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第四区画「その契約書は退職届も兼ねるようです」

 迎えた、俺の十五歳の『成人の儀』——兼、兄たちへの辞令交付の日。


 ローゼンベルク伯爵家の大広間には、一族の者や親交のある貴族、さらには商業ギルドの重鎮までもが顔を揃えていた。武門の名家の代替わり人事は、社交界にとって一大イベントらしい。


 その招待客の中に、セリアの姿もあった。


 あの泥だらけの日から五年。彼女は随分と美しく成長し、着飾った令嬢たちの中でもひときわ目を引く存在になっていた。相変わらず、感情の読めない涼しい顔をしているが。


(……あの泥だらけだった子があんなに立派になって。我ながら完全に、親戚の叔父さんの目線である)


 そんな感慨に浸っていると、壇上の父・グレゴールが厳かに辞令を読み上げ始めた。


「騎士団の任を立派に勤め上げた長男ギランには、豊かな穀倉地帯である南部『ソルナ領』の管理を命ずる」


「はい。謹んでお受けいたします」


「王立魔法学校にて優秀な成績を修めた次男ルイスには、魔石採掘の盛んな東部『ルーン領』の管理を命ずる」


「はい。与えられた職務を全うするため、精進いたします」


 割れんばかりの拍手と称賛の声。二人の兄は誇らしげに胸を張り、父から領主の証である紋章を受け取った。絵に描いたようなエリートコースの発令式だ。


 そして——父の冷え切った視線が、末席の俺へと向く。


「三男タクミには、本日の成人の儀をもって、北方の最果て……辺境領『デッドエンド』の管理を命ずる」


 一瞬の静寂。直後、広間はクスクスという嘲笑と、ヒソヒソ話に包まれた。


「デッドエンドだと……? 魔物がウヨウヨいる死の土地じゃないか」


「まともな畑ひとつない、毎年赤字を垂れ流すだけの不良債権ですわ」


「実質的な追放宣告だな。無能な三男坊にはお似合いだ」


 貴族や使用人たちの侮蔑の視線が突き刺さる。


(よし、来た。ここからが本番だ)


 俺は——前世の営業時代に培った『土下座も辞さない渾身の演技』を発動した。


「ち、父上! そんな殺生な!」


 大げさに膝から崩れ落ち、悲痛な顔で父の足元にすがりつく。


「あの魔境へ行けとは、野垂れ死ねと仰るのと同じです! 私を完全にお見捨てになるおつもりですか!」


「見損なうぞ、タクミ。お前にもローゼンベルクの血が流れているのだ。己の力で切り拓いてみせよ」


 白々しい建前を口にする父の目は、「さっさと目の前から消えろ」と語っている。


 長兄のギランが、鼻で笑って見下ろしてきた。


「諦めろよ、タクミ。無能なお前にはあのゴミ溜めがお似合いだ。文句があるなら伯爵家から籍を抜いて、平民として生きるんだな」


(……いいぞ兄上、最高のアシストだ。『絶縁』は今、そちらから提案された。この場の全員が証人だからな)


 心の中で舌舐めずりをしつつ、俺は震える声で哀願を続ける。


「わ、分かりました……辺境へ、赴きます。ですが、せめてもの情けとして、私に『裁量権』をください!」


「裁量権だと?」


「はい。私が責任を持って、あの土地の維持管理を行います。その代わり、『領地に関する一切の権利』と『向こう五年間の免税特権』をお認めいただきたいのです。そうすれば実家には、援助も赤字補填も一切求めません! もちろん、五年が過ぎましたら税を上納いたします」


 父の眉が、ピクリと動いた。


 俺が持ちかけたのは、不動産用語で言う『マスターリース(一括借り上げ)』に見せかけた——その実、土地のあらゆる権利をこちらへ移転させる『完全な売買契約』だ。


 伯爵家から見れば、帳簿を汚し続ける不良債権を資産から切り離せる上、五年後からは座っていても税収が入る。都合が良いにも程がある申し出だろう。


 案の定、ルイスが吹き出した。


「ははっ! あんな土地の権利が欲しいだって? 魔物だらけの荒れ地だぞ。現時点の価値なんて『銅貨数枚』にも満たない! お前は、あんなゴミみたいな土地が欲しいのか!」


