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第十一区画「ペンは剣よりも強いようです」

 宣言通り、賭けには、勝った。


 翌朝、夜明けとともに。城壁の上で湯を沸かしていた俺たちの耳に、眼下から怒鳴り声が届いた。


「ニンゲン! おい、ニンゲンの領主! 出てこい!」


 見下ろせば、敷地の境界、地面に走る淡い光の線のきっかり一歩外側。爪先を線ぴったりに揃えた鍋兜のゴブリンが、仁王立ちしていた。


 片手には、くしゃくしゃに丸まった羊皮紙。昨日の退去通告書、兼、求人票だ。


「……本当に、朝一番に来ました」


「な? 言った通りだ。賭けの払いはどうする?」


「賭けは成立していません。私は乗っていませんので」


「うちのCFOは堅実だ」


 俺は門を開け、境界線を挟んでザグと向き合った。ザグは俺の顔を見るなり、慌てて羊皮紙を突き出し、それから思い出したようにそっぽを向いた。


「べ、別に、負けたんじゃない! まだ怒ってる! ……だが、これ! この、カミ! メシの話が書いてある、と言った! ……き、聞くだけだ! 聞くだけだからな!」


「もちろんだ。面談は無料、入社は義務なし。どうぞ」


 俺は門前に机代わりの平石を据え、世界初かもしれない「『ゴブリン向け採用面談』を開始した。


 仕事の中身から説明する。砦の清掃、瓦礫の運び出し、水汲み、それから食える物の採集。ザグは腕組みをして、いちいち唸りながら聞いていた。


「対価は食事だ。働き手には朝と夕の二食」


「三食!」


「朝夕二食と、昼に堅パン一つ。働きが良ければ増やす」


「……むう。のむ」


 交渉は存外まともに進んだ。だがひとしきり条件を詰めた後、ザグは急に声を低くし、鍋兜の縁を引き下げて目元を隠した。


「……働けない奴が、いる。ちびが、七。よぼよぼが、四。……そいつらにも、メシ、出るか」


 ……ああ、やっぱり。こいつが本当に聞きたかったのは、最初からそれか。


「出す。働き手の飯に、扶養家族の分を上乗せして支給する。『家族手当』と言って、まともな職場には、必ずある制度だ」


「かぞく、てあて……」


「ちびが七人なら七人分、よぼよぼが四人なら四人分。頭数は誤魔化すなよ。うちの財務の責任者は誤魔化しが世界で一番嫌いだ」


 ザグはしばらく黙っていた。それから鍋兜の下から俺を睨みつけ、絞り出すように言った。


「……ニンゲンの、くせに」


「よく言われる。他に条件は?」


「ある!」


 びしり、と俺に指を突きつける。


「ウソついたら、噛む!!」


「ほう」


「メシ出さなかったら、噛む! 騙したら、噛む! 絶対、噛む!!」


 隣で聞いていたセリアが、そっと耳打ちしてきた。


「タクミ様、威嚇です。適当に流して……」


「いや。いい条項だ。入れよう」


「入れるのですか」


 違約時の制裁条項を相手から提案してくるとは、交渉相手として筋がいい。契約とは、破った時に何が起きるかを先に決めておくのがセオリーだ。


 俺は羊皮紙を広げ、その場で書き上げた。


  ◆◆◆◆


  【雇用契約書・第一号】

 甲:デッドエンド領主タクミ  

 乙:ゴブリンの長ザグ、ならびに一族三十一名

 一、乙は当領の清掃、運搬、修繕の補助、食料の採集に従事すること。

 二、対価として甲は、働き手に朝夕二食と昼の堅パンを支給する。働けない幼年・老齢の食事は「家族手当」として上乗せして、支給する。

 三、甲は南の窪地一帯を乙一族の居住地と定め、冬が来る前の住居建設を支援すること。

 四、作業中の怪我は甲が手当てし、療養の間も食事を支給すること。

 五、甲が約束を破った場合、乙は甲を噛んでよい。乙が約束を破った場合、甲は乙への対価の支給を差し止めてもよい。


「読めないだろうから、全部読み上げる。異議があったら途中で止めろ」


 一条ずつ、ゆっくり読んだ。二条で喉が鳴り、四条で鍋兜がずり落ち、五条で「か、噛んでいいのか!? カミに書いていいのか!?」と仰け反った。


 書いてもいい。この紙の上の約束が一番強い。


 署名は俺の血判。ザグは字が書けないので、インクを掌に塗って、契約書に手判をべたりと押した。恐る恐る、それでいて、妙に厳かな手つきだった。


「……これで、契約?」


