第四十三区画「エルフとドワーフは合作するようです」
【九月中旬・立ち上がる】
基礎の上に土台を据え、柱が立ち始めると、現場の景色は日ごとに変わった。
この頃から、俺の眼は連日フル稼働になった。
『梁材(第七号):強度・規定値の九割二分/南面の主梁には不適/北の小屋組みなら可』
『継手(渡り顎・第十四号):適合/施工品質・良』
「棟梁。この七号材、南の梁に回すのはやめてくれ。北の小屋組みなら問題ない」
「……ふん。よう見えとるのう。ワシも、こいつは少し粘りが足らんと思うとった」
「なんで分かるんだ」
「叩いた音じゃ」
うちの棟梁の耳は、査定スキルと同じ精度で仕事をするらしい。
そして、これが効いた。
刻む前に不良材を弾く。据える前に精度を見る。組んだ直後に噛みを確かめる。この工事で、刻み直しになった材は、二月を通して四本だけだった。
「……四本」
バルガスが、記録係の板を見て呻いた。
「ガルドラの大聖堂は、三十年で五千本、薪にしたと聞いとるぞ」
「そりゃ三十年もやってりゃな」
◆◆◆◆
九月の中頃、俺は現場を止めて、板に大きな表を書かせた。
用語の、すり合わせ表である。
というのも、初日から三種族で会話が成立していなかったのだ。ドワーフの「一尺」とエルフの「一枝」が違う。同じ横材を、ドワーフは「桁」、エルフは「渡し木」、ゴブリンは「ながいの」と呼ぶ。「太いの」と「でかいの」の区別がつかない。
現場で寸法が通じないのは、事故に直結する。
「今日から、この街の現場は、この呼び名と、この寸法で統一する。全部覚えろ。覚えるまで、板を見ろ」
「……領主どの。お主、なんでこんな面倒なことを思いつく」
「うちの市場に、公定の桝と秤を置くだろ。同じことだ。測る物差しが人によって違う場所では、正直な取引も、安全な現場も、成り立たない」
この板は、後に食堂の壁へ移され、うちの街の職人用語集の第一版になった。三種族の呼び名が三列に並んだ表で、一番右の列が「ながいの」「ふといの」のままだったのは、子ゴブたちの強い抵抗によるものである。
◆◆◆◆
建て方の日。
柱を建て、貫を通し、梁を掛ける。地面に寝ていた材が、次々と立ち上がっていく日だ。
この日ばかりは、現場に見物人が出る。畑仕事のエルフも、窯番のドワーフも、手を止めて眺めていた。
柱が二十本並んだ時、記録係の子ゴブが叫んだ。
「もり、できてる!」
……確かに。柱の林である。
仕口の刻みでは、若い衆が張り合った。ガリム、笛の英雄である彼は、大工仕事もやると、エルフの若い木工職人が、いつの間にか「どちらが早く、きれいに刻めるか」を競い始めたのだ。
「ふん、石の民の刻みは、力任せだ」
「森の民の刻みは、遅い。日が暮れるぞ」
昼過ぎ、二人が同時に刻んだ二つの仕口を、バルガスが検分した。
「……ガリム。速さは、お前が勝ちじゃ。じゃが、噛みはこっちが上じゃな」
「なっ」
「木の目を読んでおる。木裏と木表を、逆に使っとらん。お前、これで一度、ワシに殴られたじゃろうが」
ガリムが、頭を抱えた。
夕方、その二人が並んで座り、互いのノミを見せ合っているのを見た。片方は分厚い石屋仕込みのノミ、片方は薄く長い森のノミである。
「……その角度、なんで寝かせてある」
「粘る木を切るのに、立てた刃は要らない。……そちらのノミは、なぜそんなに厚い」
「石も叩くからじゃ」
「石を、ノミで?」
「叩くわい」
技術交流というのは、大抵、こういう風に始まる。
◆◆◆◆
【提案モードと、三つの案】
中央の大広間の構造で、俺の提案モードは、初めて三つ目の案を出してきた。
『一案:直交梁の総二階(伝承元:バルガス)最も堅い。材の量、多い』
『二案:小屋束を用いた大空間(伝承元:バルガス+ガルドラ大聖堂の記録)中央に柱の少ない広間が可能。工数、増』
『三案:木組みの弓なり梁(伝承元:銀葉の氏族・樹上住居の技法)軽く、しなり、高い天井が取れる。ただし、木の目利きが必須』
……三案目が、新しい。
エルフが入ったことで、この街の「知識の在庫」が増えたのだ。
「二案と三案を、組み合わせられるか」
『照合中——可能。中央の大空間に三案の弓なり梁を用い、荷重は二案の小屋束で受ける。ただし、木の目利きと石の据えの両方が要る』
「つまり、ドワーフとエルフの合作じゃないと、建たない」
……そして、ここが肝心なところだ。
もし俺にこの機能がなければ、この組み合わせに辿り着くには、試作と失敗を何度も繰り返すしかない。小屋束を組んでみて、弓なり梁を載せてみて、駄目で、また解いて。……それだけで、二月が消える。
それを、机の上で済ませられる。
「試してみる」の代わりに「先に答えを知る」。この力の本当の価値は、そこにある。
俺は図面を巻いて、二人を呼びに行った。
◆◆◆◆
現場の隅に、バルガスとリーフェと、双方の職人を集めた。図面を広げ、三案の絵を並べる。
最初の三十分は、控えめに言って、地獄だった。
「この弓なり、というのは、なんじゃ。梁は真っ直ぐが基本じゃろうが」