「今の私には、それしか縋るものがないのです……っ! お願いします、父上!」


 床に額を擦り付けながら、俺は内心で算盤を弾く。


 ——この世界に、まだ『不動産投資』の概念はない。


 だからこそ、だ。三国の国境が交差するあの土地が五年後、莫大な富を生む物流拠点に化けた時。実家が「やはりあの土地は伯爵家のものだ」と利益を横取りしに来ることは、火を見るより明らかだ。


 ならば、土地の価値が『ほぼ底値』である今この瞬間に、将来の紛争の種をすべて摘み取る契約を結んでおく。仕込みは安いうちに。投資の鉄則である。


 父はしばし打算的な目を細めていたが、やがてフッと鼻を鳴らした。


「よかろう。あの不良債権の管理費が浮き、五年後にわずかでも税を納めるというのなら、好きに開発するがいい。所有権の移転契約も結んでやろう」


「あ、ありがとうございます……!」


(——言質、頂きましたよっと)


 俺は執事が運んできた羊皮紙に、この日のために十年間、頭の中で推敲し続けてきた条文を一気に書き上げた。


 我ながら、俺に圧倒的有利な契約書である。


 ——まあ、あちらの目には、自分たちが圧倒的有利な条件に見えるよう書いてあるのだが。


  ◆◆◆◆


【辺境領デッドエンド譲渡並びに絶縁に関する誓約書】


前文 グランディール王国伯爵グレゴール・フォン・ローゼンベルク(以下「甲」)と、その三男タクミ(以下「乙」)は、乙が魔力・剣技の適性を欠き、家門の武名に資する能力を持たざることを自認し、自ら相続権を放棄して辺境の地に退くことを願い出たことに鑑み、家名の静穏と乙の糊口のため、以下の通り誓約する。


第一条(本領の定義) 本誓約において「本領」とは、王国検地台帳に不毛地と記載される辺境領デッドエンドの全域をいい、その地表・地下・水源・空域、既知未知を問わず域内に存する一切の資源、鉱脈、魔力脈、遺構、及び生息する魔物を含む。


第二条(譲渡) 甲は乙に対し、本領に係る所有権、統治権、開発権、徴税権、採掘権、水利権、通行権の設定その他一切の権利を、代金金貨一枚をもって永久に売り渡す。甲は同代金の受領をここに確認する。


第三条(相続権の放棄) 乙は、ローゼンベルク家の家督、爵位、及び本領以外の所領・財産に関する一切の相続権を、将来にわたり放棄する。


第四条(絶縁及び相互不干渉) 甲及びローゼンベルク家一門(分家、家臣、並びにこれらの指図を受けて行動する者を含む。以下同じ)は、本領の統治、立法、開発、交易、外交、人事その他一切の事項に対し、名目の如何を問わず、指図、課税、徴発、駐兵、立入、封鎖、買占め、流言による干渉を行わない。乙もまた、甲に対し扶助、援軍、金銭その他一切の支援を求めない。


第五条(租税の免除) 甲の徴税権に基づき本領に課しうる一切の租税、関税、賦役、軍役は、締結の日より五年間これを全額免除する。期間満了後の賦課は本領の年間産出の百分の一を超えないものとし、その査定は商業ギルド公証院の公証によるものとする。


第六条(違約の効果) 甲又は一門が、手段の如何を問わず第四条に違背して本領の権利を侵害したときは、次の効果が直ちに生じる。


一、乙及び本領は、甲及びその上位主権より完全に独立した主権を有するものとし、甲はこれを承認して将来にわたり異議を唱えない。


二、甲は乙に対し、違約時点における甲及び一門の総資産を上限とする違約金を支払う。


三、前二号の効果は、違約行為の中止後も消滅しない。


第七条(原本の保管) 本誓約書は同文三通を作成し、甲乙が各一通を保持し、一通は商業ギルド公証院が原本として封印保管する。写しと原本に齟齬あるときは原本による。当事者による破棄、改竄、隠匿は第六条の違背とみなす。


第八条(血判) 甲、乙及び立会人は各自の血をもって判を捺す。血判には捺印者の魔力紋が宿り、本人の捺印であることは何人もこれを覆せない。


第九条(手切金) 甲は乙に対し、手切金として金貨百枚を支払うものとする。乙は以後、ローゼンベルク家の所領への立ち入りを禁じられる。


王国暦1050年4月1日


甲 ローゼンベルク伯爵 グレゴール・フォン・ローゼンベルク(血判)


乙 タクミ・フォン・ローゼンベルク(血判)


