第五十九区画「CFOには契約書が無いようです」
『【万象の鑑定眼】——分与の条件を、満たしました』
その一行が視界の隅に灯ってから、俺はしばらく、検量所の天井を見上げていた。
分与。
……つまり、この目を、誰かに分けられるということらしい。
「タクミ様?」
「……鑑定眼に新しい機能がついたらしい」
◆◆◆◆
条件を確かめると、こうだった。
『分与』——次の制限に従う。
一、当領の内側でのみ有効とする。領境を越えれば失われる。
二、同時に四名まで。
三、一種類のものに限る。当面は「貨幣」。
四、分与された者に見えるのは、『真』か『疑』の二つのみ。
五、分与している間、分与者本人の眼は、その分だけ狭まる。
◆◆◆◆
「……四番目が、気になるな」
試しに、卓の上の分銅を見た。
『分銅(領規格)……』
いつもなら、そこに目方も、材質も、鋳造の癖まで並ぶ。
だが、その先が出てこない。少し待って、ようやく続きが灯った。
……遅い。そして、薄い。
「代償があるわけか」
俺は、少し笑った。
まあ、そうだろう。都合よく増えるだけの力なら、それは道具ではなく、甘やかしだ。
◆◆◆◆
なぜ今なのか、という理由には、心当たりがあった。
昨日の、あの客だ。
——換えなくていい。測ってくれ。
あの一言で、うちの検量所は「両替の窓口」ではなくなった。金属の真実が分かる場所として、外の人間に認識された。
女神が言っていた通りだ。
———皆が同じことを思っている場所に、私が判を捺す。
「……授かったんじゃないな、これは」
俺は、検量所の卓を見た。
水秤。天秤。試金石。分け酸の小瓶。灰吹皿。そして、三月分の台帳。
「うちの検量所が、そういう場所だと、皆が思うようになった。それだけの話だ」
◆◆◆◆
四名を選ぶのに、迷いはなかった。
最初は、バルガスである。
「……で、この目を、ワシに」
「頼めるか」
「頼まれてやる。……何が見えるんじゃ」
「『真』か『疑』か。それだけだ。数字は出ない」
「それだけかい」
彼は、あからさまに拍子抜けした顔をした。
俺は分与を行い、バルガスの目の前に、その表示が灯った。
卓の上には、朝からの検量待ちの金貨が三十枚ほど積んである。
バルガスは、それを一瞥した。
そして、動きが止まった。
「……四枚」
「なんだ」
「四枚、光っとる」
彼は、その四枚を指でつまみ出した。
それから、一枚ずつ、卓に落とした。
ちん。ちん。——こつ。ちん。
三枚は澄んだ音。一枚だけ、鈍かった。
「……この一枚は、さっきワシが『怪しい』と思うて、脇へ寄せたやつじゃ」
「残りの三枚は」
「気づいとらんかった」
彼は、髭の奥で低く唸った。
「……悔しいのう。ワシの耳は、四枚のうち一枚しか拾えとらんかった」
「四分の一だぞ。大したもんだ」
「四分の三、見逃しとる」
バルガスは、卓の上の残りの金貨を見た。
「……領主どの。ワシは今日まで、自分の耳をそれなりに信じとった。じゃが、こうして数字で出されるとな」
彼は、少し黙ってから、言った。
「耳を、鍛え直すことにするか」
二人目は、ガグ。
選別と打音を任せている。彼は分与を受けた瞬間、飛び上がった。
「ひ、光った! この、袋の中、ぜんぶ!」
「落ち着け。何枚だ」
「……いち、に、さん……ろく。六枚!」
六枚は、全て新鋳の王国金貨だった。
『疑』が意味するのは「偽物」ではない。「調べる価値がある」という印である。薄い正規の貨幣にも、当然、付く。
「……ガグ。これは『偽物だ』って印じゃない。『測れ』って印だ」
「はかる」
「そうだ。光ったら、必ず測る。光らなくても、抜き取りで測る。……分かるか」
「わかる。……ひかったのを、そのまま言うのは、だめだ」
「その通りだ。よく分かってる」
◆◆◆◆
三人目は、リーフェ。
「私に、ですか。……私は医の者ですが」
