漏れ出している。山肌が陽炎で揺れて見えるのは、気のせいじゃない。
そして、土地の枯れは、あの一点から同心円状に、波紋のように広がっていた。
「……なるほどな。診断がついた」
「診断、ですか」
「この土地は死んでない。恐らく、病気なんだ」
俺は北の山を指差した。
「地脈は大地の血管だ。それが十五年前、あの山の下で詰まった。血栓だよ。血の巡りが止まった手足から冷えて壊死していくように、この土地は閉塞点から順番に枯れてきた。魔物が南へ溢れたのも、狼が飢えてたのも、全部同じ理由だ」
「では、改善できると?」
「できる。ある程度予想はついている。だが、まずは現地の住民ヒアリングだ。工事はその後だ」
例の『山の主』とやらが、閉塞点の真上に陣取っているはずだ。
加害者なのか、被害者なのか。会って話を聞けば分かるだろう。クレームの一次対応は、いつだって傾聴からだ。
丘を降りる道すがら、俺たちは査定図に光っていた一点へ寄り道をした。
崩れた岩と枯れ枝に埋もれた、小さな窪地。二人がかりで石をどかしていくと、やがて砂の底で、こぽり、と音がした。
水だ。細いが、澄み切った水が、砂を押しのけて湧き上がってくる。
『雪解け水:品質 良/汚染度〇%/用途 飲料・炊事等』
「……水が。この枯れ野で」
「北の山の雪解け水が、地下を通ってここで顔を出してるんだ。大丈夫だ。飲んでみろ」
セリアは両手で掬い、恐る恐る口に運び、目を見開いた。
「冷たい……。それに、甘い。王都の水より、ずっと」
「デッドエンド名物の第一号だ。……なあ、セリア。俺の眼が視ているものは、全部こういうふうに、掘れば本当に出てくる」
彼女は濡れた手のひらと、俺の顔とを、交互に見た。査定のタグは彼女には見えない。
だが、この水の冷たさは本物だ。信じる信じないの話が、初めて彼女の舌の上に乗った瞬間だった。
「……戻ったら、水質の記録を取ります。湧出量の計測も」
「頼んだぞ。CFO(最高財務責任者)」
日が傾き始めた頃、俺たちは旧街道を北上した。
やがて前方、荒野の真ん中に、それは見えた。ずんぐりとした石造りの砦。
———グレンツェ砦。屋根の一部は落ちているが、壁は立っている。躯体は生きている。
今夜は無理に近づかず、手前の小高い場所で野営することにした。
「【神域の用途指定】——区画、この野営地一帯。用途【宿営地】利用資格 当領所有者とその帯同者。付帯効果 安眠・防犯」
地面が淡く光り、札が浮かぶ。『宿営地につき、関係者以外お断り(本日のご利用:二名様)』
一時指定の時のような、力が指先から漏れていく感覚はない。
むしろ大地のほうから手を貸してくれるような、静かな手応えだけがあった。
……所有地というのは、こういうことか。
セリアが、じっとその札を見上げた。
「……時間切れは、来ないのですか」
「来ない。時間制限も枚数制限もない。ここは俺の土地だ。札は、俺が剥がすまで残り続ける」
「———」
彼女は札と、俺と、それから南の方角——境界石のあった辺りを順に見て、ようやく腑に落ちた、という顔をした。
「あの金貨一枚は……この『貼りっぱなし』を、買ったのですね」
「正解。世界で一番安い、永久ライセンス料だ」
焚き火を挟んで簡単な夕食を済ませると、セリアは例によって帳面を開いた。ペン先がしばし迷い、それから、几帳面な字が並ぶ。
『固定資産:領地一式(取得原価・金貨一枚)備考:時価、算定不能』
帳簿の上で、彼女が初めて、俺の値付けを採用した瞬間だった。
「……固定資産の台帳が、こんな記載でいいのでしょうか」
「監査が来たら俺が説明しよう」
火の爆ぜる音を挟んで、セリアが干し肉を齧りながら訊いてきた。
「明日の退去交渉ですが。本当に、話し合いで済ませるおつもりですか」
「手順は三つだ。一、現況確認 相手の数と種類、暮らしぶりを見る。二、対話 何に困っていて、何が欲しいのかを聞く。三、代替案の提示 実力行使は、その全部が駄目だった時の最終手段だよ」
「魔物に、立ち退き料を払うおつもりですか」
「相手のニーズ次第だな。腹が減ってるなら飯を、住む場所が要るなら土地を出す。幸い、うちは土地だけは売るほどある」
「……前代未聞の領地経営です。帳簿の科目が追いつきません」
「新設していいぞ。『近隣対策費』とでもな」
笑いながら、俺はふと、砦の方角へ目をやった。
暮れ残る空の下、グレンツェ砦の影から細い煙が、二筋、三筋、立ちのぼっている。
「……炊事の煙だな」
「先客のですか」
「ああ。火を使う程度には、文明的な先客らしい」
結構なことだ。火が使えるなら、鍋を囲める。鍋を囲めるなら、話ができる。話ができるなら、契約が、できる。
「明日の朝一番だ、セリア。記念すべき第一号の案件———事故物件の、退去交渉に行くぞ」