「まだ仕上げがある。【神域の用途指定】利用資格の更新。当領の関係者に、ザグとその一族三十二名を追加する」


 門の上の札が、ふ、と瞬いた。文言は変わらない。


『私邸につき、関係者以外立入禁止』


 変わったのは、「関係者」の中身だ。


「入ってみろ、ザグ」


「……っ」


 ザグは光の線の前で身構え、爪先でちょん、と線の内側を突いた。びくりと首をすくめる。何も、起きない。もう一歩。何も起きない。


 昨日あれほど彼らを押し出した敷地が、今日は素通しで彼を迎え入れる。


「……押され、ない」


 その瞬間、遠くの丘から、わあっ、と歓声が上がった。見れば、窪地の方の斜面に、一族三十一名がずらりと並んでこちらを見守っていたのである。聞くだけ、じゃなかったのか。


「……全員連れてきてるじゃないか」


「う、うるさい! ついてきただけだ!!」


 初日の労働は、正直に言って、俺の想定を上回った。


 ゴブリンというのは、小柄で、手先が器用で、狭い所に潜れて、そして疲れを知らない。三十二……もとい働き手二十一名が雪崩れ込んだグレンツェ砦は、みるみるうちに堆積物を吐き出していった。


 現場監督はセリアだ。彼女は初対面で全員の名前を記憶し(ガグ、ギグ、グズ、ゾグ……etc俺には三日経っても区別がつかない)、出勤簿まで作り上げ、瓦礫の運搬経路を演算で最適化して指示を飛ばした。


 ゴブリンたちは半日で彼女を「こおりのアネゴ」と呼び始めた。本人は無表情のまま、まんざらでもなさそうである。


 昼。約束の堅パンを配り、夕方には大鍋のスープを振る舞った。働けないちびとよぼよぼの分も、きっちり頭数分。


 子供らが両手で椀を抱えて啜るのを、ザグは自分の椀に口をつけず、最後まで眺めてから食い始めた。


 ……長というのは、どこの種族でも損な役回りらしい。


「タクミ様。良い光景ですが、現実の話を」


 セリアが帳面を片手に隣へ来た。


「三十四名分の食事です。ノルトールでの備蓄は、このままでは二十日で尽きます」


「分かってる。だから契約の一条に『食料の採集』を入れた。ザグ、お前たち、中庭で茸を育ててたろう。あれはどこでも育つのか」


「ゴブ茸か。……育つ。暗いとこ、湿ったとこ、どこでも。ここの土、茸には、いい土」


「聞いたかセリア。この『死の土地』の、記念すべき第一次産業だ。日当たりが悪い? 結構。茸には最高の立地だよ」


『ゴブ茸:食味・良/市場価値:不明(王都に流通実績なし)』


 流通実績なし。つまり、値付けはこちらの自由ということだ。特産品候補の第一号、登録完了である。


 夕食の輪の端で、俺はザグに本題を切り出した。


「北の山のことを聞きたい。お前たち、元はあの山に住んでいたんだろう」


 途端、ゴブリンたちの木匙が、一斉に止まった。ザグの声が低くなる。


「……十五年前だ。空から、燃える山が、降ってきた」


「燃える山?」


「でかい、でかい、翼の生えた山だ。あれが北の山に座ってから、ぜんぶ変わった。地面はずっと唸ってる。山は熱くなった。雪が、積もらなくなった。夜になると、主が吠える。地面ごと、揺れる。……俺たちは、追い出された」


 翼の生えた燃える山。まず間違いなく、竜だ。


「その主に、食われた奴はいるのか」


「…………」


 ザグは記憶を探るように唸り、それから、不思議そうに首を傾げた。


「……聞いたこと、ない。追われた奴は、いっぱいいる。吠えられて、腰抜かした奴も。だが、食われた奴は……いない」


 ……なるほどな。


 十五年間、威嚇の記録だけがあって、実害の記録が一件もない。そして吠えるのは、決まって夜。眠る時間だ。熱と騒音の発生源の、その真上に寝床を構えて。


(クレーム対応で山ほど見たパターンだ。一番怒鳴ってる奴が、実は一番困ってる「機嫌の悪い隣人」の典型例だ)


「あそこには、行くな、領主」


 ザグが真顔で言った。


「あれは、駄目だ。近づいたら、死ぬ」


「行くさ」


 俺は椀の残りを飲み干して、立ち上がった。


「うちの領で一番デカい入居希望者との、面談があるんでね」


 その晩、セリアは帳面の最後にこう記した。


『従業員三十二名、初日の離職者ゼロ。全員定時退社』


 ホワイト経営の滑り出しとしては、上々だ。

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