第四十二区画「領主は工期と無駄を削減するようです」
八月二十八日、着工。
十月二十八日、竣工。
——実働四十四日。休み十七日。暦の上では、二月。
あの二月のことを、順に書いていく。俺の二十年の現場暮らしで、あれほど疲れて、あれほど楽しかった日々は、前にも後にも、なかった。
◆◆◆◆
【着工前・二月で建てるための算段】
工期の話を最初にしたのは、地鎮祭の三日前だった。
図面を広げた執務室で、俺はバルガスに単刀直入に訊いた。
「これを、二月で建てられるか」
「無理じゃ」
即答だった。
「ガルドラで同じ規模の広間を建てるなら、石を切るところから数えて、一年半。急いで一年。……二月で建つのは、掘っ立て小屋じゃな」
「だろうな」
「分かっとるなら、なぜ訊く」
「その一年半の内訳を、教えてほしくてね。何に、一番日を食う」
バルガスは、髭を撫でながら、しばらく考えた。
「……待ちじゃな」
「続けてくれ」
「材じゃ。木を伐って、乾かすのに半年から二年。乾いとらん材で組めば、必ず狂う。石も、切ってから寝かせる。……それから、雪じゃ。北方では冬は仕事にならん。あとは」
彼は、渋い顔をした。
「図面が変わるたび、組み直しじゃ。あれを直せ、これを変えろとお偉方が言うてくる。刻んだ材が、ただの薪になる」
……ああ。どこの世界でも同じだ。前世で図面と工程表を睨んで二十年、俺が学んだことは、たった一つだった。
「バルガス。工期を食うのは、作業じゃない。待ちと、手戻りだ」
「……ふん?」
「実際に手を動かしてる時間は、案外短いんだ。工程表を色分けすると、大半が『何かを待ってる時間』と『やり直してる時間』で埋まってる。……だから俺は、作業を速くする気はない。待ちと手戻りを、片っ端から潰す」
俺は、紙に五つ書いた。
◆◆◆◆
『一、決裁待ち』
「王都の役所なら、図面の許しに一月かかる。商会なら、本店にお伺いを立てて、また一月。……うちは、施主と、設計と、監理が、全部同じ人間だ。しかも現場に立ってる。俺が決める。その場で決める。ここではゼロだ」
『二、検査待ち』
「材の強度を調べるには、前の世界では抜き取って、割って、試験して、書類にする。三日は消える。……ここでは、俺が見て、触れれば、終わる」
「その、目玉か」
「そうだ。継手の噛み具合も、石の据わりも、見れば分かる。検査の待ち時間が、丸ごと消える」
セリアが、静かに手を挙げた。
「監査の立場から申し上げます。検査の記録が『領主が見た』の一行では、少々乱暴かと」
「……もっともだ。じゃあ記録係をつけよう。俺が内容を読み上げるから、書き取ってくれ」
結果、この作業には子ゴブの「検査記録係」が三名配置され、彼らは日々『第七号、りょうしゅ、だめっていった』などと几帳面に書き続けることになる。後にこれは、うちの領で最初の施工記録台帳になった。
『三、試し打ち』
「二章の水路を思い出してくれ。試験施工で五日かけて、漏れて、崩れた。あれが普通なんだ。やってみないと分からないから、試して、失敗して、直す」
「……あれは、まあ、痛い五日じゃったな」
「今回は、それを机の上で潰す。この眼には、工法を突き合わせて比べる機能がある。三つの案を並べて、どこが弱いか先に出せる。……試し打ちが要らない分、日が浮く」
『四、材の乾き待ち』
「これが一番大きい。半年から二年だったな」
「そうじゃ。ここだけは、どうにもならん。木は、とにかく、待つしかない」
「——それを、どうにかする札を、明日貼る」
『五、手戻り』
「刻んだ材が薪になるのは、材が悪いか、図面が変わるかのどっちかだ。図面は俺が固める。材は、刻む前に俺が全部見る。……悪い材は、刻む前に弾く」
◆◆◆◆
バルガスは、五つの行を長いこと眺めていた。
それから、低く唸った。
「……お主のその力は、物を建てる力ではないな」
「違うな」
「待つ手間を、消す力じゃ」
「そうだ。よく分かってる」
俺は、紙を畳んだ。
「はっきり言っておく。札を貼っても、柱は勝手に立たない。石も勝手に積まれない。札は、槌を振らないからな」
「……ふん」
「実働四十四日。それは、削れない。あんたたちが手を動かさなきゃ、何も建たない。俺ができるのは、あんたたちが手を止めて待つ時間を、無くすことだけだ」
棟梁は、髭の奥で、ようやく笑った。
「ようやく、まともなことを言うたわい。……よかろう。二月、やってみるか」
◆◆◆◆
【八月末・地面より下の仕事】
着工の朝、最初にやったのは、建物の位置を地面に写す作業だった。
縄と杭で、外周をぐるりと囲う。角には貫き板を渡し、そこへ通り芯の墨を打つ。前世で「遣り方」と呼んでいた仮設だ。この縄の内側が、これから二月の戦場になる。
そして、水盛り。
水を通した長い管を渡して、両端の水面の高さで、基準の水平を出す。地味だ。地味の極みである。だが、ここで一寸狂えば、建物の全部が一寸狂う。
「バルガス。基準は、この一番杭の頭でいく」
「よかろう。ふん、水で高さを出すか。ワシらは糸と錘でやる」
「どっちが早い?」
「糸じゃ。だが、風の日は水の方が正しい」