「分け酸を作ってるのは君だ。試金の判断も、実際には君がやってる」
「……なるほど」
彼女は、分与を受けると、しばらく卓の上を眺めていた。
そして、静かに言った。
「……毒を見分けるのと、同じ心持ちですね」
「同じか?」
「はい。毒草も、見た目では分かりません。怪しいと思ったものを、必ず煎じて確かめる。……それを怠ると、人が死にます」
彼女は、『疑』の付いた一枚を、そっとつまんだ。
「怪しむことは、疑うことではありません。確かめることです」
◆◆◆◆
四人目で、俺は少し迷った。
候補は何人かいたが、結局、一番目のいい者に決めた。
「ノグ」
「はい!」
記録係の子ゴブである。開業以来、検査の結果を書き取り続けてきた男、いや、まだ子供だ。
「お前に、この目を渡したい」
「……えっ」
「嫌か」
「い、いやじゃない! けど、おれ、こども」
「関係ない。お前は、この街で一番、貨幣を見てる」
実際、そうなのだ。ノグは検量の記録係として、この三月、何千枚の貨幣を目にしてきた。書き取るために、一枚ずつ、必ず見ている。
分与を受けた瞬間、彼は目を丸くした。
そして、卓の上の金貨の山を見て、
「……ひかってる。ここと、ここと、ここ」
彼が指した三枚を、バルガスが検分した。
「……合っとる。三枚とも、ワシの見立てと同じじゃ」
「ノグ。よく見つけた」
「へへ」
子ゴブは、鼻の下を擦った。
……この街で一番いい目を持っているのは、実は子供だった。よくある話である。
◆◆◆◆
その日のうちに、俺は掟を三つ書いて、検量所に掲げた。
『検量所の掟』
一、目は、疑いを見つけるために用いる。
二、疑いは、必ず秤と炉で確かめる。
三、目と、測りの結果が食い違ったときは、——測りを採る。
「三つ目が、大事だ」
俺は、四人を前に、そこだけは繰り返した。
「もし、お前たちの目が『疑』と言って、灰吹が『真』と出たら、その一枚は真だ。目の方が間違ってる。……分かるな」
「……領主どの。それでは、この目は何のためにあるんじゃ」
「どれを測るかを決めるためだ」
俺は、卓の上の山を指した。
「全部は測れない。水秤は一枚に時間がかかるし、灰吹は貨幣を潰す。今までは、千枚から適当に十枚抜いて測ってた。当たれば見つかる、外れれば通る。……それが検査ってもんだ」
「じゃが、今は」
「千枚を一瞥して、光った七枚だけを測ればいい。……見逃しが、ほとんど消える」
リーフェが、小さく手を挙げた。
「領主様。……一つだけ、伺っても」
「どうぞ」
「なぜ、目を証拠になさらないのですか。分与を受けた者が四人もいて、四人が同じ一枚を『疑』と見たなら、それは十分な——」
「ならない」
俺は、遮った。
「二つ理由がある。一つ。俺たちの目は、この領の中でしか通じない。秤と灰吹は、どこでも通じる。……商人は、通じない方を信用しない」
「もう一つは」
「目を持ってる奴が死んだら、終わるからだ」
場が、静かになった。
「俺がいなくなっても、バルガスがいなくなっても、桝と秤と原器は残る。百年後も、同じ答えを出す。……そういうものだけが、街に残っていく」
◆◆◆◆
その夜、俺は任命状を四通、書いた。
『検量方 任命状』
右の者を、交易市場アエルナ検量方に任じる。
検量方は、掟三条に従い、貨幣を検める。
検量方は、疑いを見つけたときも、これを口外せず、必ず測りにかける。
検量方は、測りの結果に従う。目の見立てに従わない。
王国暦一〇五一年 一月二十七日
デッドエンド領主 タクミ』
「……任命状まで、お作りになるのですね」
書き上げた四通を綴じながら、セリアが言った。
「口約束の役職ってのは、揉めるんだ。……誰が決めた、いつからだ、何をしていい、って話になる。紙にしとけば、揉めない」
「では、これで全員分の紙が揃いました」
……ん?
