↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
62/71

第五十七区画「手形は再訪の約束の証のようです」

 翌日、セリアがこの会議で一番冷たいことを言った。


「では、私からは、刷らせないための決まりを申し上げます」


「刷らせない?」


「はい」


「第一に、準備率。発行した手形の総額に対し、金庫の地金と良貨が、常に四割以上あること。これを割った瞬間、新しい発行を止めます」


「四割で足りるのか」


「足ります。全員が同時に換えに来ることは、まずありません。……ですが、四割を割れば、噂が立った時に耐えられません」


「第二に、発行の上限。準備の二倍半までとします。これを超える発行は、領主の命令であっても、私は判を捺しません」


 ……おい。


「俺の命令でも、か」


「はい」


 彼女は、一切ためらわなかった。


「これは、あなたを疑っているのではありません。制度を疑っています。……人は、困れば刷ります。困っている時ほど、刷りたくなります。その時に止める者がいないと、紙は必ず刷られすぎます」


 俺は、しばらく彼女を見ていた。それから、笑った。


「採用だ。規程に書いてくれ」


「もう書いております」


「一つ、俺からも言っておく」


 俺は、全員を見回した。


「刷りすぎた紙は、必ず紙に戻る。紙が紙に戻った時、一番損をするのは、それを信じて受け取った人間だ」


 場が、静かになった。 


「だから、うちの手形には上限がある。俺が困っても、刷らない。それだけは、約束する」


  ◆◆◆◆


 五日かけて、手形が作られた。


 紙は、リーフェが漉き方を出した。銀葉の氏族が書き付けに使う、木の繊維を混ぜる漉き方。


 そこへ、ザグが横から言った。


「ゴブ茸の胞子。混ぜる」


「胞子?」


「光に、かざすと」


 試作の紙を窓にかざすと、白い斑が、うっすらと浮かんだ。


 真似をするには、この茸を育てるところから始めなければならない。そして、この茸を育てているのは、大陸でうちだけである。


 刷りは、館内図の版木の技を応用した。ただし今度は二色。墨と朱。二枚の版を重ねて刷るから、位置がずれれば一目で分かる。


 印は、バルガスが鉄の焼印を打った。丸の中に、二本の線。上水路の札と、分銅の底と、同じ意匠である。


 そして、番号。


「一枚ずつ、通し番号を入れます」


 セリアが言った。


「そして、番号の半分を切り取って、控帳に残します。手形の番号と、控帳の半券が合わなければ、それは手形ではありません」


「一番の防止策はそこか」


「はい。紙も、刷りも、印も、いつかは真似されます。……ですが、うちの控帳を書き換えることは、誰にもできません」


 出来上がった一枚目を、俺は光にかざした。


 エルフの繊維。ゴブリンの胞子。ドワーフの焼印。そして、人間の記した番号と額面。


 ……四つの種族が、一枚の紙に入っている。


「セリア。これは、いい紙だな」


「……はい。とても」


  ◆◆◆◆


 発行規程は、その月の見直しの日に告示された。


『交易市場アエルナ 手形発行規程』

 第一条(目的) 当領は、貨幣の不足を補い、商いを滞らせないため、手形を発行する。


 第二条(額面) 手形の額面は、検量金の目方をもって表示する。券種は、一匁、一分、一厘の三種とする。


 第三条(償還) 手形の持ち主は、いつでも検量所において、これを次のいずれかに換えることができる。何に換えるかは、持ち主が選ぶ。


 一、正貨(含有量により換算する)

 二、地金

 三、当領の産する物(茸、鉄、薬、その他)


