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第五十三区画「初雪は予定通りに降るようです」

 十二月三日の朝、この土地に初雪が降った。


 夜明け前から降り始めて、朝礼の頃には、荒野が一面、白くなっていた。


「わー!!」


「ゆき! ゆきだ!」


「つめたっ、つめたっ!」


 子ゴブリンたちが広場を転げ回っている。ゴブリンは寒がりのくせに、雪そのものは大好きらしい。


 一方、ドワーフたちは平然としていた。彼らの故郷の山の冬は、これの三倍降るのだそうだ。


 そして、エルフたちは、静かに空を見上げていた。


「……森の雪より、静かです」


 リーフェが、そう言った。


「木がないと、雪の落ちる音がしないのですね。……初めて知りました」


  ◆◆◆◆


「では、朝礼を始めます」


 セリアが帳面を開いた。彼女の吐く息も、今朝は白い。


「本日の予定。雪下ろし当番、第一班。街道の除雪、南門まで。屋根の雪は、積もる前に下ろします。命綱の着用を、必ず。それから、水路班、量水堰の氷を割ってください」


「危険予知。本日の危険、三つ」


「すべる!」「おちる!」「さむい!」


「よろしい。全部、命に関わります」


 セリアは一度、帳面を閉じた。


「最後に、確認事項を一つ。……今日から、屋内で火を使う機会が増えます。全員、もう一度だけ、唱和してください」


 彼女が読み上げ、百十三人が続いた。


「火を焚く部屋は、必ず一箇所、指一本の隙間を開けること」


「眠る前に、炭火は外へ出すこと」


「寝床の枕元に、火鉢を置かないこと」


 朝の空気に、白い息がいくつも上がった。


「——ご安全に!」


「「「ご安全に!!!」」」


  ◆◆◆◆


 午前中は、アエルナの点検に費やした。


 冬支度は、開業前に六つ打ってある。それが実際に効くかどうかは、寒くなってみないと分からない。


 正門の風除室。


 これは、はっきり効いていた。外扉が開いても、内扉との間の小部屋で外気が止まる。前世で言う玄関フードだ。安い割に、効き目が大きい。


「客が入ってきても、大広間の温度が落ちませんね」


「二枚目の扉があるだけで、こうなる。……開けっぱなしの入口は、冬をそのまま招き入れるからな」


 通路の切れ目に下げた垂れ幕。エルフが織り、ドワーフが革の縁を打った厚手のやつだ。


 床のすのこ。石の床は足元から体温を奪う。木を一枚敷いただけで、立っている時間がまるで違う。


 そして、天窓の板戸。


 昼は開けて光を採り、日が落ちたら綱を引いて蓋をする。当番は、宿の帳場が兼ねている。


「昨夜、閉め忘れました」


 帳場番のドワーフが、正直に申告してきた。


「朝の大広間が、外と同じ寒さでして。……あれは、閉めねばいかんですな」


「実感したなら、それでいい。忘れない仕組みを考えよう。……夕方の鐘に、板戸の合図を足すか」


  ◆◆◆◆


 鋳鉄の炉は、この冬の当たりだった。


 バルガスが作った、煙突付きの箱型の炉である。薪を入れて焚くと、鉄の箱が熱を持ち、部屋全体をじんわり温める。火が直接見えないから、火の粉も飛ばない。


「領主どの。あれ、売れとるぞ」


「いくつ出た」


「開業から一月で、十四基じゃ。ガルドラの商人が『山の宿に置きたい』と言うて、三基まとめて」


「……もっと作れるか」


「作る。冬の間は、鍛冶場はこれで食える」


 自分の街で使い、他所へ売る。冬の商品として、これ以上のものはない。


 最後に、湯屋を覗いた。


 薪焚きの釜が唸っている。その煙道を、宿の壁の中に通してある。湯を沸かした熱が、そのまま客室を温める仕掛けだ。


「宿の二階、暖かいか」


「暖かすぎるくらいです。二階の三部屋は、毛布が一枚で足ります」


 ……乾燥室、地熱の湯、そしてこれ。


 これほど、熱の利用が上手い土地は、王国中探しても、ここだけだろう」


  ◆◆◆◆


 もっとも、全部が上手くいっているわけではない。


