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第十区画「強制執行の効力は絶対のようです」

 翌朝。宿営地の札を剥がし、俺たちはグレンツェ砦へ向かった。


 近づくほどに、砦の輪郭がはっきりしてくる。ずんぐりとした石積みの主塔に、崩れかけの外壁。屋根の一部は落ち、窓という窓は割れているが——壁は、まっすぐ立っている。


『物件種別:城砦(築・推定五十年超)』


『躯体:石造・良好/屋根:要修繕/井戸:機能維持』


『瑕疵:現入居者三十二体(無断)』


『心理的瑕疵:該当なし(死亡事故の記録なし)』


『取得時効 (悪意・有過失):十五年経過、時効成立まであと五年』


「……セリア、朗報だ。事故物件ですらなかった。ただの『現況有姿・占有者付き物件』だ。取得時効もまだ大丈夫だったぞ」


「その響きのどこが朗報なのか、私には分かりかねます」


 俺たちは砦を見下ろす岩陰に馬車を隠し、まずは手順の一、現況確認から始めた。


 中庭で火が焚かれ、鍋がかかっている。物見塔の上には見張りが一体。壁の穴を出入りする小さな影、影、影。


『現入居者内訳:ゴブリン 三十二(成体二十一・子供七・老齢四)』


(……子供と年寄り持ちの世帯か)


 しばらく観察していると、意外なことも分かってきた。奴らはただ巣食っているのではない。


 中庭の隅でキノコらしきものを栽培し、壊れた樋を直して雨水を溜め、ゴミは壁の外の一箇所にまとめて捨てている。


(ここで暮らしているんだな、ちゃんと)


 害獣の巣なら、燻せばいい。だがあれは「立派な世帯」だ。やり方を、選ぶ必要がある。


 鑑定眼の内訳表示を見て、俺は方針を最終確定した。あの構成の群れに武力で踏み込めば、必ず弱い順に死ぬ。


 前世の明け渡しでも、強制執行の現場で一番胃が痛かったのは、家に入った瞬間、一発目に玄関で子供の靴が見えた時だった。


「オークはいないな」


「宿の主人の噂は、三割増しだったようです」


「水増しエールと同じだったわけだ。———よし、手順の二、対話に行くぞ」


「正気の沙汰ではありませんが、もう慣れました。援護位置には就きます」


 俺は両手を挙げ、武器を持っていないことを示しながら、正面から堂々と砦の門へ歩いていった。


 途端、物見塔の見張りが甲高い声で鳴き、砦全体が蜂の巣をつついたように騒がしくなる。


 門の内側にゴブリンたちがずらりと並び、錆びた剣や棍棒をこちらへ突きつけた。


 その真ん中から、ひときわ大きな個体がのしのしと歩み出てくる。頭に錆びた鍋を兜のように被り、肩に古い毛布をマントよろしく巻いている。


 どうやら、こいつが長らしい。


「ニンゲン! ここ、俺たちの、家! 帰れ!」


 おお、共通語だ。片言だが、話が通じる。今日一番の朗報である。


「お邪魔している。俺はタクミ。この土地の新しい領主だ。あんたの名前は?」


「……ザグ。ゴブリンの長、ザグ!」


「よし、ザグ。単刀直入に言う。この建物は俺の家だ。今日から俺が住む。あんたたちには出て行ってもらいたい」


 ゴブリンたちが一斉に殺気立った。ザグは鍋兜の下から俺を睨み、地面を棍棒で叩く。


「違う! ここ、ニンゲン、捨てた! 置いてった! 拾ったの、俺たち! 拾ったら、俺たちの!」


「——なるほど」


 俺はまじまじとザグを見た。


(……無主物先占の主張というわけか)


 所有者が放棄した物は、先に占有した者の物になる。


 これは立派な財産法の理屈である。ゴブリンとはいえ、侮りがたし。こうなると、こちらも誠意をもって法的に反論せねばなるまい。


「いい主張だ、ザグ。だが残念ながら、この建物は『捨てられて』いない。持ち主の家が管理を怠っていただけで、所有権は台帳の上で生きていた。そしてその権利は先日、正式な売買契約で俺に移った。ほら、これが契約書だ。そして、お前らは、たった今、この事実を知り、悪意の占有者となった。時効取得には、後五年足りなかったな」


「知らん! カミきれ、知らん!!」


「だろうな!」


 まあ、羊皮紙を見せて頷くゴブリンがいたら逆に怖い。だが手続きは手続き、言うべきことは言った。次だ。


「なら、こういう話はどうだ」


 (手順の三、代替案の提示だ)


