第四十五区画「領主はさっそく内見会を開くようです」
十月三十日。開業の、二日前。
朝礼のあと、俺はアエルナの正門前に、関係者を集めた。店を出す者、働く者、そして幹部一同。総勢五十人ほどが、まだ客の入っていない建物の前に並んでいる。
その中には、テオの姿もあった。
「本日は、内見会をやる」
「ないけん、かい?」
ザグが鍋兜を傾げた。
「開ける前に、中を見て、使い方を覚えてもらう会だ。……ハコってのは、建てただけじゃ一銭も生まない。中で何がどう動くかを、全員が飲み込んで、初めて値が付く」
セリアが、抱えていた紙の束を配り始めた。
受け取った瞬間、あちこちから声が上がる。
「……これは」
「絵、はいってる!」
「おい待て、これ、全部同じ絵じゃぞ。写しにしては、線が揃いすぎとる」
バルガスが自分の刷った物に自分で驚いていた。
館内図である。
板に彫って、墨を乗せ、紙に押した。彫ったのは棟梁と、エルフの木彫の職人。要するに、版を作って刷ったのだ。百二十枚を三日で。
「タクミ様。この方式、他にも使えます」
セリアの目が、いつになく光っていた。
「規約の写し。掲示。値札。それから——」
「引札だな」
「ひきふだ?」
「客を呼ぶための、刷り物だ。『十月一日、開きます』と書いて、街道と隊商にばら撒く。同じ紙を、何百枚でも」
テオが、糸目を限界まで見開いて手を挙げた。
「……タクミ様。恐れながら、その技、手前に扱わせていただくわけには」
「後で話そう。今日は、館内の話だ」
◆◆◆◆
「まず、番号の話をする」
俺は、館内図の右下を指した。
「この建物の区画には、全部、番号が振ってある。一番から十三番までが、大広間の貸し台。十四番が食堂、十五番が宿の帳場、十六番が湯屋。十七番が薬局、十八番が治療院。十九番が鍛冶直売所。二十番が酒蔵直売、二十一番が茸と乾物、二十二番がテオへの貸区画。二階の客室は、二十三番から三十四番だ」
「……領主どの。名前でよかろうが。『茸屋』と言えば済む」
「言えるうちはな」
俺は、館内図を掲げた。
「考えてみてくれ。開業したら、うちにはガルドラの商人も、王国の隊商も、ファルサの連中も来る。訛りも違えば、言葉も違う。そこで『あの、髭の親方の隣の、樽の置いてある店』と説明するのと、『二十番』と言うのと、どっちが早い」
「……ぬう」
「番号は、名前より早い。しかも、揉めない。苦情が来た時も、荷物を届ける時も、迷子が出た時も、番号一つで場所が決まる。……名前は変わるが、番号は変わらないんだ」
「番号は、変わらない」
ザグが、そこだけ復唱した。この男は、変わらないものが好きである。
「そう。店子が入れ替わっても、その番号はそのままだ。だから記録が続く。去年の何番はいくら売った、今年はどうだ、と比べられる。比べられるものだけが、良くなっていくんだ」
セリアが、静かに補足した。
「なお、番号は帳簿の科目としても機能します。家賃、売上、苦情、修繕。全て番号で紐づけます」
◆◆◆◆
「次に、絵の話だ」
館内図の隅には、小さな四角い絵記号が並んでいる。
「字の読めない者が、うちには大勢いる。旅人ならなおさらだ。だから、大事な場所には全部、絵をつけた」
俺は、一つずつ指した。
「水の滴が、厠。手のひらが、手洗い場。葉と杯が、治療院。天秤が、両替所。柄杓が、水飲み場。……赤い印は、火の用心の水桶だ。この六つだけは、館内のどこにいても、必ず目に入る高さに掛ける」
「……字を、覚えなくていいのですか」
エルフの若者が、遠慮がちに訊いた。
「覚えたい奴は覚えればいい。だが、厠に行くのに読み書きの試験を受けさせる建物は、俺は建てない」
輪の後ろで、老エルフが小さく笑った。
……読めない者のために読み上げる。あの契約の第十条から、うちの街はずっと同じ理屈で動いている。
◆◆◆◆
「では、中へ入ろう。歩きながら説明する」
正門をくぐる。風除室を抜けて、大広間へ。
初めて中に入った店子たちが、揃って上を見た。天窓から落ちる光の柱。高い天井。弓なりの梁。
「……ひろい」
「教会みたいじゃ」
と、その時。若いドワーフの一人が、遠慮がちに手を挙げた。
「あの、領主どの。……前から、訊きたかったことが」
「なんだ」
「なぜ、木で建てたんですか」
場が、静かになった。
……ああ、なるほど。そう来たか。
「石の民として、腑に落ちないか」
「その、俺たちは石の街で育ったんで。ガルドラの大きな建物は、みんな石です。木を使っているのは、意匠を凝らせと言われた、大聖堂くらい……。石は燃えん。腐らん。何百年でも保つ。……なのに、この街で一番大事な建物が、木で」
