第五十五区画「兵糧攻めは三方向からは来ないようです」
年が明けて、一月の上旬。最初の異変は、断り状の形で来た。
「タクミ様。……穀物の件です」
セリアが、三通の書状を卓に並べた。
「南方の取引先三軒から、書状が届きました。いずれも、今季の穀物の供給を見合わせたいと」
「理由は」
「読み上げます。一通目『本年は雪深く、街道の見通しが立たぬため』、二通目『本年は雪深く、街道の見通しが立たぬため』、三通目——」
「同じか」
「一字一句、同じです」
……なるほど。
「三件とも、同じ文案を渡されたわけだ」
「はい。文体が全て異なるのに、この一文だけが、まったく同じです。誰かが書いた文を、写させたのでしょう」
俺は、書状を並べ直した。
商人が、儲かる取引を断る。それも三件同時に、同じ言い訳で。
理由は一つしかない。断らないと、もっと大きな取引先を失うからだ。
「セリア。うちの穀物の必要量と、備蓄は」
「越冬に必要な残りは、およそ八百俵。現在の備蓄は、五百二十俵。テオ様が持ってくるものを足しても、不足、二百八十俵です」
「期限は」
「三月の半ばまでに入らなければ、四月に、配給を減らすことになります」
彼女は、一度、帳面を閉じた。
「率直に申し上げます。商会からの兵糧攻めです」
◆◆◆◆
テオが来たのは、その二日後だった。
雪に覆われた街道を、荷馬車二台で。御者台の男は、いつも通り糸目だったが、その糸目がやや吊り上がっていた。
「お待たせをいたしました。麦、六十俵。塩、油、それから、注文の紙と墨を」
「……よく来られたな、この雪で」
「契約でございますので」
テオは、荷を下ろしながら、あっさり言った。
「月に二便。価格は締結時のまま固定。全量、貴領がお引き取り。……手前は、判を捺してございます」
「他所からは、何か言われなかったか」
彼の手が、一瞬、止まった。
「……ええ。言われました」
彼は、荷の縄を解く手を再開させながら、静かに続けた。
「王都の卸の寄合で、名指しで。『北へ運ぶ者とは、今後の取引を考える』と。……名前は出しませんが、大きな看板の方でございます」
「それで、どうした」
「『手前は、すでに契約に判を捺してございます』と申し上げました」
テオは、こちらを見ずに笑った。
「そうしましたら、先方は少々、鼻白んだ顔をなさいまして。……あれは、断られ慣れていない顔でございましたな」
……ああ。
「テオ。あの契約な」
「はい」
「作った時、俺は『値の変動はお前が呑み、量の変動は俺が呑む』と言った。危険の分け合いだと」
「仰いました」
「あれは、半分しか本当じゃなかった」
俺は、荷台の麦の袋を叩いた。
「価格を固定して、全量を引き取る契約ってのは、引き抜き除けの札でもあるんだ。お前がどれだけいい条件を他所から出されても、うちとの取引を切ると違約になる。お前を縛るために書いた紙でもある」
テオは、しばらく黙っていた。
それから、糸目をさらに細くした。
「……存じておりましたよ、そのくらいは」
「知ってて、判を捺したのか」
「はい」
彼は、両手を揉んだ。
「縛られているから、断れるのでございます。……手前のような小商人が、大看板に『嫌でございます』と言える理由は、この世に一つしかございません。もう他所様と紙を交わしておりますので、と言えることでございます」
雪の中を運ばれてきた六十俵は、不足の二百八十俵には、まるで足りない。それでも、この日の食堂は、いつもよりわずかに騒がしかった。
断られなかった、という事実が、それだけで温かかったのだと思う。
◆◆◆◆
翌日の朝礼の後、俺は幹部を集めた。
「不足、二百八十俵。南からは入らない。——だから、南以外から入れる」
俺は、地面に描かせた大陸の粗い図の前に立った。
「バルガス。ガルドラの、山向こうの村々だ。あんたの一族の縁故で、麦を分けてもらえないか」
棟梁は、髭を撫でた。
「……分けてもらえる。じゃが、あそこは麦の産地ではないぞ。せいぜい、雑穀と、芋と、豆じゃ」
「構わない。腹に入るなら、なんでもいい」
「ならば、話は早いわい。……問題は、道じゃな。峠は、この時期、馬車が通らん」
「ドワーフは、歩けるのか」
「歩ける」
彼は、当然という顔をした。
「石の民は、雪の峠を歩く。背負子で運ぶ。一人二俵、二十人で四十俵。往復に八日じゃな」
「四往復で、百六十俵」
「行ける。……ただし、日当は割り増しにしてもらうぞ」
「言い値でいい」
次に、俺はミルザの方を向いた。
「ファルサから、南回りで運べますか」
獣人の女は、腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「うちは香料商だ。麦は運ばん」
「香料の荷は、軽い。荷台に余裕があるはずだ。……帰りの空荷に、麦を積んでほしい」