 第四条(準備) 当領は、手形の発行残高の四割以上に相当する地金及び良貨を、常に保有する。


 第五条(上限) 手形の発行残高は、準備の二倍半を超えてはならない。これを超える発行は、領主の命令によっても行わない。


 第六条(公表) 毎月、発行残高と準備高を掲示し、刷り物として配る。求めがあれば、金庫を検めさせる。


 第七条(除外) 森還りの積立は、準備に算入しない。いかなる場合も、これを取り崩さない。


 第八条(受領) アエルナに店を出す者は、手形を額面で受け取らなければならない。市場の外では、受け取るか否かは自由とする。


 第九条(番号) 手形には通し番号を付し、その半券を控帳に残す。番号の合わぬ手形は、手形としない。


 第十条(停止) 準備が四割を割ったときは、直ちに新たな発行を止め、そのことを掲示する。』


  ◆◆◆◆


 読み終えた時に七条について、リーフェが手を挙げた。


「領主様。……森還りの積立は、金貨で百枚を超えております。あれを準備に入れれば、その分、多く発行できるのでは」


「入れない」


「ですが、今は当領が困っております」


「リーフェ。あれは、うちの金じゃない。君たちの名義で預かってる金だ」


「……はい」


「困った時に、預かり物に手を付ける。……一度でもやったら、次からは平気でやるようになる。そういう場所は、いずれ全部を失う」


 リーフェは、深く頭を下げた。


「……差し出がましいことを、申しました」


「いや。言ってくれてよかった」


 俺は、規程を掲示板に留めた。


「言ってもらったから、断ったことが、皆の前で記録に残った」


  ◆◆◆◆


 最初の手形を、誰が受け取るか。これが、実は一番の難所だった。


 どれだけ立派な規程を書いても、最初の一枚を誰も受け取らなければ、それはただの紙である。


 だから月末の賃金の日、俺はこう言った。


「今月から、賃金の一部を手形で払える。……ただし、強制はしない」


 卓の上に、正貨の袋と、手形の束を並べる。


「正貨で欲しい者は、正貨で受け取ってくれ。全額でいい」


 列が、動かなかった。


 ……当然だ。


 そこへ、ザグが進み出た。


「全部、カミで」


「おい、全額か?」 


「全部」


「待て、無理をするな」


「無理、してない」


 彼は、鍋兜の下から俺を見上げた。


「カミに、書いてある。書いたことは、守る。……この街、ずっとそうだった」


 彼は手形の束を受け取り、大事そうに懐へ入れた。


 その後ろで、ゴブリンたちが次々に手を挙げた。


「俺も」「俺も全部」と。


 バルガスが、深く息を吐いた。


「……ええい、石の民が魔物に後れを取れるか。ワシも全部じゃ」


 ドワーフの列が動いた。次にエルフが続いた。


 結果として、その日、正貨を選んだ者は、一人もいなかった。


  ◆◆◆◆


 全員が引き上げた後、セリアが帳面を閉じて言った。 


「タクミ様。……困りました」


「困った?」


「はい。皆が、信じすぎています」


 彼女は、静かに続けた。


「紙の危険は、疑われることだと思っておりました。ですが、違いますね。……信用は、裏付けより先に膨らみます」


  ◆◆◆◆


 そして三日後、俺は自分の見通しの甘さを知った。


「タクミ様。……手形が、回っておりません」


「回ってない?」


「発行したのは金貨四十枚分。ですが、この三日で市場の中で使われたのは、銀貨にして二枚分です」


  ◆◆◆◆


 ゴブリン村へ行って、理由が分かった。


 ザグの家の一番奥に、木の箱があった。


 蓋を開けると、手形が、布に包んで、丁寧に納められていた。しかも箱の前に小さな台があり、その上に干し茸が一つ、供えてある。


「……ザグ。これは、なんだ」


「カミだ」


 彼は、当然という顔で言った。


「大事な、カミだ。だから、しまってある」


 ……ああ。この街のゴブリンにとって、文字の書かれた紙は、契約であり、約束であり、神である。大事なものは、使わずに仕舞う。それが彼らの敬い方だ。


 村を見て回ると、あちこちで同じことが起きていた。壁に掛けている家。子供に触らせない家。額に入れている者までいた。


「ザグ。……逆なんだ」


「ぎゃく?」


「この紙は、使うと、カミでいられる」


 俺は、箱から一枚取り出した。


「使われて、人手を渡って、また戻ってくる。その間、ずっと『持ってくれば必ず換える』って約束が生きてる。……動いてる間だけ、これはカミなんだ」


「動かないと」


「ただの紙だ」


 ザグは、しばらく箱の中を見ていた。