 俺は南を指差した。


「ここから南に半日、水の湧く窪地がある。あそこ一帯をあんたたちの住処として認めよう。それから、働く気のある者には、仕事をやる。石運び、掃除、なんでもいい。働いた分だけ、飯を出す」


 ゴブリンたちが、ざわ、と揺れた。「メシ」という単語に、明らかに数体の喉が鳴った。


 だがザグは、棍棒で地面を強く叩いてそれを制した。


「だ、騙されん! ニンゲンの約束、ぜんぶ嘘! 俺たち、山、追われた! 平野、追われた! やっと見つけた、ここ! もう、渡さん!!」


 ……ああ。こいつらも、そうか。


 十五年前から狂い続ける北の山に追われて、南へ南へ押し出されてきた口か。あの狼の群れと同じだ。


 この砦は、彼らがようやく見つけた「空き家」だったわけだ。


 同情はする。心からする。だが、それはそれ、これはこれだ。ここは俺の家で、俺にも計画がある。


「分かった。交渉は決裂だ」


 俺は懐から、昨夜のうちに書いておいた羊皮紙を取り出し、門柱に立てかけた石に貼り付けた。


  ◆◆◆◆


  【退去通告書】

 占有者各位。当建物および敷地は、本日より領主タクミの居宅となる。正午の鐘(太陽が真上)までに退去されたし。なお、南の窪地への転居先斡旋、ならびに「食料支給付きの仕事」は引き続き受付中。

               建物管理者・タクミ


  ◆◆◆◆


「読めないだろうが、手続きは手続きだ。正午まで待つ。それまでに出て行けば、荷物も家財も好きに持っていっていい」


「出て行かなかったら、どうする! 戦うか、ニンゲン!」


「戦わない。強制執行するだけだ」


「きょうせい……?」


 ザグは怪訝な顔で通告書を引っ掴み、びりびりに——破るかと思いきや、くしゃりと丸めて、懐に突っ込んだ。


(……お?)


 破り捨てなかった。それどころか、仕舞った。俺は笑いを噛み殺して、岩陰へ引き上げた。岩陰に戻ると、セリアが実務の顔で訊いてきた。


「確認です。追い出した三十二体が、逆恨みで夜襲を仕掛けてくる可能性は」


「ゼロじゃない。だが札がある限り、資格のない者は敷地に近寄れもしない。昨夜の宿営地と同じ理屈だ」


「では、殲滅、という選択肢を最初から捨てている理由は。感傷ですか」


 直球で訊いてくるあたりが、彼女らしい。俺は首を振った。


「経営判断だよ。考えてもみろ。言葉が通じて、火が使えて、道具を直せて、集団で動ける労働力が三十二。この人手不足の領地で、それを『処分』するのは背任だ。敵を一つ減らすより、味方を一つ増やすほうが、資産は増える」


「……『潜在的労働力:三十二』と、帳簿に控えておきます」


「話が早くて助かる」


 そして、正午。


 太陽が真上に来ても、砦から出てくる者はいなかった。門の内側で、ゴブリンたちが武器を握りしめて息を潜めているのが分かる。籠城の構えだ。


「タクミ様。予告の刻限です」


「ああ」


(前世で何度も明け渡しの強制執行に立ち会った。執行官と、鍵屋と、運び出される家財。叫ぶ人もいれば、泣き崩れる人もいた。あれは、本当に見るに耐えなかったな)