「タクミ様。苦情台帳、本日分です」


「読んでくれ」


「食堂、北側の扉の建て付けが悪い。閉まりきらない、が三件。床板が鳴る。一件。宿、窓の枠に隙間があり、風が入る。一件」


 ……来たな。


 ニ月で建てた建物である。冬になって縮み、建具が狂う。分かっていたことだ。


「掲示は」


「開業日から、そのままです」


 俺は、大広間の掲示板を見た。


 規約と、両替の相場と催しの予定。その隣に、開業初日から貼ってある紙が一枚。


『一年目の冬は、建具が狂います。順に直します。』


「苦情を出した三人は、なんて言ってた」


「『そう書いてあるのは知っているが、一応言っておく』と。……三人とも、同じ言い方でした」


「上出来だ」


 俺は、正直にそう思った。


 同じ不具合でも、先に告知してあれば「知ってる。一応言っとく」で済む。黙っていれば「騙された」になる。


 後から詫びるより、先に予定として言う方が、百倍マシだ。


「年内に一旦、全部回ろう」


「はい。それから、掲示にもう一行足しました」


『直った箇所は、この下に書いていきます。』


 その下には、既に四件、几帳面な字で消し込みが並んでいた。


 ……うちのCFOは、掲示板まで帳簿にする。


  ◆◆◆◆


 その夜、事件が起きた。


 いや、正確には、事件になりかけて、ならなかった。


 夜半、南門の詰所から笛が二回鳴った。退避ではない。夜番が使う「異常あり」の合図だ。


 俺が駆けつけると、宿の一階、一◯ニ号室の前に人だかりができていた。


 扉が開け放たれ、外の冷気が流れ込んでいる。中では、リーフェが三人の男を診ていた。


「どうした」


「見回りの時、この部屋の窓が、全部閉まってた」


 夜番のゴブリンが、耳を伏せて報告した。


「灯りが点いてない。窓も閉まってる。……変だと思った。だから、戸を叩いた。返事、なかった」


「開けたのか」


「開けた。……勝手に、ごめん」


「よくやった。大手柄だ」


 部屋の中には、火鉢があった。炭が、赤く熾ったままである。


 寝台には、三人の隊商の男が倒れていた。……いや、眠っていた。深すぎる眠りだ。


「一人は自力で起きました。あとの二人は、揺すって、水を飲ませて、今、ようやく」


 リーフェが手際よく脈を診ながら言った。


「頭痛と吐き気を訴えています。ですが、意識は戻りました。外の空気に当てれば、良くなるはずです」


『中毒(軽度〜中等度)/原因:密閉された室内での炭火/処置:換気および外気での安静/経過:良好』


 ……間に合った。


  ◆◆◆◆


 男たちが落ち着いた後、リーフェが俺のところへ来た。


「領主様。……あの掲示の通りでした」


「掲示?」


「『火を焚く部屋は、必ず一箇所、隙間を開けること』の。……あの部屋は、寒いからと、窓の隙間を布で塞いでありました。良かれと思って、宿の毛布を詰めたのだと」


 彼女は、静かに言った。


「もし夜番が戸を叩かなければ、朝、三人とも冷たくなっていました」


「……ああ」


「私は薬師です。里でも、冬に『眠り死に』は、ありました。原因は分かりませんでした。悪い気の溜まりだと言われて、祈祷をして、それで終わりでした」


 リーフェは、顔を上げた。


「今夜、初めて『助けられる死に方』だと知りました。……あなたが、あの紙を貼っていたから」


 俺は、少し言葉に詰まった。


「……間に合って、よかったよ。今度、仕組みも教えよう」


 それだけ言った。


 リーフェは、それ以上訊かなかった。ただ、深く頭を下げて、患者の方へ戻っていった。


 その背中を見ながら、俺は思った。


 ——いつか、この人にも、話すことになるかもしれないな。


  ◆◆◆◆


 翌朝、俺は宿の全室と、住区の全戸と、南門と、食堂に、同じ紙を貼り直させた。


 【換気の定め】 三行だけの紙である。


 そして、宿の帳場に、決まりを一つ足した。


『客室に火鉢を出すときは、必ず、この三行を読み上げてから渡すこと』