 それから、鍋兜の縁を引き下げて、ぼそりと言った。


「……ばあちゃんが、言ってた。川は、流れとるうちが川だ。溜まったら、沼だ」 


「……その通りだ」


  ◆◆◆◆


 執務室に戻って、俺は自分の失敗を洗い出した。


「セリア。俺は、大事なことを一つ飛ばしてた」


「と、仰いますと」


「紙を出すことばかり考えて、紙が行く先を用意してなかった」


 俺は、紙に三つ書いた。


「銭ってのは、三つ揃って初めて回る。もらえる場所、使える場所、そして必ず受け取ってくれる場所だ」


「必ず、受け取る」


「そこだ。……セリア、人が新しい銭を使わない一番の理由は、なんだと思う」


「……信用していないから、では」


「違う」


 俺は、首を振った。


「断られたら、恥ずかしいからだ」


 彼女が、顔を上げた。


「初めての紙を店に出して、『いや、うちはちょっと』と言われる。それが怖い。だから使わない。……疑いより先に、気まずさが動きを止めてる」


 セリアは、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと言った。


「……人の心を、勘定に入れておられるのですね」


「多分、銭ってのは、半分は人の気持ちでできてるんだ」


  ◆◆◆◆


 その日のうちに、掲示を出した。


  ◆◆◆◆


『当領は、次のすべてを、手形にて申し受けます。

  一、アエルナの区画の家賃

  二、湯屋の湯銭

  三、宿の宿代

  四、厩の使用料と飼葉代

  五、荷の保管料

  六、両替の手数料

  七、南門の通行に係る一切

 なお、当領は、これらの支払いについて手形を断りません。』


  ◆◆◆◆


「……領が、自分から受け取り口になるのですね」


「そうだ。うちが一番の受け取り手になる」


 俺は、掲示板を見た。


「考えてみてくれ。この街で毎月、確実に金が動く先はどこだ。家賃、湯銭、宿代。全部、うち宛だ。その全部が手形で払えるなら、手形は必ず使い道がある」


「そして、当領に戻った手形は」


「また賃金として出ていく。……これで、輪になる」


 セリアの目が、す、と細くなった。


「川の水を、上から汲んで、上へ返すのですね」


「そういうことだ」


  ◆◆◆◆


 仕上げに、湯屋の前へ机を一つ出させた。貼り紙は一行。


『湯銭、手形で承ります』


 賃金の日の夕方。仕事上がりの連中が、ぞろぞろとやってくる。


 最初に紙を差し出したのは、若いドワーフだった。


「……これで、いいのか」


「承ります」


 番台のゴブリンが、一厘札を受け取った。


 そして、固まった。


「あ」


「どうした」


「……釣りが、無い」


  ◆◆◆◆


 湯銭は銅貨五枚。一厘札は銅貨六枚分。


 釣りは銅貨一枚。だが、番台の銭箱は、その日まだ空だった。


「……俺のミスだ」


 俺は、正直に言った。


 前の世界でも、まったく同じことがあった。新しい店の開店初日、一番揉めるのは商品でも値段でもない。釣り銭である。


「セリア。急ぎで二つ。一つ、一厘札をもっと刷る。小さい紙が足りない」


「はい」


「二つ、釣り銭の貸し出しだ。市場の全店に、領から銅貨を貸す。無利子で。月末に返してもらう」


「……釣りのために、銅貨を貸すのですか」


「貸す。釣りが出せない店は、大きい紙を受け取れない。受け取れない店が一軒あると、客はその店で紙を使わなくなる。……一軒の釣り不足が、市場全体の流れを止める」


「新しい銭を出す時は、釣りのことを先に考えると」


「痛い教訓だ。書いといてくれ」


  ◆◆◆◆


 もう一つ、俺はこの日に手を打った。


 検量所の窓口を、二つに分けた。


 貼り紙は、二枚。


『正貨でのお支払い —— こちらへ

  ※検量のため、少々お待ちいただきます』

『手形でのお支払い —— こちらへ

  ※検量は要りません』


 効果は、その日のうちに出た。


 正貨の列は、一枚ずつ水秤にかけるから、どうしても進みが遅い。三十人並べば、最後尾は半刻待つ。


 手形の列は、番号を照らして数えるだけだ。ほとんど待たない。


 昼過ぎには、商人たちが、こんな会話を始めていた。


「おい、あっちの列、空いてるぞ」


「手形の方だろ。俺、持ってねえよ」


「じゃあ、先に換えとけばいいんじゃねえのか」


 ……そうなるわな。


 夕方には、両替の窓口に「手形に換えてくれ」という客が並び始めていた。


 バルガスが、腕を組んで、じろりとこちらを見た。