ミルザの耳が、ぴくりと動いた。
「……空で帰る馬車の分だけ、運べと」
「はい。運賃はお支払いします。それと、こちらの薬を、ファルサでの取引に添えてもらって構わないです」
「薬」
彼女の目が、初めて鋭くなった。
ファルサは、暖かい南の国だ。薬草は育つが、北の薬草は育たない。そして、エルフの調剤は大陸のどこにも無い。
「……いいだろう。八十俵、運んでやる。ただし、薬の話は、契約書にしろ」
「もちろんです。うちは、そういう街ですので」
◆◆◆◆
バルガスの背負子で百六十俵。ミルザの空荷で八十俵。そして、うちの備蓄と、テオの定期便。
セリアが、素早く算盤を弾いた。
「……不足、解消します。余剰が、四十俵ほど出ます」
「余った分は、備えに回してくれ」
俺は、幹部たちを見回した。
「よく聞いてくれ。今回、南の道が一本、締められた。これから先も、締められるだろう。……だが、思い出してほしい」
俺は、地面の図を杖で叩いた。三つの国の境が、突き合わさる一点を。
「うちは、三国交差点だ。王国からも、ガルドラからも、ファルサからも、道が来ている」
俺は、その三本の線を順になぞった。
「一本の綱で首を絞めようとしても、うちには、綱が三本ある」
バルガスが、髭の奥で低く笑った。
「……なるほどのう。ドワーフを拾い、エルフを拾い、獣人と商いをした。あれは、そういう仕込みじゃったか」
「いや」
俺は、正直に首を振った。
「あれは全部、その時に困ってる奴を入れただけだ。……仕込みだったことにしてくれるなら、ありがたいが」
◆◆◆◆
その日の午後、セリアが検量所から上がってきた。
珍しく、少し困った顔をしていた。
「タクミ様。……水秤の記録で、一つ、腑に落ちないことが」
「言ってくれ」
「開業から三月、両替に持ち込まれた王国金貨を、全て検量しております。総数、二千八百枚あまり」
「ご苦労さん」
「その含有量を並べて、数えてみました。……綺麗に、二つの山になりました」
……二つ。
彼女は、書付を卓に広げた。数字が、ずらりと並んでいる。
「一つ目の山は、金が八割五分のあたり。二つ目の山は、七割のあたりです」
「間は」
「ほとんどありません。八割の金貨が、二千八百枚のうち、十一枚しかございません」
俺は、その並びを見た。
……なるほど。
「混ぜ物の割合が、職人の腕で偶然ばらつくなら、山は一つになる。真ん中が高くて、裾が広がる形にな」
「はい」
「二つに割れて、間が空くってことは、作った時期か、作った場所が、二種類あるってことだ」
◆◆◆◆
セリアは、既に、そこまで調べてあった。
「刻印を突き合わせました。王国の金貨には、鋳造した年の意匠が入っております」
彼女は、二枚の金貨を卓に置いた。
「こちらが、十二年以上前の意匠。含有量、八割五分の山に、全て入ります」
「もう一枚は」
「この二年の意匠です。七割の山に、全て入ります」
……疑いようが、なかった。
俺は、二枚を手に取った。
色が違う。古い方は落ち着いた黄金色。新しい方は、わずかに赤みが強い。並べなければ気づかない程度の差だ。
目方を測る。同じ。
卓に落としてみた。
ちん、と高い音。
もう一枚は——こつ、と、少し鈍い音がした。
「音も違います」
「ああ。……水秤が無かったら、たぶん、誰も気づかなかったな」
『王国金貨(旧鋳・十二年以上前):金・八割五分/銅・一割五分』
『王国金貨(新鋳・この二年):金・七割/銅・三割』
『目方は、いずれも規定通り』
鑑定眼のタグが、水秤の出した答えを、そのまま追認していた。
……俺の眼より、道具の方が、先に見つけたわけだ。悪い気分では、なかった。
◆◆◆◆
「タクミ様。……これは」
セリアの声が、低かった。
「薄めてる」
俺は、はっきり言った。
「金貨に混ぜる銅を増やしてる。金が減った分、銅を足して、目方と見た目だけは同じにしてある。……中身だけが痩せた金貨だ」
彼女の顔から、血の気が引いた。
この子は、頭がいい。だから、一瞬で、その意味の全部に辿り着いた。
「……鋳造は、王家の権限です」
「そうだな」
「では、この金貨を作ったのは」
「……最後まで言わなくていい」
俺は、金貨を布に戻した。
「戦争だ。西で、金がいくらでも要る。だが金鉱が急に増えるわけじゃない。……だから、同じ金で、多くの金貨を作る。昔から、どこの国でもやる手だ」
「……昔から」
「ああ。前の世界の歴史の中でもよくあった。戦をする国は、必ず、金を薄めるらしい」
◆◆◆◆
問題は、これをどう扱うかである。
うちの検量所は、開業初日から、含有量で両替をしている。仕組みは、既にある。
だから、やることは一つしかない。公表するかどうか、だ。
「セリア。告示を改める」
「……第何条を」