「読み上げるのですか。毎回」


「毎回だ」


 俺は、頷いた。


「掲示は、読まれないことがある。声は、届く。……三人分の命の値段としちゃ、安い手間だ」


  ◆◆◆◆


 その大口注文が届いたのは、初雪から四日後だった。


 南から来た商隊が、南門で記帳を済ませ、そのまま検量所へ来た。


 代表の男が、丁重に一礼して、書状を差し出す。


「ゴルドー商会、北方担当の者でございます。この度は、お取引のお願いに参りました」


 ……来たな。


 俺は書状を開いた。セリアが、俺の肩越しに覗き込む。


 そこには、こう書いてあった。


『貴領産の茸(俗称・幻茸)につきまして、乾物・生を問わず、現在の在庫の全量、及び本年冬季に産出する分の全量を、買い受けたく存じます。


 価格は、貴領の言い値にて。


 代金は、全額前払いにて申し受けます。


 なお、王都相場の一割五分増しをもって、こちらからの目安とさせていただきます』


 ……検量所の空気が、明らかに変わった。


「い、一割五分増し?」


「言い値って、書いてありますよ!」


「全量って、蔵ごとですか?」


 茸の店をやっているゴブリンの若いのが、跳ね上がっている。無理もない。冬に、これほどの買い注文が来るなど、通常はあり得ない。


 だが。


『所見を、提示しますか?』


 ……ああ。頼む。



 視界の隅に、新しい棚から答えが降りてきた。


『買い注文の分析(伝承元:テオ/セリア/来場者台帳)』


 一、当該商会は、先月より当領の茸を継続的に購入。購入量は、月ごとに倍増している。


 二、王都及び商都における当該商材の実勢価格は、この一月で二割上昇。買い手の集中による。


 三、所見——特定の商会による、商材の寡占化(買占め)の兆候。


 四、寡占が完成した場合、価格の決定権は買い手に移る。同時に、産地は買い手以外の販路を失う。


 ……いきなり、仕事をする。


 俺は、書状を持ったまま、しばらく黙っていた。


「タクミ様」


 セリアの声は、低かった。


「これは、買占めです」


「ああ」


「先月からの取引量の推移を、私も追っていました。……最初の注文は、ごく普通の量でした。二回目が、その倍。三回目が、さらにその倍。今回で、四回目です」


 彼女は、帳面を指で叩いた。


「相手は、当領の生産量の上限を測っています。そして今回、上限ごと全部買うと言ってきました」


「狙いは」


「二つ考えられます。一つ、当領を、この商会以外に売り先の無い産地にすること。二つ——」


 セリアは、少し目を伏せた。


「当領の商材を、この冬のうちに、全部吸い上げること。春に、売る物が何も残らないように」


  ◆◆◆◆


 検量所が、静かになった。


 浮かれていた連中の顔から、笑いが引いていく。


「……り、領主様。じゃあ、これは」


「罠だ」


 俺は、あっさり言った。


 空気が、凍りついた。


「で、では、断るのですか」


「いや」


 俺は、書状を丁寧に畳んだ。


「売る」


「え」


「全部、売る。言い値でな」


  ◆◆◆◆


「……タクミ様。理由を、伺っても」


 セリアが、慎重に訊いた。


 俺は、検量所の卓に肘をついた。


「まず、事実の確認だ。この注文を受けると、うちに何が入る」


「……現金です。それも、全額前払いで。相場の一割五分増しなら、金貨で三百枚を超えます」


「冬に、現金が三百枚」


 俺は、指を折った。


「冬ってのは、物が動かない季節だ。売りたくても買い手がいない。うちの蔵で春まで寝てるだけの在庫が、今、相場より高い値で、しかも前払いで、現金に変わる」


「……ですが、春に売る物が」


「春には、新しい茸が生える」


 俺は、南の窓の外を見た。


「あれは、茸だ。畑と違って、種を蒔く季節を選ばない。うちの栽培床は、地下の湿った所にある。マナの影響で、冬でも生える。春には、また生える。……向こうは『産地の在庫を吸い上げた』つもりでも、うちの蔵は、また埋まる」