立会人 ギラン・フォン・ローゼンベルク/ルイス・フォン・ローゼンベルク/商業ギルド公証人


  ◆◆◆◆


 書き上げた誓約書を、恭しく父へ差し出す。父は流し読みし、最後の一条で眉を吊り上げた。


「おおむね、よかろう。……だが、この第九条。手切金だと? お前にくれてやる金など、この家には一枚もない。削除しろ」


「は、はいっ。欲をかいてしまい、申し訳ございません……直ちに削除いたします」


「この期に及んで乞食のような条文を捩じ込むとは、本当に情けないやつだな」


「ああはなりたくないね」


 兄たちが口々に浴びせる嘲りを、俺は俯いて受け流す。


(……狙い通り。第九条は、最初から削らせるための『生贄の条文』だ。人間、一箇所「勝った」と思えば、残りの検分が甘くなる)


 交渉の初歩——相手に花を持たせる場所を、あらかじめこちらで用意しておくこと。


 果たして父は上機嫌で九条に横線を引き、他の条文を戻って読み直そうとはしなかった。


 と、横から契約書を覗き込んだルイスが、第六条を指で叩いた。


「おい、なんだこの『違約金』だの『独立』だのという大仰な条文は。生意気だぞ」


「……お、お許しください! あの地では、山賊にも魔物にも、私はこの紙切れ一枚しか盾にできないのです……! どなたも攻めて来られないのなら、永遠に眠ったままの条文にございます。どうか形だけでも、臆病者にお守りを持たせてやってください……!」


「はっ、紙の盾だとよ! 似合いすぎて涙が出るぜ」


 ギランの哄笑が広間に響き、貴族たちも釣られて笑った。


(そうだ、笑ってくれていい。誰も手を出さなければ、決して目を覚まさない条文だ。——お前たちが約束を守れるなら、だがな)


 そこで俺は、招待客の中に目当ての人物を見つけた。恰幅の良い、商業ギルド公証院の老公証人だ。


「父上。幸い本日は、公証院の御方もお見えです。後日、私が『そんな紙は知らない』などと泣きついては家名の恥。どうか原本の封印保管を、正式にお願いできませんでしょうか」


「ふん、良い心がけだ。二度とこの家に泣きつけぬよう、キッチリと固めておくがいい」


 絶縁を公にできるのだから、父に断る理由はない。


 歩み出た公証人の指揮で同文三通が清書され、俺は懐から金貨を一枚取り出すと、震える手つきで——内心は厳粛な気持ちで——両手に捧げ持ち、父へ差し出した。


「第二条の、代金でございます。どうか、お納めください」


「「ぶはっ!」」


 兄たちが同時に吹き出した。金貨一枚で赤字の領地を買う無能。広間の笑いは最高潮に達し、父は嘲笑とともにそれを摘み上げ、袖の内へと落とした。


(——受領、確認。これで売買は成立だ)


 そして、血判。


 針で指先を突き、拇印を捺す。血に宿る魔力紋が反応し、判は淡い光を帯びて羊皮紙に焼き付いた。魔力量が平民以下だろうと、紋は紋。誰にも偽造できない、世界にひとつの署名だ。


 父が捺し、俺が捺し、立会人として兄二人が「絶縁記念だ」と笑いながら捺す。


(はい、お二人とも。これで晴れて契約の当事者です。ご協力に感謝しますよ)


 最後に公証人が魔封蝋で原本を封じ、恭しく一礼した。この瞬間、この契約は商人世界全体を証人にしたことになる。


 笑いたければ笑え。総取得費用、金貨一枚。辺境領デッドエンドの空も大地も、その下に眠るすべても、いま法的に俺のものになった。前世を含めた全キャリアで、間違いなく史上最高の仕入れだ。


 深々と一礼し、俺は嘲笑の海の中を出口へと歩き出す。思わず、上がってしまいそうになる口角を手で覆い隠しながら。


 その途中——招待客の列の端で、セリアと目が合った。


 彼女は、笑っていなかった。誰もが嘲る中でただ一人、何かを検分するような理知的な瞳で、じっと俺を見ている。


(……そういえば君は、五年前、見抜いたんだったな。俺の呼吸が、乱れていないことを。まぁ、でも流石の君でもこれは分からないだろう)


 俺は素知らぬ顔で視線を外し、大広間を後にした。


 胸元には、丸めた羊皮紙が一本。


 周囲の目には惨めな絶縁状と映っているだろうそれは、俺にとっては建国の設計図であり——長すぎたブラック家業への、正式な退職届だった。

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