「一条足して、一条書き換える。それから、品位表に旧鋳と新鋳の欄を分ける」
「……分けるのですか」
「分けないと、客が損をする。同じ『王国金貨一枚』で払われて、中身が三割違うんだ。……うちの市場では、それを見分けられるようにしておかないと、正直な客が損をする」
セリアは、しばらく黙っていた。
「タクミ様。率直に申し上げます」
「言ってくれ」
「これは、当領が、王国の金貨が薄まっている事実を、大陸に向けて公表することになります。刷り物として、街道じゅうに配られる表にです」
「そうだな」
「鋳造は、王家の権限です。……不敬に問われる恐れがあります」
俺は、頷いた。
その通りだ。だから、随分と考えた。
「セリア。うちの告示に、王国のことを何か書くか?」
「……と、仰いますと」
「『王国の金貨は薄い』とは、一言も書かない。書くのは、測った数字だけだ」
俺は、卓に紙を引き寄せた。
「表には、意匠ごとの含有量を並べる。旧鋳がこれだけ、新鋳がこれだけ、と。……そして、その隣にはガルドラの銀貨も、ファルサの銅貨も並べる。全部、同じ形式でな」
「……批評をせず、測定値だけを並べる」
「そうだ。うちは、目方と、押しのけた水の量を書くだけの店だ」
俺は、ペンを取った。
「何が混ざってるかは、数字が勝手に喋る」
◆◆◆◆
その条文を、俺は三度書き直した。
書き終えた時、セリアが、静かに言った。
「……あなたは、時々、とても危ういことを、とても安全な書き方でなさいますね」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めておりません。……いえ、褒めています」
◆◆◆◆
改めた告示は、その月の見直しの日に掲示された。
◆◆◆◆
『貨幣の検量について(告示・改一)』
一、当市場における両替は、貨幣に含まれる金銀銅の量をもって行う。刻印の額面によらない。(据置)
二、貨幣の含有量は、水秤による検量で定める。方法は、検量所において、誰でも見学することができる。求めがあれば、その場で検量する。(据置)
二の二、貨幣の品位が、同じ国の同じ額面のうちで二種以上に分かれるときは、これを別の品目として掲示する。(新設)
三、検量の結果は、貨幣品位表として毎月掲示する。品位表は、刷り物として無償で配る。(据置)
四、当市場は、いかなる国の貨幣についても、良し悪しを申さない。目方と押しのけた水の量を、数字で書くのみとする。(改)
五、目減りした貨幣も、当市場は受け取る。ただし、含まれる金銀銅の量に応じた値で換算する。
第二条の二と、第四条。この二つが、今回の改定である。
◆◆◆◆
改定の効果は、三日で出た。
品位表に旧鋳と新鋳の欄が分かれた。ただそれだけの変更が、市場の空気を変えた。
商人たちが、自分の財布を開けて数え始めたのである。
「うちの金貨、どっちの意匠だ」
「見せてみろ。……こっちは古い方だ。おい、これは持っとけよ」
そして、興味深いことが起きた。
「タクミ様。記帳台の記録に、妙な傾向があります」
セリアが、帳面を差し出した。
「支払いに使われる王国金貨のうち、新鋳が八割を超えました。品位表を掲示する前は、半々だったのに、です」
「……古い方は、誰も出さないのか」
「はい。皆、古い金貨は懐に仕舞い、新しい金貨で払っています」
……そうなるわな。
「セリア。これは、この先どこでも起きる。中身の悪い金が出回って、中身のいい金は隠される。……人は、支払いには悪い方を使うんだ」
「では、市場に残るのは」
「悪い金ばかりになる」
俺は、窓の外の雪を見た。
「そして、その悪い金は、これからもっと薄まる。戦が続く限りな」
セリアが、静かに言った。
「……つまり、この冬、当領が受け取る金貨は、日ごとに価値が下がっていく、と」
「そういうことだ」
俺は、卓の上の二枚の金貨を見た。
同じ目方。同じ刻印。違う中身。
南からは物が来ない。それは、三本の綱でなんとかなった。
だが、こっちは違う。
金そのものが、痩せていく。
どれだけ稼いでも、受け取る金貨の中身が減っていくなら、それは稼いだことにならない。
「タクミ様。どうなさいますか」
俺は、しばらく黙っていた。
……開業の前、内見会の日に、この子は俺にこう訊いた。
金属で値を考えるのであれば、貨幣そのものを検める必要があるのではないか、と。
あの時、俺は「もう作ってある」と答えた。
だから、水秤はあった。だから、今日、これが見つかった。
……道具は、正しく働いた。
問題は、その道具が見つけたものが、うちの手に負えない大きさだったということだ。
俺は、二枚の金貨を布に包み直した。
「……信用できない金しか無いなら」
窓の外で、雪が、また降り始めていた。
「信用できる紙を、自分で作るしかないな」