 セリアの目が、す、と細くなった。


「……相手は、当領の生産の仕組みを、正確には知らない」


「知らないだろうな。記帳台には、買った物しか書いてない。どう作ってるかは書いてない」


「ですが、価格の決定権は」


「そこだ。一つだけ、条件を付ける」


 俺は、代表の男に向き直った。


「取引に応じます。ただし、契約書は、こちらで用意させていただく」


「はあ、それは構いませんが……」


「条項は三つ。一つ、これは今回限りの売買であり、継続的な取引の約束ではない。二つ、当領は、他の相手に売る権利を留保する。三つ、代金は前払い、返金はしない」


 男が、少し眉を寄せた。


「……独占の約定は、結ばないと」


「結びません。うちは、来た客に売る店です。あなたが有るだけ欲しいと言うから、有るだけ売る。……それだけの話です」


  ◆◆◆◆


 男が引き上げた後、セリアが低く言った。


「今回限り、と釘を刺しましたね」


「ああ。継続契約にすると、うちが向こうの下請けになる。それだけは、絶対にやらない」


「……なるほど。買占めそのものは、防げませんが」

「防がなくていい」


 俺は、笑った。


「いいか、セリア。買占めってのは、売り手から見れば、ただの大口顧客だ」


「大口顧客」


「そうだ。相場より高く、全部、前払いで買っていってくれる客だぞ。……商人として、これ以上ありがたい客がいるか?」


 セリアが、口を開いて、また閉じた。


「向こうの狙いは、うちを干上がらせることだ。だが、そのために向こうは先に金を払わなきゃならない。三百枚を、この冬に、うちの金庫へ入れてくれる」


 俺は、指で卓を叩いた。


「その三百枚が、この冬、うちが戦うための軍資金になる」


「……相手の金で、相手と戦うのですか」


「世の中、大体そうやって商売してる」


  ◆◆◆◆


 セリアは、しばらく黙っていた。


 それから、静かに帳面を開いた。


「では、私からも一つ、条件を追加させてください」


「言ってくれ」


「支払いは、金貨のみとします。商会の手形や、為替の証書では受け取りません」


「紙で払われたら、その紙が、いつ紙屑になるか分からない、と」


「はい。相手が発行元である紙を、相手との戦の軍資金にはできません」


「異議なし。契約書に入れてくれ」


「もう書いております」


  ◆◆◆◆


 その夜。


 雪はやみ、空は晴れていた。北方の冬の星は、痛いほど硬く光る。


 俺は城壁の上で、南の空を見ていた。


「タクミ様。お風邪を召します」


 セリアが、外套を持って上がってきた。


「……なあ、セリア」


「はい」


「今日の注文、いくつ目のなんだと思う」


「と、仰いますと」


「向こうから見て、何手目か、って話だ」


 彼女は、少し考えた。


「……第一手では、ないと思います。先月の取引が始まった時点で、既に打たれていました。あれが第一手です」


「じゃあ、今日ので何手目だ」


「三手か、四手か。……いずれにせよ、まだ序盤です」


 俺は、南の闇を見た。


 その先に、商都がある。算盤玉のような目をした男。三年前にドワーフを縛った紙も、あの街から来た。


 あの男は、たぶん、この冬いっぱいを使うつもりだ。


 物を止め、金を止め、そして——


 ……そこで、思考が一瞬、妙な引っかかり方をした。


 物と、金を止めて。


 その次に狙うものは、なんだ?


「タクミ様?」


「……いや」


 俺は、首を振った。


「寒いな。戻ろう」


「はい。……ああ、それと」


 セリアは、階段を降りながら、事務の声で付け加えた。


「本日の茸の売却、金貨三百二十四枚。前払い、金貨での受領を確認しました。当領の手元現金として、開領以来の最高額です」


「めでたいな」


「はい。……敵の金で、というのが、少々複雑ですが」


「複雑なもんか」


 俺は、笑った。


「金には、色が付いてないんだ。それだけは、どこの世界でも同じだよ」

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