「……木は、真っ直ぐには育ちません。曲がろうとする力を殺して真っ直ぐに使うより、その力を活かした方が、木は長持ちします」
「長持ちの話はしとらん。強度の話をしとる。曲がった材の許容の荷重を、どう計算する」
「計算では、しません。木を見て、決めます」
「見て決める、じゃと?」
——駄目だ。噛み合っていない。
いや。噛み合わないのではない。同じことを、違う言葉で言っているだけだ。
「待った。二人とも、一回止めてくれ。……バルガス、あんたはさっき、七号材を叩いた音で『粘りが足らん』と言ったな」
「言うたが」
「それは、計算か?」
「……いや。耳じゃ」
「リーフェ。君の言う『木を見て決める』は、当てずっぽうか?」
「まさか。……年輪の詰まり方、節の位置、伐った季節、乾き具合。全部を見て、この木がどこまで曲げに耐えるかを見立てます」
「バルガス。それは、あんたの耳と同じことじゃないか?」
二人が、同時に黙った。
髭の奥の目と、森緑の瞳が、初めてまともに合った。
「……お前さん。木の見立てを、言葉にできるか」
「……はい。里では、それを子供に教えるための唄がありました」
「唄で教えるのか」
「石の民は、どうやって」
「金床の前で、殴られながら覚えるわい」
……教育方針には、依然として、深い断絶があるようだった。
だが、その日の午後には、二人は一枚の板の前で額を突き合わせていた。バルガスが寸法を入れ、リーフェが木目を指す。夕方には、若い職人たちが両側から覗き込んでいた。
三日後、修正された図面が俺のところへ来た。
中央の大広間は、弓なりの梁が交差する、高い高い天井になっていた。荷重はドワーフの小屋束が受け、意匠はエルフの木組みが担う。
『構造:適合/意匠評価:特級——大陸に類例なし』
……俺の図面より、明らかに、美しかった。
「棟梁。これ、俺の描いた線より、いいな」
「当たり前じゃ。お主のは、寸法の紙じゃ。これは、職人の紙じゃ」
◆◆◆◆
【九月下旬・雨】
九月の終わり、空が黒くなった。
北方の秋雨は、降り出すと平気で三日降る。そして俺たちは、ちょうど屋根の下地に取りかかる直前だった。
「まずいぞ。組みかけの軸に、水が入る」
「一晩で、養生の筵をかけるぞ! 継手の口を上に向けたままにするな!」
夕方から日暮れ後まで、篝火を焚いて、組みかけの木組みに筵と油布をかけた。全員がずぶ濡れになり、それでも終えた頃には、雨は本降りになっていた。
そこからの二日間は、地獄だった。
雨に打たれる現場を、詰所の窓から見ているしかない。工事は完全に止まった。工程表の上で、二日が丸ごと消えた。
「……六十一日のうち、二日です」
セリアが、帳面を睨んで言った。
「安全を確保した工期の余裕は、八日と見込んでいました。残り、六日」
「まだ余裕の中だ」
「はい。ですが、雨は、これから増える季節です」
十月の北方は、天気が崩れやすくなる。
その先には、二つの道がある。夜通し働かせるか、開業を延ばすか。
どちらを選ぶかは、もう決めている。それでも、雨の音を聞きながら考えないでいられるほど、俺は落ち着いた人間ではなかった。
三日目の朝、雨は上がった。
現場に出ると、水は綺麗に抜けていた。掘っておいた逃げ溝が、しっかり働いている。そして、足元の土が、崩れていない。
外周に、緑の帯があった。
「……これは」
着工の頃から現場の外周に張られていた、あの草である。
「儂らが張った草の根が、土を掴んでおるのです」
老エルフが、杖を突いて隣に立った。手持ち無沙汰だった着工二日目に、彼が自ら申し出た仮設の緑化だ。あの時の俺は、風で土が飛ぶのを防ぐ程度に思っていた。
「根は、網です。雨の日は、この網が土を持ちます。……森では、火の後に真っ先に草を張ります。土が流れれば、木は二度と戻りませんので」
「……日当を、上げよう」
「では、若い者を五人ほど、この仕事に足しても」
「頼む。外周を全部、草で囲ってくれ」
そして、木組みの検分である。
俺は組みかけの軸組を、端から端まで、全部触って回った。
『継手(第二十二号):濡れによる緩み・軽微/乾燥後、要増し締め』
『土台(西面):浸水なし/含水率、許容内』
『——構造上の問題:なし』
「……濡れた継手が十一箇所。乾いてから締め直す。それ以外は、無事だ」
「見ただけで、それが分かるのか」
「分かる。……これがなけりゃ、全部解いて確かめるところだ。それこそ十日仕事だぞ」
バルガスは、腕を組んで、雨上がりの木組みを見上げた。
「……領主どの。ワシは、お主の力を『待ちを消す力』と言うたな」
「言ったな」
「訂正する。あれは、やり直さずに済む力じゃ。……職人にとっては、そっちの方が有り難い」
その日の朝礼で、俺は全員に言った。
「二日、雨で止まった。工程は詰まってる。だが、夜通しの仕事はやらない。休みも削らない。代わりに、段取りで取り返す。今日から、屋根と、内装の下ごしらえを、別の班で同時に動かす」
誰も、文句を言わなかった。これから、本番が始まる。




