第三区画「死の土地の開発を行うことに決めたようです」
更に数年。
俺は十代半ばに差し掛かろうとしていたが、相変わらずローゼンベルク伯爵家からは完全に『透明人間』として扱われていた。
稽古に呼ばれることも、座学の教師がつくこともない。
だが、その放置環境こそ、まさに追い求めていたものそのものだった。
無能な三男坊の行動に気を留める者などこの屋敷にはいない。
俺は誰の目も気にすることなく、領主の館にある広大な図書室の蔵書や、書庫の奥で埃を被っていた古い税収記録、果ては王国の法律に関する分厚い帳簿まで読み漁る日々を送りつづけていた。
「……なるほど。見えてきたぞ」
カビの匂いがする過去の財務記録をパラパラと捲りながら、俺は一人、黙々と状況の整理を進める。
このグランディール王国をはじめとする世界には、魔法の源である『マナ』というエネルギーが地脈を流れている。
マナが濃い土地ほど良質な農作物が育ち、地下には希少な鉱石や魔石の鉱脈が形成される。
つまり、『マナの濃度=土地の資産価値』だ。
我がローゼンベルク伯爵家の主な収入源は、要するに『悪質な土地転がし』と『小作農からの搾取(重税)』だった。
武力や政治的権力にモノを言わせてマナの豊かな土地を下位の序列の貴族たちから強引に買い叩き、平民たちに法外な小作料で貸し出しているだけ。
「テナント(領民)の選別や育成を完全に放棄し、土地の付加価値を高める設備投資など一切行わない。デベロッパー視点で言えば、三流以下の『焼畑商業』だな」
俺は呆れ果ててため息をついた。
前世でゼネコンに不動産管理から大手デベロッパーの都市再開発まで、通算二十年間を不動産業界の実務に全てを捧げた俺からすれば、父親のやっていることなど、正気の沙汰ではない。
「こんな近視眼的な利回り最優先の経営じゃ、いずれ土地が痩せて領民が逃げ出すぞ。これだけの広大な領地があれば、もっと上手く『その土地ごとのポテンシャル』を引き出せるはずなのに、もったいない……」
俺は本を閉じ、小さく息を吐いてから『それ』を発動させた。
「——【万象の鑑定眼】」
小さく呟いた瞬間。
俺の視界に、空中に浮かび上がる青白い半透明のAR(拡張現実)ディスプレイのようなものが展開された。
過労死した俺を不憫に思った女神から授かった、俺だけのチートスキル。
視線を向けた図書室の立派な大黒柱には『耐久年数:残り十五年 / 内部にシロアリの被害あり。三ヶ月以内の防虫工事を推奨』という赤字のポップアップが浮かび、足元のペルシャ絨毯には『市場価値:銀貨二枚 / マナ含有量微小』というタグが表示されている。
俺はこの数年、この眼を使ってこの世界のあらゆる実情とデータを頭脳にインプットしてきた。
図書室の窓から、領地の街並みを見下ろす。
貴族が住む一等地のエリアには、魔石を動力源とした街灯や、魔法具による簡易的な水洗トイレなど、ある程度のインフラ設備が整っている。
しかし、少し視線を平民の住む居住区に向けた途端、【鑑定眼】のディスプレイは激しい警告音と共に赤色のアラートで埋め尽くされた。
『警告:下水道設備の未整備。汚水滞留による悪臭レベル5』
『警告:生活用水の汚染度70%。疫病発生リスク大』
『警告:建築物の構造的欠陥。耐久度20%以下。震度4クラスで倒壊リスク大』
「……一部の金持ちだけが魔法で豊かな暮らしをして、民衆のインフラ整備は完全に自己責任。公衆衛生の概念が中世ヨーロッパレベルで止まってるな」
前世にゼネコンで七年間泥臭く現場監督を務めた俺の血が、静かに騒いだ。
どんなに立派で華やかな上物を作っても、上下水道や道路、人々の生活を根底から支える『インフラ』が整っていなければ、そこは人が安全に暮らす街とは呼べない。
病気や不衛生な労働環境は、領民の労働意欲を削ぎ、離職率を高め、結果的にその土地の資産価値を暴落させる。基礎工事を怠ったビルが必ず崩壊するのと同じ理屈だ。
「街づくりとは、何も建物や道路を造るだけじゃない。そこに住む人々、自然、そして土地との共生。安全性と顧客満足度を第一に考えてこそ、永遠に利益を生み続ける良い街になる」
窓枠に寄りかかりながら、俺は独り呟く。
「もし俺が自分の領地を持つなら、まずは徹底的なインフラ網の整備からだな。完全な上下水道、舗装された物流道路、そして清潔な公衆浴場に公衆便所……やるべきことは山積みだ」
俺は空想の街づくりを思い描きながら、図書室の奥にある巨大な『大陸全土地理大全』をテーブルに広げた。
魔力も剣術の適性もないと判定された俺が、豊かな領地をもらえるはずがないことは百も承知だ。
だが、どこか一箇所でも、実家のしがらみが及ばない、俺の裁量で完全に自由にできる『白紙の土地(更地)』さえ手に入ればーー。
大陸地図の上を這うように【鑑定眼】の視線を走らせていた、その時だった。
ふと、視界の最北端で「とんでもない数値」が跳ね上がり、ディスプレイが黄金色に発光した。