もっともな疑問である。しかもこれは、職人の誇りの問題でもある。
俺は、天井を見上げた。弓なりの梁が、交差している。
「三つ、理由がある。順に話す」
俺は指を折った。
「一つ、速さだ。石でこの広間を二月で建てるのは、無理だ。あんたたちの技をもってしても無理だと、あんたの棟梁が言った」
「言うたな。……あれは、正直な見立てじゃ」
「二つ、この土地の冬だ。石は冷える。木は、石ほど冷えない。ここは、人が集まって、飯を食って、湯に入って、長居してもらう建物だ。……冬に客が居座れる方が、儲かる」
ここまでは、実務の話だ。
「そして三つ目」
俺は、輪の中のエルフたちの方を見た。
「石で建てたら、この建物は、ドワーフだけの仕事になっていた」
空気が、変わった。
「森の民には、木の技がある。何百年も木と暮らして磨いた技だ。弓なりの梁も、木裏木表の見立ても、葉枯らしも、全部あんたたちのものだ。……石造りの広間じゃ、その技を使う場所が、どこにもない」
リーフェが、小さく息を呑んだ。
「……それで、木を」
「そうだ。この建物は、三種族が一緒に建てる必要があった。石の基礎に、木の軸組み。石の民が下を支えて、森の民が上を組む。ゴブリンが、その全部を運ぶ。……そう作らないと、意味がなかった」
しん、とした。
「揉め事を減らす一番いい方法は、規約を作ることじゃない。同じものを、一緒に作らせることだ。……管理規約を書いた張本人が言うんだから、間違いない」
バルガスが、ふん、と鼻を鳴らした。
「……最初から、そのつもりで木にしたか」
「そのつもりだった。——文句があるか、棟梁」
「あるわけがなかろうが。……ワシらの基礎の上に、あやつらの梁が載っとる。あれを見て文句を言う職人は、職人ではない」
◆◆◆◆
……もっとも、と俺は内心で付け加える。
前の世界の俺は、木造の専門家では、まったくなかった。
新卒で入ったのは、大手建設会社だ。二十代から三十代の頭までを費やしたのは、鉄骨鉄筋コンクリートという造りの高層の建物ばかりだった。
鉄の骨を組み、その周りに鉄の筋を編み、型枠を組んで、そこに石の泥を流し込んで固める。事務所ビル、商業施設、駅前の再開発。図面に木の字が出てくるのは、内装の仕上げくらいのものだ。
木造をやったのは、最後の方の二年だけ。子会社の住宅の部門へ出された時である。
当時は、正直、腐った。畑違いの分野へ回されて、扱うのは一戸建て。同期は駅前の高層をやっていた。これは左遷だと思った。
今にして思えば、俺は左遷されるたびに、何かを覚えている人生だったらしい。
だが、あの二年がなければ、今日この建物は建っていない。
木裏と木表。継手と仕口。棟上げの作法。屋根から菓子を撒く風習も、あの時に覚えた。何も分からなかった俺に一から色んなことを叩き込んでくれた、職人達がいたから、今がある。
……この世界へ来て真っ先に役に立ったのは、俺が一番遠回りだと思っていた二年間だった。
人生の何が資産になるかは、死んでも分からない。
……いや、俺の場合は、死んでから分かることができたのだ。
◆◆◆◆
そして、もう一つ。
俺は、足元に目を落とした。石の基礎が、木の軸組みを支えている。
——いつかは、こっちもやりたい。
石灰窯は、もうある。焼いた石灰に、砂と、砂利と、水を混ぜてやれば、固まる泥ができる。それを型に流し込んで、中に鉄の筋を仕込めば、この世界の誰も見たことのない建物を作ることができる。
燃えない倉庫。腐らない橋。三階建て、四階建て。水を溜めても漏れない槽。冬に凍っても割れない水路。
鉄はある。ドワーフがいる。石灰もある。砂も砂利も、セレン川がいくらでも吐き出してくる。そして、交易都市として、栄えれば、いくらでも、資源は手に入る。
……材料は、全部揃っているのだ。
足りないのは、時間と、失敗する回数だけ。
あの造りは、一度でも配合を間違えると、固まったものが後から崩れる。試して、割って、また試して。それを何十回もやる時間が要る。
今年は時間がなかった。だが、来年、再来年はきっと。
「タクミ様?」
セリアの声で、我に返った。
「……いや。次に建てる物のことを、少し考えてた」
「アエルナが、まだ開いてもいないのに、ですか」
「ああ、デベロッパーってのは、そういう生き物なんだ」
俺は、将来の期待に胸を膨らませながら、内見へと戻ることにした。