結局、両方でやって、二つの答えが指一本の幅も違わなかった時、現場に、変な歓声が上がった。理屈の違う二つの技が、同じ答えを出す。職人には、これが一番面白いのだろう。
◆◆◆◆
掘り方の前に、俺は地面に手をついた。
『地盤(建物予定地・全域):硬質・良好/支持層まで三尺八寸/沈下の懸念:低/湧水:なし』
「……支持層、浅いな。助かった」
「領主どの。それは、掘らずに分かるのか」
「分かる。前の世界なら、何箇所も穴を掘って、土を抜いて、調べて、書類にして、数週間は消える工程だ」
「数週間」
「そう。掘り始める前に、長い時間を待つんだ。……それを今、消した」
バルガスは、しばらく地面を見て、それから、ぼそりと言った。
「……なるほどのう。そういう力か」
◆◆◆◆
掘り方が始まると、地面はあっという間に大きな傷になった。ゴブリンやドワーフ達の力は、人間とは比にならない。作業は爆速で進んでいった。
基礎の溝を、幅三尺、深さは硬い層まで。ゴブリンが担いだのは、この土の運搬である。ザグの号令で小さな体が列を成し、土を入れたザルが手から手へ渡っていく。四月に「持ってきた」の一言で砦の資材を集めた連中だ。運ぶことと掘ることに関しては、この街の専門職である。
「はい! はい! はい!」
「うたえ! はこびうた!」
誰かが唄い出すと、ザルの速度が上がる。記録係の子ゴブが土の山の前に立ち、運んだザルの数を石で記録していた。三日目には「土、千二百八十七ばい!」と朝礼で報告し、拍手をもらっていた。
溝の底には、割栗石を敷いて突き固める。ここでドワーフの本領が出た。
「石は、寝かせる向きがある」
バルガスは、石を一つ拾って俺に見せた。
「これは、こう置くと落ち着く。ひっくり返すと、いつまでも動く。……山から出た石は、山におった時の姿を覚えとるでな」
理屈は、俺には分からない。だが彼らが並べた栗石は、槌で叩くと硬い一枚の音を返した。
その上に、間知石を据えて、基礎を組んでいく。石と石の噛み合わせだけで積む、野面の技だ。前世の俺は基礎といえば鉄筋とコンクリートしか知らなかったが、この石積みは、目地に指も入らない。
……正直、強度が心配だが。鑑定眼で見てみるか。
『基礎(南面)第一列:据付精度・特級/水平の狂い・許容内』
「……凄いな。糊も使わずに、これか」
「石は、石で押さえるんじゃ。糊で止めた石垣は、動いた時に割れる。噛ませた石垣は、動いても、動いたまま立っとる」
……それは俺の知っている前世の免震構造と、同じ設計思想だった。
◆◆◆◆
【資材置き場に、札を貼る】
着工の翌日。俺は、現場の北側に整地させた広い一角に立った。
材木が、山と積まれている。伐り出したばかりの、まだ水を含んだ丸太。板材。石灰の袋。瓦の素焼き。工具の小屋。
「【神域の用途指定】区画 ここから縄張りの内側まで。用途【材木置き場】付帯効果 乾くことが正しい」
淡い光が、置き場全体に薄く広がった。
『材木置き場、ようこそ。雨と、虫は、ご遠慮ください』
「……効果は」
バルガスが、恐る恐る丸太に触れた。
「雨に濡れない。虫がつかない。倒れない。無くならない。そして、よく乾く」
『材木(大径・第一群):含水率——規定値まで、あと十八日』
……十八日。
半年から二年が、十八日になった。
「……十八日、じゃと」
「ああ。それでも十八日は待つ。魔法で今すぐ乾くわけじゃない」
「充分すぎるわ、たわけ!」
バルガスが吠えた。ドワーフたちが丸太に群がって、順に手を当てて、口々に何か言っている。
その輪の外で、リーフェが小さく息を呑んでいた。
「……半年かかる乾きが、十八日。それは、木にとって、辛くはないのですか」
「?」
「急いで乾かした木は、割れます。表だけ乾いて、中が湿ったまま、それを、私たちは『泣く』と言います」
……なるほど。
そこは、木の側の理屈だ。
「じゃあ、君の技と合わせよう。葉枯らしを、この置き場でやったらどうなる」
「……葉を付けたまま伐って、ここに寝かせる。木が、自分の葉から水を吐く。それを、この場所が助ける」
彼女は、目を見開いた。
「無理に引き抜くのではなく、木が自分で吐くのを、早めるだけになります。……それなら、泣きません」
「決まりだ。大径材は全部それでいく」
結局、乾燥の工程はこうなった。板材と小径材は鍛冶場の排熱乾燥室で。大径材は葉枯らしにして、この置き場で。そして両方に、札が効いている。
薬草の棚を半分に詰めてくれたリーフェには、後で治療院の棚を二倍にして返した。
◆◆◆◆
この置き場には、思わぬ副産物もあった。
うちの資材は、一本も無くならず、一枚も濡れず、一つも盗まれなかった。
……前世の現場では、資材の紛失と盗難と、雨濡れによる廃棄が、毎回必ず一定の割合で出た。それが、ゼロである。
「セリア。資材の歩留まりは」
「発注量に対する損耗、〇です。……この数字は、正直、帳簿を疑いました」
「札の効果だ。だが、これも作業を速くしたわけじゃない。無駄を出さなかっただけだ」
……だが、これで準備は整った。次は、いよいよ、建築だ。