『ポテンシャル評価:測定不能』
『推定地下資源:SSSクラス魔力泉、超高純度ミスリル鉱脈』
『立地評価:大陸間物流の最重要ハブ候補』
「……これは、以前に見た死の土地、前見たときは、数値まで詳しく見なかったが、だが、これは……」
俺は思わず立ち上がり、地図のその地点を凝視した。
そこは、ローゼンベルク家の領地の最果て。魔物が跋扈し、農作物も育たないため、長年『不良債権』として完全に放置されている死の土地——辺境領『デッドエンド』
俺は震える手で、その土地の広域情報をさらに深く解析した。空中に浮かび上がる膨大なデータ群を見て、俺は息を呑んだ。
デッドエンドは、世間で言われているようなただの魔境ではない。
俺の祖国である人間中心の農業国『グランディール王国』、魔法薬の特産地であるエルフたちの『アルフヘイム大森林』、そして最高級武具の産地でありながら物流が死んでいるドワーフの『ガルドラ山岳国』。
この異なる三つの巨大な経済圏が、たった一点で交わる「結節点」に位置しているのだ。
考えてみれば、強大な魔物が出る理由も明白だ。その地下に、大陸最大級の「マナの源泉」と未発掘の資源が眠っているからだ。魔物たちは良質な栄養源を求めてそこに押し寄せているだけに過ぎない。
「……魔物が多すぎて危険? 違う。マナが濃くて資源が無限に等しい『超一等地』だ。おまけに三つの国の交差点。もしここに『安全な物流拠点』を作って関税をコントロールできれば……この世界の物流と経済を完全に独占できるぞ……!」
これだ。ここしかない。
武力と面子しか頭にない父や兄たちには、永遠に気づけない価値。
しかし、都市計画のプロであるデベロッパーの視点から見れば、ここは世界中から商人と富が集まる『メガロポリス』の最有力候補地だった。
「やってやる。俺だけの、誰にも縛られない理想のホワイト国家を、この死の土地から創り上げてやる」
間もなく、俺は十五歳の「成人の儀」を迎える。
ローゼンベルク家の通例であれば、武術や魔法の才能を持つ者は王国の騎士団に配属されるか、貴族のエリート養成学校へと進む。そして数年後に領地へ戻り、豊かな土地の管理辞令が下る手はずだ。
実際、兄たちはそれぞれ騎士団や学校を卒業し、今年に管理領地を与えられる。
だが、適性なしの不良債権である俺にそんなルートは用意されていない。
恐らく、親父たちは成人の儀という絶好のタイミングで、俺を体よく一族から追い出すつもりだろう。
そして間違いなく、あのゴミ溜め扱いされている『デッドエンド』の管理という名目で、俺を左遷(事実上の追放)するはずだ。
「向こうから押し付けてくるなら、これほど都合のいい話はない。だが……ただ追い出されるだけじゃ、後で街が発展した時に必ず利権を横取りしに来る」
俺は図書室の机に羊皮紙を広げ、羽ペンを手に取った。
来るべき独立の日に向けて。やらなければいけない事は山積みだ。
頭の中に浮かぶ、上下水道の配置、用途地域のゾーニング、巨大な複合施設の図面……
それらハード面の設計も重要だが、今は何より『法務面の防具』が必要だ。
「王国検地台帳上の不毛地は、管轄領主の裁量で処分できる……王国の法律にはそう規定されている。親父は独断であの土地を切り捨てることができるわけだ」
俺はニヤリと笑い、一枚目の羊皮紙に『辺境領デッドエンド譲渡並びに絶縁に関する誓約書』と書き殴った。俗に言う「血判状」の草案だ。
素人を陥れるための、悪魔の契約書。
「まず第一条。領地の定義に『域内に生息する魔物を含む』と明記する。これでデッドエンドに住み着いている魔物は、全て俺の『合法的な資産』になる。次に第二条。下賜や贈与ではなく、『金貨一枚をもって永久に売り渡す』とする。これで売買契約が成立し、家長権限でも取り消せなくなる」
俺は前世で培った契約法務の知識を総動員し、ペンを滑らせていく。
第三条で他の相続権を全て放棄し、親父たちを油断させる。そして第四条で、実家やその息のかかった商会からの干渉を一切禁じる「不干渉条項」を叩き込む。第五条で、五年間の完全免税を約束させる。
「そして心臓部となる第六条だ。もし実家がこの契約を破って少しでも領地に干渉した場合、違約金として『実家の総資産額』を支払う。さらに、王国から完全に独立した主権を自動的に得る……と」
一見すると、ただの無能な息子を辺境へ追放するための『厄介払いの証文』
しかしその実態は、実家からの搾取を完全に防ぎ、いざという時には実家を破産寸前にまで追い込める絶対不破の『独立建国の設計図』だ。
「完璧だ。あとは、これに多少の細工をして、成人の儀の公開の場で、あのプライドの高い親父に泣き落としで飲ませてやる」
来るべき逆転劇に向けた罠を仕込みながら、俺は図書室の薄暗いランプの下で、この世界を根底から覆す『都市計画の設計図』と『最強の契約書』を密かに完成させていったのだった。