「……領主どの。これは、ずるくないか」


「ずるいな」


 俺は、即答した。


 ……どこかで聞いた台詞だな、と思った。子ゴブにも、同じことを言われた気がする。


「だが、悪いずるさじゃない。誰も強制してないし、誰も損してない。早く済ませたい奴が、早く済む。それだけだ」


「正貨で払う者は、待たされるぞ」


「待たされるだけだ。断られはしない。……そこは、絶対に守る」


 俺は、二つの貼り紙を見た。


「いいか、バルガス。人を動かすのに、命令は要らない。……楽な道を、一本作ればいい」


  ◆◆◆◆


 流れが本格的に変わったのは、その四日後だった。


 きっかけは、うちの民ではなく、外から来た商人だった。


 ガルドラから来た金物商が、検量所で妙な相談をしてきたのである。


「両替を頼みたい。……いや、待て。逆だ。この金貨を、その紙に換えられるか」


 セリアの手が、止まった。


「……手形に、でございますか」


「そうだ」


 男は、革袋を卓に置いた。ずしりと重い音がした。


「これから南へ下る。冬の街道だ。……この重さを腰にぶら下げて、雪の峠を越えたくねえ」


 彼は、指を折った。


「一つ、重い。二つ、宿で盗られる。三つ、どこの宿場でも、目方を測られて値切られる。……紙なら、軽いし、書いてある通りだ」


 そして、少し言いにくそうに付け加えた。


「それと、な。……盗られた時、その紙は、取り返せるのか」


 その問いに答えたのは、セリアだった。


「取り返せます」


「本当か」


「はい。手形には、一枚ずつ通し番号がございます。その半券を、当領の控帳に残しております」


 彼女は、控帳を持ち上げた。


「盗難や紛失の届け出をいただければ、その番号の手形の換金を、止めます。番号が止められている以上、その紙を持ち込んでも、何にも換えられません。盗んでも、使えないということです」


 検量所が、静かになった。


 周りで聞いていた商人たちが、一人、また一人と、卓の方へ寄ってきた。


「おい、それは……」 


「金貨は、盗られたら終わりだぞ。誰の金貨かなんて、書いてねえからな」


「……紙の方が、安全ってことか?」


 俺は、その時初めて、この仕組みの本当の強みに気づいた。


 貨幣には、名前がない。


 金貨は、誰の手にあっても金貨だ。盗まれれば、二度と戻らない。


 だが、番号のついた紙は違う。一枚一枚に、身元がある。


「……お客さん。うちの手形の一番の値打ちは、額面じゃありません」


 俺は、そう言った。


「盗られても、取り返せることです」


 その日、金物商は金貨十七枚分を手形に換えた。


 当領は正貨を十七枚受け取り、同額の手形を出した。裏付けが、そっくり金庫に入った。


「セリア。これは」


「はい。……準備率が、上がりました」


 彼女は、素早く算盤を弾いた。


「賃金として出した分は、裏付けなしの発行でした。ですが、今の取引は正貨と引き換えの発行です。金庫に同額が入っております。……この形なら、いくら発行しても、準備率は悪くなりません」


「むしろ、良くなる」


「はい。……タクミ様。規程を、直す必要があります」


「同じことを考えていた」


 その月の見直しで、第四条と第五条は、二つに割られた。

    

  ◆◆◆◆


『(改一)

 第四条(引換発行) 正貨又は地金と引き換えに発行する手形については、その額に制限を設けない。引き換えに受けた正貨及び地金は、その全額を準備に組み入れる。


 第五条(信用発行) 支払い、又は証文の買い取りにより発行する手形の残高は、準備の二倍半を超えてはならない。これを超える発行は、領主の命令によっても行わない。』


  ◆◆◆◆


「……同じ『発行』でも、中身がまるで違ったのですね」


「そうだ。裏付けを受け取って出す紙と、何も受け取らずに出す紙。危ないのは後者だけだ」


「では、前者は」


「いくらでも出していい。あれは発行じゃなくて、両替だ」


 男が帰り際に、こんなことを言った。


「なあ、領主さん。この紙、南へ持って行っていいのか」


「構いません。ただし、領の外では、誰にも受け取る義務はありません」


「使えないかもしれんのか」


「かもしれません」


 俺は、正直に答えた。


 男は、ふん、と鼻を鳴らして、手形を懐に入れた。


「まあ、いい。……春に、また来る。それまで持ってりゃいい」


 ……ああ。そうか。


 この紙は、また来るという約束でもあるのか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。