↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
63/71

第五十八区画「手形は回り始めたようです」

 最後の一手は、向こうから歩いてきた。


 一月の下旬。あの、ガルドラの石工の頭である。


「領主さん。……相談がある。鉄が、まだ買えてねえ」


「代金の当てはあるんですね」


「証文はある。春に金貨十枚、って書いた紙だ。……こんなもん、誰も金には換えてくれねえがな」


 俺は、その証文を見せてもらった。


『買い取れる証文:債務者の支払い能力・良好/回収の見込み・高』


 鑑定眼のタグ。だが、俺が本当に確かめたのは、そっちではない。


「セリア。この名前、台帳にあるか」


「……ございます」


 彼女は、来場者台帳をめくった。


「開業日から、四度来訪。いずれも支払いは正貨。掛けの申し出は一度もなし。……この方は、払う方です」


 ……これだ。


 証文を買うかどうかの勝負どころは、「その相手は本当に払うのか」を見抜けるかどうかにある。


 そして当領には、大陸で唯一、それを判断する材料がある。開業以来、門で書かせ続けてきた記帳台の記録だ。


 防備のために作った門が、こんな形で効くとは、俺も思っていなかった。


  ◆◆◆◆


「石工の頭。うちが、その証文を買います」


「……買う?」


「春に十枚もらえる証文を、今、九枚で買い取ります。差の一枚が、うちの手間と危険の代金です。代金は、手形でお渡しします」


 男が、ぽかんとした。


「待て。……つまり、俺は、今、九枚もらえるのか」


「そうです。そして春、王都の得意先から十枚を取り立てるのは、うちの仕事になります」


「……俺は、借金をするのか?」


「いいえ」


 俺は、はっきり言った。


「あなたは、何も借りません。持っている証文を、うちに売るだけです。新しい借金は、一枚も生まれません。……まだ来ていない金を、今の金に持ち替えるだけです」


  ◆◆◆◆


 その夜、バルガスが執務室へ来た。


 珍しく、正面から座って、こう言った。


「領主どの。……それは、金貸しではないのか」


 俺は、すぐには答えなかった。


 この問いは、この街で一番重い問いだ。訊く資格があるのは、この男をおいて他にない。


「そう見えるだろうな」


「三年前、ワシらを縛ったのも、そういう紙じゃった。『今、金をやる。あとで返せ』と、あの男も言うた」


「ああ。同じ形の紙だ」


 俺は、卓に条文の草案を置いた。


「だから、こう書いた」


  ◆◆◆◆


 証文の買い取りに際し、当領は次のことをしない。


 一、人、身柄、家名を担保に取ること。

 二、住まい、田畑、生業の道具を担保に取ること。

 三、未払いの分を元本に組み入れて、新たな証文を切り直すこと。

 四、割引の率を掲示せずに買い取ること。

 五、支払いの滞った者から、その者の暮らしが立たなくなるほど取り立てること。


 なお、証文を売った者は、いつでも同じ値でこれを買い戻すことができる。


 買い取った証文が焦げ付いたときは、その損は当領が負い、売った者に遡らない。


  ◆◆◆◆


 バルガスは、長いこと、その紙を睨んでいた。


 一条ずつ、指でなぞりながら。


 ……二号で、指が止まった。生業の道具。金床のことだ。


 三号で、また止まった。書き換えの禁止。彼を三年縛った、あの手口である。


 最後の一行、焦げ付きは当領が呑む。で、彼は目を閉じた。


「……領主どの」


「なんだ」


「紙が人を縛るのではない、と、お主は言うたな。以前」


「言った。縛るように書いた奴が、縛るんだ」


 棟梁は、深く息を吐いた。


 それから、ぼそりと言った。


「……三年前に、この紙を持ってきてくれる領主が、おればよかったのう」


 俺は、何も言わなかった。言えることが、何もなかった。


 しばらくして、バルガスは立ち上がった。戸口で、一度だけ振り返る。


「五号に、もう一つ足せ」


「なんだ」


「取り立てに行く者は、必ず、その相手の飯を一度食ってから帰れ」


「……なんだ、それは」


「相手の暮らしを見てから帰れ、ということじゃ。……帳面の上でしか相手を知らん奴が、一番むごい取り立てをする」


 俺は、その場でペンを取った。


「採用だ」


  ◆◆◆◆


 手形が市場に出て、二十日が経った。


 紙は、回り始めていた。


 うちの民が湯銭に使い、店子が受け取り、店子が家賃で領に返し、領がまた賃金で出す。外から来た商人が正貨を換え、南へ持って行き、春にまた戻ってくる。


 そしてある日、テオが自分から言い出した。


「タクミ様。次の穀物の代金、半分をあの紙で頂けませんか」


「いいのか。正貨の方が確かだぞ」


「いいえ」


 彼は、糸目を細めた。


「正貨は、目方を測らねば値が分かりません。あの紙は、測らずに額面で通ります。しかも、どこの国の刻印より、書いてあることが正確でございます」


 ……なるほど。


 貨幣が便利だったのは、数えるだけで済んだからだ。ところが今、貨幣は測らないと値が分からないものになった。


 その空いた席に、うちの紙が座った。確実に、この領が、経済の基準になりつつある証明だった。


  ◆◆◆◆


 月末、セリアが新しい様式の報告書を持ってきた。


「本月の手形の報告です。……ただし、様式を変えました」


「どこを」


「一番上に書く数字を、変えました」


 彼女は、報告書を裏返して見せた。


 一番上の行は、発行残高ではなかった。


『回転、一枚あたり、月に四・二回』


「……回転?」


「はい。手形一枚が、ひと月のあいだに何度、人手を渡ったか。市場での使用の回数を、発行残高で割った数です」


 彼女は、静かに言った。


「発行した額を見て安心する者は、素人です。……見るべきは、回転の速さです」


「……いつから、それを数えてた」


「ザグ様の木箱を見た日からです」


 彼女は、報告書を卓に置いた。


「あの日、発行残高は増えておりました。数字だけを見れば、順調でした。……ですが、紙は死んでいました」


 ……この子は、俺の前世の付け焼き刃の知識を完璧補完して、完成形を作り上げてしまう。


 どんなチートスキルよりも、チートすぎる存在だった。


  ◆◆◆◆


 そして、その数日後。


 検量所に、見慣れない客が立った。ガルドラ訛りの、初めて見る商人だった。


 彼は革袋を卓に置いて、こう言った。


「これを、頼む」


「両替でございますね。何にお換えいたしますか」


「いや」


 男は、首を振った。


「換えなくていい。……測ってくれ」


 セリアの手が、止まった。


「……測るだけ、でございますか」


「そうだ。うちの国で、こいつらが本当にいくらなのか、誰も教えてくれん。……ここなら分かると聞いた。銭は払う」


 ……検量所が、初めて、両替の窓口ではないものとして求められた瞬間だった。


 その日の午後。


 視界の中心で、見たことのない文字が浮かび上がった。


『【万象の鑑定眼】——分与の条件を、満たしました』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。