 だが今回は、誰の骨も折らないし、誰の血も流さない。


 史上最も平和な、強制執行をやる。


「【神域の用途指定】——区画、グレンツェ砦および敷地一帯 用途【領主邸】 利用資格 当領関係者のみ」


 砦の外周が、ぐるりと淡い光の線でなぞられた。門の上に大きな札が浮かぶ。


『私邸につき、関係者以外立入禁止』


 変化は、静かに始まった。


 最初に、物見塔の見張りが妙な声を上げて塔から降りた。


 次いで、壁の穴から一体、また一体と、ゴブリンが転がるように外へ出てくる。


 誰かに殴られたわけでも、引きずられたわけでもない。ただ、そこに居られなくなったのだ。


 資格なき者にとって、あの建物の中はもう、招かれていない他人の家だ。空気が重く、床がよそよそしく、壁が「お前の場所ではない」と囁き続ける。


 害はない。ただ、いたたまれなさだけが、際限なく膨らんでいく。


「な、なんだこれ! 外、押される! 家が、俺たちを、追い出す!!」


 鍋だの毛布だの干し肉だのを抱えたゴブリンたちが、雪崩を打って門から溢れ出てくる。子供を背負った母親らしき個体、老体を支える若い個体。誰一人、怪我はない。


 こうして見ると、魔物の敗走というより、引っ越しの行列そのものだった。


 一体だけ、紋章の彫られた盾を担いで出てきた奴がいた。


「あ、こら。それは備品だ。置いていけ」


「ギャッ」


 ちなみにもう一体、裏手の窓からこっそり戻ろうとした食い意地の張った奴もいたが、窓枠に触れた瞬間つるりと押し戻され、外の茂みに尻餅をついていた。


 当邸のセキュリティは万全である。


 最後に残ったのは、ザグだった。


 門柱にしがみつき、全身をがたがた震わせながら、それでも歯を食いしばって踏みとどまっている。仲間たちの見ている前で、長として、簡単には退けないのだろう。


 ……大した根性だ。


 俺は札の圧を弱めるつもりはなかったが、代わりに歩み寄り、片膝をついて目線を合わせた。


「ザグ。よく聞け。南の窪地には水が湧く。働けば、飯が出る。子供と年寄りを、冬までに屋根の下に入れてやれるのは、今のところ、その道だけだ」


「っ……」


「この話は逃げない。俺は有効期限は切らさない主義だ。そして、この話の有効期限はない。だから、なんだ。……気が変わったら、いつでも来い」


 ザグは血走った目で俺を睨み、睨み、睨み抜いて、最後に、門柱から手を離した。


 よろよろと敷地の外へ出て、それでも背筋だけは伸ばして、仲間たちの先頭に立つ。ゴブリンの群れは、南の荒野へぞろぞろと去っていった。


 こうして、着任二日目。


 俺たちは血の一滴も流さずに、拠点グレンツェ砦を接収した。


 もっとも、中に入った途端、セリアが無言で鼻と口を袖で覆ったが。


「……タクミ様。この惨状に、査定を」


『内装:獣臭・堆積物により全面清掃要/床板:三割腐朽/家具:全損/井戸:水質良好』


「井戸が生きてる。上出来だ。骨組みと水があれば、家は蘇る」


 埃と獣臭の廊下を抜け、俺たちは奥の広間——かつての領主の間に入った。


 朽ちた長机。倒れた椅子。壁には、日に焼けて輪郭だけが残った、外された肖像画の跡。床に散らばる黄ばんだ紙を拾い上げると、それは十五年前の日付の、駐屯日誌だった。


 『魔物ノ南下、止マラズ。増援ノ要請、三度目。本家ヨリ返答ナシ』


 『撤退命令、受領。住民ハ既ニ避難済ミ。……コノ地ヲ捨テルコト、誰カ、記録サレタシ』


 ……最後の駐屯兵は、せめて記録だけでも残したかったらしい。


「見捨てられたのは、ゴブリンだけじゃなかったわけだ」


 俺は日誌を丁寧に閉じ、長机の上に置いた。この砦は、逃げ出した側の建物じゃない。置き去りにされた側の建物だ。なら、俺とは気が合う。


「ここを執務室にする。手始めに、この机を直そう」


「その前に清掃です。全てにおいて清掃が先です」


「修繕資材は手持ちで足ります。ですが人手が、圧倒的に足りません。清掃だけで、二人では半月仕事です」


 セリアは帳面を開き、几帳面な字で書き付けた。


『急募:清掃および修繕要員。待遇:食事支給』


「……奇遇だな。ついさっき、三十二名ほどの求職者候補に、一括で求人票を渡してきたところだ」


「あの通告書ですか。ザグ氏が懐に仕舞うのを、私も見ました」


 その夜。掃除した一室に毛布を敷き、俺たちは自分の屋敷での最初の夜を迎えた。


 城壁の上から南を見れば、遠くの闇に、小さな焚き火がぽつぽつと灯っている。追い出した先客たちの、心細い野営の火だ。


「……哀れとは、思われないのですか」


「思うさ。だから求人票を出した。同情はな、施しじゃなく、取引の形にするんだ。そのほうが、双方の尊厳が保たれて、長続きする」


「賭けてもいいぞ、セリア」


「何をです」


「賭けるのは朝飯と行こうか。明日の朝一番に、最初の求職者が門を叩く。これが俺の予想だ。腹ってのは、誇りより早く減るんだ」

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