俺は、ペンを置いた。
「今、なんて言った」
「全員分の紙が揃いました、と」
「……ちょっと、書類の箱を出してくれ」
卓の上に、この街の紙が全部並んだ。
……この街の百十三人は、全員、どれかの紙に載っている。
ゴブリンは覚書に。龍は守護契約に。ドワーフは雇用契約に。エルフは移住契約に。子供も、老人も、働いていない者も、一時保護規程と管理規約が拾っている。
俺は、その紙の山を、上から順に確かめていった。
そして、卓の端に手を置いたまま、動きが止まった。
「……セリア」
「はい」
「君の分が」
沈黙が、少し長かった。
セリアは、書類の山を見ていた。
それから、ゆっくりと言った。
「……ございませんね」
「……ない、か」
「はい。ございません」
彼女の声は、いつも通り平坦だった。
「なんでだろうな」
「……理由は、二つあります」
彼女は、指を折った。
「一つ。私が参りましたのは、五年前です。あの時、当領は存在しておりません。契約を結ぶ必要がそもそも無かったのです」
「……ああ」
そうだった。この子は、街が出来上がるよりも先に来ている。あの日、家を抜け出して、そのまま俺に付いてきた。この街より、この子と俺の方が古い。
「二つ目は」
「……その後は、忙しかったので」
「確かに、忙しかったな」
「はい」
彼女は、少しだけ肩をすくめるような仕草をした。
「他の方の紙を書くのに、忙しくて。……自分の分を考える時間が、ありませんでした」
◆◆◆◆
俺は、しばらく何も言えなかった。
俺とセリアは、この街の紙を全部書いてきた。
ゴブリンの覚書も。龍との守護契約も。ドワーフの契約も。エルフの移住契約も。読み聞かせも。条文の清書も。全部だ。
この街の全員に、立場と、身分と、守りを与えてきた紙は、すべてここから出ている。
その当人だけが、一枚も持っていない。
「……セリア。君は、この街の何なんだろうな」
訊いてから、しまった、と思った。
彼女が、わずかに、本当にわずかに、動きを止めたからだ。
「……分かりません」
彼女は、正直にそう言った。
「私は、雇われているのでしょうか。それとも、住んでいるだけでしょうか。……あるいは、居候でしょうか」
「そんなわけあるか」
「はい。そう仰っていただけると、思っておりました」
彼女は、いつもの顔に戻った。
「ですが、紙には、そう書いてございません」
◆◆◆◆
紙には、そう書いていない。
……この街で、その一言がどれだけ重いか、俺が一番よく知っている。
俺は半年、それを繰り返し言ってきた。口約束は残らない。恩は請求書に化ける。だから紙にしろ、と、
その理屈で言えば、この子は――
「明日、書く」
俺は、そう言った。
「いや、今夜書く。今から書く」
「タクミ様。お疲れでしょう」
「疲れてない」
「……では、お願いいたします」
彼女は、少しだけ笑った。……ような気がした。
「お手間を、取らせます」
◆◆◆◆
その夜、俺は自室で、白い紙を一枚広げた。書き出しは、すぐに決まった。
◆◆◆◆
『雇用に関する契約書
甲 デッドエンド領 領主 タクミ
乙 セリア・フォート・アークライト
第一条(身分) 乙は、当領の筆頭補佐官にして、最高財務責任者である。』
ここまでは、書けた。問題は、次だった。
『第二条(業務) 乙の業務は、』
……ペンが、止まった。 業務。この子の業務は、なんだ。
帳簿。監査。相場の決定。検量所の記録。契約の起草。読み聞かせ。朝礼の読み上げ。苦情台帳。人員の配置。予算。手形の発行残高の管理。両替の相場の掲示。来場者台帳。冬支度の試算。俺の就寝時刻の記録。
……ほぼ全部だ。
この子がやっていないことを探す方が、早い。
俺は、ペンを持ったまま、しばらく動かなかった。
この街の全員に、俺は「あなたの仕事はこれです」と書いてきた。書けたのは、その人たちの仕事はっきりと輪郭があったからだ。
この子の仕事には、輪郭がない。
……いや。違うな。
輪郭が無いんじゃない。この街の輪郭そのものが、いつのまにか、セリアで、できてしまっているんだ。
「……書けないな」
俺は、ペンを置いた。置いてから、思った。書けないなら、明日、本人に訊けばいい。何を書いてほしいか、直接。
——そう思って、俺はその紙を、机の隅へ置いた。
第二条の途中で止まったまま。
……その紙を、次に手に取ることになるのが、あんな形だとは、この夜の俺は考えもしなかった。
◆◆◆◆
翌朝。南門の夜番から、記帳台の控えが上がってきた。昨夜遅く、一人だけ来訪者があったという。俺は、いつも通り、その一行に目を通した。
『一月二十八日 深更』
氏名 ——(記載あり)
所属 ゴルドー商会 使者
どちらから 商都
御用向き 商談
お求めの品 なし
……お求めの品、なし。買い物には来ていない、ということだ。俺は、その一行を、しばらく見ていた。
背後で、書類を抱えたセリアが、覗き込むように立ち止まった。
彼女は、その行を読んだ。そして、動かなくなった。まばたきが、二つ分、遅れた。
「……セリア」
「はい」
「気にするな、とは言わない」
「……ええ」
彼女は、書類を抱え直した。
「気にせずに、対応いたします」
その日の朝礼は、いつも通りに行われた。
彼女の声も、いつも通りだった。




